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その十四
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翌日、きちんとした身なりの若い男と、裕福そうな老人が連れだって白井家を訪れた。
いかにも高級そうな白大島を着た老人は、美松のご贔屓筋の人で、若い男は興行師の永井と名乗った。梅は彼にどこかで会った気がした。
思案顔の梅に、永井は「お嬢様。あの時のお嬢様ですね?」と言う。
きょとんとする梅は、
「事件の日、私どもの見せ物興行にお越しいただきましたよね?」
永井に言われ、ようやく目の前の男と見世物小屋の支配人が同一人物と思い出した。
永井は全国津々浦々を旅して、見せ物興行の世話をしていると説明した。
「東京では寄席や小屋も持っていて、手広く商売させてもらっております」
永井はその団体の所在地や、梅に出てほしい出し物についても説明する。
結局、話はすぐにまとまり、二日後に東京に向けて出発することになった。
永井は帰り際に、梅の手を取り、
「お嬢様と一緒に仕事ができるのが楽しみです」
そう言って、微笑んだ。
梅は芸妓といっても、まだ十六歳の少女である。お座敷では若い色男なぞほとんど見たことがないので、その言葉に不覚にもときめきを感じてしまった。
二日後の早朝、梅は大阪駅にいた。
持ち物は、着替えのみでいいと言われていたが、梅はあの宝石箱を行李に入れていた。
はかない希望であるが、もしかして東京で児島に会えるかもしれないと思ったのだ。
(その時にお返しできたら。それが米ちゃんの希望だったし)
駅まで梅の荷物を運んでくれた両親に別れを告げ、梅は乗り場で永井を待つ。
大阪駅まで来たのは初めてであるし、長旅も初めてだ。これからどんな生活が待っているのか、不安と少しの期待があった。
不意に後ろから肩を叩かれ、梅が振り返ると、永井が立っていた。
「お待たせしました。荷物はそれだけですか?」
言うが早いか、彼は梅の荷を軽々と持って、改札まですたすたと歩いて行く。慌ててついて行くと、永井は突然立ち止まり、梅の方を振り返って微笑んだ。
「意外と時間がなくてねえ。急がせて申し訳ないが、あそこに停まっている電車に乗りますよ」
梅はうなずいて小走りになる。乗ったのは二等客車であった。
「長い旅ですが、真夜中には東京に着きますよ。窮屈かもしれませんが、どうぞ寛いで下さい」
永井はどこまでも紳士的である。
元々そうなのか、それとも間に立って契約を交わしてくれた御仁が、大阪商工会所属の議員だからか。
梅は指図されて窓際の席に座る。永井は隣に座った。
やがて、出発の時間が来た時、永井は梅に親しげに話しかけてきた。
「お嬢様、これからはお前さんのことをお梅さんと呼ばせてもらうよ。俺のことは永井とでも、仁蔵とでも好きに呼んでおくれ」
「へえ、わかりました。ほな、永井さんと呼ばせてもらいます」
永井は細い眉を上げ、「お梅さん、よろしく」と言って、馴れ馴れしく梅の肩に手を回してくる。
梅がギョッとするより早く、永井が弾かれたように彼女の肩から手を離した。
彼は目を見開き、梅の顔をまじまじと見て座り直すと、彼女から少しでも離れようとする。
「あの、何か?」
梅はどきどきしながら永井に尋ねるが、彼は険しい顔をして、
「いいや。なんでもない。失礼しました」
そう言って目を瞑った。
彼の突然の変化に、梅は戸惑った。
ピイッと汽笛が鳴る。出発の時間だ。
梅は所在なげに窓の外を見た。
(しばらく大阪とお別れや)
そのとき視界が一瞬暗くなり、バンッと窓に何かがぶつかる音がして、女の顔が張りついた。
思わずヒェッと悲鳴を上げた梅が見たのは、米の姿であった。
血まみれで、一つにまとめた髪はざんばらである。
「米ちゃん!」
しかし梅の声に呼応するかのように、米は消えた。
(今のは何? また幻?)
梅の心を読んだかのように、永井が目を閉じたまま言った。
「幻じゃあねえよ。死んだ米さんて人がついて来てるよ」
え? と振り向いた梅は、空いている向かいの座席に米が座っているのを見た。
「うそ!」
米はあの日の姿そのまま、藍微塵の浴衣を着て、にこにこと笑っている。
しかし、それは一瞬のことで、彼女の姿は煙のように消えてしまった。
代わりに、「置いて行かんといて……」
恨めしそうにささやく米の声が、梅の耳元で響いた。
(この章終わり)
いかにも高級そうな白大島を着た老人は、美松のご贔屓筋の人で、若い男は興行師の永井と名乗った。梅は彼にどこかで会った気がした。
思案顔の梅に、永井は「お嬢様。あの時のお嬢様ですね?」と言う。
きょとんとする梅は、
「事件の日、私どもの見せ物興行にお越しいただきましたよね?」
永井に言われ、ようやく目の前の男と見世物小屋の支配人が同一人物と思い出した。
永井は全国津々浦々を旅して、見せ物興行の世話をしていると説明した。
「東京では寄席や小屋も持っていて、手広く商売させてもらっております」
永井はその団体の所在地や、梅に出てほしい出し物についても説明する。
結局、話はすぐにまとまり、二日後に東京に向けて出発することになった。
永井は帰り際に、梅の手を取り、
「お嬢様と一緒に仕事ができるのが楽しみです」
そう言って、微笑んだ。
梅は芸妓といっても、まだ十六歳の少女である。お座敷では若い色男なぞほとんど見たことがないので、その言葉に不覚にもときめきを感じてしまった。
二日後の早朝、梅は大阪駅にいた。
持ち物は、着替えのみでいいと言われていたが、梅はあの宝石箱を行李に入れていた。
はかない希望であるが、もしかして東京で児島に会えるかもしれないと思ったのだ。
(その時にお返しできたら。それが米ちゃんの希望だったし)
駅まで梅の荷物を運んでくれた両親に別れを告げ、梅は乗り場で永井を待つ。
大阪駅まで来たのは初めてであるし、長旅も初めてだ。これからどんな生活が待っているのか、不安と少しの期待があった。
不意に後ろから肩を叩かれ、梅が振り返ると、永井が立っていた。
「お待たせしました。荷物はそれだけですか?」
言うが早いか、彼は梅の荷を軽々と持って、改札まですたすたと歩いて行く。慌ててついて行くと、永井は突然立ち止まり、梅の方を振り返って微笑んだ。
「意外と時間がなくてねえ。急がせて申し訳ないが、あそこに停まっている電車に乗りますよ」
梅はうなずいて小走りになる。乗ったのは二等客車であった。
「長い旅ですが、真夜中には東京に着きますよ。窮屈かもしれませんが、どうぞ寛いで下さい」
永井はどこまでも紳士的である。
元々そうなのか、それとも間に立って契約を交わしてくれた御仁が、大阪商工会所属の議員だからか。
梅は指図されて窓際の席に座る。永井は隣に座った。
やがて、出発の時間が来た時、永井は梅に親しげに話しかけてきた。
「お嬢様、これからはお前さんのことをお梅さんと呼ばせてもらうよ。俺のことは永井とでも、仁蔵とでも好きに呼んでおくれ」
「へえ、わかりました。ほな、永井さんと呼ばせてもらいます」
永井は細い眉を上げ、「お梅さん、よろしく」と言って、馴れ馴れしく梅の肩に手を回してくる。
梅がギョッとするより早く、永井が弾かれたように彼女の肩から手を離した。
彼は目を見開き、梅の顔をまじまじと見て座り直すと、彼女から少しでも離れようとする。
「あの、何か?」
梅はどきどきしながら永井に尋ねるが、彼は険しい顔をして、
「いいや。なんでもない。失礼しました」
そう言って目を瞑った。
彼の突然の変化に、梅は戸惑った。
ピイッと汽笛が鳴る。出発の時間だ。
梅は所在なげに窓の外を見た。
(しばらく大阪とお別れや)
そのとき視界が一瞬暗くなり、バンッと窓に何かがぶつかる音がして、女の顔が張りついた。
思わずヒェッと悲鳴を上げた梅が見たのは、米の姿であった。
血まみれで、一つにまとめた髪はざんばらである。
「米ちゃん!」
しかし梅の声に呼応するかのように、米は消えた。
(今のは何? また幻?)
梅の心を読んだかのように、永井が目を閉じたまま言った。
「幻じゃあねえよ。死んだ米さんて人がついて来てるよ」
え? と振り向いた梅は、空いている向かいの座席に米が座っているのを見た。
「うそ!」
米はあの日の姿そのまま、藍微塵の浴衣を着て、にこにこと笑っている。
しかし、それは一瞬のことで、彼女の姿は煙のように消えてしまった。
代わりに、「置いて行かんといて……」
恨めしそうにささやく米の声が、梅の耳元で響いた。
(この章終わり)
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