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八十七 嫌味なハンベエ!だよお。
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王宮の城門前にはバトリスク一門当主近衛師団長ルノーが手兵百名を従え、馬上にふんぞり返っていた。どうやら、このじいさん(と言うほどの歳でもないが)威張り散らすあまり、歳を経て、世間の人とは逆の方向に背骨が曲がってしまったようだ。
城門の内側には、王宮警備隊の兵士達がルノー達を中に入れまいと陣取っている。ハンベエとロキがラシャレー浴場から戻った時はまだ警戒体制は敷かれておらず、気易く王宮内に入って行けたのだが、今や厳戒体制。蟻の這い出る隙間も無いほど兵士がごった返して大賑わいである。
国王の死亡と同時に王宮に非常警戒が発っせられ、王宮への出入りは厳しく制限されていた。そんな事とは露知らぬルノーがいつも通り顔パスで入ろうとしたら、数十人の王宮警備隊に通せんぼをくらい、『このわしを何者だと思っているのか。』と怒髪天を突かんばかりに憤ったのだが、警備兵や門衛は腰引けながらも通さない。勿論、国王死去の件や王女エレナ捜索の件もルノーには知らせなかった。
ハンベエの一件で、己の我見が通らず、既にステルポイジャンに、腹に一物手に荷物・・・・・・じゃなくて、腹に据えかねる物を持っていたルノーは、『それなら、中には入らん! ただし、ハンベエという男を此処に連れて来い! それも応じないなら、人数で押し通るぞ』と年甲斐も無くいきり立ったのであった。
わざわざ馬に乗り直して、高い所から王宮警備隊の兵士に嚇しを掛けていた。
門を挟んで外側には近衛師団、内側には王宮警備隊、互いに肩肘張って睨み合っている。
人数的には王宮内にいる王宮警備隊の兵士が圧倒しているが、何せ相手は近衛師団長、バスバス平原に戻れば一万人の兵士を擁する身であり、下っ端の兵士から見れば雲の上の人物である。しかも、大将軍ステルポイジャンには警戒体制を命ぜられたが、戦争を起こしてもいいとまでは言われていない。
相手は近衛師団である。勝手に争いを始めれば、反って大将軍に罰っせらる事もあるというわけで、一先ず穏便にとハンベエを呼びに行ったのであった。言う通り、ハンベエを連れて来れば、ルノー将軍の気も収まるだろうというわけだ。
しかしながら、ハンベエを呼びに行ってどうなったかは既にご承知の通り。あて事とフンドシは向こうから外れると言うが、世の中甘い空頼みが上手く行ったためしはない。
漸くにして、ステルポイジャンがやって来た。巨体と出っ張った腹を揺らしながら、息急き切ってやって来たステルポイジャンは、
「近衛師団長、これは一体何の真似だ。」
と開口一番ルノーを咎め立てた。
「何の真似だはこちらのセリフじゃわい。この近衛師団長ルノーを王宮に入れぬというタワケた事を言うのでこういう仕儀に相成っておる。どういう了見じゃ、大将軍。」
「むっ・・・・・・王宮に人を入れぬにはわけがある。」
ステルポイジャンはルノーの言い分に少し戸惑った。国王の死去を言い出すまいかどうか迷っているのである。
ステルポイジャンとしては、国王の死が広まる前に自分に優位な体制を作り上げ、推戴しているフィルハンドラにそのまま王位を後継させたかった。都合の良い事には、先程訪れた王妃モスカからフィルハンドラを後継者にするという国王の遺言状を見せられていた。その遺言状にはまごう方無き国王バブル六世の署名と落款が有った。
あまりにも出来すぎているとステルポイジャンは内心不審にも思ったが、国王の遺言状が有れば、こんな強い武器は無い。勝ったも同然とほくそ笑んだのだった。
だが、国王を毒殺したとされる王女エレナはまだ捕らえる事が出来ず、最大の敵であるラシャレーも、これを捕らえるべく警備隊にその執務室を襲わせたが、相手は既に風を食らって消えていた。
今の所、国王の死を知る者は王宮内の兵士や自分、医師ドーゲンその他一部の者に限られている。事が広まれば、大きな騒動になるであろう。
ステルポイジャンの傍に付き従って立っている男がいた。年の頃は三十代後半、中肉中背だが、一見して武術の鍛練を怠っていない人間と分かるほどの引き締まった体、身のこなしをした男である。若干釣り上がった目尻と肉の削げ落ちたような頬、尖った顎がすこぶる切れ者の印象を与えるような男だった。
その男の名はニーバルと言った。ガストランタがステルポイジャンの右腕とすれば、ニーバルは左腕であった。実際、王女エレナによる毒殺の報告をドーゲンから受け、直ぐ様王宮警備隊を王宮の要所要所に配置し、厳戒体制を敷かせたのはこのニーバルであった。ラシャレーこそ逃がしたが、その手際の良さに『流石、我が片腕』とステルポイジャンは大いに満足顔であったらしい。
ステルポイジャンはニーバルと目を合わせた。さて、近衛師団長ルノーに国王の死を知らせるべきかどうかというわけである。目は口ほどに何とやら、二人は目と目で語り合った。
だが、そんな二人の苦心を一瞬に水の泡にした人物がいた。
「近衛師団長、この騒ぎは一体何事じゃ。」
そう言って二人の後ろから現れたのは誰あろう、王妃モスカであった。
「これは、王妃様。」
流石のルノーも馬から降りて、片膝をつき王妃に会釈した。話はズレるがハンベエはこの王妃に対しても膝を折る事をしなかった。名門を鼻に掛け、宰相ラシャレーには散々横柄な態度を取った近衛師団長も所詮人の子王家の家臣、傲岸不遜という意味ではどうやらハンベエには敵わないらしい。
名門バトリスク一門の当主を跪かせ、一瞬顔に満足気な笑いを浮かべたモスカであったが、直ぐに峻厳な表情になり、
「近衛師団長、何を騒いでいるのか知らぬが今はそのような時ではないぞえ。恐れ多くも国王陛下がみまかられたのじゃ。それもあろう事か、王女エレナに毒を盛られて。」
と激しい口調で言った。
「何と、それはまことの事ですか?」
いきなり告げられた仰天の事情にルノーは驚きを隠せない。
その一方、ステルポイジャンとニーバルは『あーあ、言っちゃったよ。』と苦い顔になった。それはモスカの隣に影のように付き従っていたガストランタも同様であった。
「まことに信じられぬ話であるが、侍医のドーゲンがわざわざわらわに報せに参った。疑いようも無い。国王陛下もまさか我が娘に毒を盛られようとは思いもせなれなんだろう。エレナめ、何と恐ろしい娘か。神をも恐れぬ鬼女とはあの者の事じゃ。」
王妃モスカは吐き捨てるように言った。最後の方の言い様にはありありと憎悪の感情が見て取れた。
モスカの言葉の中に『侍医のドーゲンが報せに参った』と有ったが、実は大事な生き証人のはずのドーゲンは既に王宮内には居なかった。
ドーゲンはベルゼリット城に国王の死を報せに行ったまま、そこで保護されていたのであった。
本来であれば、ドーゲンのような重要参考人は現在国王毒殺の捜査を担当している王宮警備隊の手で厳重に保護すべきであったが、どういう手違いか、当人が王宮を抜け出し、王妃モスカにご注進に奔っていたのであった。この事はステルポイジャンでさえ知らなかった。ステルポイジャンは王宮を訪ねて来た王妃モスカから聞いて初めて知ったのであった。
大将軍ステルポイジャンはモスカにドーゲンの引き渡しを迫ったが、モスカは左様な重要証人であれば尚の事我が手で保護すると譲らなかった。更に、ステルポイジャンの片腕ニーバルから『我々の推戴するフィルハンドラ殿下のお母君と揉めるのはマズいですよ』と耳打ちされて、ステルポイジャンは不承不承引き下がったのであった。
証人ドーゲンの事まで喋ってしまったモスカにステルポイジャンは内心舌打ちしたいほどであった。が、相手は王妃、叱り付けるわけにもいかない。
「近衛師団長、そういうわけだ。今は王宮の出入りを易々とさせるわけには参らぬのだ。何れ、ゴロデリア国民には事を明らかにし、国王の後継者を決める集まりを設ける事になるであろう。今日の処はお帰り願いたい。」
モスカの言葉を引き取ってステルポイジャンがルノーに言った。
ルノーは仕方ないと思ったのか、黙って立ち去ろうとした。
どうやら、城門における騒擾もケリがつきそうであった。王宮警備隊の兵士も近衛師団の兵士も、主人達の思惑はともかく、ほっと胸を撫で下ろした。
だが、ほっとするのはまだ早かった。王妃に向けて一礼し、馬に跨がり馬首を反そうとしたルノー目がけて、王宮内から一本の矢が放たれたのである。
矢はルノーの銀色の兜に当たり、キンッと音を立ててあらぬ方向へ跳ねて行った。馬上のルノーの怒るまいことか、これがホントのカチンと来たという奴である。
「矢を射たのは誰だあっ。」
矢の飛んで来たと思われる方向に向かって烈火の如くルノーが吠えた。鬼の形相凄まじく、既に腰から剣を抜いていた。
ルノーが眼を向けたその先には、十数名の王宮警備隊の弓兵士達がいた。彼等は皆一斉に『俺じゃない。』という風に横に首を振った。そして一斉に背後を振り返った。何と其処にはハンベエが立っていたのである。
ハンベエは腕組みをして立っていたが、皆の視線が一斉に向けられたのに困惑した様子で、
「おいおい、俺じゃないぜ。第一、弓は持ってない。」
と言った。
「おのれ、何者だ。」
ルノーは怒鳴った。
「俺かい、俺は近頃有名なハンベエって言うんだが、そういうおめえはルノーって馬鹿かい。まあ、さっきの矢は何かの手違いで誰かの手が滑ったんだろうから、馬鹿みたいに怒り狂ってないで大人しく帰んな。」
ハンベエは殊更に言葉の中に『馬鹿、馬鹿』と二つ混ぜ込み、小馬鹿にした調子で言った。
ハンベエという名を聞き、かつ又、そのあまりにも愚弄し切った物の言い様に、ルノーが辛うじて持っていた思慮は消し飛んでしまった。
「おのれ、無礼者っ。」
王宮警備隊の兵士や近衛師団兵達が止める暇も有らばこそ、馬腹を蹴るや、ハンベエ目がけ、一直線に馬を進め王宮内に突っ込んで来た。
馬蹄に踏み躙られまいと、弓兵士達が左右に散らばる。だが、ハンベエは転がるようにしてルノーの馬の前脚を斬るとそのまま右に逃れた。馬はもんどり打って前に倒れ、反動でルノーは一回転して背中から地面に打ち付けられた。更にハンベエはヨロヨロと起き上がるルノーに風のように近づくと、分厚い鎧で覆われたルノーの胸に前蹴りを食らわせて今度は尻餅をつかせた。
「俺じゃねえってのに、物分かりの悪い馬鹿だなあ。」
そうしておいてハンベエは、嘲るようにルノーに言った。
恐らくこのルノーという人物、その半生でこれほどコケにされた事はないだろう。発熱した鉄のように目を赤々と燃え立たせると、
「者共、何をしておるかっ。」
と泡吹かんばかりに怒鳴り声を上げた。
すわっ大将の一大事! 城門にいた近衛師団兵達は弾かれたようにハンベエ目がけて王宮内に突撃して来た。
ハンベエは手の平を前に向けて、
「おい待て、暴れるのはマズイだろう。」
と言ったが、とても止まろう道理がない。
やれやれという風にハンベエは王宮警備隊の兵士達の中に逃げ込んだ。王宮警備隊の兵士達は『わわわ、こっち来んなよ』とでも言いたげに、右に左にハンベエを避けたが、近衛師団兵達はもう王宮警備隊だろうが、ハンベエだろうが見境なしに攻撃し始めていた。
その光景を見ていたステルポイジャンは最早止む無しと思ったのか。
「致し方無し、王宮内に斬り込んで来た暴徒を叩き出せ。」
と怒鳴った。
ステルポイジャンの号令に今度は王宮警備隊の兵士達が近衛師団に応戦し始めた。
城門の内側には、王宮警備隊の兵士達がルノー達を中に入れまいと陣取っている。ハンベエとロキがラシャレー浴場から戻った時はまだ警戒体制は敷かれておらず、気易く王宮内に入って行けたのだが、今や厳戒体制。蟻の這い出る隙間も無いほど兵士がごった返して大賑わいである。
国王の死亡と同時に王宮に非常警戒が発っせられ、王宮への出入りは厳しく制限されていた。そんな事とは露知らぬルノーがいつも通り顔パスで入ろうとしたら、数十人の王宮警備隊に通せんぼをくらい、『このわしを何者だと思っているのか。』と怒髪天を突かんばかりに憤ったのだが、警備兵や門衛は腰引けながらも通さない。勿論、国王死去の件や王女エレナ捜索の件もルノーには知らせなかった。
ハンベエの一件で、己の我見が通らず、既にステルポイジャンに、腹に一物手に荷物・・・・・・じゃなくて、腹に据えかねる物を持っていたルノーは、『それなら、中には入らん! ただし、ハンベエという男を此処に連れて来い! それも応じないなら、人数で押し通るぞ』と年甲斐も無くいきり立ったのであった。
わざわざ馬に乗り直して、高い所から王宮警備隊の兵士に嚇しを掛けていた。
門を挟んで外側には近衛師団、内側には王宮警備隊、互いに肩肘張って睨み合っている。
人数的には王宮内にいる王宮警備隊の兵士が圧倒しているが、何せ相手は近衛師団長、バスバス平原に戻れば一万人の兵士を擁する身であり、下っ端の兵士から見れば雲の上の人物である。しかも、大将軍ステルポイジャンには警戒体制を命ぜられたが、戦争を起こしてもいいとまでは言われていない。
相手は近衛師団である。勝手に争いを始めれば、反って大将軍に罰っせらる事もあるというわけで、一先ず穏便にとハンベエを呼びに行ったのであった。言う通り、ハンベエを連れて来れば、ルノー将軍の気も収まるだろうというわけだ。
しかしながら、ハンベエを呼びに行ってどうなったかは既にご承知の通り。あて事とフンドシは向こうから外れると言うが、世の中甘い空頼みが上手く行ったためしはない。
漸くにして、ステルポイジャンがやって来た。巨体と出っ張った腹を揺らしながら、息急き切ってやって来たステルポイジャンは、
「近衛師団長、これは一体何の真似だ。」
と開口一番ルノーを咎め立てた。
「何の真似だはこちらのセリフじゃわい。この近衛師団長ルノーを王宮に入れぬというタワケた事を言うのでこういう仕儀に相成っておる。どういう了見じゃ、大将軍。」
「むっ・・・・・・王宮に人を入れぬにはわけがある。」
ステルポイジャンはルノーの言い分に少し戸惑った。国王の死去を言い出すまいかどうか迷っているのである。
ステルポイジャンとしては、国王の死が広まる前に自分に優位な体制を作り上げ、推戴しているフィルハンドラにそのまま王位を後継させたかった。都合の良い事には、先程訪れた王妃モスカからフィルハンドラを後継者にするという国王の遺言状を見せられていた。その遺言状にはまごう方無き国王バブル六世の署名と落款が有った。
あまりにも出来すぎているとステルポイジャンは内心不審にも思ったが、国王の遺言状が有れば、こんな強い武器は無い。勝ったも同然とほくそ笑んだのだった。
だが、国王を毒殺したとされる王女エレナはまだ捕らえる事が出来ず、最大の敵であるラシャレーも、これを捕らえるべく警備隊にその執務室を襲わせたが、相手は既に風を食らって消えていた。
今の所、国王の死を知る者は王宮内の兵士や自分、医師ドーゲンその他一部の者に限られている。事が広まれば、大きな騒動になるであろう。
ステルポイジャンの傍に付き従って立っている男がいた。年の頃は三十代後半、中肉中背だが、一見して武術の鍛練を怠っていない人間と分かるほどの引き締まった体、身のこなしをした男である。若干釣り上がった目尻と肉の削げ落ちたような頬、尖った顎がすこぶる切れ者の印象を与えるような男だった。
その男の名はニーバルと言った。ガストランタがステルポイジャンの右腕とすれば、ニーバルは左腕であった。実際、王女エレナによる毒殺の報告をドーゲンから受け、直ぐ様王宮警備隊を王宮の要所要所に配置し、厳戒体制を敷かせたのはこのニーバルであった。ラシャレーこそ逃がしたが、その手際の良さに『流石、我が片腕』とステルポイジャンは大いに満足顔であったらしい。
ステルポイジャンはニーバルと目を合わせた。さて、近衛師団長ルノーに国王の死を知らせるべきかどうかというわけである。目は口ほどに何とやら、二人は目と目で語り合った。
だが、そんな二人の苦心を一瞬に水の泡にした人物がいた。
「近衛師団長、この騒ぎは一体何事じゃ。」
そう言って二人の後ろから現れたのは誰あろう、王妃モスカであった。
「これは、王妃様。」
流石のルノーも馬から降りて、片膝をつき王妃に会釈した。話はズレるがハンベエはこの王妃に対しても膝を折る事をしなかった。名門を鼻に掛け、宰相ラシャレーには散々横柄な態度を取った近衛師団長も所詮人の子王家の家臣、傲岸不遜という意味ではどうやらハンベエには敵わないらしい。
名門バトリスク一門の当主を跪かせ、一瞬顔に満足気な笑いを浮かべたモスカであったが、直ぐに峻厳な表情になり、
「近衛師団長、何を騒いでいるのか知らぬが今はそのような時ではないぞえ。恐れ多くも国王陛下がみまかられたのじゃ。それもあろう事か、王女エレナに毒を盛られて。」
と激しい口調で言った。
「何と、それはまことの事ですか?」
いきなり告げられた仰天の事情にルノーは驚きを隠せない。
その一方、ステルポイジャンとニーバルは『あーあ、言っちゃったよ。』と苦い顔になった。それはモスカの隣に影のように付き従っていたガストランタも同様であった。
「まことに信じられぬ話であるが、侍医のドーゲンがわざわざわらわに報せに参った。疑いようも無い。国王陛下もまさか我が娘に毒を盛られようとは思いもせなれなんだろう。エレナめ、何と恐ろしい娘か。神をも恐れぬ鬼女とはあの者の事じゃ。」
王妃モスカは吐き捨てるように言った。最後の方の言い様にはありありと憎悪の感情が見て取れた。
モスカの言葉の中に『侍医のドーゲンが報せに参った』と有ったが、実は大事な生き証人のはずのドーゲンは既に王宮内には居なかった。
ドーゲンはベルゼリット城に国王の死を報せに行ったまま、そこで保護されていたのであった。
本来であれば、ドーゲンのような重要参考人は現在国王毒殺の捜査を担当している王宮警備隊の手で厳重に保護すべきであったが、どういう手違いか、当人が王宮を抜け出し、王妃モスカにご注進に奔っていたのであった。この事はステルポイジャンでさえ知らなかった。ステルポイジャンは王宮を訪ねて来た王妃モスカから聞いて初めて知ったのであった。
大将軍ステルポイジャンはモスカにドーゲンの引き渡しを迫ったが、モスカは左様な重要証人であれば尚の事我が手で保護すると譲らなかった。更に、ステルポイジャンの片腕ニーバルから『我々の推戴するフィルハンドラ殿下のお母君と揉めるのはマズいですよ』と耳打ちされて、ステルポイジャンは不承不承引き下がったのであった。
証人ドーゲンの事まで喋ってしまったモスカにステルポイジャンは内心舌打ちしたいほどであった。が、相手は王妃、叱り付けるわけにもいかない。
「近衛師団長、そういうわけだ。今は王宮の出入りを易々とさせるわけには参らぬのだ。何れ、ゴロデリア国民には事を明らかにし、国王の後継者を決める集まりを設ける事になるであろう。今日の処はお帰り願いたい。」
モスカの言葉を引き取ってステルポイジャンがルノーに言った。
ルノーは仕方ないと思ったのか、黙って立ち去ろうとした。
どうやら、城門における騒擾もケリがつきそうであった。王宮警備隊の兵士も近衛師団の兵士も、主人達の思惑はともかく、ほっと胸を撫で下ろした。
だが、ほっとするのはまだ早かった。王妃に向けて一礼し、馬に跨がり馬首を反そうとしたルノー目がけて、王宮内から一本の矢が放たれたのである。
矢はルノーの銀色の兜に当たり、キンッと音を立ててあらぬ方向へ跳ねて行った。馬上のルノーの怒るまいことか、これがホントのカチンと来たという奴である。
「矢を射たのは誰だあっ。」
矢の飛んで来たと思われる方向に向かって烈火の如くルノーが吠えた。鬼の形相凄まじく、既に腰から剣を抜いていた。
ルノーが眼を向けたその先には、十数名の王宮警備隊の弓兵士達がいた。彼等は皆一斉に『俺じゃない。』という風に横に首を振った。そして一斉に背後を振り返った。何と其処にはハンベエが立っていたのである。
ハンベエは腕組みをして立っていたが、皆の視線が一斉に向けられたのに困惑した様子で、
「おいおい、俺じゃないぜ。第一、弓は持ってない。」
と言った。
「おのれ、何者だ。」
ルノーは怒鳴った。
「俺かい、俺は近頃有名なハンベエって言うんだが、そういうおめえはルノーって馬鹿かい。まあ、さっきの矢は何かの手違いで誰かの手が滑ったんだろうから、馬鹿みたいに怒り狂ってないで大人しく帰んな。」
ハンベエは殊更に言葉の中に『馬鹿、馬鹿』と二つ混ぜ込み、小馬鹿にした調子で言った。
ハンベエという名を聞き、かつ又、そのあまりにも愚弄し切った物の言い様に、ルノーが辛うじて持っていた思慮は消し飛んでしまった。
「おのれ、無礼者っ。」
王宮警備隊の兵士や近衛師団兵達が止める暇も有らばこそ、馬腹を蹴るや、ハンベエ目がけ、一直線に馬を進め王宮内に突っ込んで来た。
馬蹄に踏み躙られまいと、弓兵士達が左右に散らばる。だが、ハンベエは転がるようにしてルノーの馬の前脚を斬るとそのまま右に逃れた。馬はもんどり打って前に倒れ、反動でルノーは一回転して背中から地面に打ち付けられた。更にハンベエはヨロヨロと起き上がるルノーに風のように近づくと、分厚い鎧で覆われたルノーの胸に前蹴りを食らわせて今度は尻餅をつかせた。
「俺じゃねえってのに、物分かりの悪い馬鹿だなあ。」
そうしておいてハンベエは、嘲るようにルノーに言った。
恐らくこのルノーという人物、その半生でこれほどコケにされた事はないだろう。発熱した鉄のように目を赤々と燃え立たせると、
「者共、何をしておるかっ。」
と泡吹かんばかりに怒鳴り声を上げた。
すわっ大将の一大事! 城門にいた近衛師団兵達は弾かれたようにハンベエ目がけて王宮内に突撃して来た。
ハンベエは手の平を前に向けて、
「おい待て、暴れるのはマズイだろう。」
と言ったが、とても止まろう道理がない。
やれやれという風にハンベエは王宮警備隊の兵士達の中に逃げ込んだ。王宮警備隊の兵士達は『わわわ、こっち来んなよ』とでも言いたげに、右に左にハンベエを避けたが、近衛師団兵達はもう王宮警備隊だろうが、ハンベエだろうが見境なしに攻撃し始めていた。
その光景を見ていたステルポイジャンは最早止む無しと思ったのか。
「致し方無し、王宮内に斬り込んで来た暴徒を叩き出せ。」
と怒鳴った。
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