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ヤンデレルート
2−4
しおりを挟むおよそ半年ぶりに会った旧友は最後に会った日から何も変わっていなかった。明るく率直で、一緒にいて楽しい。
川瀬も同じように楽しいと思ってくれているようで、お互い上機嫌に笑い声を上げながらつい酒が進んでしまった。
最近では酒の場と言ったらクライアントとの会食の席くらいで、堅苦しいそれは今日のようにリラックスして楽しく飲めるというものではなかった。
だから気ごころ知れた友人と酒を飲むのは本当に楽しかった。
加えて川瀬は修一に嬉しい近況報告も聞かせてくれた。彼がようやく結婚をするというのだ。同じ35という歳でこれまで浮いた噂一つなく心配していたのだが、ようやく恋人を見つけて結婚を決めたらしい。
その相手が男性というのには少し驚いたが、昔ならばいざ知らず今のご時世珍しいことではない。
修一自身も離婚こそしてしまったが、かつては陽介という男性と結婚したのだ。そして今は入籍はしていないものの、3ヶ月後には再びそうなっているだろう。
互いにそんな近況報告をしていたら気がつけば夜もふけてしまった。
二人とも明日も仕事だ。名残惜しいがこのあたりでお開きにするかと話し、店を出る。
「おい、大丈夫か」
川瀬の足元が少し覚束ない。
二人とも酒に弱くはないが、つい飲みすぎてしまった。
あまり飲み過ぎると陽介に怒られてしまうので修一はそれなりにセーブしていたが、川瀬はハイペースで飲んでいた。帰り道は大丈夫だろうかと心配の声をかけると、逆に川瀬から同じような言葉を掛けられる。
「お前こそ大丈夫なのか。…………さっき再婚の話をした時、あまり嬉しそうじゃなかったろ。そんなんで入籍を決めて、本当にいいのか?」
「そんなことない。嬉しいに決まってる」
その話をした際、自分は浮かない顔をしてしまっていただろうか。
……確かに不安な面はある。だが陽介を愛しているのは本当なのだ。結婚自体に迷いはない。ただ、急いで入籍をする必要はないと感じているだけだ。
「じゃあなんでさっさと入籍しない。同じ相手と再婚するんだろう? 今更婚約期間なんて置く必要あるか? お前が渋ってるんじゃないのか」
そんなんで結婚して本当に大丈夫か、と川瀬が問う。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとうな。まぁ、こっちも色々あるんだ」
痛いところを突かれたと思う。さすがに付き合いが長いだけはある。修一が内心、結婚を不安に思っていることに気がついたのだろう。
ーーそう、大丈夫だ。俺たちならきっとまた乗り越えられる。
自分に言い聞かせるように、大丈夫と川瀬に返す。
「そうか。お前が大丈夫ならそれでいいんだ。とにかく、今度こそ幸せになってくれないと困るよ。じゃないと俺はーー」
川瀬が何かを言いかけたところでその体が大きくぐらついた。
すぐそこは車道だ。二人ともタクシーを捕まえようと大通りに出ていたからこの時間でもそれなりの交通量がある。
危ない、と声を掛ける前に体が動き、その体を引き寄せる。その拍子にバランスを崩して二人とも尻もちをついてしまった。川瀬の体が修一の上にのしかかる。
間一髪、彼のそばをトラックが通り過ぎる。
危なかったと冷や汗をかいていると突然、左足に激痛が走った。
「ーーッ! ぐ、ぅ……」
二人のすぐ近くをタクシーが通り過ぎる。客を拾おうと歩道に車体を寄せたのだろう。路上駐車の影で尻もちをついていた二人に気が付かなかったようだ。修一はその後輪タイヤに足を踏まれたらしい。
激痛に顔を顰める修一に気がついた川瀬が焦ったように声を掛ける。
「修! おい、大丈夫か!?」
「ッ……大丈夫だ。とりあえず、退いてくれ」
のしかかる川瀬に遮られて足がどうなっているか分からない。ゴリ、と嫌な音がしたが骨は折れていないだろうか。
「あ、ああ。悪い……」
先程まで酔ってほどよく紅潮していた川瀬の顔が真っ白に見える。
お前こそ大丈夫かと聞こうとした時、タクシーから焦ったように運転手が降りてきた。
「大丈夫ですか、怪我は! 申し訳ありません……!」
タクシーの運転手の顔色も川瀬と同じくらいに血の気が引いている。
「……大丈夫です。こちらこそ、こんなところに座り込んでいて申し訳ない」
酔って、車から見えにくい所で転んでいた自覚はある。対歩行者の事故では圧倒的に車が悪いことになるとは分かっていたが、修一らにも明らかに非があった。
「いえ……。待っていてください。すぐに救急車と警察を呼びますので」
タクシーの運転手も自分だけが悪いのではないとわかっているだろうに、いい歳をして酔って転んでいた修一らを責めることはせず低姿勢だった。
「大丈夫ですよ。この通り……立てますし、そこまでする必要はありません」
大した怪我をしていないと示すため運転手の目の前で立ち上がる。ズキズキと痛みが走るものの立てないほどではなく、歩くのも問題なさそうだ。
隣では川瀬が心配そうにオロオロとしていたが、川瀬にも本当に大丈夫だからと伝える。
こんな時でも脳裏に浮かんだのは陽介の顔だった。すでに連絡していた帰宅時間を大幅に過ぎているから、きっと心配しているはずだ。大したことではないのに警察やら救急車を呼んでこれ以上時間をかけたくなかった。
「会社の決まりなので呼ばせて下さい。……失礼ですが、あなた弁護士さんですよね?」
修一の胸元にある弁護士記章に視線を落とした運転手が修一の職業をそう推測する。
「そうですが……」
「法律のプロに後から、ひき逃げされたなんて訴えられたら私は失業です。ですのでそちらがなんと仰ろうと警察だけには連絡させてもらいますよ」
規則なんで、と運転手は強固な姿勢を崩さない。
運転手を後から訴える気などさらさらなかったがなるほど、その不安はもっともだと理解する。
こうなっては仕方がないがその判断に従おうと警察の到着を待った。
修一らと運転手が連絡先を交換し今後について話していると、運転手が通報してからおよそ10分程で警察官が到着した。それぞれが警察官へ事故状況を説明し、実況見分調書と供述調書の作成に立ち会う。
悪いことにそうして時間が経つうちに踏まれた足の痛みが増し、今では一歩足踏み出すたびに冷や汗が滲んだ。。
正直なところ立っているのも辛かったが、もう少しで帰れるはずだとなんとか平然を装い痛みを堪える。
するとどこか修一の顔色と歩き方がおかしいことに気がついたのか、調書を作成していた警察官が心配そうに修一に声をかけた。
「本当に足は大丈夫ですか」
「……大丈夫です。それより、あとどれくらいで終わりそうですか?」
「もう30分程で終わりますから。…………如月さん、足を見せてもらっていいですか」
修一の異常を察した警察官が有無を言わせぬ口調で促し、パトカーの後部座席へと誘導される。
そこまでのたかだか数メートルの距離ですら歩くことが辛くなっていた。
警察官は半身を車外に出したまま軽く腰を掛けさせ、修一の靴を脱がせる。すると靴の表面にはタイヤの跡がついているだけだったが、その左足は大きく腫れ酷い内出血を伴っていた。
「これは酷いですね……。このままでは帰れないでしょう。救急車を呼びますのでここで待っていて下さい」
自分でも思っていた以上に酷く見える。
こうなっては仕方がないと、警察官が救急車を要請するのを止めなかった。
そんな修一らの状況を察した川瀬が近づいてくる。
彼は「大丈夫か。自分のせいだ、すまない」と心配し必死に謝っていたが、自分が間抜けだったのが悪いと否定しておいた。
もっと上手く立ち回っていればこんな騒ぎにならずに済んだのだ。心配をかけてしまって逆に申し訳ないと思う。
川瀬に、自分は大丈夫だからあとは任せる、と言って救急車に乗せられその場を離れた。
車内で陽介に連絡をしようとスマートフォンを探したが、忙しそうに修一の体に医療機器を取りつける救急隊員から「後にして下さい」と叱られてしまった。
きっと今頃怒っているだろうなと思いながら、修一は初めて乗る救急車の揺れに身を任せた。
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