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ヤンデレルート

2−24

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「では予定通り搬送します。入院手続きや病状説明は後日、ということで」
 
 それでは失礼します、と言い医療センターのスタッフらは陽介を乗せたストレッチャーとともに去っていった。
 修一と陽雄、佐伯の三人で静かにそれを見送る。
 少しばかりの沈黙の後、修一は二人にこれまでのことの礼を告げた。

「……身内の病に気が付いてやれなかったとは。医者としての怠慢だな」

 陽雄は陽介が連れて行かれたドアに向かって自嘲気味にそう呟いた。

「いえ、私こそずっと陽介と一緒にいたのに……申し訳ありませんでした」

「……互いに謝るのはもうよそう。悪いのは病気だ。根気強く、治るのを待とうじゃないか。…………君は、陽介を待っていてくれるのか」

「もちろんです」

 そのために、準備をして今日この日を迎えたのだ。修一にとって当然の答えだった。

「ありがとう。陽介を、頼むよ」

 陽雄は「気を落とさないように。何かあったらすぐに連絡しなさい」と付け加え、彼は帰っていった。
 佐伯の方も修一に励ましの言葉をかけ、これでよかったのだと修一を慰める。……本当に、そうだろうか。陽介の最後の姿を思い出して胸が苦しくなった。
 
「どなたかが迎えに来ているんですか? 荷物、下まで運びましょう」

 修一もここを去らねばならない。大きいスーツケースなどは既に今朝、陽介が持ち帰っていてくれたから、後はボストンバッグ二つほどの軽い手荷物だけだ。さすがにこれ以上佐伯の手を煩わせるわけにはいかないと、修一はその親切な申し出を辞退する。

「いえ、お気遣いなく。友人が迎えに来てくれていますので。……佐伯先生、本当にお世話になりました」

 修一は心から佐伯に感謝し礼を言った。
 交通事故で運ばれたあの日、彼が気付かせてくれなければ。助ける準備があるのだと言って根気よく修一を気遣ってくれなければ、今頃はどういう状況を迎えていただろうか。……想像に難くない。陽介の病気の可能性に気づかず、検査も治療も受けさせてやることすら出来ずに、解決方法もわからないまま二人の関係は一段と悪い方向へ向かっていただろう。そのことを考えると、佐伯に感謝せずにはいられなかった。
 今も、うまくいったと手放しで喜べる状況とは正直なところ言えないが、それでも問題解決の糸口は掴んでいる。後は、結果がどうであれ任せた医師らを信じて、陽介を信じて待つだけだ。

「私は橋渡しをしただけですから。それより、これからはちゃんと外来に通ってください。また無理をしてはダメですよ」

「ええ、もちろん。大丈夫ですよ。今回のこと、また改めてお礼に伺いますので……ありがとうございました」

 佐伯にも病院にもこれだけ迷惑をかけたのだ。菓子折の二つや三つでも持って礼に来るべきだろうと思った。
 だが佐伯はそれを固辞する。

「いえ、我々は定められた役割をこなしただけですので、礼などはいいんですよ。それより如月さんの『大丈夫』は信用なりませんからね。ちゃんと通院して元気な姿を見せて下さい」

 それがあなたの役割です、と彼は笑った。
 穏やかなその微笑みは彼の秘められた優しい人柄をそのまま表しているようで、とても好ましく思う。
 この人はこんな笑い方をするのだな、とその姿に微笑ましくなり修一も笑みを返した。

「それでは如月さん。お大事に」

 そう言うと佐伯は去っていった。
 自分も帰ろうと荷物を手に取り、ナースステーションに挨拶をした後一階に降りる。
 正面玄関をくぐると約束通りそこで待ってくれていた室賀が見え、彼と挨拶を交わした。
 彼は「持ってやる」と修一の手から荷物をもぎ取ると、スタスタと駐車場の方へ歩いていってしまう。慌てて追いかけて横に並ぶ修一に室賀がことの次第を聞いた。

「どうやらうまくいったみたいだな」

「ああ」

「できれば俺も立ち会いたかったんだが……」

「お前がいると、陽介が余計に興奮するだろうからって……すまない」

「わかってる」

 巻き込んでしまった彼には同席する権利があるかとは思ったが、医療センターの医師からは余計な刺激になるからやめておいた方がいいと言われていた。

「それよりほら、車のキー貸せ。運転してやるから」

 陽介は車で迎えに来ていた。その証拠に、数メートル先には見慣れた自分の白いSUVが見える。
 二週間前に自分はこの車の助手席ドアに血をぶちまけたと記憶していたが、それは跡形もなく綺麗になっていた。おそらく陽介が洗車でもしてくれたのだろう。

「運転してやるってお前、自分の車は?」

「タクシーで来たんだ。ほら、早く寄越せよ」

「ああ、悪いな」

 運転をしてくれると言う彼の厚意に甘え、キーを渡す。
 帰りの車内、室賀はこのまま自宅で一人過ごすのかと修一に問うた。当然だと、修一は答える。他に帰りたい場所などない。

「……一人じゃあ心配だから、しばらくはうちに泊まるか? 確か実家は遠いんだったよな。うちなら通勤にも不便はないぞ」

「大丈夫だって。いい大人なんだ、一人でも問題ないよ。……それに、実家には今回のことは何も言ってないんだ。心配を掛けたくなくてな」

「そうか……なら、俺が泊まってやる。なあ、週末くらいはそうさせろ。それで安心だと思ったら、俺は帰るから」

 本当に心配をしているのだと室賀は真剣な表情で言った。恐らく彼が言う心配とは、身体的な問題のことだけを指しているのではないのだろう。陽介を裏切ってしまった己の精神的な状態も心配してくれているのではないかと修一は思う。

 友人として、ここまで自分のためを思ってしてくれる彼の親切をこれ以上意固地になって断る気にもなれず修一は了承した。
 慣れない場所で24時間人の気配がすることには辟易していたが、親しい友人と慣れた自宅でということなら話は別だ。彼とは今回のことといい、仕事のことといい、積もる話があった。

「……何から何まで世話になる」

「いいんだって。こう言う時は頼れ。友達だろう」

「ああ。ありがとう、室賀」

 その後は沈黙が続いたが、それは心地よかった。
 友人の優しさと久しぶりに自宅に戻れるという安心感、そしてことが終わったという肩の荷が降りたような感覚に修一は、うとうとと眠くなってしまった。
 起きていようと努力するのだが、それに気がついた室賀が「いいよ。寝てろ」と言ってくれたのでそれに甘えることにした。
 そういえば、昨晩は一睡もできなかったのだ。緊張で張り詰めていた糸が緩んでしまったように眠気に襲われ、修一はもう抗うことなく目蓋を落とした。 



 自宅に着いたぞと室賀に起こされ、眠気の残る重い瞼をこじ開けて車を出る。
 自宅に入るとそこは一昨日と変わらず綺麗に整えられた空間だった。……いつだって陽介が、そうやって居心地がいいようにしてくれていたからだ。
 背後の室賀にも入室を促した。そういえば、この家に誰かを招き入れるのは初めてだ。元々は陽介が一人で住んでいた家で、今は二人で家賃を払っているとはいえ修一は後から入居した身だ。陽介がこの家に他人を招くことを大いに嫌がったので、今まで家族すら誰一人この家に入れたことはなかった。

「心配かけて悪かったな。明後日には仕事に戻るから安心してくれ」

「……もっと、ゆっくりしてたっていいんだぞ? そもそも入院中も結局、お前は仕事をしてたじゃないか。多少休んだところで、下の奴らを育てる良い機会だと思わないか」

「なるほど。俺は、もういらないって?」

「おいおい、そんなことは言ってないだろう」

「はは、冗談だ。とにかく身体はもう大丈夫だから、すぐに復帰するよ」

「はぁ……そこまで言うなら好きにしろ。でも当然だが、無理はするな」

「ああ、分かって……」
 
 室賀は繰り返し心配している、無理をするなと言う。今までこうも心配されたことはなかったから、彼は存外に心配性だったのだなと思った。それとも、そうまで今の自分は頼りなさそうに見えているのかと不安にもなる。少し痩せてしまったせいだろうか。これは早々に体重を戻さねばと決意する。
 リビングへと続くドアを開けながら、「分かってるからもう心配するな」と室賀に言いかけた修一は目の前の光景に驚き、硬直した。
 交わしていた雑談も中断してしまったせいで、何故黙って立ち止まるんだと訝しんだ室賀が修一の肩越しに室内を覗く。すると、彼も驚いたように「これは……」と呟いた。

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