琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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172還る神と現実主義者

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 まず、ウズメとククリが跪いた。次の瞬間、何も無い空間に亀裂が入り、そこから眩いばかりの紫がかった虹色の光が溢れ出す。

「ルリ様」

 ニ柱がそう呟き、改めて頭を垂れる。慌ててコトリとカケルもそれに倣った。

「国が一つになり、対の詩が届き、天磐盾は、香山にて元の姿を取り戻した。大神も無事に復活され、我々もかつての力を取り戻しつつある」

 それを聞いたカケルは、これを機に、神具という神具が活性化するのではないかと予想する。コトリは、ルリ神の願いを叶えることができて、安堵した様子だ。

「礼として、そなた達に仇なす者へ対抗する方法を教えよう」

 二人は、背中をピクリと動かした。これは、きっと帝国から紫を守る方法にちがいない。

「神を崇めよ。我々、神は、そなたらの祖先、受け継がれる願いや知恵、想いの結晶。導く者だ。さすれば、国を越えての一閃が、悪しき者の首に届くだろう。シェンシャンの音を矢のように降らせるのだ」

 ふと気づくと、音の神ウズメがその姿をシェンシャンに変え、コトリの前に在るではないか。コトリは、おそるおそる、それを手にとる。

「奏でよ。神が真に守りし新たな国の寿ぎを響かせるのだ」

 コトリは、覚えたばかりのアオイ達作曲を弾き始める。シェンシャンからは、様々な色をした気の流れが発生し、白い空間の彼方まで、どこまでも流れていく。それらは、その閉ざされた不思議な世界を超えて、紫国各地の社まで、くまなく届き、炎越しに驚いた顔をする数多の神官の姿が、コトリの脳裏によぎっていった。やはり、シェンシャンの音は、神の声であると同時に、すべての人々のためにある恵であると噛みしめるのである。

「良い。それで良い。これで我の役目は終わった。大神の元へと帰るとするか」

 ルリ神は満足げだ。すると、突然彼女の周囲に紫の炎のような揺らめきが現れ、彼女を焦がすかのように、少しずつ存在を櫛削っていくではないか。止めるべきなのか。しかし、どうすれば良いのか。何も分からず、コトリとカケルは、神がさらに上の世界へと還っていくのをただ眺めていることしかできない。

 いつの間にか、クレナの姿も現れていた。正月の時と同じく、見事な王族らしい衣装を纏った紅の髪をした美女。神らしく、後光が差して見える。

「私もこれで、他の神と同じく、悠久の時を漂って、ゆったりと子ども達の行く末を見守ることができる。コトリ、あなたのシェンシャンは居心地が良かったわ」

 つまり、コトリの紫陽花柄のシェンシャンからは居なくなってしまうということに相違ない。ルリ神に続いて、二柱ともいなくなるなんて。コトリは焦って手を伸ばすが、クレナもまた、その姿を少しずつ白い世界の中に溶け込ませていく。

「あなた方が堂々と想いを通わせられるようになったことが、何よりも嬉しい。私とソラの願い、時を経て叶えてくれてありがとう」

 クレナは、言い残しことはもう無いとばかりに、そっと目を閉じた。

「クレナ様!」

 コトリとカケルの叫びは届かない。真白の空間は、二人を追い出してしまった。


 ◇


 コトリとカケルが気を失っていたのは、ほんの数秒のことだったらしい。しかし、抱き合うようにして倒れた二人の胸元が同時に紫の光を発したことで、ヤエとスバル、そしてサヨは、全てを悟ることができた。

「儀式は滞りなく行われ、二つの石は一つになったのですね」
「はい」

 コトリとカケルは、思わず顔を見合わせる。良い出来事だったはずなのに、どこか悲しい未練が残っていた。特にコトリは、ルリ神とクレナ神の存在を喪失してしまった。いつも身体を覆っていた見えない鎧や加護が消えてしまったかのようで、落ち着かない。

「カケル様、ソラ神も居られなくなったのですか?」

 ルリ神が大神の元へ還ったのならば、とコトリは思ったのだ。しかし、カケルは、懐に手を遣った後、しばし考えた後、答える。

「いや、まだ、ここにいらっしゃる」

 カケルの工具は初代王ソラの遺産。ソラが宿っている曰く付きと呼ばれている。コトリもそれを知っているのだ。

「たぶん、ソラ様はまだやり残したことがあると、お思いなのではないかな」

 途端に、コトリの顔に影が差した。それは、ルリ神が話していたように、神を崇め、シェンシャンを奏でるだけでは、帝国に対抗できないということを意味しているような気がしたのだ。それは、カケルも同じである。

「帝国との戦は、シェンシャン奏者だけに頼るわけにもいかない。俺達神具師も力を尽くし、立ち向かうべきなんだよ」

 コトリとカケルは、ルリ神の残した言葉を同席してくれた三人に伝えると、ヨロズ屋へ向かうことにした。カケルが、見せたいものがあると言い出したのだ。

 久しぶりのヨロズ屋は変わりなく、いつものようにチヒロが店番をしている。王の姉なのだから、良い衣を着て安全な屋敷の奥に引っ込んでいればいいものの、本人曰く「そんなの、ガラじゃない」らしい。コトリは、ひと時の日常の雰囲気に癒された後、カケルの工房へ招かることとなる。

「これなんだ」

 それは、少し前にカケルから見せられた、ゴスから届いたという帝国の武器の写し絵とよく似ている。

 黒い筒状をしていて、かなり大きい。その円筒形の中身を覗くと、人が入れそうなぐらいだ。ゴスによると、火をつけると爆発的な高速度で中身が飛び出る仕組みになっていて、投石器のよう。しかし、以前からクレナにあるそれのよりも、ずっと遠くまで飛ばせることができて、殺傷力も高いらしい。

「早速、帝国の武器を参考に作られたのですか?」

 コトリが尋ねると、カケルは視線を黒い筒に向けたまま答える。

「いや。元々は母が研究していたものなんだ」
「凄いわ。お母様、こんな代物をずっと前からお作りになっていたなんて、先見の目があるというか、発明の才がおありだったのね」
「いや」

 カケルは、珍しく大きな声出した。

「俺も、そうだと思ってた。母上は、こいつの研究に命を懸けていて、文字通り命をこれで散らした。だからこそ、俺が完成させなきゃって思い込んでた。こんなに力のある神具は他にないだろうから、様々な悪意を退ける決め札になるだろうって。でも、ちがった」

 いつもと違うカケルの雰囲気に、コトリも黙り込んでしまう。

「母上は、俺と同じで若い頃から国を出て放浪してたんだ。ソラ王家の特徴でもあるかな。クロガ達の方が、むしろ例外と言えるぐらい。だからきっと母上は、帝国にこういう武器があることを知り、いずれソラが狙われた時に対抗できるようにって、自作できるように研究していたんだろうね。でも、見様見真似で作ったところで、上手くはいかない。当たり前だけど」
「でも、こうしてカケル様が引き継いで、完成させたのでしょう?」
「一応ね。実は、一度だけ実戦に近い事でも使ってる。だけど帝国の武器は、母上が知るものよりもずっと進化を遂げていることだろう。これで、敵うのかどうか。正直自信が無い」

 コトリは、ここに来て初めて、カケルがこの武器を帝国との戦いで使おうとしていることを理解した。

「でも、カケル様。ルリ神はシェンシャンを使い、皆の平和への願いや気持ちを練り上げ、高め、それを神に届ければ良いと仰せだったのだと思うわ」

 カケルの母が死んだ原因にもなったという武器。コトリは、カケルの神具を信頼していないわけではないが、ここに来て誤爆などが起こり、カケルを失ってしまうのではないかと不安になった。もちろん、神の言う通り、奏でだけで大国を退けることなど、夢物語だということは分かっている。それでも、なぜか悪い予感がするのだ。

「お母さまの形見でもある神具の技術。それに私から申し上げることなど何もできないのは分かっています。でも、これだけは約束してくださいませ」

 コトリは、カケルの衣の袖の端を握る。まだ、自分から手を握りにいくような、はしたないことはできない娘なのだ。これが精いっぱい、彼女の想いの伝え方なのである。

「もう、離ればなれは懲り懲りです。私、あなた無しでは……」

 恋焦がれて過ごした長い年月が思い出される。ようやく想いを通わせたものの、カケルへの気持ちはますます強くなるばかり。もしかすると、遠く離れて会えなかった時よりも辛く感じているかもしれない。

 もっと近くで、もっと一緒にと願い、それが本当にこれからも続くのだろうかと考えると、ふと帝国のことが頭をよぎって苦しくなる。後一歩のはずなのに、その着地点は途方もなく遠く、高い壁の向こうにある気がして。果たして、生きてそこへ辿り着けるのか。死そのものの恐ろしさよりも、カケルと再び引き離される別れが待っているかもしれないという不安でいっぱいになってしまう。

 知らぬ間に、目には涙がたっぷり溜まっていた。それを見てしまっては、カケルも動揺せざるを得ない。

「そうだね。まだ一度しか使っていない神具を、いきなり大量生産して実践投入するのは無謀だよね。しかも、これは大型だ」
「考え直してくださるのですか?」

 カケルは、少し迷うそぶりをしたが、結局は頷いた。やはり、コトリが泣くことはしたくない。

「でも、ゴスがこれに似た小型のものをテッコンと試作し始めてるみたいなんだ。それは許してやってほしい」
「こう言ってはお叱りを受けるかもしれませんが、私はカケル様さえご無事でならば、それで良いのです」

 暗に、ゴス達をどうでも良いと言い放つコトリに、カケルはくすりと笑った。

「ありがとう。分かったよ。俺は俺で、他にできることを考えてみる」

 実際に、シェンシャンの奏でが帝国へどうのような影響を及ぼすことになるのか、カケルも想像がつかない。意外と、後世まで伝わる御伽噺になりそうな奇跡が起こるのかもしれないし、そうでないかもしれない。けれど、そんな曖昧で不確かなものに最愛の人の今後を委ねることは、どうしても嫌だった。

 常日頃は、誰よりも神の力を信じ、欲し、操る職人であるのに、コトリが絡むと途端に現実主義者になってしまうのである。

 故にカケルは、やはり、コトリの命だけは自分が守ると心に決めるのだ。
 たとえ、国が、世界が、神が滅んでも、この娘だけは生き残れるように、と。

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