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間一髪

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 俥から降りた私と千代は、自然と手を取り合った。
 俥屋さん達は終始無言だったが、帰る段になってようやく、「何事もなくて良うござんした」と、白い歯を見せ笑ってくれた。

「お母様、婆や、りっちゃん!」
 玄関戸を叩きながら、私は叫ぶ。
 家の中で物音と話し声がして、引き戸が開いた。

「文子さん! 千代!」
 母は驚きの顔で、しかしそれ以上何も言わず、私達を抱えるようにして中に入れてくれた。婆やは、ピシャと音を立てて玄関を閉めた。

「お姉様、まさか、もう帰ってくるなんて!」
 律子は両手を口に当てて驚いたように言うが、その姿は嬉しそうにすら見える。

「ごめんなさい、あちら合原の人には、何も言わずに逃げてきました」
「逃げてきた?」
 婆やが咎めるように言ったので、千代が慌てて答えた。
「文子様に逃げようって言ったのは私です。屋根を伝って逃げてきてしまいました」

「まあ!」
「お母様、私が決めたのです。千代は、私があまりにも辛そうだったから言ってくれただけ。千代に感謝しています。千代がいなければ、無事に帰ってこれなかったし」

「とにかく、中でお話を」
 私達が廊下を歩き始めたそのとき、玄関戸を激しく叩く音がした。
 私達は全員、硬直したように立ち止まる。

「文子さん、あなたは先に奥へ。千代、律子、文子さんと一緒に行ってあげて」
 母はまなじりを決して、きりりとした調子で言った。

「はい、どなた?」
 落ち着きはらった婆やの声に、戸を叩く音が止み、
「合原の使いの者です」
 という若い男性の声がする。

「文子なら、無事に帰ってきております。ご心配おかけ致しまして、申し訳ございません。ご主人様には、改めましてご挨拶に伺います、とお伝え願えますか?」
 戸を閉めたまま、母は声を張った。

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