魔風恋風〜大正乙女人生譚

キネマ会社④

　キネマ会社の人は公威さんに挨拶し、彼の案内で私たちは再び歩き始めた。
　奥にある大きな建物の一角に所長室はあった。

「お忙しい中を、ありがとうございます」
　所長さんは丁寧に頭を下げられ、「いきなりではございますが」と、キネマ会社の状況等を話し始める。
「現況、全国津々浦々から、自薦他薦の写真が続々と集まっており、美人審査を行っている状況です」

　母は、律子にその気がないことを丁寧に説明し、母が言葉に詰まると、公威さんが上手く母の説明を整理してまとめてくれる。
　とうとう所長さんは諦めたようだった。

「……わかりました。お嬢様がもし、我が社に来てくださるとすれば、主演女優待遇で育てさせてもらうつもりでしたが。しかし、無理に、というわけにはいきませんね」

　だが、律子を勧誘した人は諦めきれない様子だ。
「所長、淡路さんのお嬢様のようなスタァ候補は中々見つかりませんよ」

　彼は、さらに急に思いついたように言った。
「こちらのお嬢様は、いかがですか？ いや、改めて今日お会いして、こんな麗人もいらしたのか、とびっくりしております」

　それまで黙って頷いていた公威さんが、ぴしゃりと言い放つ。
「それは駄目です。この方は、私が先に契約していますから」

「契約？」
「この方と一緒に、私は今後キネマを作る予定でいます。題名は『愛妻物語』とでも」
　公威さんは、にこりともせず大真面目な口調である。

　所長さんと会社の人は、一瞬戸惑った様子だったが、すぐに「なるほど」と、声を合わせて笑った。
　私は笑うどころではなかった。恥ずかしくて、この場から消えたくなる。

　扉をノックする音がして、「失礼いたします」という若い男性の声と共に、扉が少し開けられた。
「所長、喜代栄きよゑさんがお越しですが、よろしいでしょうか」

「ごめん下さいませ、……あら！ 合原様！」
　女性のよく通る声がする。