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不二桜
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白い浮雲の空の下に五重の塔があり、水の錬金術師・水樹洋介は京都の東寺の境内に咲き誇る八重紅しだれ桜、高さ13m、枝張り10mという巨大な桜の木の前に茫然と立っていた。
斜め前に立札があり、[花が八重咲きになる八重紅しだれ桜は弘法大師の「不二の教え」から「不二桜」と名前が付けられた。]と書いてある。
「不二」は唯一無二を意味し、空海の求めた絶対的な仏法で、『大毘盧遮那成仏神変加持経(毘盧遮那経または大日経)』の教えに見出した。
『二人であれど、ひとつに成れる。つまり、不二であると言う事か?』
そしてこの付近の高校を卒業した男女が二人、その満開の桜の樹の下である約束を結んでいるシーンが映し出された。
「別々の道を歩むのですね?」
「そうだよ。二人の恋は永遠に秘密にしよう。君が夢を追いかけるのを僕は見守り、命をかけて応援するから」
「永遠とは、命尽きるまで?」
「うん。この桜の押し花だけが、僕らの恋を知っている。年に一度だけ、桜の季節に逢えたら嬉しいな」
身分の違いで親から交際を猛反対されただけでなく、映画のオーディションに受かった彼女は恋を禁じられ、彼氏は身を引く事を決意してこの提案をした。
二人はこの春から別々の道を歩み、過去も未来も秘密の恋として、この時に約束の契りを交わしたのである。
そして若い男女の恋のゲームは年老いてからも続き、永遠の秘密として不二桜の押し花に封印された。
二人とも結婚はせず、春の季節に一度だけ濃密な愛を交わす。それは許されなかった悲運の恋への当て付けでもあったが、子供を授かったことで愛情へと変わり、男はひっそりと娘の成長を桜の木のように見守り続けた。
桜の押し花は毎年贈られたが、本に挟まれた押し花は二人が約束を交わした封印の証であり、男の方が持っていたが、TVのニュースで昭和を代表する女優が病気になり死期が近いと知った庭師は本に挟んだまま雇い主に渡した。
晩年は庭師として春に訪れるだけで、殆ど言葉を交わす事もなくなっていたのである。
ページが土で少し汚れていたのは父親として存在した事の自分への証明。
洋介はそこまで隠し通す必要があったのだろうかと不思議に思ったが、押し花の封印が強過ぎたのかと推測し、これだけ鮮明に過去が再現されたのも強くて深い念が込められていたのだと納得した。
『その想い、受け取りました……』
洋介はそう心の中で呟き、桜の押し花の想いを聞き終えて現実に戻った。暫し、残り香で意識が朦朧としていたが、テーブルのコップから成長した桜の木の幻影は消え視界は明瞭である。
依頼主の吉川弓枝は波紋で揺れていたコップの水が止まり、洋介の瞑想が終わったと気付いた。穏やかな表情で微笑みかけて、不安と期待を感じながら話しかけた。
「わかったのですね?」
「ええ、こんなに長い回想シーンを観たのは初めての経験です」
瞑想していたのは2~3分だったが、洋介は哀しい恋愛映画を早送りで一気に鑑賞した気分だった。しかし疲れを見せずに手短に説明し、後は二人に任せようと決めていた。
「お母さまは若い頃に恋をし、貴方は唯一無二の存在として育てられた。その桜の押し花は京都の東寺の八重紅しだれ桜、不二桜の押し花です」
「不二桜?」
「はい。詳しくは毎年雇っている京都の庭師に直接聞いてみてはどうですか?すべてはその人が知っています」
「確かに母が京都の有名な庭師だと言ってた気がします。でも、その人は私に話してくれるのでしょうか?」
依頼主は洋介を困惑の瞳で見つめている。母が亡くなっても名乗る事もしなかった人が、長い間秘密にしていた事を打ち明けるのだろうか?
「学生時代に恋に落ちた純粋な二人は、それを永遠の恋として桜の押し花に封じ込めた。しかしもう押し花は水に溶けて、結界は解かれたのです。水の錬金術師がそう言っていたと伝えてください」
洋介はそれだけ言って帰る準備を始めた。父親が誰なのかは本人が告白すべき案件であり、
最期まで秘密を守った二人への洋介なりの敬意であった。
斜め前に立札があり、[花が八重咲きになる八重紅しだれ桜は弘法大師の「不二の教え」から「不二桜」と名前が付けられた。]と書いてある。
「不二」は唯一無二を意味し、空海の求めた絶対的な仏法で、『大毘盧遮那成仏神変加持経(毘盧遮那経または大日経)』の教えに見出した。
『二人であれど、ひとつに成れる。つまり、不二であると言う事か?』
そしてこの付近の高校を卒業した男女が二人、その満開の桜の樹の下である約束を結んでいるシーンが映し出された。
「別々の道を歩むのですね?」
「そうだよ。二人の恋は永遠に秘密にしよう。君が夢を追いかけるのを僕は見守り、命をかけて応援するから」
「永遠とは、命尽きるまで?」
「うん。この桜の押し花だけが、僕らの恋を知っている。年に一度だけ、桜の季節に逢えたら嬉しいな」
身分の違いで親から交際を猛反対されただけでなく、映画のオーディションに受かった彼女は恋を禁じられ、彼氏は身を引く事を決意してこの提案をした。
二人はこの春から別々の道を歩み、過去も未来も秘密の恋として、この時に約束の契りを交わしたのである。
そして若い男女の恋のゲームは年老いてからも続き、永遠の秘密として不二桜の押し花に封印された。
二人とも結婚はせず、春の季節に一度だけ濃密な愛を交わす。それは許されなかった悲運の恋への当て付けでもあったが、子供を授かったことで愛情へと変わり、男はひっそりと娘の成長を桜の木のように見守り続けた。
桜の押し花は毎年贈られたが、本に挟まれた押し花は二人が約束を交わした封印の証であり、男の方が持っていたが、TVのニュースで昭和を代表する女優が病気になり死期が近いと知った庭師は本に挟んだまま雇い主に渡した。
晩年は庭師として春に訪れるだけで、殆ど言葉を交わす事もなくなっていたのである。
ページが土で少し汚れていたのは父親として存在した事の自分への証明。
洋介はそこまで隠し通す必要があったのだろうかと不思議に思ったが、押し花の封印が強過ぎたのかと推測し、これだけ鮮明に過去が再現されたのも強くて深い念が込められていたのだと納得した。
『その想い、受け取りました……』
洋介はそう心の中で呟き、桜の押し花の想いを聞き終えて現実に戻った。暫し、残り香で意識が朦朧としていたが、テーブルのコップから成長した桜の木の幻影は消え視界は明瞭である。
依頼主の吉川弓枝は波紋で揺れていたコップの水が止まり、洋介の瞑想が終わったと気付いた。穏やかな表情で微笑みかけて、不安と期待を感じながら話しかけた。
「わかったのですね?」
「ええ、こんなに長い回想シーンを観たのは初めての経験です」
瞑想していたのは2~3分だったが、洋介は哀しい恋愛映画を早送りで一気に鑑賞した気分だった。しかし疲れを見せずに手短に説明し、後は二人に任せようと決めていた。
「お母さまは若い頃に恋をし、貴方は唯一無二の存在として育てられた。その桜の押し花は京都の東寺の八重紅しだれ桜、不二桜の押し花です」
「不二桜?」
「はい。詳しくは毎年雇っている京都の庭師に直接聞いてみてはどうですか?すべてはその人が知っています」
「確かに母が京都の有名な庭師だと言ってた気がします。でも、その人は私に話してくれるのでしょうか?」
依頼主は洋介を困惑の瞳で見つめている。母が亡くなっても名乗る事もしなかった人が、長い間秘密にしていた事を打ち明けるのだろうか?
「学生時代に恋に落ちた純粋な二人は、それを永遠の恋として桜の押し花に封じ込めた。しかしもう押し花は水に溶けて、結界は解かれたのです。水の錬金術師がそう言っていたと伝えてください」
洋介はそれだけ言って帰る準備を始めた。父親が誰なのかは本人が告白すべき案件であり、
最期まで秘密を守った二人への洋介なりの敬意であった。
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