96 / 214
96暴徒化する流民
しおりを挟む
流民達の数は多い。楽士団を守る衛士達は、すぐに己の不利を悟って逃げ出してしまった。残るは、か弱い旅装の女達だけである。
コトリ達から離れた辺りで、数人の悲痛な叫び声が聞こえた。馬車から一部の楽師達が引きずり降ろされたようなのだ。直後、何やら言い争いが始まる。
「何か交渉しているのかしら?」
「たくましい方もいらっしゃるものね」
コトリ達は囁き声で語り合う。
どうにか、流民達に楽師を襲わないよう説得してもらえないだろうか。もしくは、誰か助けに来てもらえないだろうか。
しかし、そんな願いは打ち砕かれた。
「この馬車か?」
「そうよ、この中に良いのがいるわ。勝手に、連れていきなさい。その代わり、他は手出ししないこと。いいわね?」
乱暴に御簾が引きちぎられる。馬車が少し傾いた。馬も怯えているのか、たたらを踏んで不安定になっている。コトリ達は身を寄せ合って震えていた。
いかにも悪事に手を染める事を生業としていそうな凶相の男達が、舐めるように女達を眺めて値踏みする。その傍らにいたのは、ハナの傘下にいる楽師だ。常日頃からコトリ達を酷く敵対視している女である。今、まさに、仲間を売ろうとしているところだった。
「あの子がいいと思うわ。あの、赤髪の子。珍しい色だから高く売れるわよ」
指を差されたコトリは、一瞬意味が分からなかった。クレナにおいて、人の売り買いは禁止されている。その隣で、サヨは鬼の形相となっていた。
「この御方が誰だと思って……!」
放っておけば、正体は王女だと明かしかねない。そう思ったコトリは、サヨの手を掴んで目配せをした。
コトリもこういった手合いには不慣れだが、完全に初めてというわけではない。以前、都の端でシェンシャンの演奏を披露した際も、貧しい民から泥を投げられたことがあったのだ。こういう時は、怯んだ方が隙を見せてしまう。なるべく冷静になろうと気合を入れた。
それに何より、こんなところで身売りするわけにはいかないのだ。コトリは、カケルの姿、その声を頭の中で必死で呼び起こしては、息を深く吸う。彼に求められた通り、彼の元へ行くまでは絶対に誰かのものにはなりたくなかった。
「そこの者、私と話をしたいのね。特別に聞いて差し上げましょう」
コトリは、敢えて余裕の笑みを浮かべてみる。
「サヨ、赤の巾着と黒の巾着の中身を器に入れてお出しして」
ここは、王女時代に培った立ち振る舞いや風格を武器に、毅然とした態度で相手を圧倒すべきなのだ。こういう小物は、案外そういうものに弱い。
サヨは戸惑っていたが、すぐに言われた通りの物を用意した。朱塗りの器二つにそれらを入れて、コトリへ手渡す。コトリは馬車から外へ出た。
「まとめ役は貴方かしら? さ、欲しい方を選びなさい」
「ふざけるな!」
男の一人が、コトリの手にあった物を叩き落とす。ただの菓子だと勘違いしたのだ。中にあったもの――――銭と黒糖の塊は、無残にも土の上へ散らばった。
「お前はこれから輪姦されて売られるんだよ」
「お貴族様は命乞いもできねぇのか」
「そんな誤魔化しには乗らないぞ。せいぜい、ぴーぴー泣きやがれ」
コトリは眉をひそめて、盛大に溜息をつく。
「あら、せっかくどちらかを差し上げようかと思っていたのに」
何か物を買いたいのであれば銭を、すぐにも食べる物に困っているのであれば、菓子でもあり薬ともされている黒糖を分けてやろうと思っていたのだ。何も、王家の定めた律令に反して、人買いに落ちることはないだろうと、コトリなりに配慮したのである。
けれど、そんな心配りが通じる相手ではなかった。
ついに、一人がコトリへ覆いかぶさろうとする。コトリは、もはやこれまでかと諦めて強く目を閉じた。その時。
「何だこれは?!」
気づくと、目の前にいたはずの男は、熱い、痛いと喚きながら地面の上をのたうち回っているではないか。体には黒い紐が何重にも巻き付いていて、煤けた臭いが立ち昇っている。どこか既視感のある光景だ。
コトリは、自らの腕につけてあった神具を見下ろした。先日ラピスから受け取って、その場でつけさせられたもの。ほんのりと熱を帯びている。どうやら、これがコトリから危険を遠ざけてくれたらしい。
そういえば、ヨロズ屋はソラと関係の深い店である。ソラのカケル王子が使っていたのと同じ神具を取り扱っていてもおかしくはない。コトリは、なぜかカケルに守られたような気持ちになって、急に元気が湧いてきた。
そして、窮地を抜け出す策を思いつくのである。
コトリは、重々しく言い放った。
「私達に指一本でも触れてみなさい。皆、こうなってしまうわよ?」
この神具を持っているのはコトリ一人。つまり、完全なるハッタリなのだが、流民達には相当な衝撃を与えていたらしく、低いどよめきが広がっていった。
コトリは確かな手応えを感じていた。このまま、楽士団の一行から手を引いてもらうのを待つのも一手である。しかし、また別の旅人や商人が彼らに狙われてしまっては後味が悪い。そこで、まとめ役らしき男へ向き直った。
「それで、貴方達はどうして私達を襲ったの? とても困っているのでしょう?」
視界の端では、流民の子供達が必死に落ちていた銭と黒糖を拾い上げている。
「もういい。こっちの気が変わらないうちに早く行っちまえ」
男は、視線を反らして吐き捨てるように言った。本当は、不気味な武器を持っている楽師が恐ろしく、自らの命が惜しくて怯えているのは見え見えなのだが、流民にも挟持のようなものがあるのかもしれない。コトリは小さく笑うと、言い返す。
「そうなの? せっかく良い情報を教えてあげようと思ったのに」
男は既に背中を向けていたが、ぴたりと足が止まる。
「人の好意を無碍にするのは失礼になるよな」
コトリは、ふと、先日顔合わせしたミズキの仲間の一人、ハトと同じ匂いを感じてしまった。もしかすると、この男も元貴族なのかもしれない。
「その通りよ。では、よく聞きなさい」
そこからコトリが語り始めたのは、流民達にとって目から鱗な話であった。
コトリ達から離れた辺りで、数人の悲痛な叫び声が聞こえた。馬車から一部の楽師達が引きずり降ろされたようなのだ。直後、何やら言い争いが始まる。
「何か交渉しているのかしら?」
「たくましい方もいらっしゃるものね」
コトリ達は囁き声で語り合う。
どうにか、流民達に楽師を襲わないよう説得してもらえないだろうか。もしくは、誰か助けに来てもらえないだろうか。
しかし、そんな願いは打ち砕かれた。
「この馬車か?」
「そうよ、この中に良いのがいるわ。勝手に、連れていきなさい。その代わり、他は手出ししないこと。いいわね?」
乱暴に御簾が引きちぎられる。馬車が少し傾いた。馬も怯えているのか、たたらを踏んで不安定になっている。コトリ達は身を寄せ合って震えていた。
いかにも悪事に手を染める事を生業としていそうな凶相の男達が、舐めるように女達を眺めて値踏みする。その傍らにいたのは、ハナの傘下にいる楽師だ。常日頃からコトリ達を酷く敵対視している女である。今、まさに、仲間を売ろうとしているところだった。
「あの子がいいと思うわ。あの、赤髪の子。珍しい色だから高く売れるわよ」
指を差されたコトリは、一瞬意味が分からなかった。クレナにおいて、人の売り買いは禁止されている。その隣で、サヨは鬼の形相となっていた。
「この御方が誰だと思って……!」
放っておけば、正体は王女だと明かしかねない。そう思ったコトリは、サヨの手を掴んで目配せをした。
コトリもこういった手合いには不慣れだが、完全に初めてというわけではない。以前、都の端でシェンシャンの演奏を披露した際も、貧しい民から泥を投げられたことがあったのだ。こういう時は、怯んだ方が隙を見せてしまう。なるべく冷静になろうと気合を入れた。
それに何より、こんなところで身売りするわけにはいかないのだ。コトリは、カケルの姿、その声を頭の中で必死で呼び起こしては、息を深く吸う。彼に求められた通り、彼の元へ行くまでは絶対に誰かのものにはなりたくなかった。
「そこの者、私と話をしたいのね。特別に聞いて差し上げましょう」
コトリは、敢えて余裕の笑みを浮かべてみる。
「サヨ、赤の巾着と黒の巾着の中身を器に入れてお出しして」
ここは、王女時代に培った立ち振る舞いや風格を武器に、毅然とした態度で相手を圧倒すべきなのだ。こういう小物は、案外そういうものに弱い。
サヨは戸惑っていたが、すぐに言われた通りの物を用意した。朱塗りの器二つにそれらを入れて、コトリへ手渡す。コトリは馬車から外へ出た。
「まとめ役は貴方かしら? さ、欲しい方を選びなさい」
「ふざけるな!」
男の一人が、コトリの手にあった物を叩き落とす。ただの菓子だと勘違いしたのだ。中にあったもの――――銭と黒糖の塊は、無残にも土の上へ散らばった。
「お前はこれから輪姦されて売られるんだよ」
「お貴族様は命乞いもできねぇのか」
「そんな誤魔化しには乗らないぞ。せいぜい、ぴーぴー泣きやがれ」
コトリは眉をひそめて、盛大に溜息をつく。
「あら、せっかくどちらかを差し上げようかと思っていたのに」
何か物を買いたいのであれば銭を、すぐにも食べる物に困っているのであれば、菓子でもあり薬ともされている黒糖を分けてやろうと思っていたのだ。何も、王家の定めた律令に反して、人買いに落ちることはないだろうと、コトリなりに配慮したのである。
けれど、そんな心配りが通じる相手ではなかった。
ついに、一人がコトリへ覆いかぶさろうとする。コトリは、もはやこれまでかと諦めて強く目を閉じた。その時。
「何だこれは?!」
気づくと、目の前にいたはずの男は、熱い、痛いと喚きながら地面の上をのたうち回っているではないか。体には黒い紐が何重にも巻き付いていて、煤けた臭いが立ち昇っている。どこか既視感のある光景だ。
コトリは、自らの腕につけてあった神具を見下ろした。先日ラピスから受け取って、その場でつけさせられたもの。ほんのりと熱を帯びている。どうやら、これがコトリから危険を遠ざけてくれたらしい。
そういえば、ヨロズ屋はソラと関係の深い店である。ソラのカケル王子が使っていたのと同じ神具を取り扱っていてもおかしくはない。コトリは、なぜかカケルに守られたような気持ちになって、急に元気が湧いてきた。
そして、窮地を抜け出す策を思いつくのである。
コトリは、重々しく言い放った。
「私達に指一本でも触れてみなさい。皆、こうなってしまうわよ?」
この神具を持っているのはコトリ一人。つまり、完全なるハッタリなのだが、流民達には相当な衝撃を与えていたらしく、低いどよめきが広がっていった。
コトリは確かな手応えを感じていた。このまま、楽士団の一行から手を引いてもらうのを待つのも一手である。しかし、また別の旅人や商人が彼らに狙われてしまっては後味が悪い。そこで、まとめ役らしき男へ向き直った。
「それで、貴方達はどうして私達を襲ったの? とても困っているのでしょう?」
視界の端では、流民の子供達が必死に落ちていた銭と黒糖を拾い上げている。
「もういい。こっちの気が変わらないうちに早く行っちまえ」
男は、視線を反らして吐き捨てるように言った。本当は、不気味な武器を持っている楽師が恐ろしく、自らの命が惜しくて怯えているのは見え見えなのだが、流民にも挟持のようなものがあるのかもしれない。コトリは小さく笑うと、言い返す。
「そうなの? せっかく良い情報を教えてあげようと思ったのに」
男は既に背中を向けていたが、ぴたりと足が止まる。
「人の好意を無碍にするのは失礼になるよな」
コトリは、ふと、先日顔合わせしたミズキの仲間の一人、ハトと同じ匂いを感じてしまった。もしかすると、この男も元貴族なのかもしれない。
「その通りよ。では、よく聞きなさい」
そこからコトリが語り始めたのは、流民達にとって目から鱗な話であった。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑
岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。
もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。
本編終了しました。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛
らがまふぃん
恋愛
こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。
*らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる