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第一部「都会の暮らし」
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そうやって四曲が終わった。激しい歌あり、寂しい歌ありのバラエティーに富んだ演奏だった。
「どうだった?」
額の汗を拭い、鬼ころしを手にする彼に、
「はい、すごかったです」
としか言えない自分が悲しかったが本心ではある。
「すごかった、か。嬉しい感想だ。じゃあ、ボチボチ七夕なんで、こないだ作った『天の川』って歌を」
言うと彼は指先を器用に動かし、なんとも切ないメロディーを奏で始めた。そしてかすれ気味の優しい声が唄い始める。
――いつかそれは離れてゆく 幾千の歴史が教えてくれる
――今は迷いの中 繋いだ指も 絶える命を空へ返す
悲しい歌だ。またしても遥香には幼稚な感想しか浮かばない。それでもじっと聴き入った。
――消えゆく恋の色は強く いつも空を赤く染めて濡れる
――天に流れるのは ひとつの涙 凍えるままに美しく
柔らかな、そして冷たい余韻を残して曲が終わる。と共にいつしか頬を濡らしていたことに遥香は気づく。そして背後から拍手が聴こえた。
三木は背後の客と知り合いだったようで、「久しぶり」と声を交わしていた。そしてなんとその客は、惜しげもなく一万円札をケースへ置いていった。外れるものならあごを外してみたかった。
「すごいお客さんですね……」
「一年ぶりだからね。ご祝儀だよ」
笑う彼に、そうだ、と思い出した。
「ミツキさん、電話の番号教えてください」
一日分の勇気を振り絞った彼女に、しかし三木は、
「ゴメン。俺、ケータイないんだ。ホームレスだから」
あまりのショックに息が詰まったが、喉から出た言葉は押しとどめられなかった。
「じゃあ、それじゃあ、ウチに泊まってください!」
彼女の決死の言葉を、しかし彼は笑い飛ばす。
「ははは。もし困ったらね」
それから彼女は少しばかりシュンとしたが、彼に頼んで隣に座らせてもらった。彼の歌を、通りがかる人がどんな目で見てゆくのかを見たかったのだ。
夜も更けて十時になると、一気に人の波が増えた。しかし彼は、
「流れじゃないんだよな」
そう言ってお酒を片手に煙草を吹かしていた。
「どういうことなんですか?」
彼女が訊ねると、
「皆がね、まだ次のお店を探して動き回ってるんだ。俺が探してるのは遊び疲れた人か、お金がないけど遊び足りない人。行く先のある人はまだターゲットじゃないんだ。それより酒が切れた。今日はいい日になりそうだから君の分も何か買って来よう」
「いいです! 私、自分の分は――一緒に行きます」
「いや。店番が欲しくて。何がいる?」
「そしたら……グレープのチューハイを……」
彼が目の前のコンビニへ入ってゆく。道行く人を見れば、急に心細くなる。荒っぽく鳴る黒塗りの車のクラクションに、大声を上げる集団。その中を鮮やかに歩き抜けるミニスカートの女性。どれもが自分の生活にはなかったものだ。
と思っていると、目の前に急ブレーキのタクシーが止まった。窓からは運転手が顔を出す。
「三木か!」
どうやらこちらへ怒鳴り散らしているようだ。が、怖い。人相云々ではなく、タクシーを急ブレーキで横付けする行為が怖かった。なので、
「今コンビニに行ってます!」
声を振り絞って叫んだ。すると、
「お姉ちゃん! こっち来んさい!」
来いとまで言われると行かざるを得ず、椅子から立ち上がってフラフラとタクシーへ向かった」
「三木に渡しとってくれ。コーヒー代じゃ、いうてな」
そして運転手は遥香に五百円硬貨を一枚渡すと、また荒っぽいスタートで道路へ合流した。流川の怖さが身を襲うようだった。
「どうだった?」
額の汗を拭い、鬼ころしを手にする彼に、
「はい、すごかったです」
としか言えない自分が悲しかったが本心ではある。
「すごかった、か。嬉しい感想だ。じゃあ、ボチボチ七夕なんで、こないだ作った『天の川』って歌を」
言うと彼は指先を器用に動かし、なんとも切ないメロディーを奏で始めた。そしてかすれ気味の優しい声が唄い始める。
――いつかそれは離れてゆく 幾千の歴史が教えてくれる
――今は迷いの中 繋いだ指も 絶える命を空へ返す
悲しい歌だ。またしても遥香には幼稚な感想しか浮かばない。それでもじっと聴き入った。
――消えゆく恋の色は強く いつも空を赤く染めて濡れる
――天に流れるのは ひとつの涙 凍えるままに美しく
柔らかな、そして冷たい余韻を残して曲が終わる。と共にいつしか頬を濡らしていたことに遥香は気づく。そして背後から拍手が聴こえた。
三木は背後の客と知り合いだったようで、「久しぶり」と声を交わしていた。そしてなんとその客は、惜しげもなく一万円札をケースへ置いていった。外れるものならあごを外してみたかった。
「すごいお客さんですね……」
「一年ぶりだからね。ご祝儀だよ」
笑う彼に、そうだ、と思い出した。
「ミツキさん、電話の番号教えてください」
一日分の勇気を振り絞った彼女に、しかし三木は、
「ゴメン。俺、ケータイないんだ。ホームレスだから」
あまりのショックに息が詰まったが、喉から出た言葉は押しとどめられなかった。
「じゃあ、それじゃあ、ウチに泊まってください!」
彼女の決死の言葉を、しかし彼は笑い飛ばす。
「ははは。もし困ったらね」
それから彼女は少しばかりシュンとしたが、彼に頼んで隣に座らせてもらった。彼の歌を、通りがかる人がどんな目で見てゆくのかを見たかったのだ。
夜も更けて十時になると、一気に人の波が増えた。しかし彼は、
「流れじゃないんだよな」
そう言ってお酒を片手に煙草を吹かしていた。
「どういうことなんですか?」
彼女が訊ねると、
「皆がね、まだ次のお店を探して動き回ってるんだ。俺が探してるのは遊び疲れた人か、お金がないけど遊び足りない人。行く先のある人はまだターゲットじゃないんだ。それより酒が切れた。今日はいい日になりそうだから君の分も何か買って来よう」
「いいです! 私、自分の分は――一緒に行きます」
「いや。店番が欲しくて。何がいる?」
「そしたら……グレープのチューハイを……」
彼が目の前のコンビニへ入ってゆく。道行く人を見れば、急に心細くなる。荒っぽく鳴る黒塗りの車のクラクションに、大声を上げる集団。その中を鮮やかに歩き抜けるミニスカートの女性。どれもが自分の生活にはなかったものだ。
と思っていると、目の前に急ブレーキのタクシーが止まった。窓からは運転手が顔を出す。
「三木か!」
どうやらこちらへ怒鳴り散らしているようだ。が、怖い。人相云々ではなく、タクシーを急ブレーキで横付けする行為が怖かった。なので、
「今コンビニに行ってます!」
声を振り絞って叫んだ。すると、
「お姉ちゃん! こっち来んさい!」
来いとまで言われると行かざるを得ず、椅子から立ち上がってフラフラとタクシーへ向かった」
「三木に渡しとってくれ。コーヒー代じゃ、いうてな」
そして運転手は遥香に五百円硬貨を一枚渡すと、また荒っぽいスタートで道路へ合流した。流川の怖さが身を襲うようだった。
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