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エピローグ〜その一
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令和元年五月、上条幸恵は、埼玉県秩父市のある町を訪れていた。
この町を訪ねるのは、久しぶりだ。
六十六歳になった彼女は、なんだかんだ定年まで出版社で勤め上げ、今も出版関係で働き続けている。
結婚はしていないが、仕事は楽しく、充実した人生であると思う。
無論、会社員人生は山あり谷あり。
景気のいい時もあったし、不景気のどん底の頃は不安でたまらなかった。ちょうど更年期と重なって、自殺を考えてしまった時期もある。
結婚しないことで、友人から馬鹿にされたこともあるし、家族や親戚からの風当たりもきつかった。
最近、そんなことを後輩の女性社員に話すと、「えー! どこの異世界の話ですか?」と驚かれた。
きょう、上条は、世間で言われるところの『ゴミ屋敷問題』の取材の為、ここに来た。
ゴミ屋敷を取り上げるに当たって、当事者の話を聞いてほしい、と出版社の担当者から頼まれたのだ。
私鉄の駅前からタクシーに乗り、目的の家まで約十分。
タクシーの運転手に行き先を告げた途端、「もしかしてテレビ局の人ですか? たまに東京から取材に来られるんですよ」と、気さくに言われた。
「いえ、昔、仲良くしていた方のおうちなんです。最近まで、そんなことになってるなんて知らなくって。片付けのお手伝いできたらな、って思ってるんですけど」
上条の返事に、
「そうですか。でも、ああいうのって一種の病気じゃないですか? 中々片付けは難しいと思いますね」
運転手は軽く言う。
目的地に着いてタクシーを降りた瞬間、上条は「うわあ……」と、驚きを声に出してしまう。
立派な白壁の門構えがあるのだが、その周囲にびっしりとゴミ袋が積み上げてある。風向きによっては臭いもしてきそうだ。現に、暖かな春風が吹いた時、モワッと鼻をつく腐敗臭を感じた。
透明なポリ袋の中身は、プラスチックの弁当箱やペットボトルが確認されたが、あまりじろじろ見るのも失礼だな、と思った上条は目を逸らす。
インターホンを押すと、「はい」と女性の声がした。
「当麻さん、こんにちは。上条です。お久しぶりです」
極力、何気ない風を装って言う上条に、裕子も「お久しぶり、ちょっと待って」と、インターホン越しに明るく答えてくれる。
すぐに、ガチャと音がして真鍮製の玄関が開き、中から顔を出したのは当麻裕子である。前回会ったのはいつだったか。思い出せないくらい前のことだ。
「いらっしゃい。どうぞお入りになって」
裕子は相変わらずキリッとして美しい。とても六十七歳には見えない。身なりには気を遣っているのだろうが、家の荒み様は気にならないのだろうか。
上条は釈然としないが、表面上は微笑みを浮かべ、中に入った。
家の外があれでは、中も推して知るべしと思ったが、やはりひどい有様であった。
それでも、よくテレビで見かけるゴミ屋敷ほどではないので、少し安心する。若干、掃除が行き届かない程度だろう、と玄関からリビングまで点々とゴミが散乱しているのには、上条は目をつぶる。
足の踏み場もないキッチンに通された上条は、雑然と物が置かれたテーブルの前に着席する。
お茶が出されたが、湯呑はきちんと洗えていないようで、茶渋がついているだけでなく、埃が浮いているようだ。
しかし、そんなことより、部屋中に充満する強い匂いのほうが気になる。この臭気はどこからくるのだろう?
上条は、鼻をかむふりをして、バッグからハンカチを出して鼻に当てた。
裕子は上条の向かいに座り、微笑んでいる。
(裕子さんに、おうちの話を聞くなんて、やはり私には無理。帰りに市役所に寄って、あとは行政に任せよう)
上条は、今日は当たり障りのない話題を選び、雑談に終始しようと決めた。
この町を訪ねるのは、久しぶりだ。
六十六歳になった彼女は、なんだかんだ定年まで出版社で勤め上げ、今も出版関係で働き続けている。
結婚はしていないが、仕事は楽しく、充実した人生であると思う。
無論、会社員人生は山あり谷あり。
景気のいい時もあったし、不景気のどん底の頃は不安でたまらなかった。ちょうど更年期と重なって、自殺を考えてしまった時期もある。
結婚しないことで、友人から馬鹿にされたこともあるし、家族や親戚からの風当たりもきつかった。
最近、そんなことを後輩の女性社員に話すと、「えー! どこの異世界の話ですか?」と驚かれた。
きょう、上条は、世間で言われるところの『ゴミ屋敷問題』の取材の為、ここに来た。
ゴミ屋敷を取り上げるに当たって、当事者の話を聞いてほしい、と出版社の担当者から頼まれたのだ。
私鉄の駅前からタクシーに乗り、目的の家まで約十分。
タクシーの運転手に行き先を告げた途端、「もしかしてテレビ局の人ですか? たまに東京から取材に来られるんですよ」と、気さくに言われた。
「いえ、昔、仲良くしていた方のおうちなんです。最近まで、そんなことになってるなんて知らなくって。片付けのお手伝いできたらな、って思ってるんですけど」
上条の返事に、
「そうですか。でも、ああいうのって一種の病気じゃないですか? 中々片付けは難しいと思いますね」
運転手は軽く言う。
目的地に着いてタクシーを降りた瞬間、上条は「うわあ……」と、驚きを声に出してしまう。
立派な白壁の門構えがあるのだが、その周囲にびっしりとゴミ袋が積み上げてある。風向きによっては臭いもしてきそうだ。現に、暖かな春風が吹いた時、モワッと鼻をつく腐敗臭を感じた。
透明なポリ袋の中身は、プラスチックの弁当箱やペットボトルが確認されたが、あまりじろじろ見るのも失礼だな、と思った上条は目を逸らす。
インターホンを押すと、「はい」と女性の声がした。
「当麻さん、こんにちは。上条です。お久しぶりです」
極力、何気ない風を装って言う上条に、裕子も「お久しぶり、ちょっと待って」と、インターホン越しに明るく答えてくれる。
すぐに、ガチャと音がして真鍮製の玄関が開き、中から顔を出したのは当麻裕子である。前回会ったのはいつだったか。思い出せないくらい前のことだ。
「いらっしゃい。どうぞお入りになって」
裕子は相変わらずキリッとして美しい。とても六十七歳には見えない。身なりには気を遣っているのだろうが、家の荒み様は気にならないのだろうか。
上条は釈然としないが、表面上は微笑みを浮かべ、中に入った。
家の外があれでは、中も推して知るべしと思ったが、やはりひどい有様であった。
それでも、よくテレビで見かけるゴミ屋敷ほどではないので、少し安心する。若干、掃除が行き届かない程度だろう、と玄関からリビングまで点々とゴミが散乱しているのには、上条は目をつぶる。
足の踏み場もないキッチンに通された上条は、雑然と物が置かれたテーブルの前に着席する。
お茶が出されたが、湯呑はきちんと洗えていないようで、茶渋がついているだけでなく、埃が浮いているようだ。
しかし、そんなことより、部屋中に充満する強い匂いのほうが気になる。この臭気はどこからくるのだろう?
上条は、鼻をかむふりをして、バッグからハンカチを出して鼻に当てた。
裕子は上条の向かいに座り、微笑んでいる。
(裕子さんに、おうちの話を聞くなんて、やはり私には無理。帰りに市役所に寄って、あとは行政に任せよう)
上条は、今日は当たり障りのない話題を選び、雑談に終始しようと決めた。
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