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ヤンデレルート
2−29
しおりを挟むひどく優しい声音だった。慈しむような、慰撫するような、決して哀れみからだけではない。心から友人を慮っているような、そんな言い方だった。
修一は思わず口を噤む。
この後に及んで、まだ自分のことを親友などと言ってくれる室賀になんと返せばいいか分からなかった。頭が急速に冷静さを取り戻す。
「ッ……すまない、言い過ぎた……」
「いや、それは俺もだ」
悪かったと室賀が詫びる。
冷静さを取り戻した二人は再び横並びに座り込んだ。二人の間に、沈黙が流れる。
室賀とこれだけ激しいやり取りをしたのは初めてだった。そもそも喧嘩も感情的な言い合いも彼とはしたことがない。仕事や勉学で議論を交わしたことはあったが、今のように感情的になって怒鳴り合うなど経験がなかった。
それに室賀はΩを侮蔑するような発言をしたが、彼は元来差別主義者ではない。Ωでもβでも分け隔てなく接する、職務上の人物評価においても実力重視で人を見る出来た人間だった。……表には出さないにしろΩに対して偏見や先入観を抱いてしまう卑小な差別主義者の自分とはちがうのだ。それなのに、自分のために彼の主義に反する言葉を言わせてしまったことを修一は恥じた。
自分がやらかしてしまった醜態による羞恥と、どことなく漂う気まずい雰囲気に、こういう時にどういった態度を取ればいいのだったかと修一が古い記憶を探っていると室賀の方から声をかけてくれた。
「なぁ、待ってやったらどうだ。……少なくとも、病気が治るまでは」
「……待つって、何を」
「あいつが本当の気持ちを吐くのをだよ」
「本当の気持ち? それは、さっき分かったじゃないか。陽介は……」
ーー俺を見限った。
とても口にすることはできなくて言葉を詰まらせてしまう。
そんな修一に、室賀は優しく諭すように言った。
「愛してるんだろう? ……こんなに、ボロボロになるまで我慢するくらいに」
ーーボロボロ、か。
今の自分はそんなにもみすぼらしく見えるのかと返したくなったが止めた。確かにその通りだったからだ。彼の言う通り今や修一は身も心もΩそのものに見えるのかもしれないと、自嘲めいた思いがよぎる。
修一が黙って聞く気があるのだと分かると、室賀は落ち着いた態度で続けて話す。
「お前らは、また夫夫になろうとしてたんじゃないのか? ……井領は今、病気だ。奴の行動は、病気がそうさせてるんだ。そんな人間の戯言を鵜呑みにするんじゃない。夫になるはずのお前がそれを信じてやらなくてどうする?」
「……」
「とりあえず、治療が終わるまでは諦めずに待っていてやれよ。それから別れるかどうか決めたらいいじゃないか。ずっと愛し合ってきたんだ。今だって愛してるんだろう? 心神耗弱状態の相手に一度拒否されたくらいで諦めるな」
「……まだ、本当に病気かどうかも分からない。ホルモンの異常なんかなくて、陽介は本当に俺を憎んでいるのかもしれない」
「だから、それも含めて待ってやれ。検査の結果なんて数日でわかるだろう? ……まぁ、十中八九病気だろうけどな」
それは修一も同意するところだ。
かつての陽介とまるで異なる人格、行動、倫理観。修一よりもはるかに付き合いの長い彼の伯父ですら違和感を覚えていることが、それを裏付けている。
室賀の言う通りだろう。今の陽介は恐らくα性腺機能亢進症、もしくはそれに類似する何かによって心身の正常な働きがいちじるしく困難な状態にあると推察される。善悪を判断する能力、自己の行動を抑制する能力が著しく劣っている。それに、ナイフを持ち歩くなど今までの陽介ならばあり得ない。
それなのに自分は、陽介がナイフを持ち出してこの家に戻ろうとしたと聞いて錯乱してしまった。陽介に心底恨まれているのだと思い込んだ。……それが正しいのか、間違っているのかは現段階では分からない。彼の病気が治ってみないうちは、陽介自身にもそれは分からないのだ。
「それに、あっさりと奴のことを諦めてみろ? 正気に戻ったあいつがそれを知ったら本当に恨まれるかもしれないぞ。結婚の約束までしたのに病気になった途端にあっさりと捨てやがって、てな。今度は素面でお前を監禁しかねないかも」
多分それくらい、病気じゃなくても井領はお前のことを愛してるよと室賀は可笑しそうに笑った。
「おい。今その冗談は笑えないから、やめろ」
「はは。悪い、悪い」
「まったく……慰めてるんだか揶揄ってるんだか分からないな」
笑う室賀につられて思わず修一も笑みをこぼした。
そんな修一を見て室賀は「ようやくいつもの調子に戻ったじゃないか」と安堵したように微笑む。
やはり彼は自分を慮ってあんな言動をしたのだと再認識した。
『Ωらしい』『守ってやる』『弱々しい』彼は実に的確に修一の急所を突き、奮起させた。さすがに長年の友人だけあって、自分の慰め方をよく心得ているようだと修一は感心する。
それなのに自分は室賀にひどいことを言ってしまった。謝罪する修一に室賀は「本当のことだし、別に気にしてない」とは言ってくれたものの、あの時の彼の傷ついたような顔は忘れられない。
いつか別の形で詫びよう。彼が今の自分のように行き詰まったり、傷ついてどうしようもなくなった時には室賀が今してくれているように寄り添おうと修一は心に決めた。
「……もう遅いな。そろそろベッドに入れ。……眠れそうか?」
「ああ、おかげさまでな」
「よし。眠れないからって、酒は飲むなよ」
しばらくは禁止だと室賀から念押しされる。
室賀のおかげで、もう酒の力を借りなくてもよさそうだ。だからもう飲まないと約束しているにも関わらず彼は何度も念押しを繰り返すので段々と返事がおざなりになってしまう。
「はい、はい」
「なんだ、その返事は。本当に分かってんのか?」
「分かってるって。……お前は、俺のお袋か」
それとも主治医かと室賀を揶揄ってやった。すると彼は調子に乗って「それもいいな。ほら、慰めてやるからママの胸に飛び込んでおいで」と悪ふざけをして見せる。そんないつもの調子の室賀に修一は声を上げて笑った。……なんだか、久しぶりに笑った気がした。
「心配かけたな」
「そうだな……もう、大丈夫だな?」
「……ああ」
「ならいい。……おやすみ」
そう言って寝室の手前で別れようとした時、まだ彼に言い残したことがあるのだと思い出して振り返ると室賀も同様のようで、「そうだ」「室賀」と二人の声が重なってしまった。
内容的に先に言うのは気恥ずかしくて、室賀に先にどうぞと順番を譲る。彼はあっさりと了承すると、口にしたのは他愛もないお願いだった。
「あのウイスキー、俺が飲んでいいか? あれ、結構いいやつだろう。捨てるにはもったいないからな」
「お前ってやつは、人には禁止しておいて自分だけ……まぁ、いいよ。どこにあるのでも好きに飲んでくれ」
迷惑をかけたことのせめてもの詫びだと告げると室賀は「好きにだって? やった」と嬉しそうにする。彼は修一と同じくらい、同じような酒を好んだ。この調子だとキッチンの小型ワインセラーに仕舞ってあるハイランドパーク25年ものもやられるかなと思ったが、室賀の為ならば別段に惜しくはないなと思った。
なんなら彼と一緒に飲み交わしたかったが先ほど、ああまで厳しく言われてしまったので今日は我慢をすることにする。遠くない日、彼とはいつでも飲めるだろう。その日のために体調を整えようと修一はしばらくの禁酒を心に誓った。
「それで? お前も何か言いかけただろう」
「そうだったな。…………室賀、さっきは悪かった。看板から名前を外せばいいなんて、別のパートナーを迎えてくれなんて本気じゃなかった。大嘘だ。……本当に、ごめん。お前のことも、事務所も大切に思ってる。俺にとってかけがえの無いものだ。だからこれからも……一緒にやってくれるか」
意を決してそう告げる修一に、室賀は一瞬驚いた様子を見せた後に「何だ、そんなことか」と拍子抜けをしたような態度を見せた。そして彼らしく「当然だ。まだまだ不安定なんだ。倒産するときは道連れだからな? 負債は一緒に背負おうじゃないか」と言って皮肉っぽく笑った。
「はは、倒産なんて縁起でもないこと言うなよ。お前と俺なら大丈夫だろう?」
「もちろん。これからも馬車馬のように働いてくれよ、如月先生。……体を壊さない程度にな」
「反省してるって……。それじゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
そう言って寝室に入り室賀と別れた。
室賀には眠れそうだと言ったものの、正直なところ目は冴えてしまっていて到底眠れそうにない。それでもとりあえずベッドに入り、先ほどのようにごろごろと寝返りを繰り返していたが、そこでふと、至急やらなければならないことがあったのだと修一は思い出した。
室賀はリビングで一人晩酌をしているだろうから、彼に見つからないようにこっそりと寝室を抜け出す。そして修一は陽介の書斎に向かった。
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