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73ミロクとシェンシャン
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その夜から、一日二回のまともな飯にありつけることになったミロク達。それにはいくつかの幸運が偶然重なった結果だった。
まず、組織の中でも上位の者と出会えたこと。たまたま米屋の裏手で声をかけたのが、ハトだったのだ。
一番目はコトリ、二番目はミズキ。そして三番目がハトという序列であるが、実質的にはハトが組織を仕切っているのである。お陰で、他の構成員らからの洗礼を受けたりすることもなく、即日組織に迎え入れられる事となった。
次に、ミロク達の追い風となったのは、鮮やかな布だ。ハトに問いただされて、布の出処や加工方法なども洗いざらい話すことになってしまったが、それを罵られたり、蔑まれたりすることもなかった。同時に、褒められることもなかったのだが、何かがハトの琴線に触れたらしく、その布は「使える」と判断されたらしい。
そして、シェンシャンの腕。ミロクは本人が話していた通り、弾けないことはない、という程度の腕だ。幼い頃、祖父がどこからか貰ってきたというシェンシャンを酒の席で弾いたことがあり、それを見様見真似で試したことがあったのだ。
幸い、ミロクは物覚えが悪くない。字も読めはしないが、何度か聴いた旋律は音程を含めて丸暗記することができる。組織の人間の手解きを受けると、つっかえながらも定められた音を出せるようになった。
なぜ、シェンシャン。という疑問は大きかったが、小難しいハトの話はさておき、いざ真面目に取り組み始めてみると、楽器というものは面白いものなのである。
思っていた通りの音が鳴る。それだけで、何かを達成したような気になれる。音が繋がって旋律になる。しばらくすると慣れてきて、拍子のついた音楽になる。初めは、自らの奏でた音など、必死すぎて聴く余裕がなかったが、ある時から他人事のように耳を傾けられるようになり、途端に楽しくなってくるのだ。
指は、すぐに潰れた。元々ごつごつとした指だが、先が平らになって、もう水に濡れても痛くはない。赤く腫れていたところも分厚い皮に覆われて、すっかり奏者らしい手指になった。
ハトに言わせれば、未だ基本のきの字に届いたかどうか、というところらしい。これだけ弾いても、まだその程度にしかならないのかと落胆する気持ちもあるが、なぜか腹は立たなかった。どちらかといえば、俄然やる気が出てきて、いつかハトを見返してやりたいとさえ思えてくる。それだけ、シェンシャンにはミロクを夢中にさせるものがあったのだ。
村では、何をやっても駄目だった。出来る出来ないではなく、やる気が続かず、自分には向かないということだ。けれど、シェンシャンならば、のめり込める。音を奏でることに満足しつつも、不満を抱えて、もっと綺麗な音を出せないか、もっと淀みなく奏でられないか、と挑戦を繰り返すのだ。
しかも、これで飯にありつけるのだから、なおさら懸命に稽古するのは当たり前かもしれない。仲間二人は時折音を上げそうになっていたが、ミロクだけは日々シェンシャンへ真剣勝負を挑んでいた。
そんな折、都で最も大きな社で祭りが行われた。今年は、そこで王女コトリの奏でが披露されると言う。ミロクはハトと共に社の境内へ向かった。
圧巻だった。
ミロクは、コトリそのものと、奏での神々しさに魅せられて、自らもシェンシャンの腕を上げたいとますます願うようになっていった。
ハトは言う。
「あそこまで上手くなれとは言わない。だが、あれを知ると知らぬでは、人生が、いや、国が変わってくるんだ」
シェンシャンの音は神の声であり、恵みであるらしい。ミロクは、ハトの説明が不思議と腑に落ちた。
これまでは、正直、神なんて存在は信じられなかった。人が死にすぎた。食い物がなさすぎた。税や兵を徴収する官吏はいつも理不尽で、無慈悲。村人の目は生きながらに死に、心も荒び、この世には絶望しか無いと諦めるだけ。
けれど、コトリの奏でを聴き、その音を浴びてから後は、何かを感じることとができた。少なくとも神は本当にいるらしいと思えるようになったのである。ミロクが耳にした奇跡の音は、それ程の衝撃があったのだ。
やがて、ミロクの仲間二人は、シェンシャン奏者としての精鋭部隊からは離れることとなる。一人は、菖蒲殿からもたらされる物資の管理の補助員となり、もう一人はハトやコトリの護衛、見守りに回された。以前からの知り合いと引き離されて、不安になるかと思えばそうでもない。ミロクは、与えられたシェンシャンを抱えると自然と心が落ち着くのだ。
自分は、王女のような天賦の才は無い。だが、自らの武器となり得ることは確信していた。そして、これを使って成さねばならぬことがあると、直感的に理解していたのである。
社での祭りの後は、ハトが屋敷を空けることが多くなっていった。どうやら、楽師としてソラへ行ったミズキが帰国してくるという。それに伴い、何か近々大きな発表があると聞かされているので、それに関する段取りで忙しいのだろう。
さらには、ミロクの故郷よりも田舎の地域で、暴動が起きている場所が何箇所もあるという話もあった。何でも、王子の一人が各地に点在する文化的な遺産を根こそぎ強奪しようと企んでおり、それは社の御神体にまで及ぶこともあるらしい。神の祟にあうことを恐れて抵抗するも、敢え無く失ってしまった村々は、早速作物が凶作となっているとか。
それらは、ハトやミロク達と直接は関係のない者達の蜂起であるが、国や王家に物申したいという点では組織と共通する。とても他人事と看過できぬ事態なのだ。ハトは、手の者を各地へ送り出して、情報を集めようとしていた。
慌ただしい屋敷の中、ミロクは精神を研ぎ澄ませてシェンシャンを握る。いよいよこの国が、本格的に狂い始めたのを肌で感じていた。
まず、組織の中でも上位の者と出会えたこと。たまたま米屋の裏手で声をかけたのが、ハトだったのだ。
一番目はコトリ、二番目はミズキ。そして三番目がハトという序列であるが、実質的にはハトが組織を仕切っているのである。お陰で、他の構成員らからの洗礼を受けたりすることもなく、即日組織に迎え入れられる事となった。
次に、ミロク達の追い風となったのは、鮮やかな布だ。ハトに問いただされて、布の出処や加工方法なども洗いざらい話すことになってしまったが、それを罵られたり、蔑まれたりすることもなかった。同時に、褒められることもなかったのだが、何かがハトの琴線に触れたらしく、その布は「使える」と判断されたらしい。
そして、シェンシャンの腕。ミロクは本人が話していた通り、弾けないことはない、という程度の腕だ。幼い頃、祖父がどこからか貰ってきたというシェンシャンを酒の席で弾いたことがあり、それを見様見真似で試したことがあったのだ。
幸い、ミロクは物覚えが悪くない。字も読めはしないが、何度か聴いた旋律は音程を含めて丸暗記することができる。組織の人間の手解きを受けると、つっかえながらも定められた音を出せるようになった。
なぜ、シェンシャン。という疑問は大きかったが、小難しいハトの話はさておき、いざ真面目に取り組み始めてみると、楽器というものは面白いものなのである。
思っていた通りの音が鳴る。それだけで、何かを達成したような気になれる。音が繋がって旋律になる。しばらくすると慣れてきて、拍子のついた音楽になる。初めは、自らの奏でた音など、必死すぎて聴く余裕がなかったが、ある時から他人事のように耳を傾けられるようになり、途端に楽しくなってくるのだ。
指は、すぐに潰れた。元々ごつごつとした指だが、先が平らになって、もう水に濡れても痛くはない。赤く腫れていたところも分厚い皮に覆われて、すっかり奏者らしい手指になった。
ハトに言わせれば、未だ基本のきの字に届いたかどうか、というところらしい。これだけ弾いても、まだその程度にしかならないのかと落胆する気持ちもあるが、なぜか腹は立たなかった。どちらかといえば、俄然やる気が出てきて、いつかハトを見返してやりたいとさえ思えてくる。それだけ、シェンシャンにはミロクを夢中にさせるものがあったのだ。
村では、何をやっても駄目だった。出来る出来ないではなく、やる気が続かず、自分には向かないということだ。けれど、シェンシャンならば、のめり込める。音を奏でることに満足しつつも、不満を抱えて、もっと綺麗な音を出せないか、もっと淀みなく奏でられないか、と挑戦を繰り返すのだ。
しかも、これで飯にありつけるのだから、なおさら懸命に稽古するのは当たり前かもしれない。仲間二人は時折音を上げそうになっていたが、ミロクだけは日々シェンシャンへ真剣勝負を挑んでいた。
そんな折、都で最も大きな社で祭りが行われた。今年は、そこで王女コトリの奏でが披露されると言う。ミロクはハトと共に社の境内へ向かった。
圧巻だった。
ミロクは、コトリそのものと、奏での神々しさに魅せられて、自らもシェンシャンの腕を上げたいとますます願うようになっていった。
ハトは言う。
「あそこまで上手くなれとは言わない。だが、あれを知ると知らぬでは、人生が、いや、国が変わってくるんだ」
シェンシャンの音は神の声であり、恵みであるらしい。ミロクは、ハトの説明が不思議と腑に落ちた。
これまでは、正直、神なんて存在は信じられなかった。人が死にすぎた。食い物がなさすぎた。税や兵を徴収する官吏はいつも理不尽で、無慈悲。村人の目は生きながらに死に、心も荒び、この世には絶望しか無いと諦めるだけ。
けれど、コトリの奏でを聴き、その音を浴びてから後は、何かを感じることとができた。少なくとも神は本当にいるらしいと思えるようになったのである。ミロクが耳にした奇跡の音は、それ程の衝撃があったのだ。
やがて、ミロクの仲間二人は、シェンシャン奏者としての精鋭部隊からは離れることとなる。一人は、菖蒲殿からもたらされる物資の管理の補助員となり、もう一人はハトやコトリの護衛、見守りに回された。以前からの知り合いと引き離されて、不安になるかと思えばそうでもない。ミロクは、与えられたシェンシャンを抱えると自然と心が落ち着くのだ。
自分は、王女のような天賦の才は無い。だが、自らの武器となり得ることは確信していた。そして、これを使って成さねばならぬことがあると、直感的に理解していたのである。
社での祭りの後は、ハトが屋敷を空けることが多くなっていった。どうやら、楽師としてソラへ行ったミズキが帰国してくるという。それに伴い、何か近々大きな発表があると聞かされているので、それに関する段取りで忙しいのだろう。
さらには、ミロクの故郷よりも田舎の地域で、暴動が起きている場所が何箇所もあるという話もあった。何でも、王子の一人が各地に点在する文化的な遺産を根こそぎ強奪しようと企んでおり、それは社の御神体にまで及ぶこともあるらしい。神の祟にあうことを恐れて抵抗するも、敢え無く失ってしまった村々は、早速作物が凶作となっているとか。
それらは、ハトやミロク達と直接は関係のない者達の蜂起であるが、国や王家に物申したいという点では組織と共通する。とても他人事と看過できぬ事態なのだ。ハトは、手の者を各地へ送り出して、情報を集めようとしていた。
慌ただしい屋敷の中、ミロクは精神を研ぎ澄ませてシェンシャンを握る。いよいよこの国が、本格的に狂い始めたのを肌で感じていた。
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