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24. 10月26日 王都上空
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街灯に職人が明かりをつけはじめている。オレンジ色だった空は、いつのまにか蒸気で一面がぼんやりとした藍色に染まっている。
ペガサスのクリシーはヘンリーとわたしを乗せ、アップタウンに位置するペニーパークからわたしの住むタウンハウスめがけて、空高く駆ける。ダウンタウンの方面は霞み、街の明かりが行く先をぼんやりと照らしている。
ペガサスが揺れるリズムにあわせて、わたしは自分の胸の鼓動を感じている。その音をヘンリーには聞かれたくなくて、体を離して少し距離を取った。
つい数分前、ヘンリーはわたしを好きだと言った。初めて男の人に好きだと言われた。ちょっと信じられない。彼の瞳に映し出すのはわたしの姿、世界にはヘンリーとわたしだけだった。わたしはただじっとヘンリーだけを見ていた。
だけど時計塔の鐘が鳴り、再び世界は動き出した。そして、わたしは思い出した。今夜は魔法税理士のジムを招いて、ディナーの予定がある。危うく忘れるところだった。しっかりしないといけないのに。ジムとホームズ商会との間に繋がりを作るべく、このディナーを成功させないといけない。今はそのことだけを考えなくちゃ。
家に着くと、ヘンリーはわたしに手を差し伸べて、クリシーから降りるのを手伝ってくれた。手袋越しに伝わるヘンリーの感触に、思わず手が震えた。
わたしは急いで玄関のドアを開ける。ちょうど階段を下りてきた兄さんが玄関の物音に気がついてやってきた。床のタイルに当たる兄さんの靴音が響く。
「アリー、今晩はお客様が来るんだろう。こんな時間まで何やっていたんだよ?」
兄さんはかりかりしているらしかった。今日のディナーを成功させたいのは、兄さんも一緒みたいだ。
「ごめんなさい。すぐに着替えます」
兄さんは幽霊でも見たかのように、顔面蒼白になっている。
この屋敷に幽霊はいないはずなんだけど、もしかしてわたしが見えないだけ?築何百年の古い屋敷では幽霊が出るという話は割と聞くけど、ホームズ家は築年数が浅いので、幽霊にはお目にかかったことがない。わたしはおそるおそる尋ねた。
「兄さん、どうしたのよ?」
「ご挨拶が遅くなりました、お義兄さん」
ヘンリーがわたしの後ろから出てきて、兄さんは豆鉄砲を食らった顔をしている。
「ヘンリー、君なのか?」
「ご迷惑をおかけしました。無事に帰ってきました」
振り向くと、ヘンリーが困ったような、だけど誠実な顔をして立っていた。ヘンリーはわたしが家の中に入るまでしっかり見届けようとしてくれていたらしかった。なんて優しいのだろう。
「いやあ、なんと言えばいいのか。幽霊でも見ているような心地がしたよ」
兄さんは苦笑いし、ヘンリーに歩み寄ると、しっかりと抱擁をした。
兄さんと目が合うと、嬉しいのと困惑したのとが混ざった表情を浮かべているので、わたしは肩をすくめた。
「いつ帰ってきたんだい?」
「つい数日前、帰還しました。これまでは王宮で聞き取りがあって、今日やっとわずかな自由な時間を得ることができました。このような形でいきなり来てしまって申し訳ありません」
「いや、いいんだ。君が帰ってきたと聞いて、嬉しいよ。どうだろう?ヘンリー、一杯だけ付き合ってくれないか?これまでのことを聞かせてほしいな」
「ええ、来客の予定があると伺ったので、それまでの間お付き合いしましょう」
「ああ、ゆっくりもてなせなくて悪いね」
兄さんはヘンリーを連れてさっさと書斎に行ってしまった。
わたしは呆気にとられながら、急いでディナードレスに着替えるために部屋へ上がる。だけどわたしは自分の部屋の真ん中で、しばらく立ち尽くしたままだった。ようやくわれに返ったのは、ホームズ家のたった一人のメイドである年老いたマーサが部屋に入ってきたときだった。
「アリーお嬢様、ドレスの着替えを手伝いに来ましたよ」
マーサは遠慮なく部屋のドアを開けると、素早く状況を確認した。
「まだ帽子もかぶったままじゃありませんか。ドレスは何を着るのです?」
わたしは自分の恰好が外出した時のままだと気がついた。
「ああ、そうね。赤のドレスにしようかしら」
わたしは帽子と手袋を外しながら、気もそぞろに答えた。
「お嬢様、赤のドレスは洗濯が必要です。緑のドレスしか選択肢はありませんよ」と言って、マーサはてきぱきと緑のドレスを持ってきた。
彼女ってば、父さんが小さいころからお世話をしているのに、なんでこんなにきびきびとしているのかしら?
わたしは緑のドレスに目を向けた。ああ、夏に変態男にけなされたドレスね。仕方がない。わたしは鏡をみて素早く髪の崩れを直し、ドレスに合わせる宝石を選んだ。
「ほら、ぼーっとしてないで、さっさと着替えてくださいよ」
そう言いながら、マーサはわたしが来ている服をてきぱきと脱がし、ドレスに着替えさせた。
そうね、ディナーに集中しないと。
ペガサスのクリシーはヘンリーとわたしを乗せ、アップタウンに位置するペニーパークからわたしの住むタウンハウスめがけて、空高く駆ける。ダウンタウンの方面は霞み、街の明かりが行く先をぼんやりと照らしている。
ペガサスが揺れるリズムにあわせて、わたしは自分の胸の鼓動を感じている。その音をヘンリーには聞かれたくなくて、体を離して少し距離を取った。
つい数分前、ヘンリーはわたしを好きだと言った。初めて男の人に好きだと言われた。ちょっと信じられない。彼の瞳に映し出すのはわたしの姿、世界にはヘンリーとわたしだけだった。わたしはただじっとヘンリーだけを見ていた。
だけど時計塔の鐘が鳴り、再び世界は動き出した。そして、わたしは思い出した。今夜は魔法税理士のジムを招いて、ディナーの予定がある。危うく忘れるところだった。しっかりしないといけないのに。ジムとホームズ商会との間に繋がりを作るべく、このディナーを成功させないといけない。今はそのことだけを考えなくちゃ。
家に着くと、ヘンリーはわたしに手を差し伸べて、クリシーから降りるのを手伝ってくれた。手袋越しに伝わるヘンリーの感触に、思わず手が震えた。
わたしは急いで玄関のドアを開ける。ちょうど階段を下りてきた兄さんが玄関の物音に気がついてやってきた。床のタイルに当たる兄さんの靴音が響く。
「アリー、今晩はお客様が来るんだろう。こんな時間まで何やっていたんだよ?」
兄さんはかりかりしているらしかった。今日のディナーを成功させたいのは、兄さんも一緒みたいだ。
「ごめんなさい。すぐに着替えます」
兄さんは幽霊でも見たかのように、顔面蒼白になっている。
この屋敷に幽霊はいないはずなんだけど、もしかしてわたしが見えないだけ?築何百年の古い屋敷では幽霊が出るという話は割と聞くけど、ホームズ家は築年数が浅いので、幽霊にはお目にかかったことがない。わたしはおそるおそる尋ねた。
「兄さん、どうしたのよ?」
「ご挨拶が遅くなりました、お義兄さん」
ヘンリーがわたしの後ろから出てきて、兄さんは豆鉄砲を食らった顔をしている。
「ヘンリー、君なのか?」
「ご迷惑をおかけしました。無事に帰ってきました」
振り向くと、ヘンリーが困ったような、だけど誠実な顔をして立っていた。ヘンリーはわたしが家の中に入るまでしっかり見届けようとしてくれていたらしかった。なんて優しいのだろう。
「いやあ、なんと言えばいいのか。幽霊でも見ているような心地がしたよ」
兄さんは苦笑いし、ヘンリーに歩み寄ると、しっかりと抱擁をした。
兄さんと目が合うと、嬉しいのと困惑したのとが混ざった表情を浮かべているので、わたしは肩をすくめた。
「いつ帰ってきたんだい?」
「つい数日前、帰還しました。これまでは王宮で聞き取りがあって、今日やっとわずかな自由な時間を得ることができました。このような形でいきなり来てしまって申し訳ありません」
「いや、いいんだ。君が帰ってきたと聞いて、嬉しいよ。どうだろう?ヘンリー、一杯だけ付き合ってくれないか?これまでのことを聞かせてほしいな」
「ええ、来客の予定があると伺ったので、それまでの間お付き合いしましょう」
「ああ、ゆっくりもてなせなくて悪いね」
兄さんはヘンリーを連れてさっさと書斎に行ってしまった。
わたしは呆気にとられながら、急いでディナードレスに着替えるために部屋へ上がる。だけどわたしは自分の部屋の真ん中で、しばらく立ち尽くしたままだった。ようやくわれに返ったのは、ホームズ家のたった一人のメイドである年老いたマーサが部屋に入ってきたときだった。
「アリーお嬢様、ドレスの着替えを手伝いに来ましたよ」
マーサは遠慮なく部屋のドアを開けると、素早く状況を確認した。
「まだ帽子もかぶったままじゃありませんか。ドレスは何を着るのです?」
わたしは自分の恰好が外出した時のままだと気がついた。
「ああ、そうね。赤のドレスにしようかしら」
わたしは帽子と手袋を外しながら、気もそぞろに答えた。
「お嬢様、赤のドレスは洗濯が必要です。緑のドレスしか選択肢はありませんよ」と言って、マーサはてきぱきと緑のドレスを持ってきた。
彼女ってば、父さんが小さいころからお世話をしているのに、なんでこんなにきびきびとしているのかしら?
わたしは緑のドレスに目を向けた。ああ、夏に変態男にけなされたドレスね。仕方がない。わたしは鏡をみて素早く髪の崩れを直し、ドレスに合わせる宝石を選んだ。
「ほら、ぼーっとしてないで、さっさと着替えてくださいよ」
そう言いながら、マーサはわたしが来ている服をてきぱきと脱がし、ドレスに着替えさせた。
そうね、ディナーに集中しないと。
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