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ジェットの過去

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 ジェット・クンツァイト。公爵家の第一子、長男として生を受けた。

 両親は、当時では珍しい恋愛結婚をした夫婦で、おしどり夫婦として名を馳せていた。しかし、領地で災害が多発し、あっという間に財政が悪化。しかし、家も仕事も失って、疲弊しきった領民から税をさらに搾り取って賄うなど、できようもなく。

 そこで、ジェットの父親である公爵が行ったのは、第二婦人を娶ることだった。

 その女は、いくつかの国を股に掛けて活躍する大商人の娘。貴族か、それ以上の暮らしぶりという金持ちで、我儘し放題で育てられたという生い立ちを持つ。

 そのため、貴族の一員になれることは許せても、第二婦人という地位はどうしても我慢できない。国の予算のような高額の結婚持参金に物を言わせて、公爵家の使用人を牛耳ったかと思うと、あっという間に第一夫人であったジェットの母親を本邸から追い出してしまった。

 お陰で、領地の財政は潤い、領民も金をばら撒いてくれる新公爵夫人には大感謝することに。ここで公爵本人が第二婦人を諌めることができればよかったのだが、残念ながらそうはならなかった。

 夫の前では貞淑で良き妻を演じている上、着飾った若い女はやはり美しい。それ程時間を置かずして、公爵は第二婦人のみを大切にするようになった。

 それは、連れ子に対しても同じ。

 第二婦人には、ジェットとほぼ年の変わらない息子がいた。彼の名はレドメーヌの言い、公爵からは「レド」という相性で呼ばれて、それはそれは可愛がられるようになった。

 こうして、金と若い女、その息子に傾倒していった公爵は、第一夫人と実の息子を蔑ろにし、忘れられた存在に追いやっていったのである。

 ジェットの母親が昼間も寝台から起き上がらなくなり、そして息を引き取ったのは、それから一年後のことだった。きっと心労がたたったからなのだろうが、あまりにも早く、あっけない最期だった。

 その違和感の答え合わせの機会は、すぐに巡ってきた。

 ジェットがある夜、自室に運ばれてきた夕飯を食べていると、スープを飲んだ途端に突然苦しくなり、目の前が真っ暗になって倒れてしまったのである。

 目が見えなくなったのは、この時からだ。

 ジェットは、幼い頃から石を加工したり、魔導品を作るのが趣味だった。すぐさま、自前の魔導品を引っ張り出し、吐き出した自分の唾液を調べたところ、毒が検出。媒介となっていた石が砂になってしまったので、かなり強い毒だ。

 ――――このまま、義母と義弟の住む屋敷にいては、遠からず殺されてしまう。

 ちょうど、義弟レドメーヌからの執拗な嫌がらせに滅入っていた頃合いだった。レドメーヌは公爵のお気に入りだが、貴族社会においては地位が高くない。公爵家の正式な跡取りは、嫡男であるジェットなのだ。

 いよいよ命の危機を悟ったジェットは、別邸に移ることにした。

 生前、ジェットの母が一目惚れして購入した湖の前にある別荘。共に本邸を出てきてくれた老人は、第二婦人がやってくる前までは屋敷の執事を務めていた男、サファイはかなり優秀で、元々母の実家からやってきた使用人だ。

 信頼の置ける人、場所を取り戻して、ジェットは少しずつ、少しずつ、心の傷を癒やしていった。けれど、名のある医師に診せるなど手を尽くすも虚しく、失った視力は元に戻らなかった。

 ジェットは十八歳になった。通っていた王立学園では、目が見えなくなってからも良い成績を残し、主席で卒業。学園長をはじめ、先生達は、王城の花形部署、魔導品開発部への推薦状をこぞってしたためたが、実際に配属されたのは、魔導品制作部だった。

 一方、同じ学園に通い、同級生でもあったレドメーヌは、魔導品開発部に就職。この手の授業は全く得意ではなかったはずなのに、どうしてジェットを差し置いて開発部に入ってしまったのか。

 それは、第二婦人の実家からもたらされた多額の寄付金。そして、「目の見えない兄が迷惑をかけないよう、代わりに優秀な弟を差し出す」といった公爵の手紙があったかららしい。

 ジェットは、実力もないのにズルをして主席を名乗る、出来損ないの兄として扱われ、魔導品制作部では、下っ端も、下っ端。まるで奴隷のような扱いでスタートした。

 これには、さすがのジェットもまいってしまった。
 義母や義弟だけでなく、父親もいよいよ本格的にジェットに手を下し始めたという事実は、深い傷となる。

 母が倒れた時も、見舞い一つ寄越さなかった父親。葬式にも来なかった。さらには、実の息子をここまで貶めるなんて。

 領地が災害に襲われるまでは、あんなに仲が良かった両親。今では、夢だったのかもしれないとすら思える。

 しかし、人というものは、困難を前にした時にこそ、本性が現れるものだ。父、クンツァイト公爵は、元々その程度の男なのだろう。

 ジェットは誓った。

 貧しい時も、苦しい時も、病める時も、変わらず支え合える人と巡り合いたい。そのような人と出会えたならば、たとえ自らが死んでしまっても一途な愛を貫きたい。決して、父親のようにはなりたくない。

 いつか、こんな境遇で、目も見えない自分に手を差し伸べてくれる女性が現れたら、全身全霊で、目一杯大切にしよう。

「そして、あなたと出会ったんです」

 『蔵』の中、ジェットは万感の想いを込めて、ルチルに告げた。

 幸い、魔導品制作部では、ジェットの隠しきれない天才ぶりと賢さのお陰で、数年で待遇は改善。しかし、目が見えないというハンデは大きい。さらには、レドメーヌが魔導品開発部を中心とした派閥を作り上げていて、相変わらずジェットへの攻撃は、十年以上経った今も続いている。時には、嘘の噂をばら撒かれることもあった。

 そのため、ジェットは、公爵家の嫡男という地位はあるものの、決して女性を惹きつけるような存在ではないことを自覚している。けれど、今ばかりはそのようなことを気にせず、必死に目の前にいる女性と向き合っていた。

「あなたと出会ってから、世界が変わりました」
「そんな、大袈裟な」

 ルチルは、こんな形で口説かれるのも初めて。恥じらうように俯いてしまう。

 しかし、ジェットは本気だった。

 貴族だとか、庶民だとか、商人だとか。そういった身分も気にせず、別け隔てなく人と接し、豊富な知識と上品な笑顔で皆のピンチをことごとく助けてくれる『蔵』の女神。出会ってすぐから、貶めるでもなく、過剰に褒め称えるでもなく、ジェットそのものを見つめていた。

 盲目を気遣うように優しく手を取って、困った時には素直に頼ってくれた。ジェットは日頃、どちらかと言えば人の介助が必要になりがちな生活をしている。はっきりした形で誰かの役に立つという経験は少ない。感謝されることもほとんど無い。だが、ルチルは心からの「ありがとう」をジェットに告げた。

 以前から噂でルチルの存在は知っていたが、いざ前にして、助けられて、声を交わして、触れてみると、もう駄目だ。一度味わうと逃れられないぐらいの魅力を感じてしまう。これを知る前になんて、戻れるわけがない。

 これは明らかに、ジェットという男の、人生の岐路なのだ。

「あなたが、どうしても、どうしても特別なんです」

 ジェットの言葉に熱が入る。暗がりを照らす魔導灯の光が映り込んだルチルの瞳が、ちらちらと揺れる。

「僕と、付き合ってくれませんか?」

 ジェットの手が、ルチルの左手に触れた。石を取り扱うことが多いため、ルチルの手は女性の割にカサカサしていて、頑丈になっている。

 と、その時、ジェットの手が何か硬いものに触れた。そっと指でなぞると、それは左手の薬指に嵌められた極細の指輪であることが分かる。

「これは」

 ジェットの顔が、信じられないものを見たかのように青褪めた。

「ごめんなさい。私、結婚してるんです」

 いつの間にかルチルは、目に涙をためている。

「私の名前は、ルチル・クォーツ。あの英雄伯爵、ラドライト・クォーツの妻です」

 完全に真っ白な結婚をしたのは、十二年前。
 好んで、こんな肩書きになったわけではない。生きるため、致し方なかったのだ。

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