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38・全てがうまくいっている、はず

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 月曜の朝は少しだけ早めに起きて化粧した。私は化粧台を持っていない。洗面台についている鏡で、出来栄えをチェックしていると、化粧せずとも麗しいお顔のお化けが近づいてきた。

「結恵、とてもよく似合ってるよ。でも、いいのかい?」
「何が?」

 小百合は「痛い目に合わないといいのだけどねぇ」と言いながら、私のお弁当を大きなハンカチで包んでくれた。今朝も小百合は作ってくれたのだ。

 小百合に全てを打ち明けたのは、土曜の夜のことだった。森さんが張り切ってくれたこと。竹村係長が思いのほかカッコよかったこと。ファッションショーは目玉が飛び出るほど凄かったこと。これはちょっと話を盛りすぎたか。そして千尋さんと偶然再会したこと。帰りに新田くんにキ、キ、キスされたこと。

「新田の坊ちゃんも意気地が無いねぇ。その程度じゃ、うちの結恵はやれないよ」

 小百合はこんなコメントをしていたけれど、私は小百合の娘になった覚えはない。







 職場に着くと、竹村係長はいつも通り先に出勤していた。私がパソコンの電源を入れると、向こうから声をかけてきた。

「おはよう。もう、いつも通りだな」
「おはようございます」

 この人、目が悪いのではなかろうか。今日の私は金曜日に森さんにしてもらったメイクを真似ている上、新品の口紅を塗っている。いくら朴念仁でもこの変化を拾えないどころか、『いつも通り』なんてどの口が言うか。でも、奴だから仕方がないか。これも、私のことを使い捨ての部下だと思っている良い証拠だ。

 私は社員番号とパスワードを入力して社内ネットワークにログイン。イントラネットで社内通達の最新情報をチェックしていると、営業部の辺りで何かの気配があった。顔をあげると、ちょうど新田くんが出勤してきたところ。

「のりちゃん、おはよう!」
「おはよう!」

 新田くんは意味ありげに頷いている。きっと、口紅に気づいてくれたのだろう。私はそれに笑顔で応え、口パクで「ありがとう」を伝えた。

 私にとって、この口紅はお守りだ。いよいよイベントが近づいてますます忙しくなる中、難しい案件が山積みでも、後輩がミスを連発しても、上司が嫌な奴でも、これがあれば大丈夫。

 私は無意識に額へ手を当てていた。顔というのは、手指と同じかそれ以上に皮膚接触に敏感。小百合の言うように、あの夜新田くんがしたのはキス未満のお子様な行為だったかもしれないけれど、私にとっては未知の世界への扉が開いた瞬間だった。そして、私を『女の子』にしてくれた。

 もちろん勘違いはしていないつもりだ。おそらく新田くんはちょっと魔が差したのか、女子力が低すぎる私を見るに見かねて手を差し伸べてくれたのだろう。竹村係長と違って女の子のエスコートもスマートな新田くんならば、付き合っている彼女もいるかもしれないし。ただ、私にとって彼は特別な存在になってしまった。誰にも、小百合にさえ言えない大切な秘密。私を窮地から救って、魔法をかけてくれたヒーロー。好きかと問われればイエスでもありノーでもある。そんな判断すら許されないと感じてしまうほど、手を合わせて拝みたくなるような有難いお方だ。

 この秘密、せめてイベントが終わるまでは私を守って、支え続けてくれますように。祈るようにして一度目を閉じると、私は一気に仕事モードへとギアチェンジした。










 となると、早速隣のオジサンと話し合わねばならなくなる。私はフルティアーズ様の新年交歓会で思いついたアイデアを話した。竹村係長は私の声にじっと耳を傾ける。そして、昼から予定されていた第三回運営事務局会議の議題として取り上げることを許可してくれた。

 その後は、イベント当日の社員スタッフの配置や業務内容について考えを巡らせる。説明会は二月下旬。それまでにマニュアルは完成させねばならない。三月中旬には副社長の案でスタッフ全員がお揃いで着るカーディガンを支給することになっている。そのサイズ合わせも行わなければないとなると、社史の制作も今月一月中にかなり進めておかないと間に合わなくなるだろう。

 社員スタッフの多くは女性が起用される見込みだ。やはり、受付や会場案内は脂の乗ったオジサンよりもお姉さんの方が招待客にも受けることはまちがいない。となると、あの方とも一緒に仕事することになる。岸部さん達だ。果たして、私が自分より目上の人や私と敵対する人の上に立って、仕事を指示することができるのだろうか。

 お先真っ暗。






 昼からの運営事務局会議では、無事に私の案が採用された。社史のような冊子を制作することも承認されて、インタビューは副社長付き添いの上で私が直接社長と話すことが許可された。

 さらには、竹村係長からこんな通告がなされた。

「紀川。今後、社史に関して僕は担当を外れることになった。他にもすることがたくさんあるしな。これからは高山課長と副社長を含めた三人のプロジェクトとして認識するように」

 これで、嫌な奴と関わる機会が少し減るというもの。せいせいする。

 そう、全てがうまくいっているはずだ。それなのに、なんでこんなにもブルーなのだろう。

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