190 / 214
外伝4 ミズキの奇策
しおりを挟む
それから間もなく、ミズキは案の定、王宮からの使いに回収されてしまった。その後、彼が向かったのは神具省である。長官のカケルが不在の今、またもや兄の埋め合わせをさせられている、あの男と会うためだ。
「僕、ですか?」
驚きのあまり、一人称を私にすることができていないことにすら気づいていない。ミズキは、神妙な顔をして声を潜ませる。
「そうだ。これでも随分悩んだんだぞ? だが、やはりクロガ様以外に考えられない」
クロガは、これまでも損な役まわりばかりだった。
琴姫への恋も芽生えたと同時に破れ、王と同等の才覚があるにも関わらず影武者を務め上げるだけで地位は得られず。神具師としての腕も良いはずなのに、その界隈の話となると変人の粋に入る兄や弟がいるせいで霞んでしまう。
とにかく、どこか報われないことばかりなのに、文句一つ言わずに周囲の期待に答えてしまう真面目な人間だ。そして、こういった者は、得てして頼み事は断れない性なのだ。
「王直々にお越しになってのご依頼、謹んでお受けいたします」
拝命の証として、ひとまず頭を下げたクロガだが、次に上げた顔には、隠しきれない戸惑いがあった。
「しかし、まずは事情をお聞かせいただかない限りは」
「もちろんだ」
ミズキは、楽師団内の派閥争いが激化していることを掻い摘んで話した。それには首席として経験の長いアオイですら手を焼いているという状況である。
クロガも、楽師が不穏な空気を背負っていては、神の声たるシェンシャンの音や合奏にも支障がでて、引いては国力の低下に繋がることをすぐに理解できた。しかし、である。
「念の為確認しますが、僕は別の省に異動し、文官として鳴紡殿に詰めながら、彼らの不仲を解いていくということでしょうか?」
クロガは、あくまで当たり前のことを確認したつもりだった。故に、まさかこんな返答を得ることになるとは思いもよらなかったのである。
「いや、楽師として入ってもらう。部屋は、首席代行のアオイと一緒だ。彼女にも、同居人が増えることは連絡済みだから安心しろ。間もなく久方ぶりの入団試験が行われるから、潜入する時期としても不自然ではない」
ミズキは、自分の考えが完璧だと言わんばかりに胸を張る。そして、おもむろに自らの髪に挿しっぱなしだった赤い簪を抜き去った。
「これを貸そう。誰にもクロガ様だと悟られることなく、動けるはずだ」
クロガは、目の前が真っ白になった。ミズキの簪がこの世に二つとない神具であり、女に化けられるものであることは知っている。つまり、正体不明の女楽師としての潜入を命じられていることは理解できるのだが、頭が全く追いつかなかった。
「俺の経験上、色恋沙汰以外で女と対等に渡り合いたいならば、女になるのが一番だ。そして男は、見目が良くて幼い女、それも身分が低いとくれば、気を許しやすい。たくさん本音を引き出して、それを糸口に懐柔すれば、そう長い時間もかからないだろう」
ミズキの話には一理も、二理もある。だが、これでもつい半年前までは一国の王子として、周囲に崇められてきた存在なのだ。急に庶民の女として生活しろと言われるなんて、青天の霹靂。けれど、何ということか。この話は、既に一度は承諾してしまっている。
クロガは、必死でこれを避けられないかと思案した。しかし、頭の中に浮かび上がるのは今も活躍中の、兄弟達の姿ばかりだ。
兄、カケルは身を呈して対帝国戦の最終兵器となった。弟のカツは、神具の領域で奇人の域に在るだけでなく、この国最強、かつ間諜に特化した部隊を上手く率いている。そしてチグサは、女同士の情報網や人脈を駆使して、元ソラの貴族達に大きな影響力を持ち、最近はサヨの側近たる侍女スズにまで頼りにされている様子。
では、自分は――――。
クロガはしっかりと目を瞑って自問自答した。
兄の代理を務め上げているだけだ。いくら代わりをしても、本人になれるわけでもなく、地位を乗っ取れるわけでもなく、そこまでする欲も沸かなければ、何となく周囲に求められることを卒なくこなしているだけ。
それでいいのだろうか? ともう一人の自分が言う。
ミズキは、何かを確信しているかのように、落ち着いてクロガを見つめ続けていた。それが若干癪に障るのだが、気づくとクロガは、目の前に置かれた赤い簪に手を伸ばしていたのである。
「決意してくれて恩に着る。苦労することも多いだろうが、自分ではない自分になって、何かを開放するのも一興だと思ってほしい」
「はい」
と、ここで、クロガはハッとした。
「あの、一つ問題があります」
「何だ?」
用が済んだとばかりに、ミズキは席を外しかけたところだった。クロガは、遠慮がちに口を開く。
「僕は、シェンシャンが弾けません」
ミズキの目が点になる。
時が氷ったようだった。
「僕、ですか?」
驚きのあまり、一人称を私にすることができていないことにすら気づいていない。ミズキは、神妙な顔をして声を潜ませる。
「そうだ。これでも随分悩んだんだぞ? だが、やはりクロガ様以外に考えられない」
クロガは、これまでも損な役まわりばかりだった。
琴姫への恋も芽生えたと同時に破れ、王と同等の才覚があるにも関わらず影武者を務め上げるだけで地位は得られず。神具師としての腕も良いはずなのに、その界隈の話となると変人の粋に入る兄や弟がいるせいで霞んでしまう。
とにかく、どこか報われないことばかりなのに、文句一つ言わずに周囲の期待に答えてしまう真面目な人間だ。そして、こういった者は、得てして頼み事は断れない性なのだ。
「王直々にお越しになってのご依頼、謹んでお受けいたします」
拝命の証として、ひとまず頭を下げたクロガだが、次に上げた顔には、隠しきれない戸惑いがあった。
「しかし、まずは事情をお聞かせいただかない限りは」
「もちろんだ」
ミズキは、楽師団内の派閥争いが激化していることを掻い摘んで話した。それには首席として経験の長いアオイですら手を焼いているという状況である。
クロガも、楽師が不穏な空気を背負っていては、神の声たるシェンシャンの音や合奏にも支障がでて、引いては国力の低下に繋がることをすぐに理解できた。しかし、である。
「念の為確認しますが、僕は別の省に異動し、文官として鳴紡殿に詰めながら、彼らの不仲を解いていくということでしょうか?」
クロガは、あくまで当たり前のことを確認したつもりだった。故に、まさかこんな返答を得ることになるとは思いもよらなかったのである。
「いや、楽師として入ってもらう。部屋は、首席代行のアオイと一緒だ。彼女にも、同居人が増えることは連絡済みだから安心しろ。間もなく久方ぶりの入団試験が行われるから、潜入する時期としても不自然ではない」
ミズキは、自分の考えが完璧だと言わんばかりに胸を張る。そして、おもむろに自らの髪に挿しっぱなしだった赤い簪を抜き去った。
「これを貸そう。誰にもクロガ様だと悟られることなく、動けるはずだ」
クロガは、目の前が真っ白になった。ミズキの簪がこの世に二つとない神具であり、女に化けられるものであることは知っている。つまり、正体不明の女楽師としての潜入を命じられていることは理解できるのだが、頭が全く追いつかなかった。
「俺の経験上、色恋沙汰以外で女と対等に渡り合いたいならば、女になるのが一番だ。そして男は、見目が良くて幼い女、それも身分が低いとくれば、気を許しやすい。たくさん本音を引き出して、それを糸口に懐柔すれば、そう長い時間もかからないだろう」
ミズキの話には一理も、二理もある。だが、これでもつい半年前までは一国の王子として、周囲に崇められてきた存在なのだ。急に庶民の女として生活しろと言われるなんて、青天の霹靂。けれど、何ということか。この話は、既に一度は承諾してしまっている。
クロガは、必死でこれを避けられないかと思案した。しかし、頭の中に浮かび上がるのは今も活躍中の、兄弟達の姿ばかりだ。
兄、カケルは身を呈して対帝国戦の最終兵器となった。弟のカツは、神具の領域で奇人の域に在るだけでなく、この国最強、かつ間諜に特化した部隊を上手く率いている。そしてチグサは、女同士の情報網や人脈を駆使して、元ソラの貴族達に大きな影響力を持ち、最近はサヨの側近たる侍女スズにまで頼りにされている様子。
では、自分は――――。
クロガはしっかりと目を瞑って自問自答した。
兄の代理を務め上げているだけだ。いくら代わりをしても、本人になれるわけでもなく、地位を乗っ取れるわけでもなく、そこまでする欲も沸かなければ、何となく周囲に求められることを卒なくこなしているだけ。
それでいいのだろうか? ともう一人の自分が言う。
ミズキは、何かを確信しているかのように、落ち着いてクロガを見つめ続けていた。それが若干癪に障るのだが、気づくとクロガは、目の前に置かれた赤い簪に手を伸ばしていたのである。
「決意してくれて恩に着る。苦労することも多いだろうが、自分ではない自分になって、何かを開放するのも一興だと思ってほしい」
「はい」
と、ここで、クロガはハッとした。
「あの、一つ問題があります」
「何だ?」
用が済んだとばかりに、ミズキは席を外しかけたところだった。クロガは、遠慮がちに口を開く。
「僕は、シェンシャンが弾けません」
ミズキの目が点になる。
時が氷ったようだった。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
あの子を好きな旦那様
はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」
目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。
※小説家になろうサイト様に掲載してあります。
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる