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その十三
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翌朝、雅也からの電話で起こされた。
「朝早くからごめん。マダムのお通夜が今夜、彼女のマンションで行われるんだ。僕は上司と行くけど、君はどうする? 本葬だけでいいと思うけど」
まだ寝起きでぼんやりしたまま、「そうね」と返事したあと、裕子は宝石箱のことを思い出し、「 箱!」と叫んだ。
「箱? そのことなら、今日弁護士さんに尋ねてみるよ。本葬は、明日午後一時から港区の施設で行われるそうなんで、よろしく。そちらで会おう」
雅也に言われたが、徳子の顔の広さからいって、通夜も葬儀も、かなり盛大なものになるだろう。そちらに顔を出すのは憂鬱だから、後日改めて焼香に伺うことにしよう、裕子はそう決めた。
徳子の通夜は、身内及び生前彼女と親しかった人に限られる、とのことだったが、一流企業の、それもかなり地位の高い人が多く参列していた。雅也はそれを見て緊張した。
広いリビングは、血に汚れたラグはもちろん、ダイニングテーブルなどの家具はどこかに移動され、代わりにパイプ椅子が運び込まれている。そして、窓際に置かれた彼女の棺の周囲には、白い花が大量に飾られていた。
雅也が室内に入った途端、全員から一斉に見られ、彼はたじろいだ。
誰も何も言わないが、「お前のせいでマダムは死んだ」と言われた気がした。針の筵だった。
一緒に来た上司の高橋が、雅也の肩をぽんと叩き、椅子に腰掛けるよう促してくるが、雅也は怖気付いて動けなくなった。
ようやく一歩踏み出すと、中年男性が軽く目礼して雅也たちの方にやって来た。徳子の兄だ。昨日病院で会ったのが初対面だった。
「いろいろありがとう。徳子がこうなったのは誰のせいでもない。最後まで付き添ってくれて、彼女も感謝しているでしょう」
彼はそう言って頭を下げてくれた。
あわててお辞儀する雅也に、
「最後にもう一度、別れの挨拶をお願いします。さっき綺麗にお化粧もしたから」
と、彼は言う。
雅也は、ゆっくりと窓際に近づいて、棺の小窓を開けた。徳子の真っ白な顔が見える。
見ていられなくて、雅也は目を背けた。
再び徳子の顔を見た雅也は、「あっ」と叫んだ。
徳子が雅也を凝視している。
無感情な目を見開き、じっと自分を見つめる徳子に、雅也はその場にへたり込んだ。
「マ、マダム! 生きてる! 彼女はまだ」
「おい、何を言ってる!」
高橋がつかつかと雅也のそばに来て、彼の背中を強く叩いた。
「高橋さん! マダムが今、目を開けて僕を見た!」
「いい加減にしろ! ふざけたことを言うんじゃねえ」
激怒する高橋に、縋りつくようにして立ち上がった雅也は、もう一度棺の中をのぞいた。
徳子は目を閉じている。
既に皮膚は少し乾燥し、そこに生命というものは感じられなかった。
呆然と徳子の顔を見つめている雅也の腕を引っぱり、高橋が徳子の兄や周囲の人に詫びながら、玄関まで雅也を連れて行こうとした。
その時になって、雅也はハッと我に帰った。
「箱。箱をなんとかしないと」
「お前、さっきから何言ってんだ」
高橋は声を殺すように言う。勢い雅也も小声になる。
「高橋さん、こんな時ですが、マダムの遺品を管理される予定の方は、この前の弁護士さんでしょうか?」
「知るか。お前、マダムが亡くなられたばかりなのに、何言ってやがる」
「詳しいことは今は説明出来ませんが、何か恐ろしいことが起きているのは間違いない。次は僕の友人が危ないんです。助ける為には、マダムの宝石箱をなんとかしないと」
高橋は、怪訝な顔をして雅也を見ていたが、諭すように言う。
「ショックを受けてんのはわかるが、それにしてもお前はおかしすぎるぞ。今日のところはもう帰れ。送ってってやる」
「僕は大丈夫です」
その時、雅也の目は部屋の片隅の飾り棚に釘付けになった。
あの宝石箱がカタカタ動いている。
「あれは! 裕子が言っていたのは、このことか!」
雅也は高橋を押し退け、大股で飾り棚に近づくと、扉をためらいなく開けて宝石箱を取り出した。
まるで何かに取り憑かれたかのような雅也の行動に、高橋があわてて後ろから雅也に抱きついた。
雅也が箱を両手に抱えたまま振り向いた為、箱の角が高橋の顔に当たり、彼はうめき声を上げ、しゃがみ込む。
「高橋さん、すみません!」
部屋中が騒然となるが、構わず雅也は宝石箱を小脇に抱え、走って部屋から飛び出した。
「朝早くからごめん。マダムのお通夜が今夜、彼女のマンションで行われるんだ。僕は上司と行くけど、君はどうする? 本葬だけでいいと思うけど」
まだ寝起きでぼんやりしたまま、「そうね」と返事したあと、裕子は宝石箱のことを思い出し、「 箱!」と叫んだ。
「箱? そのことなら、今日弁護士さんに尋ねてみるよ。本葬は、明日午後一時から港区の施設で行われるそうなんで、よろしく。そちらで会おう」
雅也に言われたが、徳子の顔の広さからいって、通夜も葬儀も、かなり盛大なものになるだろう。そちらに顔を出すのは憂鬱だから、後日改めて焼香に伺うことにしよう、裕子はそう決めた。
徳子の通夜は、身内及び生前彼女と親しかった人に限られる、とのことだったが、一流企業の、それもかなり地位の高い人が多く参列していた。雅也はそれを見て緊張した。
広いリビングは、血に汚れたラグはもちろん、ダイニングテーブルなどの家具はどこかに移動され、代わりにパイプ椅子が運び込まれている。そして、窓際に置かれた彼女の棺の周囲には、白い花が大量に飾られていた。
雅也が室内に入った途端、全員から一斉に見られ、彼はたじろいだ。
誰も何も言わないが、「お前のせいでマダムは死んだ」と言われた気がした。針の筵だった。
一緒に来た上司の高橋が、雅也の肩をぽんと叩き、椅子に腰掛けるよう促してくるが、雅也は怖気付いて動けなくなった。
ようやく一歩踏み出すと、中年男性が軽く目礼して雅也たちの方にやって来た。徳子の兄だ。昨日病院で会ったのが初対面だった。
「いろいろありがとう。徳子がこうなったのは誰のせいでもない。最後まで付き添ってくれて、彼女も感謝しているでしょう」
彼はそう言って頭を下げてくれた。
あわててお辞儀する雅也に、
「最後にもう一度、別れの挨拶をお願いします。さっき綺麗にお化粧もしたから」
と、彼は言う。
雅也は、ゆっくりと窓際に近づいて、棺の小窓を開けた。徳子の真っ白な顔が見える。
見ていられなくて、雅也は目を背けた。
再び徳子の顔を見た雅也は、「あっ」と叫んだ。
徳子が雅也を凝視している。
無感情な目を見開き、じっと自分を見つめる徳子に、雅也はその場にへたり込んだ。
「マ、マダム! 生きてる! 彼女はまだ」
「おい、何を言ってる!」
高橋がつかつかと雅也のそばに来て、彼の背中を強く叩いた。
「高橋さん! マダムが今、目を開けて僕を見た!」
「いい加減にしろ! ふざけたことを言うんじゃねえ」
激怒する高橋に、縋りつくようにして立ち上がった雅也は、もう一度棺の中をのぞいた。
徳子は目を閉じている。
既に皮膚は少し乾燥し、そこに生命というものは感じられなかった。
呆然と徳子の顔を見つめている雅也の腕を引っぱり、高橋が徳子の兄や周囲の人に詫びながら、玄関まで雅也を連れて行こうとした。
その時になって、雅也はハッと我に帰った。
「箱。箱をなんとかしないと」
「お前、さっきから何言ってんだ」
高橋は声を殺すように言う。勢い雅也も小声になる。
「高橋さん、こんな時ですが、マダムの遺品を管理される予定の方は、この前の弁護士さんでしょうか?」
「知るか。お前、マダムが亡くなられたばかりなのに、何言ってやがる」
「詳しいことは今は説明出来ませんが、何か恐ろしいことが起きているのは間違いない。次は僕の友人が危ないんです。助ける為には、マダムの宝石箱をなんとかしないと」
高橋は、怪訝な顔をして雅也を見ていたが、諭すように言う。
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「あれは! 裕子が言っていたのは、このことか!」
雅也は高橋を押し退け、大股で飾り棚に近づくと、扉をためらいなく開けて宝石箱を取り出した。
まるで何かに取り憑かれたかのような雅也の行動に、高橋があわてて後ろから雅也に抱きついた。
雅也が箱を両手に抱えたまま振り向いた為、箱の角が高橋の顔に当たり、彼はうめき声を上げ、しゃがみ込む。
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