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第一章 明治篇その一
しおりを挟む明治三十八年。
大阪難波の下町界隈に住む白井梅は、難波新地にある芸者置屋興福楼に、養女兼芸妓見習いとして引き取られることになった。彼女はまだ十二歳である。
梅の生家は貧しく、小さい弟妹もいるため、彼女の年子の姉の米も、小学校もろくに通えないまま遠く岡山の紡績工場に働きに出ていた。そこは、工場内に設られた学校目当てに、向学心のある娘たちが、全国から働きに来るような工場である。
梅も、姉と同じようにそこで働きたかったのだが、幼い頃から華やかな容姿が近在で評判であったので、芸妓話が持ちかけられた。幼い梅には断る術はなかった。
彼女が引き取られた興福楼は、やや複雑な事情を抱えていた。元は紀州藩の流れを汲む武士の家柄であり、御一新の際に零落した士族の妻女や娘を芸妓に迎え、置屋として店を構えた家である。
現当主の庄三郎は婿養子であった。
正式な当主にあたる跡取り娘である妻が、歳下の若い男と駆け落ちしてしまったため、庄三郎が興福楼を継いでいる。
彼の妻は真面目な人であったが、どう魔がさしたのか、ある日突然、乳飲み子を置いて消えてしまった。残された庄三郎は、難波新地の妓楼組合の推挙もあって、後継者となったのだった。
妻に逃げられた男というのは、表面上は平静を装っていても、内心は『ぐずぐずどろどろ』している。
なぜなら、商売仲間や近所の人、特に同性の男たちから、若干軽んじられてしまうからだ。言葉の端々に、以前にはなかった雑な調子が混じっているように感じて、庄三郎はその度に嫌な気分になる。
彼は、残された一人娘の初子をいつも手元に置いて可愛がり、細やかに面倒を見て暮らしている。勢い、そうせざるを得なかったのだが、それすらも、「哀れをそそる」などと、同業者に陰で馬鹿にされる始末。
庄三郎が娘の養育に心を砕くと、それに比例して商売には身が入らなくなる。
梅を養女に、という話が持ち上がった頃には既に、妓楼の経営はやや落ち目となっていた。
梅より少し年上の、美松や小寅といった若い芸妓が在籍しており、なんとか営業を続けてはいたものの、小さな妓楼の普請は古く、客座敷は掃除が行き届かず。
なんとか贔屓筋が盛り立ててやろうにも、楼主のやる気がさっぱりでは、先行きは暗かった。
そんな中、梅が養女兼芸妓として引き取られて以来、やや興福楼には光明が見えてきた。
まずは見習い芸妓として、お座敷に上がるようになった梅は、すぐに難波一の売れっ子になった。
梅は、京舞の名手の手ほどきを受け、筋がいいのか、あっという間に芸妓としての形が出来た。三味線は苦戦していたが、舞の方は立ち姿の美しさで誤魔化すことにした。
化粧映えする美形ゆえ、「夜伽の相手を」という交渉もあったが、興福楼は女郎商売は一切やらない妓楼である。
大阪の遊郭と芸者置屋は、商売の形態がはっきりと分かれており、芸妓よりも女郎の方が格上で、客から落とされる金は桁違いに遊郭の方が多かった。
体を売らなくていいので、梅は安心してお座敷を勤めていたが、お酌をしていると身の危険を感じることは普通である。しかし、一緒に座敷を勤める先輩芸者たちがこぞって、「この子はまだねんねです。粗相でもあったら、ご迷惑お掛けしますさかいに」といったふうに庇ってくれたのである。
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