琴姫の奏では紫雲を呼ぶ

山下真響

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138爆発する怒り

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 サヨがヨロズ屋の店裏へ駆け込んできたのは、まだ薄暗い明け方のことだった。

「紫の幹部、全員を招集してちょうだい!」

 隣近所を起こさんばかりの大声が響き渡る。せっかくの美人なのに、青筋が立っていて般若の形相。長い暖簾を押し上げて戸を開けたクジャクも、すぐに只事ではないと気づいてカケルを叩き起こした。

 すぐに、カケル、ハト、ユカリ、チヒロ、ゴス、ラピスが番頭台付近に集まってくる。慌てて出てきたのか、皆寝間着姿の着の身着のままといった状態。サヨは出された白湯にも目もくれず、始終イライラとして人差し指をコツコツと卓の上に叩きつけていた。

「ミズキ様は香山へ向かわれているのでしたね?」

 カケルが確認すると、サヨは頷く。

「では、これで全員でしょう。それで、こんな時間に何事ですか?」

 一大事だと理解してはいるものの、まだ皆用件を聞かされてはいない。サヨは、口元をきゅっと結んで、持っていた風呂敷の包みを解いた。中にあったのは黒い小箱。これは、カケルにもゴスにも大変見覚えのあるものだった。

「まさか」

 以前、カケルがコトリに贈った神具である。

「えぇ。神具が赤くなっています。姫様が、攫われてしまいました」

 そう言うが早いか、サヨが人目も憚らずに泣き崩れてしまった。それ以外は無音。皆、声を失ってしまう。

 いつの間にか、開けっ放しになっていた裏口の扉から、春の寒い風が入ってきた。骨身にまで染みる突き刺さるような冷えが、全員の首元や足首に絡みつき、全身を強張らせていく。

「姫様に危険が差し迫っても、この神具があれば、すぐに気づけるので大丈夫だと思い込んでいました。でも、私の姫様は……。どうすれば、どうすれば……」

 嗚咽が酷くて、サヨの声は聞き取りづらい。

「サヨ様、今は泣いている場合ではありません。もっと詳しく教えてください。いつ、どこで、なぜ、いなくなったのですか? どうして誰もついていなかったんですか?!」

 カケルは、サヨを無理やり立ち上がらせた。そして、手を思いきり振り上げる。サヨは、殴られると思い、反射的に目を瞑った。だが、いつまで経っても痛みはやってこない。

「ソウ様?」

 カケルは、自身の頬を張り倒していたのだった。真っ赤に腫れあがった顔は、悔しさと怒りで煮えたぎっている。同時に、今にも泣きそうなぐらい悲痛な表情だったのだ。

「どうして俺は、一緒にいてやれなかったんだ……」
「え?」

 サヨはソウの反応の意味が分からず、戸惑ってしまう。だが、すぐに他の者からも質問攻めに合ってしまった。サヨはさらに気が動転してしまいそうだ。

「とりあえず、飲んだら?」

 ラピスが言った。サヨは、ようやく白湯に口をつけて、少しずつ落ち着きを取り戻していく。

「姫様がいらっしゃらないことに気づいたのは、今から二刻程前のことです」

 まず、サヨは、園遊会に帝国の使者が突然現れ、彼らからクレナ王への発言権がかなり強まっているのを目の当たりにしたことから、今後について相談すべく、菖蒲殿にいる父親の元を訪ねていた。

 帝国の人間がソラを超えて、クレナへも流入しているとの情報もあり、いよいよ帝国が仕掛けてくることを恐れたためだ。そこで、社で育成中の新兵や、紫に与する各地の私兵団に、警戒するよう文を出し、食糧など物資の支援も行うことを取り決めた。

 各地の武装勢力を強化することは、クレナ王がコトリとの約束を反故にしようとしている事への牽制にもなるかもしれない。

 一方ミズキは、帝国からの侵略に備えて国境付近の監視を強化するため、また、なぜか沈黙したままのワタリの動向を探るために、香山へ出発。それ故、鳴紡殿へ戻った後は、真っすぐにコトリが待つはずの自室へ向かったのだ。ところが、もぬけの殻。

 すぐに女官を叩き起こして、鳴紡殿中を探してまわったが、どこにもいない。他の楽師達にも確認をとるも、コトリの行方は分からぬまま。代わりに、ハナとその傘下の者達までが姿をくらませていたことが判明したのだった。

 こうなると、もう答えは一つしかない。
 コトリは、ハナ達の手引きで鳴紡殿を去ったに違いない。否、連れ去られたことは明らかだ。コトリが、自身の意思で、サヨに伝言も残さずに消えるなんて、ありえないことなのだから。

「姫様の他に、ソウ様に作っていただいたシェンシャンも無くなっていました。おそらくは、一緒に持ち出されたのではないかと」

 コトリを一人にしてしまったのは、サヨの失態だ。帝国の脅威が増して、未だに王がコトリを帝国へ遣ることを諦めていないと判明した時点で、コトリの身も一層危険になっていたというのに。他の楽師の目もあるので、事件など起こりようもないと完全に油断していたのだった。

「姫様が、今どうしてらっしゃるのかと思うと……私、もう死んでも死にきれません」
「勝手に死ぬなよ、お嬢ちゃん」

 サヨが顔を上げると、目の前にはゴスがいた。

「状況的に、まず帝国側へ拉致されたと見て良いだろう。昨夜から紫が調べたところによると、そのハナとかいう女の実家は、未だに唯一王を本物の主と仰ぐ馬鹿貴族らしいじゃないか。それに、帝国には、神具はないが、代わりにえげつない技術や道具もあるらしい。姫さんをこっそり連れ出す術ぐらい持っているんだろうよ」
「そんなことぐらい、私だって知ってます!」

 いかにも職人気質といった庶民臭い親父に話しかけられ、サヨの鼻息は荒い。やや、いつもの調子が戻ってきた。

「それなら、どうするかなんて、一つしかないだろう。さっさとヨロズ屋と紫の伝手を使って、国内の街道という街道、あらゆる道に関を設けるんだ。まだ姫さんはクレナの中にいるかもしれない。まずは帝国へ身柄を移させないことだ。そして、菖蒲殿にもその手の組織があるんだろう? 目撃情報を集めて、居場所を探る。この際、何人殺してもいい。手段は選ばず、必ず姫を奪還するんだ」
「あなた……」

 ゴスの言葉に驚くサヨ。思いの外、過激な思想が飛び出してきた。頼もしいのか、不安が増えたのか、よく分からなくなりつつも、少しずつ気持ちを整えていく。

 そうだ。悲観するのは、まだ早い。もう、コトリと二度と会えなくなるわけではないのだ。まだ行方不明になってからそれ程時間は経っていない。コトリ自身も、皇帝の妃候補である以上、粗雑な扱いはされていないと信じたいところ。

「その通り。コトリは必ずこの手に取り戻す。そのためにも、先に諸悪の根源を潰しておく必要があるな」

 カケルは、もはや怒りを通り越して笑みすら湛えていた。目が合うと、それだけで殺されそうな気配すら放たれている。

「父のことですね?」

 ユカリがおそるおそる話しかけた。

「いっそのこと、この機会に殺るか?」

 ハトも、何でもないことのように言う。先日、ソラから戻ってきた彼は、未だにピリピリした雰囲気を崩していないのだ。

「今いなくなっても、誰も困らないですしね。むしろ、せいせいするわ」

 隣に立つユカリは、賛成するかのように大きく頷く。何とも物騒な夫婦だ。

 そこへ、思い切ったように深く息を吸い込んで、一歩前出る者がいた。チヒロだ。彼女は、自分が庶民の代表であるという自負がある。

「駄目です。まだ、死なせはしません! どれだけの民が苦しめられ、どれだけの民があの王のせいで死んできたことか。簡単に殺しては、楽をさせてしまいます。絶対に、苦しめて、苦しめて、苦しませまくった末に、この世で一番非情なやり方で殺してやりたい」

 チヒロの頭の中では、救えなかった身内、王の配下にいたぶられた仲間、死んでいった友など、様々な顔が浮かんでは消える。彼らの墓前で、胸を張って報告できるだけの最期を王にはくれてやらねば気が済まないのだ。

「同意する」

 カケルも告げる。

「そもそもクレナ王は、コトリのことに関わらず、元々非情で冷酷で危険な王だった」

 クレナ王が、身内を殺し尽くして現在の地位を得ている経緯は、ソラでもよく知られていることなのだ。

「それに、最近では新年の宴でのことと言い、娘との約束を守れないことも、ソラと築き上げてきた歴史を無視すること、神具や神をいたずらに軽んじること、そもそもコトリというあれ程までに美しくも優しく、才能あふれる娘を道具扱いして、野蛮な大国へ嫁がせようとするなど、何をとっても決して許されぬ、ありえない事ばかりだ!」

 カケルや、ずっと自分の中に溜め込んできた不満を爆発させる。チヒロやラピスは、いよいよ身体を縮こませて後ずさりを始めた。

「俺は思う。これでもかという程、徹底的な制裁を加えてから、じっくり確実になぶり殺してやる。これには、コトリ姫の意見も聞かねばなるまいな。だから、まだ命はとらずおいてやろう。だが、カツの影は向かわせる。正月同様、生き地獄を味あわせてやればいい」

 サヨは、またもやきょとんとしていた。今日のソウは、どこかおかしい。彼は、もっと温厚で、どちらかと言えば争い事を好まぬ雰囲気だったはず。それが、こんなにも荒ぶるなんて。しかも、上に立つ人物らしい、威厳すら滲み出ている。なぜか、頭を下げたくなるような、そんな気で溢れているのだ。

 さらには、いくつかの疑問も湧き出ていた。正月の王の様子など、なぜ都に店を構える商人のソウが知っているのだろうか。そして、カツとは、確かソラ王の弟の名前。腕の良い神具師であり、諜報に秀でた組織を率いているとの噂がある。そんな高貴な人物を、どうして呼び捨てにできるのか。

「あの、ソウ様。いくつかお尋ねしたいことが」

 カケルは、サヨの声で我に返った。咄嗟に口元を手で覆うも、出した言葉は戻らぬもの。

「ソウ様は、なぜ……」

 カケルは、ふっと溜息をつく。

「サヨ様、いろいろとすまない」

 カケルが他の面々に目配せすると、一瞬、空気が緩んだ。一同、やっとか、という本音を内心漏らしている。

「私は、ソラの王、カケル。ずっと騙していてすまなかった」
「え」
「けれど、これだけは信じてほしい。ずっと、ずっと、ずっとコトリを想い続けてきた。なのに、みすみす帝国に奪われることになり、誰よりも自分自身が憎くてたまらない。だが、絶対にコトリは助けてみせる。命に代えてもな」

 サヨは、もはや気を失いそうになっている。
 前日から寝ていないのだ。決戦の舞台である園遊会の演奏を乗り越え、菖蒲殿で当主である父親と謁見し、鳴紡殿をひっくり返す騒ぎでのコトリ探し。そして、最後に現れたのが、商人ではなく、一国の王。

 ソウには、これまで何度も威圧的になってしまった。まさか、長きにわたって王族を顎で使っていたなんて。これ程の非礼、もはや頭を下げてどうにかなるようなものではない。

 もう、気持ちも身体も、ついていけそうにはなかった。こう見えて、サヨもまだ、か弱い若い娘なのだから。

「大丈夫。そなたの主のことは心配するな」

 その声を最後に、サヨの視界は黒く塗りつぶされる。
 意識を失って、倒れたのだ。


    
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