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橘 金春

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 気づけば夕焼けが空一杯に広がっていた。

 残光を受けて赤く染まっているのは見渡す限り続く田んぼと、その間に点在する雑木林。民家は片手で数えられるほどしか見当たらない。

 見慣れた高層ビルやマンションが一切ない代わりに、遠くに波形に連なった山脈が影のように浮き上がっている。

 ――なんというか、ど田舎……だな。

 自分が夢を見ていることは直ぐに分かった。『現実』の季節は秋だというのに目の前に広がるのは、のどかな春の宵。

 田んぼには水が張られ、植えられたばかりの緑の苗が規則正しく並んでいる。

 農道の脇に咲く野花を見るに、季節は五月くらいだろうか。

 テレビか何かで見た風景なのか――心当たりは全くなかったが、その風景は郷愁とともに心の中に沁みこんでいくようだった。

『ああ、お腹すいたなぁ』

 突然、女の子の声が、しかもすぐ傍から聞こえた気がした。

 視界が動き、十束の足元に向けられた――その途端、十束はわっと声を上げそうになった。

 目に飛び込んできたのはいつものスーツのズボンではなく、濃紺の幅の広いプリーツのスカート。

 その少し上、ヒラリと視界をよぎるのは、どうやらセーラー服のリボンのようだ。

 ――せ、セーラー、服!? 着てるのか……俺がっ?

 夢だとわかっていても、動揺で嫌な汗をかいているような気持ちになる。

 十束の焦りとは関係なく『身体』は勝手に動いて、肩にかけているらしき鞄からスマホを取り出していた。

 画面に表示された時刻は午後六時二十二分。

 ふと、十束は気づいた。

 スマホを持つ手が十束本来の手よりも、ずいぶんと白くて華奢だ。加えてスカートからのぞく足も中年男とはまるで違う、細くスラリとした足だった。

 ――俺じゃない、『誰か』の視点を借りてるってわけか?

 限りなく主人公に近い視点で映画を見ているような夢……そう考えればすべて合点がいく。

 その証拠に十束の意志とは無関係にさきほどの『声』がとめどなく、頭の中に降るように聞こえてきた。

『部室で話し込んでたら、だいぶ遅くなっちゃったな。でもあの小説、すごく面白かったし』

『今日の晩御飯、なんだろう。焼き魚とか食べたいな……』

『九時から見たいドラマがあるし、お兄ちゃんに先にお風呂入ってもらおう』

 ――誰かに向けて話してるんじゃない。この子が思ったことがそのまま聞こえてきてるのか。

 うららかな景色と似つかわしい、何とも平和なつぶやきの数々。

 高校生くらいだろうか? 部活動の帰りらしき少女は帰り道を急ぎながらも、のんきに晩御飯のことを考えている。

 聞こえてくる少女の『声』は聞いていて心地の良いものだった。穏やかで優しい、平和な日常……。

 ふと、榊にこの夢の話をしてやろうかという考えが浮かんできた。

 夢の中で、女子高校生になっていたなんて話をしたら榊はどんな反応をするだろうか。

 羨ましがるのか、それとも心配されるか……。

『相変わらず、この辺りは暗いなぁ』

 少女の声がまた降ってきた。

 農道の先に道に沿う形で鬱蒼と茂る雑木林が見えている。

『夕日ももうすぐ沈みそう。でも、あと少しで家に着くから……大丈夫だよね』

 不安げな少女の声に続いて、歩く速度が心なしか早まった気がする。

『あの雑木林の横を抜ければ、あとは――……』

 その時、雑木林の曲がり角の向こうから人影が歩いてくるのが見えた。

 少女から数メートル先、薄暗闇に浮かび出た黒い人影は、体格から見て成人男性のようだ。

『――なんだ、人がいたのかぁ』

 少女のホッとしたような声が響く。

 続いて、少女が道の端に寄ったのか、視線がすすす、と左側に寄った。

 男との距離が少しづつ縮まっていき、すれ違い……通り過ぎた。

 それから二、三歩。雑木林も、もう少しで終わる――。

 ほんの少し、少女が歩調を緩めた……途端、視界がものすごい勢いで回転した。

『――えっ? なに……』

 何事かと戸惑う少女の声に続いて、視界に入ってきたのは先ほどの男の顔――のはずだった。

 至近距離で見ているはずなのに男の顔が見えない。

 ノイズのかかった映像のように顔だけが掠れている。

『あッ』

 声と同時にガクン、と視界が揺れる――。

 嫌な予感がざわざわと押し寄せると同時に少女の甲高い声がキンッと響き渡った。

『――熱いッ!?』

 小刻みに揺れる視線がぎこちなく下に向けられる。

『……あ、ぁあぁああ、ああぁあああああああああああああああぁあああああッ!』

 引き裂くような絶叫が心の中にほとばしり、満ち溢れる。

 視線の先、セーラー服のリボンの下。少女の腹部には深々とナイフが突き刺さっていた。
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