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第三話 次男の死
29 「で、なにか分かったか?」
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唯一の証拠が幽霊の話だけという突付かれたくない物だ。収穫はもうないだろう。
早馬の話を切り上げ、口元に微笑を浮かべた。
「部屋でお願い。しばらくは食卓で食べる気がしないから、当分部屋でいいよ。食卓は部屋なんかよりよっぽど思い出があるからさ」
眉根を下げながら口にするとアニーがそうですねとばかりに頷いた。
「ユユラング家の方が一堂に会するのは食事の時くらいでしたからね……」
しみじみと女中が呟いた。
伯爵家ともなると好きな時に家族と会うのも難しい。置き手紙で話すことはしょっちゅうだった。父も兄も視察だ会談だと城に居ないことの方が多く、だから自分は寂しさをごまかすように本の世界に夢中になった。
「うん。兄上がやたら肉料理を分けてくれたり、父上が楽しそうに領の様子を話されたり、君が育てた野菜を美味しい美味しいって食べてたり、トランプを敢行してみたりね」
一度食卓の思い出を口にしたら、思いの他次から次へと浮かんできた。
やはりあの部屋には入りたくないなと思っていると、口を閉ざした自分を見ていたアニーが一拍後ふふと笑みを溢した。
「……肉料理で思い出しました。今晩は魚料理なんです、お許しください」
肉料理が好きな自分を茶化すようにアニーは唇を持ち上げ、目を細める。
記憶力のいいアニーが思い出すなんてことは、冬の湖に氷が張らないくらい有り得ない。それをわざわざ話題にするということは、黙った自分を見て気を回してくれたということだろう。
それが嬉しくて自分も笑みを浮かべ、話に乗っかる形で口を動かした。
「仕方がないから許すよ」
「有り難うございます」
自分の笑みを見たアニーが僅かに顎を引いて呟いた。
魚料理の話になったからか、厨房の外まで漂ってくる柔らかな匂いを一層感じる。忙しいこの時間にアニーをいつまでも呼び止めておくのは悪い。自分もやらねばやらぬことがある。
「それじゃあ、呼び出してごめん。早馬のことで何か思い出したら教えてくれるかな」
アニーから一歩離れ、階段に続く廊下に視線を向ける。
「はい。では失礼致します」
姉のような女中は深々と頭を下げて礼をし、足早に厨房へ戻っていった。
メイド服が完全に厨房に消えるのを見届け、自分も階段に向かって歩を進めた。
暗がりを通って四階まで段差を登っていくと、父の部屋の前に金髪の御者が立っていた。
階段から自分が出てきたことに気が付いたアレックスが、数日ぶりに主人が帰ってきた犬のように表情を明るくしてこちらに近寄ってくる。
「おかえりなさい! 姉さんには会えましたか?」
「ああ。今日は肉料理じゃなくて魚料理ですって謝られたよ」
僅かにおどけた口調で言うと、乳母兄弟は頬を持ち上げて嬉しそうに笑った。
「前みたいに様子が変だったから心配したんですけど、元気みたいで安心しました。……魚料理、なんなら俺が代わりに食べましょうか?」
同じようにおどけた口調で返してきた湖色の目の輪郭は丸みを帯びていて、すれ違う際に額を軽く小突く。アレックスはわざとらしく額を抑えへへっと笑い、思い出したとばかりに告げてくる。
「あっ。ジャックですけど、門番の仕事を紹介しておきました。明日から来るみたいです」
「そうか」
話を聞き頷いた。
黒髪のあの少年も、安定した仕事を得られてさぞ安心しているだろう。今度様子を見に行くことにしよう。
「物を運ぶ時は手伝いますから言ってくださいね。部屋に入ってもいいなら、ですけど……」
父の部屋の前に立つと、隣から躊躇いがちの言葉がかかった。
死後とはいえ、父の部屋に使用人が入ることに抵抗があるようだ。
「運ぶだけなら許して下さるんじゃないかな。その時はお願いするよ」
返事をしてから扉を開けて中に入る。
「はい!」
扉を閉める直前にアレックスの弾んだ声が返ってきて、自分も口端を持ち上げる。
扉を完全に閉め一人になると、張り詰めていた糸が切れたかのように肩の力が抜けた。
「で、なにか分かったか?」
背筋を丸くして部屋の中央に進んでいくと、雪に触れた時のように冷たいリリヤの声が前方から聞こえてきた。
自分の部屋の時と同じく窓際にいて、明るい大地を見ている。こちらを見ていないことが却って怖い。
「……なんにも」
「だろうな。分かったのは今晩お前が魚を食べるということくらいだ」
低い声で淡々と言われ、雪が積もった時のように頭が冷えていく。
隣を通り過ぎる際立ち止まり、僅かに頬が膨らんだリリヤに顔を向ける。聞いていたことにも驚いたが、今はそれを指摘するところではない。
「……ごめん。僕が馬鹿だったよ」
「そうだな。だけどちゃんとこっちを見て謝ったし、長居もしていないし良いだろう」
少女の表情が和らいだことに安堵し天蓋の布をくぐり抜ける。
「ただ覚えておくんだな。なにをか、もちろん言えるよな?」
表情が和らいだとはいえ、中央から聞こえる声は少々尖っていた。
布団の皴を見つめながら言葉を探す。女性に詰め寄られるのは初めてだ。
自分は母を知らない。だから余計思った。
母と対峙するというのは、このように気まずいものなのだろうと。
「私情より優先することもある……」
「そうだ。それは人の上に立つ人間ほど心がけておかないといけないことだ」
母親が息子のことを真剣に思って説教しているかのような声音だ。その言葉が自分の中に重たく響いてくる。
言葉もなく顎を引いて頷き、この布団も足しになるかと両手を使って持ち上げた。中央で一度仕分けをする程度なら、アレックスは呼ばなくてもいいだろう。
「だけども……私の見た光景とお前達が聞いた話にズレがあることは気になるな。やるべきことが済んだら調べるか」
まるで自分に言い聞かせるように、リリヤがぽつりと呟いた。
視線を動かさないその瞳が、悔しそうに一点を見つめているのが印象的だった。
早馬の話を切り上げ、口元に微笑を浮かべた。
「部屋でお願い。しばらくは食卓で食べる気がしないから、当分部屋でいいよ。食卓は部屋なんかよりよっぽど思い出があるからさ」
眉根を下げながら口にするとアニーがそうですねとばかりに頷いた。
「ユユラング家の方が一堂に会するのは食事の時くらいでしたからね……」
しみじみと女中が呟いた。
伯爵家ともなると好きな時に家族と会うのも難しい。置き手紙で話すことはしょっちゅうだった。父も兄も視察だ会談だと城に居ないことの方が多く、だから自分は寂しさをごまかすように本の世界に夢中になった。
「うん。兄上がやたら肉料理を分けてくれたり、父上が楽しそうに領の様子を話されたり、君が育てた野菜を美味しい美味しいって食べてたり、トランプを敢行してみたりね」
一度食卓の思い出を口にしたら、思いの他次から次へと浮かんできた。
やはりあの部屋には入りたくないなと思っていると、口を閉ざした自分を見ていたアニーが一拍後ふふと笑みを溢した。
「……肉料理で思い出しました。今晩は魚料理なんです、お許しください」
肉料理が好きな自分を茶化すようにアニーは唇を持ち上げ、目を細める。
記憶力のいいアニーが思い出すなんてことは、冬の湖に氷が張らないくらい有り得ない。それをわざわざ話題にするということは、黙った自分を見て気を回してくれたということだろう。
それが嬉しくて自分も笑みを浮かべ、話に乗っかる形で口を動かした。
「仕方がないから許すよ」
「有り難うございます」
自分の笑みを見たアニーが僅かに顎を引いて呟いた。
魚料理の話になったからか、厨房の外まで漂ってくる柔らかな匂いを一層感じる。忙しいこの時間にアニーをいつまでも呼び止めておくのは悪い。自分もやらねばやらぬことがある。
「それじゃあ、呼び出してごめん。早馬のことで何か思い出したら教えてくれるかな」
アニーから一歩離れ、階段に続く廊下に視線を向ける。
「はい。では失礼致します」
姉のような女中は深々と頭を下げて礼をし、足早に厨房へ戻っていった。
メイド服が完全に厨房に消えるのを見届け、自分も階段に向かって歩を進めた。
暗がりを通って四階まで段差を登っていくと、父の部屋の前に金髪の御者が立っていた。
階段から自分が出てきたことに気が付いたアレックスが、数日ぶりに主人が帰ってきた犬のように表情を明るくしてこちらに近寄ってくる。
「おかえりなさい! 姉さんには会えましたか?」
「ああ。今日は肉料理じゃなくて魚料理ですって謝られたよ」
僅かにおどけた口調で言うと、乳母兄弟は頬を持ち上げて嬉しそうに笑った。
「前みたいに様子が変だったから心配したんですけど、元気みたいで安心しました。……魚料理、なんなら俺が代わりに食べましょうか?」
同じようにおどけた口調で返してきた湖色の目の輪郭は丸みを帯びていて、すれ違う際に額を軽く小突く。アレックスはわざとらしく額を抑えへへっと笑い、思い出したとばかりに告げてくる。
「あっ。ジャックですけど、門番の仕事を紹介しておきました。明日から来るみたいです」
「そうか」
話を聞き頷いた。
黒髪のあの少年も、安定した仕事を得られてさぞ安心しているだろう。今度様子を見に行くことにしよう。
「物を運ぶ時は手伝いますから言ってくださいね。部屋に入ってもいいなら、ですけど……」
父の部屋の前に立つと、隣から躊躇いがちの言葉がかかった。
死後とはいえ、父の部屋に使用人が入ることに抵抗があるようだ。
「運ぶだけなら許して下さるんじゃないかな。その時はお願いするよ」
返事をしてから扉を開けて中に入る。
「はい!」
扉を閉める直前にアレックスの弾んだ声が返ってきて、自分も口端を持ち上げる。
扉を完全に閉め一人になると、張り詰めていた糸が切れたかのように肩の力が抜けた。
「で、なにか分かったか?」
背筋を丸くして部屋の中央に進んでいくと、雪に触れた時のように冷たいリリヤの声が前方から聞こえてきた。
自分の部屋の時と同じく窓際にいて、明るい大地を見ている。こちらを見ていないことが却って怖い。
「……なんにも」
「だろうな。分かったのは今晩お前が魚を食べるということくらいだ」
低い声で淡々と言われ、雪が積もった時のように頭が冷えていく。
隣を通り過ぎる際立ち止まり、僅かに頬が膨らんだリリヤに顔を向ける。聞いていたことにも驚いたが、今はそれを指摘するところではない。
「……ごめん。僕が馬鹿だったよ」
「そうだな。だけどちゃんとこっちを見て謝ったし、長居もしていないし良いだろう」
少女の表情が和らいだことに安堵し天蓋の布をくぐり抜ける。
「ただ覚えておくんだな。なにをか、もちろん言えるよな?」
表情が和らいだとはいえ、中央から聞こえる声は少々尖っていた。
布団の皴を見つめながら言葉を探す。女性に詰め寄られるのは初めてだ。
自分は母を知らない。だから余計思った。
母と対峙するというのは、このように気まずいものなのだろうと。
「私情より優先することもある……」
「そうだ。それは人の上に立つ人間ほど心がけておかないといけないことだ」
母親が息子のことを真剣に思って説教しているかのような声音だ。その言葉が自分の中に重たく響いてくる。
言葉もなく顎を引いて頷き、この布団も足しになるかと両手を使って持ち上げた。中央で一度仕分けをする程度なら、アレックスは呼ばなくてもいいだろう。
「だけども……私の見た光景とお前達が聞いた話にズレがあることは気になるな。やるべきことが済んだら調べるか」
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視線を動かさないその瞳が、悔しそうに一点を見つめているのが印象的だった。
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