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Ⅱ havn―海―

16 「さてお2人さん、どうする?」

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 一人の中年の男性が間に入って来た。
 ルーベン――信じられない事に船長らしい――と同じくコートや帽子で厚着をしたこの人も船乗りだろう。

「いやーこいつらが灯りも持たずに入り江側から来たのが怪しくてな、呼び止めてたんだよ」
「ただ通っただけなんですよ、私達! どこをどんな風に通っても良いじゃないですか。それをこの人疑うし……しまいには駆け落ち中かー、なんてからかい始めるんですよ! 失礼しちゃう!」

 怒りながら状況を説明すると怖い印象のあった船乗りは一転、目元にシワを作ってぐはは! と豪快に笑う。

「それはすまんなあ、お2人さん! 船長もうすぐ初めて子供が産まれるんで、金が欲しい金が欲しいばっか言っててな。2人に噛み付いたのも、不審者を先に捕まえて褒章をせしめたかったからだろうよ。船長が失礼失礼!」

 肩を揺らし笑い続ける男の後ろ、横を向いたルーベンが罰が悪そうに帽子を被り直し、コートのポケットからパイプタバコを取り出し吸う為の準備を始めていた。

「……いえ、そういう事なら良いんです。では失礼します、行こうウィル」

 話も終わりそれなりに納得も出来た。
 市場に向かおうと、先程よりも背筋を正した隣の青年の黒いローブを引っ張って歩きかけた――その時。

「おいお2人さん、間違えた詫びだ。アテは無いけれどどこか遠くに逃げてーんなら、明日発つ俺の船に乗っていけよ。飯代くらいは出してやる」

 突然の申し出に驚いて振り返ると、パイプタバコを吸っているルーベンは自分達から目を逸らしてもごもごと喋っていた。
 紫煙と豊かな口髭のせいで表情が見えなかったのが少し残念だ。やっぱりこの船長は意外と良い人なのかもしれない。 

「ま、下働きはして貰うが、俺の家と最北の不凍港を擁するハンメルフェストまでは運ぶ。……悪かったな」

 ハンメルフェスト――世界最北部の町の1つ。トロムソよりもずっと北東にあって、自分も行った事が無い。
 駆け落ちではない、と否定しようと思ったが直前で思いとどまる。

「で、ですから違いま――わっ!」

 首を横に振ろうとしているウィルの首根っこを掴み、慌てて数歩下がらせる。

「待ってウィル、これはチャンスよ。ルーベンさんの船に乗せて貰いましょう」
「えっ、どうしてですか? ハンメルフェストまで北上してしまったら、ここよりもスウェーデンから遠くなりますよ?」

 パイプタバコの甘い匂いが漂う中、よろめくウィルに顔を近付けて耳打つ。自分達が突然密談を始めたのを見てルーベンはふんと笑った。

「まっ、駆け落ちには2人の気持ちを1つにする事が何よりも大事だろーよ。じっくり2人で話し合いな。俺らはそこの倉庫で積み荷を下ろしているから、どうするか決まったらまた声を掛けてくれ。おいお前達、仕事に戻るぞ!」

 ルーベンを含む数人の船乗り達は倉庫に戻っていった。体躯の良い船乗り達が離れた影響か、先程よりも潮風を感じて寒い。

「ルーベンさん達が私達を駆け落ち中と勘違いしているのは、好都合としか言えないと思うのよ。だってお母様もリーナも、私に行動を共にする男性の知り合いが居ない事を知ってるのだもの。確かにスウェーデンからは遠くなるけど、もし船乗り達が私達の事を吹聴したら凄い誤魔化しになると思わない?」

 僅かに顎を持ち上げてしたり顔で話すと、合点がいったように青い瞳が見開かれた。

「ああ成る程、でしたら乗せて貰うのは手ですね。貴女が嫌で無いのなら……俺は、構いませんが」
「良かった。じゃあ早速ルーベンさんに頼んできましょうか」

 話を終え振り返り赤い倉庫を映す。
 ランタンの灯りが煌々としている倉庫の中を覗きルーベンに声を掛けると、「結論が出たか?」と反応した男性がこちらに歩み寄って来た。

「さてお2人さん、どうする?」
「はい。ハンメルフェストまで乗せてって貰っても良いですか? 今は……ええ、一刻も早く遠くに行きたくて。ルーベンさんのご厚意に感謝します」

 駆け落ちの振りをしながら伝えると、ルーベンが何処か安心したように口角を上げた。

「良く言ったお嬢ちゃん! 実は下働きが欲しかったって下心のがあったんだ。じゃあ早速少し手伝え。お前ら、名前は?」
「クララです。姓は伏せさせて頂戴」
「ウィル、です。俺も姓は良いですよね」
「ああ姓は良いさ。俺はルーベン・ハンセン、ハンメルフェスト育ちの42だ。ほら、着いてこい、力仕事を手伝え!」

 厚着の船長が倉庫内に入ろうとしたのを見て、ウィルが「あの」とおずおずと声をかける。振り返ったルーベンの眉が怪訝そうに歪む。

「俺……どれだけ重い物が持てるかはやった事が無いので分からないんですけど。通訳や翻訳は得意です。英語もフィンランド語もロシア語も……話者の多い国の日常会話は大丈夫ですので、必要な場面があったら声を掛けて下さい」
「ああ? お前がお坊ちゃんだったのか? てっきり従僕かと……まー働く練習だと思って木箱でも運んでくれ。翻訳や通訳も、んー頼むかもな。船にもハンメルフェストの港にもロシア人が居るんだが、あいつらノルウェー語で積荷の品名を書いてくれねえ」

 怪訝そうな表情のまま頷くルーベンを見ながら、寒さで鼻が赤らんでいるウィルの横顔を映した。
 この青年は確かに力仕事をした事が無かったのもあるのだろうが、貴族の振りをする事で更なる誤魔化しをしてくれたのだろう。実際名家出は自分の方だ。その気遣いに胸が暖かくなる。
 ウィルがこんなに多言語を話せる事が不思議だったが、これも魔法なのだろう。それはひとまず置いて笑みを浮かべる。

「ウィル、私も手伝うわ。頑張ろうね!」

 老夫婦の家で手伝いをしていた事もあり、自分はウィルよりかは力仕事も慣れている筈。「有り難う」と耳打つと金髪の青年は自分から若干視線を外し、はにかむのが分かった。

「おいウィル、お前の杖は邪魔になるからそこらに置いとけ。そんで、まずは倉庫内の干し鱈が詰まった樽と、海藻が入った木箱と、アサリが詰まった布袋を入り口に一旦運べ。それからまた船に積んでくぞ」
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