姫の歳月〜貴公子に見染められた異形の姫は永遠の契りで溺愛される

首筋に残る梅の花

　姫は湯殿に戻ると、何事もなかったように働き始めた。しかし、同輩の中には、目ざとく姫の首筋に残る梅の花模様キスマークに気づく者もいた。
　それを指摘され、姫は驚いたが、そのことについて説明も弁明もしないでおいた。

（宰相君さまが私を慈しんで下さった証あかしだから……）
　姫は首筋にそっと手を当てて思う。
　おそらく体じゅうに同じような痕あとがあるに違いない。姫は思い出すと体が熱くなった。

　姫の沈黙を、同輩たちは各々おのおの勝手に推測する。
　湯殿の役人がつけたと勘違いして気の毒がる者もいれば、誰か他の人がつけたのでは？ と詮索してくる者もいたりして、姫は彼らの相手にぐったりするほど疲れてしまった。

　一方、宰相君は目覚めて、姫がいないのに気づくと慌てふためいた。
　彼は下着の帷子姿のまま、表に出た。丁度その時、宰相君の様子を見に来た明石が彼に声をかけた。

「宰相さま、いかがされました？ そのようなお姿で」
「姫がおらぬのだ」
「姫…… 鉢かぶりのことですか？」
「そう！ 鉢かぶり姫だ」
「その者ならば、もうとっくにお仕事に励んでおります」
「そうなのか！」

　宰相君は考える。
　どうしたものか。
　自分はもう鉢かぶりを妻と思い定めているが、彼女からは、はっきりとした返事は聞いていない。
　こういう時は、もしかして『後朝の文きぬぎぬのふみ』を贈るべきなのだろうか？

「お前、女性にょしょうに文を贈ったことはあるか？」
　宰相君は、目の前にいる明石に尋ねてみる。
「わたくしでございますか？ もちろん、ありません！」
　無邪気に返され、宰相君は内心転倒こけそうになる。
「そ、そうか。お前には聞くだけ無駄だったようだな」

「もしかして、宰相さまは鉢かぶりに文を？」
「贈るべきだろうか？」
「当然でございます！ あちらは一応、女君おんなぎみなのですし、何もしないなんてありえない、非礼にあたります」
「困ったことに私は歌など詠んだことがない」
「なんでもいいんですよ、適当で」

『一応、女君』と言ったり、適当でいいと言ったり。
　こいつは姫を雑に扱いすぎやろ、と軽く頭に来た宰相君は、
「明石、お前、私の代わりに書いてくれ。頼んだぞ」
　そう言いつけて、殿へやに戻って行こうとする。