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短編

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「ジェーン、君との婚約は破棄させてもらおう」
 第一王子カシウス様は、卒業式の場で私に告げました。

 在校生の皆さまや、来賓の皆さまの困惑した声が聞こえてきます。
 あまりにも愚かな行動である、王族とは思えない、と。
 それから、カシウス殿下であるから至極当然の行動だ、と納得する声が、ざわざわとしながらも聞こえてきます。
 それもそのはず、カシウス様は“将来の暗君”なのですから。

「カシウス様、なぜ婚約破棄などと言い出したのでしょうか」
「学園生活を通じてわかった。君の能力では、“暗君”の才能があると預言を受けた俺を支えることはできない。しかし、君のまじめな性格では、一緒に落ちぶれることもできない。ジェーンは俺の妻には向いていない。国に帰れ」
「どんな理屈ですか……」

 カシウス様は私が納得した様子を見せないことに怒ったのか、腰につけた儀礼剣を抜き取り、剣先をこちらに向けました。

「きゃっ!?」

 命の危機なのかもしれませんが、黒髪がふわりと揺れる様子は、“将来の暗君”というには、いささか絵になりすぎる、などと余計なことを思いました。

「俺の言うことが聞けないと言うなら、力づくでイエスと言わせるまでだ」
 カシウス様は月のない夜のような黒い目で、私をにらみ続けています。

 今までは優しかったはずの婚約者の変わりっぷりを見て、これが運命の強制力かと、恐ろしくなりました。
 近衛兵はカシウス様の乱心におろおろするばかりで、止めに入ろうとする様子はありません。
 どうしたものかと思っていると、在校生の席から声が上がりました

「兄上はご乱心だ。多少傷つけてもかまわない。捕縛せよ! 全ての責任は僕が持つ!」

 近衛兵に指示を出したのは、第二王子のグレッグ殿下でした。
 金髪碧眼の美丈夫で、“将来の暗君”カシウス様と比べても才能にあふれる、将来有望な王子です。
 グレッグ殿下の指示のもと、カシウス様は取り押さえられ、何事かをわめきながら、会場から連れ出されていきました。

 今回の出来事を機に、カシウス様は王位継承権をはく奪されることでしょう。
 衆目の面前での乱心です。
“将来の暗君”どころか、生涯幽閉されることになるかもしれません。

「ジェーン嬢、お怪我はありませんか?」
「ええ、大丈夫です。グレッグ殿下」
「残念ながら、兄上との婚約は破棄されることになるでしょう。兄上の処罰の決定と、隣国との政治的な話し合いが終わるまでは、国賓として扱うよう通達を出しておきます」
「……はい」

 こうして、婚約破棄騒動は、一旦終わりました。
 後始末が終わるまでは、私の処遇も不明ですが、それよりも、もっと気になることがあります。
 カシウス様はなぜ、このタイミングで、あのような突飛な行動に出たのでしょうか。
 これまでは“将来の暗君”と呼ばれていても、まじめで実直な方でしたのに……


******

 私は隣国の第三王女でした。カシウス様との政略結婚に先立ち、同じ学園に通って交流を図るという名目で、十四歳の時にこの国に参りました。
 カシウス様は王家にしては珍しく、黒髪黒目で地味な見た目をしておりました。
 保有する魔力が強ければ強いほど髪色と目の色は黒に近くなるものです。
 一目見てわかる通り、カシウス様は王家でも一番の魔力を持っているらしく、次期国王としてふさわしいと評判でした。

 カシウス様の評価が変わったのは、学園に入学してすぐのことでした。
 この国の王族は十五歳になると、儀式を受け、預言を授かります。
預言の神託はあいまいなものが多いのですが、剣の才能があるとか、魔法の才能があるとかの本人の才能を教わることが多いです。才能についてではなく、定められた運命について教わることもあると言われています。
 カシウス様は、暗君になる才能がある、もしくは、将来的に暗君となると解釈される内容を伝え聞いたとされています。
 儀式は一人で受けるので、本人の自己申告によるのですが、マイナス方向の預言をわざわざでっちあげる意味はありませんので、真実だと思われています。
 やがて国民もこの事実を知ることとなり、カシウス様は“将来の暗君”だと陰で言われるようになりました。

 学園に入ってからのカシウス様は、膨大な魔力を持つとされるわりには、魔法の成績が思わしくなく、“将来の暗君”としてますます周囲に認識されるようになりました。

 将来の夫が“将来の暗君”だと思われていても、私は見捨てることはありません。
 ともに勉学に励み、カシウス様の苦手な分野があればサポートできるように王妃教育の内容を増やしていきました。

 カシウス様のお心に寄り添えるよう、忙しい合間をぬって二人の時間を作るようにもしていました。
ピクニックに出かけたこともありました。
 ほどよい日差しの中、なだらかな丘に寝そべっていたカシウス様は、王族とは思えないほどに自由でした。
 私もつられて側に座ったものです。
 眠っておられたカシウス様の頭をこっそり膝の上に移し、ゆるやかな時間を過ごしたのはいい思い出です。

 学園での成績はふるわなかったのですが、細やかな操作の魔法は得意だったようで、私には花光ファイアワークスの魔法をよく見せてくれました。
 学園の勉強や王城での教育に疲れているとき、夜に少しだけ顔を会わせる時間をつくっては、花光を見せてくださり、「君は頑張っている」と励ましの言葉を下さったことは、とても励みになっていました。

 婚約者として過ごした時間は楽しい日々だったと思っていましたが、カシウス様の心に影を照らすことはできなかったのかもしれません。
 いつのころからか、カシウス様は、時期が来たら第二王子グレッグ様に王位継承権を譲るつもりだと、口にするようになっていました。

 近年は魔物の襲撃が減ってきており、平和な時代になりつつあると言われていました。
強く賢い王でなく、心優しき王が治めてもいいのではないかと思っておりましたが、暗君と言われる将来は好ましくないと感じていたのでしょう。

 そうして、国王とならなくてもカシウス様を支えようと思っていた折に起こった、唐突な婚約破棄騒動でした。
 私はどうすればよかったのでしょうか。

******

 婚約破棄騒動が終わってしばらくの間は、王城で客賓としての扱いを受けており、王妃教育ももう必要ないので、ゆったりとした時間を過ごしていました。
時間はたっぷりありましたので、カシウス様の行動の理由を考え、お付きの方を通じてできる限りの情報を集めて過ごしました。

 預言の儀式に使われている場所にも足を運びました。
 この国の王族だけが神託を授かるものだと聞かされていましたから、期待はしなかったものの、カシウス様が聞いた預言の内容を教えてもらえないかと祈ってみました。

 何度か足を運んだところ、思いにこたえていただけたのか、神託を授かりました。

 なるほど、これが“将来の暗君”という運命の正体でしたか。
 時間がありません。
 カシウス様のためにできることを探しておかなければ。


 婚約破棄騒動からひと月が経ちました。
私の扱いについて祖国から回答が来たということで、王城の談話室に来ています。
 内容についてすり合わせを行い、最終的に私の意思を尊重してくれると言うのですから、丁重な扱いには感謝しきりです。

 まずは手紙の内容を、と話し始めるとき、どん、と大きな音とともに、床が大きく揺れました。
 立っていられないほどではなかったのですが、何かよくないことが起こっている予感がいたしました。

 慌てた様子で近衛兵が入ってきました。
「報告いたします! 魔物の軍勢が攻めてきています! その数、推定二十万!」

 にわかにざわめく皆さまを眺めながら、私はついに来たか、と腹をくくりました。

 魔物とは、あらゆる生き物を殲滅するために邪神によってつくられた存在です。
 文明を築いた人間は特に嫌っているらしく、遭遇した時は間違いなく襲ってきます。
 人の住むところでは防壁を築き、兵を配置し、民の暮らしを守ります。また、冒険者と呼ばれる魔物狩りの職業の方々が定期的に魔物の数を減らしています。

 ここ数年魔物が人間を襲撃する機会は少なくなっていましたが、魔物は減っていたわけではありませんでした。
今日に備えて戦力を整えていただけだったのです。

 王城を含むこの都市では、兵士が五千、冒険者が五千の合計一万の戦力があります。
 ただ、さすがに一万対二十万では分が悪いようです。
 魔物の軍勢には大型で強力な種も含まれているらしく、苦戦は免れないと、誰もが苦い表情を浮かべています。

 私は静かに立ち上がると、部屋を出て、王城のてっぺんにある、タレットに向かいました。
 バタバタしているおかげで、私のことを気にする余裕はないようで、誰かに止められることもありませんでした。

 タレットには先客が一人だけいました。
 カシウス様です。
 カシウス様は外を見ていました。
 陸も空も多くの魔物で真っ黒です。我先にと王城の方角へ向かってきております。

 カシウス様は気配に気づいたようで、こちらを振り返りました。
「ジェーン、最期の時に君に会えるとは思っていなかったよ」

 婚約破棄などと言い出す前の、いつも通りの優しいカシウス様でした。
 手には王家に伝わるという宝剣を持っておりました。
 王族の中の一部にしか知られていないのですが、宝剣は、魔力や寿命と引き換えに絶大な破壊力の魔法を使うことができるそうです。
 私がそのことを知ったのは、カシウス様に与えられた預言の内容を知った時でした。

 カシウス様の預言の本当の内容は、魔物の大群の襲来を、すべての魔力、そして全ての寿命と引き換えに救う運命にあるということだったのです。
 次期国王と目されていては、命を懸けて国を守ることを止める者もいるでしょう。
 三年かけて“将来の暗君”としての立場を築き上げ、亡くなっても惜しくないと周囲に思わせてきたのです。

「預言の本当の内容を聞きました。宝剣の力を使って、民を救うつもりなのですね」
「ああ、それが俺の使命だ」

 カシウス様はこの国で一番強い魔力を持っています。それでも、魔力だけでは魔物の大群を殲滅するには足りません。命をも捨てる必要があります。
ですが――

「そんなことはさせません」
「止めても無駄だ。それに、俺以外にこの状況をひっくり返せる者などいない」
「いいえ、止めるわけではありません。ただ、私も一緒にいさせてもらいます」

 魔物が近づいてきて、鳴き声や地響きの音が大きくなってきました。

「それは構わないが、どのみち、宝剣の能力は王家の血を引く者にしか使えないぞ。……そろそろ時間だ」

カシウス様は向き直り、宝剣に魔力を込め始めました。
先端が光り始めます。
私はカシウス様を後ろから抱きしめました。宝剣を握るカシウス様の両手を私の両手で包みます。

「ああ、愛する者のぬくもりを感じながら死ぬのも悪くない」
「先ほども言いましたが、死なせるつもりはありませんよ」

 私は祖国の王家だけに伝わる魔法を使い始めました。
 魔力、そして寿命の譲渡です。

 カシウス様は宝剣に命を喰われてふらついていましたが、私の支えもあって立っていられました。私の力を渡すことで、こらえるだけの力が残っていたということもあるでしょう。
 時間にしては十を数えるほどの短い時間だったと思いますが、永遠にも思える刹那を過ごしているように感じられました。
これ以上ないくらい宝剣が光り輝いています。宝剣に魔力、そして寿命が十分に吸い取られたようです。
 
 圧倒的な光は、宝剣を離れ、魔物の大群に向かって飛んでいきました。

 希望の極光ラストウィッシュ

 魔物を浄化して消滅させる十字の光が、大地を、空を包んでいきます。
 いつか見せていただいた、花光のようにきれいな光でした。
 魔物の足音による地響きより大きい音が、しばらく響いていました。

 カシウス様は全てを見届けたあと、自分が生きていることに首をかしげました。

「何が起こった?」
「私の寿命を半分渡しました。一人分の命でぎりぎりまかなえる程度の対価であるならば、二人で背負えば、死なずに済みますよね」
「ジェーン、君はなんてことを……」

 涙を流すカシウス様を私は抱きしめました。

「想い人の命を削るなんて。俺は愚かだ。まさに暗君と呼ばれるのにふさわしい」
「構いません。愛した人のいない世界で生きていくより、命を分け合って少しでも一緒にいる時間を作る方がいいのです」

 残党の排除に駆り出された兵が、ごくわずかに残った大型の魔物を掃討しつくすまではあまり時間はかかりませんでした。
 王城は無事に守られました。

 事の顛末を知ったグレッグ様から、減刑を求められたこともあり、カシウス様は幽閉されることも処刑されることもありませんでした。
 ただ、預言の内容を偽り、長い間周りをだましていたということを罪に問われ、廃嫡は変わりませんでしたが。

 カシウス様は王位を継ぐことはありませんでしたが、新たに公爵家を興し、最期の日まで私と共に過ごしました。

 公爵家では夜に花光を楽しむ私たちの姿がよく見られたと、きっと後世に末永く語り継がれたことでしょう。



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