パンドラの予知

花野未季

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その十三

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 そんな擬似家族ともいうべき芸人たちと、仲良く過ごして半年近く経った。
 その頃にはもう、千津子はすっかり芸人の暮らしにも慣れてきていた。

 当初は、日が高くなるまで起きてこない、夜はほぼ毎晩のように晩酌する、という生活に驚きや軽侮のようなものも感じていた。
 実家が農家の千津子にとって、朝は暗いうちから起きるのは当たり前であるし、毎晩酒を飲むなど考えられない。

 しかし、この浅草界隈での芸人の生活と、市外の農家の生活は違うのだ、と今は理解している。住む場所や仕事が違えば、奥向おくむきは違うもの。助け合いながら、つましく暮らすのはどこも同じ。

 むしろ、「千津子ちゃん」「千津ちゃん」と、可愛がってくれる大人に囲まれて暮らすのは楽しく幸福であった。
 しかも不思議なことに、自分を可愛がってくれる人たちの心の声は聞こえないのだ。

 たまに「いやだよ、この子は。大人みたいに気を遣って」とか、「千津子を早めに寝かせないと」とか心配してくれる声のみ聞こえてくる。

 いやな言葉を千津子自身が拾い上げなくなっているのだろうか? それだけでも、千津子にとっては安心できる生活であった。
 ただ、時折現れる『米ちゃん』の存在だけが怖くて、いつまでも慣れない。

 そして迎えた八月、兄の新盆は、千津子は帰ることはできなかった。見せ物小屋が遠く栃木まで巡業に出て、それに千津子も随行したためである。

 永井は「帰省しなさい」と言ってくれたが、千津子は「いいんです」と答えた。都会の芸人の生活に順応しつつある彼女の変化に、義姉が気づいて拒絶しそうな気がして、帰るのは怖かった。

 巡業から帰ってきた八月下旬、梅はお座敷に出ており、いつものように千津子がひとりで寝ていたときのこと。
 押し入れからカタカタ、という音が聞こえてきた。
(まただ。また、あの箱が鳴っている)

 がばと布団から起き上がり、千津子は押し入れの前に座った。
 芸人長屋は、まだ起きている人も多いのか、外から話し声も聞こえてくる。そのせいで不思議と恐怖感はなく、千津子は押し入れを開け、箱に手を伸ばした。

 箱はまるで千津子を呼ぶように、暗い部屋で、そこだけが明るんでいた。
 千津子は、その重みのある石造りの箱を膝の上に載せ、ごく自然に蓋を開けてみた。


「千津子ちゃん、多摩のほうにお逃げ。しばらく実家で居させてもらうんだよ」
 すぐ近くでガシャンガシャンと次々とガラスが割れる音がする。壊れた窓から炎が噴き出す。さっきから時折、地面の揺れも感じる。

「おねえさんはどこに行くの?」
「旦那さんを迎えに行くよ」
「でも、こんなにひどい火事じゃ、おねえさんが危ない」
「そうだね、でも行けるところまで行ってみるよ。絶対追いつくから、先に逃げて」

「よかった! 二人とも無事かい」
「おねえさん! 千津ちゃん!」
 尻からげの捨吉と松子が、長屋のほうから叫びながら走って来た。
「捨吉さん、この子たちを頼みます」
 梅ねえさんの顔。決死の顔つきってこういうのを言うのか…………

 これは、前に見た夢の続きだ!
 千津子は箱の蓋を閉じようとしたが、奇妙な夢の世界から抜け出せない。まるで、キネマを観ているかのように、コマ送りでいろんな場面が頭の中に現れては消え、消えては現れる。

 瓦礫の町を、髪を乱し着物の裾をからげて、早足で梅が歩いている。梅の前方に見えるのは吾妻橋か。橋を渡ろうとする群衆の中に、その人たちとは反対方向を向いている永井が、呆然とつっ立っているのが見えた、まるで浮き上がっているように。

 いつもは、としたいでたちの彼だが、麻の背広が泥や血で汚れ、になった状態で悲壮感を漂わせている。
 二人は手を取り合い、人の波に紛れて見えなくなった。

 次に千津子の頭の中に現れた映像は、炎の旋風に襲われ、逃げ惑う人々の姿である。
 絵本でしか見たことのない竜巻が、ありありと目の前に展開されていた。
 大きな行李やむしろといったものから、人はもちろん、大八車、馬車まで竜巻に巻き上げられて飛ばされて行く。

 永井と梅が手を繋ぎ、必死の形相で走っている。周辺は死体の山だ。
「旦那さん! おねえさん!」
 千津子は絶叫した。

 その時、真っ赤にけたトタン板が飛んできて、永井と梅の体を薙ぎ倒した。
 やがて、何もかも、炎と黒煙に包まれて見えなくなってしまった。
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