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ヤンデレルート
ヤンデレ編番外編3 2/2
しおりを挟む隈が酷いなと、陽介と朝食をとっていて修一はそう思った。
心配した修一が陽介の日々の様子や不眠を主治医に相談したところ、退院直前までの陽介はこんな風ではなかったらしい。まさか自分と暮らすことは陽介にとって悪影響なのではないかと訊ねると主治医は、
『大きく環境が変わったせいで一時的に不安定になっているだけでしょう。しばらくしたら落ち着くはずですから今は様子をみて大丈夫ですよ』
引き続き陽介と一緒に居てもいいと言われたことには安堵したが、同時に言葉通りこのまま様子を見ていて大丈夫なのかと疑いたくなった。夜中の、あんなに辛そうな陽介の姿を見ていないからそんなことが言えるのだ。しばらくしたら落ち着くはず? 本当にそれで彼のためになるのか?
そう反論したかったが堪えた。専門家の意見は素直に聞いておくべきだ。それに彼は陽介を2年も診ている。指示に従った方が陽介のためになることを修一は理解していた。素人が自己判断をしてはならないのだ。かつての自分のように。
ーー主治医がそう言うなら俺はお前と離れたくない。離れる気もない。自分勝手で、我儘でごめんな、陽介。
胸中で陽介に謝った。主治医や本人に駄目だ、嫌だと言われるまでは別々に暮らす気はないからだ。
主治医は眠れないのであれば睡眠薬を処方するからそれを飲んだらどうかと提案した。入院してしばらくは飲んでいた薬のようで、彼の体質に合ってよく効くようだった。それを聞いてすぐにその意見に賛同した。
陽介は自宅に戻ってから明らかに不眠だったからだ。それを可哀想に思った。一時的に薬の力を借りてでも彼を寝させてやりたかった。陽介も、修一がそう言うならと陽介はその提案を呑んだ。
修一は自分が賛同すれば陽介がその提案を呑むことがわかっていた。だから悪いと思いつつも眠れず辛い思いをするよりはマシだろうと思ったのだ。
ーー俺が言うならって、何でそんなことを言うんだよ。
退院してから陽介は修一の言うことをなんでも聞いた。どんな些細なことにも従った。陽介が唯一抗うのは修一が彼に触れることだけで、下手をすれば修一が今すぐバルコニーから飛び降りろと言ったらその通りに従うのではないかと疑いたくなるくらいに従順だった。笑顔も口数も、以前に暮らしていた頃と比べたら圧倒的に少ない。まるで借りてきた猫みたいに、何かに警戒し怯えるみたいに彼は大人しく暮らしていた。病気の時の陽介はまるで修一の意見や言うことを聞こうとはせず、自分の意見ばかりを押し通して強引に服従を迫ったが今の陽介はその真逆だ。彼の意思や意見なんてどこかに置いて来てしまって、まるでロボットのように黙って修一の言葉に従うことに徹していた。
陽介がそういう態度を取るとわかった時、ひどく不満に思った。だから修一は極力指示的な意見や提案をしないことにした。
主治医の言った、今の陽介は一時的に不安定になっているだけで時間が解決してくれるはずだというその言葉を修一は信じるしかない。今できることは焦らず彼を支え、元の明るい陽介に戻ってくれることを祈って根気よく待つことだけだ。そうしたらきっとまた彼は、かつての頃のように優しさの滲み出ているみたいな朗らかな笑顔を向けてくれる、そう信じて日々を過ごした。
「ーーっ、う、あ……」
今日も陽介は睡眠薬を飲んでもうなされている。薬がよく効いているようで、いつものように飛び起きる気配はない。
修一はその手をそっと握る。すると陽介は無意識にその手を握り返してくれた。その力強さになんとなく安心する。そうしていると険しかった陽介の顔が少し和らぐ気がした。それ故、修一は陽介が触れられることを嫌がるとは分かっていてもそうせずにはいられなかった。
「……なさい、しゅう。ごめん……」
どうやら陽介は夢の中で修一に謝っているらしかった。彼は未だに自分自身を責めているのだ。それに気がついた時、修一は胸が締め付けられる思いだった。病気だった頃に修一にしたことへの罪悪感に苦しんでいる。それを思いこ起こさせる修一が一緒に暮らしている。忘れようにも目の前に修一がいては、それは難しいだろう。
ーー俺といるのは辛いか、陽介。
このまま一緒に暮らすことは彼のためになるのだろうか。辛く苦しい思いをさせるだけではないのか。不要な罪悪感を思い起こさせる自分がいないほうが、物理的に距離をとって別々に暮らしたほうが陽介は安らかに暮らせるのではないか?
嫌と言われるまでは別々に暮らす気はないと決意したものの、陽介が謝るたびにそういった思いが湧き決意が揺らぎそうになる。陽介を苛んでいるその罪悪感が少しでも薄れるようにと、寝ている彼に修一は思わず話しかけた。
「陽介、俺はお前を許すよ。お前が俺を許してくれたように。だから謝らなくていい。安心して寝ていいんだ」
陽介はまだうなされている。寝ているのだから当然のことだが、修一の言葉は届いていないようだ。だが声を掛けたせいかうなされる声が止んだ。修一はほっとして、思わず彼の髪を撫でる。ふわふわと少しウェーブがかった明るめの柔らかな髪だ。昔からこの髪を撫でるのが好きだった。こうして寝てる間に黙って触れることを陽介はきっと嫌がるだろう。それをわかってはいたが、ごめん、少しだけだからと未練がましく修一は撫で続ける。以前は好きに触らせてくれたのに、彼もそれを喜んでくれていたのに今の陽介は違う。そのことを寂しく思う。
番として修一が面談した、陽介の世話になっている病院のカウンセラー曰く陽介の敵は過去の陽介自身であるらしい。陽介は寛解状態になってからずっと、自分自身を責めているそうだ。主治医もカウンセラーも修一すらも、過去の出来事は病気のせいであって仕方がなかったのだということ、治った以上気に止む必要はないのだということ、陽介を許さない者はいないのだということをそれぞれ諭した。陽介はそれを表面上は納得したような様子を見せてはいたが、実際はそれを受け入れていない。
その結果がこれだ。
カウンセラー曰く、こればかりは薬で解決出来るようなものではないとのことだ。時間が陽介を癒し、受け入れてくれることを待つしかないのだと言った。
だから修一は寝ている陽介に言ってやることにした。「大丈夫」「お前を許すよ」と。そうすると陽介の「ごめんなさい」が止むのだ。表情も少し柔らかくなる。
起きている時の陽介にも言ってやるのだが、そうすると彼は「分かってる。ありがとう」と言って話を打ち切ってしまう。だが修一にはそれが表面上だけ納得して見せているときの話し方だということが分かっていた。だから起きている時の陽介にしつこく言うことは止めた。あまりに言いすぎても、きっと逆効果だろうから。
ーーおい。俺の言うことなら何でも聞くんじゃなかったのか。
素直に受け入れてくれない陽介に思わずそんな気持ちが浮かぶ。だが陽介に意地悪なことを言うと、後でその事を自分がひどく後悔するという間抜けなしっぺ返しを喰らうということを修一は経験から学んでいたので言わずに置いた。
だから修一が今できることは陽介の手を握り、時折話しかけてては彼が心安らぐ日が来ることを祈るだけだ。または別の言葉、態度で伝えることにしている。好きだ、愛してるよ、また一緒にいられて嬉しい。そう伝えると彼は「俺も」と同意してはくれるものの、どこか辛そうな表情を見せる。きっとまだ疑っているのだろう。その言葉を言わせているのは本心ではなく番にされたせいなのだと。
それともう一つ、修一は伝えたいことがあった。
ーーまた俺と結婚してくれるか。
2年前の当時は陽介と二度目の結婚を控えていたが、彼が入院することによって当然それは中止となっていた。修一の中では無期限の延期、という扱いだが陽介はどう思っているだろうか。聞きたい気持ちはあったが、不安定な今の陽介にそれを聞くことは不適切だと理解している。だからそのことは胸の内に留めたままだった。
自分の指に嵌る指輪と、陽介の指に収まっている指輪を見る。12年前に購入した揃いのものだ。陽介は入院中もずっとそれを身につけていてくれたらしく、そのことを知った時はとても嬉しく思った。この2年間、修一も同じだったからだ。肌身離さず身につけている間、本来の持ち主ことを思わない日はなかった。彼のぬくもりを、彼との未来を求めない日はなかった。一人でいたって、誰と何をしていたってふと思うのだ。ここに彼がいたらと。寂しい時はもちろん、楽しい時だって陽介とそれを分かち合いたいたかった。
贈ったはずのない指輪を修一が着けていることについて、陽介は気がついているようだが何も言わない。彼は時折修一の左手を見ては何か言いたげな表情をしていたが、外せとも、返せとも要求されないので修一はそれに甘えていた。
我ながら強欲だなと思う。自分でぶち壊しておきながら、ただ二人で穏やかな日々を過ごしたいと言っておきながらやはり本心ではかつてのような陽介の愛を望んでいるのだ。
気がつげば眉間の皺はなくなり彼は静かに寝息を立てていた。名残惜しく思ったが、修一は髪を撫でていた手を離す。
「……おやすみ、陽介」
どうか良い夢を。
最後に修一はそう祈りを込めて、握っている陽介の左手を自分の唇に押し当てた。
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