都会ノ暮ラシ

テヅカミ ユーキ

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第一部「都会の暮らし」

24-2

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 やがて廊下の突き当たりまで来ると、驚いたことに祐亮は鈍く光る銀色の鍵を取り出して中を案内した。

 ――「灯りはつかないけどさ。寝るくらいはできる。鍵、預かってんだ」

 言うと、ブラインド越しに漏れてくる夜のネオンの光の中で、祐亮は事務椅子に座った。俺もその隣に力なく腰かけた。

 ――「色々あると思うよ。けど尋生は大丈夫だよ。ここからいくらでもやり直せる。そのために俺もできることはしよう。しばらくは行き場に困らないんだからさ」

 居酒屋で流しきったはずの涙がまた溢れた。

 街中で酔っ払い相手に似顔絵描きをやりつつ生き延びていたこと。女と出会って舞い上がっていたこと。そして飽きて捨てられたこと。そのすべてが今日を連れてきたというのならば、俺は後悔しない。思いながらも、気がつくと事務机に突っ伏して寝ていた。

 翌日からは就職情報誌を集め、面接を始めた。電話は祐亮が貸してくれた。寮のあるところがまず基本で、月給に関して文句は言えなかった。生活を変えるというのはそういうことだ。街角の似顔絵師に戻るくらいならば住むところと働く場所さえあればよかった。

 今日もまた薄暗い雑居ビルの階段を上ると、鍵は開いている。

 祐亮はブラインドを開け、デスクの上で脚を組み、煙草を吹かしていた。

「いい風景だよ尋生。今夜も街は生きてる」

 答えにはならなかったが、尋生も今日の成果を述べる。

「決まったよ。多摩川沿いの、半導体の工場だ。寮もある。一週間研修して入社だ」

 すると祐亮は、

「だと思った。冷蔵庫を開けてくれ、缶ビールが入ってる」

「電気、通ったのか?」

「まさか。さっき買っといた。お前なら大丈夫だと思ってさ」

 渋谷のネオンを受けながら、缶ビールで乾杯をした。そしてそれが彼との最後だった。

 ニュースはすっかりと他の映像を流していた。が、俺は行かなければならない。八年前の約束を携えて。

 ――「尋生。俺の絵を描いてくれないか」



 母の調子が悪くなったのはそれから二週間後だった。夜中に起き出し、誰もいない部屋で一人言を呟くのだ。身を起こしてそばへ行くと、

「尋生。お父さんが釣りに行くって言うて困るとばい。止めてくれんね」

 かと思えば日中は父の通院していた病院へ行き、朝から夕まで待合室に座っているそうだ。


 早く仕事を見つけなければ――。


 それだけが尋生の最優先事項だった。定員切りにあった東京の会社から数年ぶりに舞い戻り、父は蒸発して母も達者ではなかった。

 しかし祐亮のニュースが気にかかる。硫化水素による中毒死とニュースは伝えたが、あいつはそんなことをしでかすヤツではない。何かに巻き込まれたのだ。

 仕事を探しつつ、日々は続く。が、さしたる収穫もなく、毎日疲れて舞い戻っていた。運転免許がないのはこの歳で再就職するのにマイナスだった。中高時代の友人を頼っても、「免許ないとなあ」そのひと言で頭を下げられていた。

 母が台所で何やら刻んでいる。ニュースでは心中未遂の男の身柄が分からないと言っている。所持品はギターと、衣類他の入ったキャリーケースだ。こういう時は警察に電話を入れるべきなのだろうか。

(それより行きたい……広島に……)

 そう思えど動けない理由がある。もうこの街から出ることは不可能だ。兄も弟も結婚して家を出た。父もいない。老いた母を何とかできるのは俺だけなのだ。そう思いながら母の作った飯を食べ、布団に潜り込んだ。明日はまたハローワークだ。
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