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本編

ちったあマシになったじゃねえか

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会場は水を打った様にシーンと静まり返った。
唯桜も訳が解らず困惑していた。

「何だコイツ。……死んだのか?」

この戦いに審判はいない。
司会者が兼ねているが、そもそもルールなど無いに等しい。
従って審判する事がほとんど無い故、審判もいないのだ。

司会者が見たまんまをジャッジする。
死亡と判断して唯桜の勝利を宣言すれば、それで唯桜の勝ちとなる。

司会者は闘技スペースへと走り寄った。
ヤイババを覗きこむ。完全に意識は無い。
まさか本当に死んでいるのか。
司会者はヤイババの胸に耳を当てた。

動いている。
わずかにでは無い。
予想に反して激しく鼓動が高鳴っていた。
司会者はヤイババの顔をもう一度覗きこんだ。

「離れた方が良い。恐らく危険だ」

九郎座が司会者に声を掛けた。
死んでいる訳では無いらしい。
しかし、生きているのなら戦いは続行である。
こうしている時間もヤイババに有利な時間として見られる。
司会者は慌ててヤイババから離れた。

その辺の公平性は司会者のプロ意識に委ねられているらしい。
司会者を含めほとんどの者が、この期を逃さずヤイババに止めを刺すだろうと予想していた。

しかし唯桜は両手をポケットに突っ込んだまま、静かにヤイババの反応を見ていた。
ヤイババの体がわずかに震えだす。
唯桜はいつもの様に煙草を取り出すと、くわえて火を着けた。

余裕なのか、何なのか。
紫煙をくゆらせながら目を細める仕草が、九郎座にもジンとチャコにも強く印象付けられた。

そうこうする内にヤイババはゆっくりと立ち上がった。

「長えよ。待たせ過ぎだ」

唯桜は煙草をくわえたまま、ヤイババに向かって言った。
だが、ヤイババに反応は無い。
何となく唯桜には見当がついている。
ドーピングしたのだろう。
直前の雰囲気はただ事では無かった。

たかが大会で勝利と命を引き換えにする意味があるのか唯桜には解らなかったが、その覚悟は嫌いでは無い。
唯桜はヤイババを認めた。

命と引き換えにするドーピングとは如何なる物なのか。
よほどの効果が無ければ使うまい。
唯桜はヤイババの変化に期待した。

ヤイババは唯桜を見つけると猛然とダッシュで近付いた。
唯桜は無防備で迎え撃つ。
大振りの右パンチが唯桜を襲う。
敢えて唯桜はそのまま顔面で受け止めた。

ドガアッ!

派手な音がして唯桜が初めて吹っ飛んだ。
数メートル飛んでから地面に叩きつけられ、そこから更に激しく転がった。

またしても会場は静まり返った。
何が起こっているのか理解している者は多くは無い。
唯桜はムクリと起き上がった。
立ち上がると上着の埃をパンパンと掌で払う。

「へっ。ちったあマシになったじゃねえか」

その表情は何故か嬉しそうだ。
美紅が唯桜を戦闘馬鹿と呼ぶ所以である。

「来やがれ。今度はキッチリ相手してやるぜ」

唯桜が上着の襟を正す。

観戦しているロットが口を開いた。

「へえ。あのパンチ、敢えて食らったのか。パンチも規格外だけど食らう方も食らう方だよねえ」

間延びした喋り方とは裏腹に、明らかに唯桜を注視している。
流石は勇者ロットと呼ばれる男だとチャコは感心した。

そうなのだ。
唯桜と言う男。奴は敢えてパンチを食らっていた。
パンチ自体、食らえば即死級のパンチだった。
それを敢えて食らって後、何事も無かった様に起き上がった。

どうしても光景がダブる。
牛嶋を見ている様だった。
コイツも同類なのか。チャコはそう思った。
それはそうだろう。同じ一味なのだ。
その可能性は高い。

「まさか……アイツら全員同じタイプなんじゃ」

チャコはその可能性に思い当たりショックを受けた。
幾ら何でもそれでは荷が重い。
ハッキリ言って勝てない。
チャコは肩を落とす。

「俺達は運が良い……」

ジンが呟いた。

「え?」
「大会ならば一人づつ、一対一でしか当たらない。あんなのが何人も居るんじゃ、とても同時には相手に出来まい」

確かにそうだ。
自分はともかく、今のジンなら一対一は悪くない条件だ。
各個撃破なら可能性はまだある。

「それにヤバくなったら降参してしまえば良い。これも大会ならではだ。死ななければチャンスはまたある」

それもその通りだった。
考えようによっては、これはラッキーなのかも知れない。

「強さを知る事が出来て、一対一なら倒せる可能性まである。ヤバくなったら降参も出来る」

ジンはそう言ってチャコを見た。
その顔には余裕すら感じられる。
チャコはジンと一緒で良かったと思った。
精神的な支えとしても、本当に頼りになる。

「……そうですね。その通りです。俺達は運が良い」

チャコはジンの言葉を繰り返した。

闘技スペースではヤイババがバトルアックスを拾い上げた。
それを片手で軽々と振り回す。
明らかに筋力は増大している。

「まさかその程度のパワーアップじゃねえだろ? ガッカリさせんなよ」

唯桜が吼えた。
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