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Ⅱ havn―海―
17 「……まあ駆け落ち中だしね!」
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「何でそんな二度手間するんですか?」
効率が悪いように思えて尋ねる。
と、ルーベンの表情が先程ウィルに向けていたような怪訝そうな物に変わった。
どうしてそんな当たり前の事を聞くんだ、とばかりに。
「おいメイドならそれくらい分かれよ、灯りの節約だっての。外はランタンの恩恵に預かれるが、倉庫内はそうもいかん」
だんだんルーベンの口調が雑になってきた。失言だった事に気が付き、慌ててこくこくと頷く。これでは折角貴族役になってくれたウィルに申し訳無い。
怪しまれていないか視線を持ち上げてルーベンを盗み見る。と、全く怪しんでいなかった船長は今度こそ倉庫内に入り、何処かにたつきながらこう言ってきた。
「良いか? キスする時みてーに慎重にやれよ!」
「な……っ! もう、ルーベンさんはデリカシーが無いわね……!」
眉を吊り上げながら自分も倉庫に入っていく。風が無い屋内はそれだけで暖かくてホッとする。
振り返ってウィルを見ると、口元を手で覆いながら続いてくるところだった。そんな姿に嫌な思いをしない自分もどうかしている。
「……まあ駆け落ち中だしね!」
ふんっと鼻を鳴らしつんけんしながら一言言った後、1人でも運べるアサリの元へカツカツと歩いていった。
***
リーナ・シュルルフは幼い頃、トナカイの遊牧生活を部落で営みながら山で暮らしていた。
世界の見え方が変わって来た頃、山を降り海辺の寄宿学校に通い出した。サーミの子供達はみな、行きたくないと泣きながらもそうしている。
そのせいか潮の匂いを嗅ぐとあの頃の事を思い出す。
「ラップ人」と蔑まれた事。しかし町での暮らしはとても刺激的だった事。一緒に寄宿学校に通った幼馴染のレオンとヨイクを良く歌った事。冬の祭りを楽しんだ事。白夜の中抱き締められた事。
次第にレオンが居ればそれで良いと思うようになって。
レオンも「サーミ人にも町で暮らす権利を」という気持ちを抱いていた事を知り、何かから逃れるように部落と合流するのを止めたのだった。ラップ人と害虫のように扱われ続けたけれど、我慢出来たのは夫が隣に居てくれたから。
今両親はどこの国に居るのだろう。もう部落とは合流出来ないと言うのに、それでも良いと思ったのに、偶に酷くトナカイの温もりが恋しい。
「すみません、少しお話を伺いたいのですがっ!」
高熱を出している息子には、入院が一番だという事を知っている。その為のお金をロヴィーサから貰いたい一心で、港を行き交う人物に声を掛ける。
最初は何事かと振り返ってくれた人達も明かりに照らされた自分の顔を見るなり、嫌そうに眉を潜めそそくさと正面に向き直る。港に来てかれこれ1時間、もうずっとこんな調子だ。
その時。
港に一隻の漁船が停泊した。船から降りるなり騒ぎ出した彼らはこの辺り一帯の海から来ているので、アストリッドの事を聞いてもな、と思い連絡船の乗客や船員に声を掛け続ける。
「いや絶対あれは誰か居た! 海魔ドラウグみてぇなわかめ頭の気味の悪い物なんかじゃねえ! もっとこう綺麗な……とにかく誰か居た!」
「海上に誰か居る筈無いだろ。トロールは森に、ドラウグは海中に居るって相場が決まっている。お前の見間違いだったんだよ。お前があんまり慌てるから船をそこまで行かせたが何にも無かったじゃないか」
「それは船に驚いたからだろうよ!!」
「はいはい、おかげで燃料を無駄にしたぜ」
漁船から下りてきた男達の声は大きく、話している内容が自分の耳にもハッキリと聞こえてきた。
――海上に誰か居た。
そんな奇妙な話がやけに印象に残ったのは、丁度故郷を思い出していたからだろうか。サーミの民はみな、姿の見えない存在を深く信じているから。
「それは悪かった、けど……俺は確かに女の声を聞いたんだよ! くそっ、お前俺がこの前イカサマしたからって嘘つきだと思ってんなっ!?」
「ははっ、それはあるかもなあ」
この漁師の話がどこまで信用出来るかはともかく、その話に引っかかりを覚えた。
もしかしたらアストリッドはいかだや小船に乗って、トロムソを出たのではないか、と。
(……な訳ないか)
が、そんなの非現実すぎる。もしあの令嬢に協力者が居たとしてもそんな方法は取るまい。それに直ぐ確認しに行ったなら小船は見付けられる筈。
不思議な話だとは思うが漁師の勘違い。精霊とは関係があるかもしれないが、アストリッドとは何の関係も無いだろう。
「すみません、少しお話を伺いたいのですが……!」
また人に話し掛けた。
極夜の季節は時間の感覚が狂いそうになるが、まだ夜は始まったばかり。港に人は多い。
愛しい息子の為に、何としてでも情報を得なければ。生臭い市場の中改めて強く誓う。
粘り続けたおかげで、1時間後観念したような市場の人間から話を聞けたが、定期船にアストリッドらしき人物が乗った証言は得られなかった。
屋敷に帰ると、ちょうどロヴィーサと女中達が話していた。
なんでも、アストリッドがピアノを弾いていた崖上の民家の老夫婦に「悪いと思っているならこの家を買ってくれ」と言われたらしい。
どうも彼らは近々クリスチャニアに引っ越すらしく、あの家を売りたかったらしい。そんな時にロヴィーサが来た物だから、「迷惑料だ」とここぞとばかりに高値で売りつけてきたそうだ。
それもあってか、ロヴィーサの横顔はいつも以上に不機嫌そうだった。
***
もうすっかり口が悪くなったルーベンの指揮の下、アストリッド・グローヴェンはウィルと協力しながら荷物を運んでいく。
数時間もすると、「女と会って来た」と満足そうに話す船員がチラホラ戻ってきた。自分達が駆け落ち中だと知った彼らは下品な質問を飛ばしてはきたものの、船に怪しい男女が乗る事を歓迎してくれた。
さすが本職、船乗り達が参加したら荷積みはすぐに終わった。その時のウィルの横顔が、疲れきっているのに達成感に満ちていたのが印象的だった。
日付が変わる頃になると市場の客引きの声も減り、代わりに出店者同士が情報交換を行い出す。
甲板でウィルと共に休憩していたところを、甘い匂いのするパイプタバコをふかしているルーベンに声を掛けられた。
効率が悪いように思えて尋ねる。
と、ルーベンの表情が先程ウィルに向けていたような怪訝そうな物に変わった。
どうしてそんな当たり前の事を聞くんだ、とばかりに。
「おいメイドならそれくらい分かれよ、灯りの節約だっての。外はランタンの恩恵に預かれるが、倉庫内はそうもいかん」
だんだんルーベンの口調が雑になってきた。失言だった事に気が付き、慌ててこくこくと頷く。これでは折角貴族役になってくれたウィルに申し訳無い。
怪しまれていないか視線を持ち上げてルーベンを盗み見る。と、全く怪しんでいなかった船長は今度こそ倉庫内に入り、何処かにたつきながらこう言ってきた。
「良いか? キスする時みてーに慎重にやれよ!」
「な……っ! もう、ルーベンさんはデリカシーが無いわね……!」
眉を吊り上げながら自分も倉庫に入っていく。風が無い屋内はそれだけで暖かくてホッとする。
振り返ってウィルを見ると、口元を手で覆いながら続いてくるところだった。そんな姿に嫌な思いをしない自分もどうかしている。
「……まあ駆け落ち中だしね!」
ふんっと鼻を鳴らしつんけんしながら一言言った後、1人でも運べるアサリの元へカツカツと歩いていった。
***
リーナ・シュルルフは幼い頃、トナカイの遊牧生活を部落で営みながら山で暮らしていた。
世界の見え方が変わって来た頃、山を降り海辺の寄宿学校に通い出した。サーミの子供達はみな、行きたくないと泣きながらもそうしている。
そのせいか潮の匂いを嗅ぐとあの頃の事を思い出す。
「ラップ人」と蔑まれた事。しかし町での暮らしはとても刺激的だった事。一緒に寄宿学校に通った幼馴染のレオンとヨイクを良く歌った事。冬の祭りを楽しんだ事。白夜の中抱き締められた事。
次第にレオンが居ればそれで良いと思うようになって。
レオンも「サーミ人にも町で暮らす権利を」という気持ちを抱いていた事を知り、何かから逃れるように部落と合流するのを止めたのだった。ラップ人と害虫のように扱われ続けたけれど、我慢出来たのは夫が隣に居てくれたから。
今両親はどこの国に居るのだろう。もう部落とは合流出来ないと言うのに、それでも良いと思ったのに、偶に酷くトナカイの温もりが恋しい。
「すみません、少しお話を伺いたいのですがっ!」
高熱を出している息子には、入院が一番だという事を知っている。その為のお金をロヴィーサから貰いたい一心で、港を行き交う人物に声を掛ける。
最初は何事かと振り返ってくれた人達も明かりに照らされた自分の顔を見るなり、嫌そうに眉を潜めそそくさと正面に向き直る。港に来てかれこれ1時間、もうずっとこんな調子だ。
その時。
港に一隻の漁船が停泊した。船から降りるなり騒ぎ出した彼らはこの辺り一帯の海から来ているので、アストリッドの事を聞いてもな、と思い連絡船の乗客や船員に声を掛け続ける。
「いや絶対あれは誰か居た! 海魔ドラウグみてぇなわかめ頭の気味の悪い物なんかじゃねえ! もっとこう綺麗な……とにかく誰か居た!」
「海上に誰か居る筈無いだろ。トロールは森に、ドラウグは海中に居るって相場が決まっている。お前の見間違いだったんだよ。お前があんまり慌てるから船をそこまで行かせたが何にも無かったじゃないか」
「それは船に驚いたからだろうよ!!」
「はいはい、おかげで燃料を無駄にしたぜ」
漁船から下りてきた男達の声は大きく、話している内容が自分の耳にもハッキリと聞こえてきた。
――海上に誰か居た。
そんな奇妙な話がやけに印象に残ったのは、丁度故郷を思い出していたからだろうか。サーミの民はみな、姿の見えない存在を深く信じているから。
「それは悪かった、けど……俺は確かに女の声を聞いたんだよ! くそっ、お前俺がこの前イカサマしたからって嘘つきだと思ってんなっ!?」
「ははっ、それはあるかもなあ」
この漁師の話がどこまで信用出来るかはともかく、その話に引っかかりを覚えた。
もしかしたらアストリッドはいかだや小船に乗って、トロムソを出たのではないか、と。
(……な訳ないか)
が、そんなの非現実すぎる。もしあの令嬢に協力者が居たとしてもそんな方法は取るまい。それに直ぐ確認しに行ったなら小船は見付けられる筈。
不思議な話だとは思うが漁師の勘違い。精霊とは関係があるかもしれないが、アストリッドとは何の関係も無いだろう。
「すみません、少しお話を伺いたいのですが……!」
また人に話し掛けた。
極夜の季節は時間の感覚が狂いそうになるが、まだ夜は始まったばかり。港に人は多い。
愛しい息子の為に、何としてでも情報を得なければ。生臭い市場の中改めて強く誓う。
粘り続けたおかげで、1時間後観念したような市場の人間から話を聞けたが、定期船にアストリッドらしき人物が乗った証言は得られなかった。
屋敷に帰ると、ちょうどロヴィーサと女中達が話していた。
なんでも、アストリッドがピアノを弾いていた崖上の民家の老夫婦に「悪いと思っているならこの家を買ってくれ」と言われたらしい。
どうも彼らは近々クリスチャニアに引っ越すらしく、あの家を売りたかったらしい。そんな時にロヴィーサが来た物だから、「迷惑料だ」とここぞとばかりに高値で売りつけてきたそうだ。
それもあってか、ロヴィーサの横顔はいつも以上に不機嫌そうだった。
***
もうすっかり口が悪くなったルーベンの指揮の下、アストリッド・グローヴェンはウィルと協力しながら荷物を運んでいく。
数時間もすると、「女と会って来た」と満足そうに話す船員がチラホラ戻ってきた。自分達が駆け落ち中だと知った彼らは下品な質問を飛ばしてはきたものの、船に怪しい男女が乗る事を歓迎してくれた。
さすが本職、船乗り達が参加したら荷積みはすぐに終わった。その時のウィルの横顔が、疲れきっているのに達成感に満ちていたのが印象的だった。
日付が変わる頃になると市場の客引きの声も減り、代わりに出店者同士が情報交換を行い出す。
甲板でウィルと共に休憩していたところを、甘い匂いのするパイプタバコをふかしているルーベンに声を掛けられた。
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