上 下
13 / 78
本編

13

しおりを挟む

 ーーこのメニューは。

 ポロポロと、陽介の目から涙がこぼれ落ちる。いい大人が泣くんじゃないと堪えようとするがあらゆる感情が入り混じり、とても抑えることができなかった。

 最後にナイフとフォークを手に持ち、自分も食卓につこうとした修一は陽介のその様子を見て硬直した。

「……んで」

「ど、どうした陽介、具合でも悪いのか……?」

 慌てた様子で修一が言った。

 体調を問う修一を無視して、逆に陽介は修一に問いかける。

「なんでこんなことするの」

「何でって、それは……お前に喜んで欲しくて」

 突然、目の前の男が予兆もなく静かに号泣している。その光景に修一は驚きながらも、陽介の問いかけに答えた。

「俺のこと捨てて、女と結婚して、あんなに作らないっていってた子供まであっさり作って。なんで、なんで俺じゃ駄目だったの。どこが駄目だった? 男だから? アルファだから? 俺だから? 俺が、女だったらよかった?」

 それはもはや慟哭だった。疑心や虚無感、愛情、悲しみ。様々な感情が入り混じっている。陽介を翻弄する修一に、憎しみさえ生まれそうだった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ陽介! 結婚って何だ。それに、子供って」

「見たんだ、今日。奥さんと子供と午前中に買い物してただろ! ……最初から隠さないで、言ってくれたらよかったのに。そうしたら……。俺は、修一を困らせたりしない! なのにこんな期待を持たせるようなことして……!」

 ドン、と思わず拳でテーブルを叩いた。

 ーー残酷すぎる。

 湧いて出る感情に陽介の口調が荒くなる。

 そんな陽介とは反対に、先ほどまで慌てていた修一は落ち着きを取り戻したようだった。

「……お前が、大きな誤解をしているのは分かった。少し落ち着こう」

「誤解ってなに」

「まず俺は、結婚はしていない。陽介以外と結婚していたこともない」

「……本当に?」

「本当だ。疑うなら、後で戸籍謄本でも何でも見せてやるから、それは信じてくれ」

 にわかには信じ難いが、戸籍謄本には婚姻歴が記載されている。その公的な書類を見せると言うのだから、信憑性はあるだろう。

 だが、この世には内縁という関係もあるのだ。実質は夫婦なのに、結婚に拘らないという意思で婚姻届を出さない人間もいる。

 それに、いかにも家族ですといった風に子供を抱いていたのだ。

 修一の真剣な眼差しに、とりあえず陽介は結婚していないという修一の発言を信じることにした。

「子供もいない。……それに、陽介以外に付き合っている相手もいない」

 陽介がずっと聞きたかったその言葉を、修一はあっさりと言い放った。

「……俺たち、付き合ってるの……?」

「俺はそう思っていたけど、お前は違うのか」

「あ……そうだったらいいとは思ってたけど、今まで付き合うとかそういうことは言葉で言わなかったから、遊びなのかと思ってた。昼間のデートはしたことなかったし、いつも会うのは夜だったし……」

「それは悪かった。……結婚までしてた相手に、今更改めて交際の申し込みなんて気恥ずかしくてな。それに言わなくても陽介なら伝わってると思ってた」

 昼間のデートもお前が行きたいなら全然構わなかった、気が回らなくてごめんと修一が謝罪する。

 陽介がセックスフレンド扱いを受けていたと疑ったのは、どうやら誤解であったようだ。

「それで俺たちは今、付き合ってるってことでいいか?」

「……うん」

「よかった。他に何か聞きたいことは?」

 なんでもいいぞ、と修一が付け加える。

 どうやら他にも陽介の持つ疑惑に答えてくれるようだ。

「昼間に、一緒にいた女の人と子供は誰?」

「昼間一緒にいたって……もしかして日本橋の? なんだ、お前もいたのか。声かけてくれたらよかったのに」

 修一はあっさりと、女と一緒だったことを認めた。

「一緒にいたやつは実家の隣に住んでる幼馴染だよ。遠方に嫁いでたんだが、最近離婚して実家に戻ったっていうんで久しぶりに昼飯でもどうかって話であそこにいたんだ」

「幼馴染ね……」

 どうにも信憑性に欠けるように陽介には思える。女のあの親しげな様子は修一に気がありそうではなかったか? 本当にただの幼馴染なのか?

「本当だって! なんだよその目は……。というかお前、会ったことあるぞ。結婚したとき、身内だけでパーティーやっただろう? その時に紹介したはずなんだが覚えてないのか」

 陽介の疑わしげな視線に修一は女の名前を口にする。

 写真を見せるから、ほらと、スマートフォンで当時の集合写真を見せられた。結婚式をしない代わりに、二人の親しい友人らが企画してくれた披露宴パーティーだった。

 言われてみれば確かに、昼間の女の面影がある人物が、今日よりもいくらか若そうな姿で写真に写っている。

 しかしそれが二人の間に何もないと言う証拠にはならない。

「あいつのことは妹くらいにしか思ってない。向こうもそう思ってるだろうし、寝たこともない。電話して、本人に聞いてくれたっていい。……信じてくれるか」

 修一が真っ直ぐに陽介の目を見て懇願する。

「…………とりあえずは」

「よかった。他にも聞いておきたいことはあるか? この際全部の誤解を解くからな」

 まったく……、と修一がどこか憤慨したように両腕を組む。

 そんな修一に陽介はさらなる疑問を投げかけた。

「俺のこと好き?」

「好きだよ」

「……愛してる?」

「ああ、愛してる」

「……嘘つき」

 修一が、かつてのように陽介を愛してると言ってくれているのに陽介はその言葉を信じることができない。

「嘘じゃない」

「じゃあなんで、4年前、俺のこと捨てたの」

「捨ててない。あれは……仕方なかった。それに、お前だって納得して別れたんじゃないのか」

「……納得なんてしてなかった。しつこく抗って、あれ以上修に嫌われたり、憎まれたりするのが怖かったから、受け入れただけだ。……死ぬほど後悔したけど」

 当時の心境を思い出し気分が落ち込む。

「嫌ってなんかなかった。憎んでなんかなかったよ。俺の方こそ離婚したこと、後悔したよ」

「本当に? ……信じられない」

「疑り深いやつだな。…………はぁ、少し待ってろ」

 未だ疑惑の目を向ける陽介に、修一はやれやれといったふうにその場を離れると、部屋の奥から小さな紙袋を持ってきた。

「本当はもっといい雰囲気になってから渡す予定だったんだけど」

 そう苦笑しながら修一は紙袋から小さな箱を取り出す。その箱には、陽介が修一と一緒に結婚指輪を買った宝飾店の刻印が打たれていた。

 修一の行動の意図が掴めず混乱する陽介をよそに、「よし」と修一が何やら気合を入れるかのような声を出す。

 よく聞いてくれよ、と言いながら椅子に座る陽介の前に彼は跪いた。

 その表情はいつにも増して真剣で、陽介の目を真っ直ぐ見ている。

 そして修一は陽介が想像だにしなかった言葉を告げた。

「ーー井領陽介さん、君を愛しています。どうかもう一度、私と結婚してくれませんか」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

鬼ごっこ

ハタセ
BL
年下からのイジメにより精神が摩耗していく年上平凡受けと そんな平凡を歪んだ愛情で追いかける年下攻めのお話です。

僕が玩具になった理由

Me-ya
BL
🈲R指定🈯 「俺のペットにしてやるよ」 眞司は僕を見下ろしながらそう言った。 🈲R指定🔞 ※この作品はフィクションです。 実在の人物、団体等とは一切関係ありません。 ※この小説は他の場所で書いていましたが、携帯が壊れてスマホに替えた時、小説を書いていた場所が分からなくなってしまいました😨 ので、ここで新しく書き直します…。 (他の場所でも、1カ所書いていますが…)

目が覚めたらαのアイドルだった

アシタカ
BL
高校教師だった。 三十路も半ば、彼女はいなかったが平凡で良い人生を送っていた。 ある真夏の日、倒れてから俺の人生は平凡なんかじゃなくなった__ オメガバースの世界?! 俺がアイドル?! しかもメンバーからめちゃくちゃ構われるんだけど、 俺ら全員αだよな?! 「大好きだよ♡」 「お前のコーディネートは、俺が一生してやるよ。」 「ずっと俺が守ってあげるよ。リーダーだもん。」 ____ (※以下の内容は本編に関係あったりなかったり) ____ ドラマCD化もされた今話題のBL漫画! 『トップアイドル目指してます!』 主人公の成宮麟太郎(β)が所属するグループ"SCREAM(スクリーム)"。 そんな俺らの(社長が勝手に決めた)ライバルは、"2人組"のトップアイドルユニット"Opera(オペラ)"。 持ち前のポジティブで乗り切る麟太郎の前に、そんなトップアイドルの1人がレギュラーを務める番組に出させてもらい……? 「面白いね。本当にトップアイドルになれると思ってるの?」 憧れのトップアイドルからの厳しい言葉と現実…… だけどたまに優しくて? 「そんなに危なっかしくて…怪我でもしたらどうする。全く、ほっとけないな…」 先輩、その笑顔を俺に見せていいんですか?! ____ 『続!トップアイドル目指してます!』 憧れの人との仲が深まり、最近仕事も増えてきた! 言葉にはしてないけど、俺たち恋人ってことなのかな? なんて幸せ真っ只中!暗雲が立ち込める?! 「何で何で何で???何でお前らは笑ってられるの?あいつのこと忘れて?過去の話にして終わりってか?ふざけんじゃねぇぞ!!!こんなβなんかとつるんでるから!!」 誰?!え?先輩のグループの元メンバー? いやいやいや変わり過ぎでしょ!! ーーーーーーーーーー 亀更新中、頑張ります。

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

変なαとΩに両脇を包囲されたβが、色々奪われながら頑張る話

ベポ田
BL
ヒトの性別が、雄と雌、さらにα、β、Ωの三種類のバース性に分類される世界。総人口の僅か5%しか存在しないαとΩは、フェロモンの分泌器官・受容体の発達度合いで、さらにI型、II型、Ⅲ型に分類される。 βである主人公・九条博人の通う私立帝高校高校は、αやΩ、さらにI型、II型が多く所属する伝統ある名門校だった。 そんな魔境のなかで、変なI型αとII型Ωに理不尽に執着されては、色々な物を奪われ、手に入れながら頑張る不憫なβの話。 イベントにて頒布予定の合同誌サンプルです。 3部構成のうち、1部まで公開予定です。 イラストは、漫画・イラスト担当のいぽいぽさんが描いたものです。 最新はTwitterに掲載しています。

【完結・短編】もっとおれだけを見てほしい

七瀬おむ
BL
親友をとられたくないという独占欲から、高校生男子が催眠術に手を出す話。 美形×平凡、ヤンデレ感有りです。完結済みの短編となります。

成り行き番の溺愛生活

アオ
BL
タイトルそのままです 成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です 始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください オメガバースで独自の設定があるかもです 27歳×16歳のカップルです この小説の世界では法律上大丈夫です  オメガバの世界だからね それでもよければ読んでくださるとうれしいです

美形な幼馴染のヤンデレ過ぎる執着愛

月夜の晩に
BL
愛が過ぎてヤンデレになった攻めくんの話。 ※ホラーです

処理中です...