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後編 現実(ゆるい)
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「本当!? 文房具くれるの!? わー嬉しい!」
何も置かれていないベッドをオレが見ている後ろで、おねだりが成功した子供のような声がした。こんなにはしゃいでる宇宙人に「実は……」と切り出す勇気はオレにはない。
「ねー! 早く!」
動かないオレを急かすたこさんの声にびくりと肩が震えた。
少ししてオレはオイルが切れたブリキ人形のようにぎこちなく首を回して後ろを向いた。
「たこさん……あ、あのさ……」
発音悪くごにょごにょと話しかける。どう切り出していいものか悩んだ。
「なになに? ……まさか文房具を持ってないとか言うの?」
歯切れの悪いオレを見てかたこさんのトーンも低くなる。
「そのまさか、みたいでして……」
オレは歯切れ悪く、やっぱりごにょごにょと続ける。なんとなく敬語になっていた。
たこさんはオレの態度を見て全てを理解したらしい。オレを映したまま固まっていた。
見つめ合う形のまま永久とも思える時間が流れた。
息遣いも聞こえないような膠着状態を最初に崩したのはたこさんだった。
「くれるって言ったじゃないかッ!」
ぬいぐるみサイズのたこさんが発したとは思えない大きな声だった。耳がツンとした。
「ごめん! 鞄が地球にあるみたいなんだ!」
両手を合わせて謝りながら思った。
なんでオレが謝らないといけないんだ? 鞄ごと誘拐しなかったたこさんが悪いんだろうが。
だけどそんなこと、中世ヨーロッパの我が儘王子が癇癪を起こしたみたいに宇宙船の壁に当たりだしたたこさんには知ったこっちゃないらしい。
ガコンガコン宇宙船が揺れ始めたものだから、オレはベッドにしがみついた。そんなにキレるなと言いたいが、仕方がないのかもしれない。
なんせ、たこさんは小さい。ということは脳みそも小さいはずだ。そんな小さな脳みその持ち主に大人のホモサピエンスと同じ対応なんて期待できるわけがない。
「文房具! ほしーヨほしーヨ!」
たこさんは先程よりも大きな声を上げて、触手をいっぺんに壁に叩きつけている。
大したことのなさそうな弱々しい触手でも、いっぺんとなると宇宙船をガコンガコン揺らすものだから立っていられない。
「うわっ!」
ついには立っていられなくなり、オレは膝から崩れ落ちた。
「文房具ゥゥゥー!」
体勢を崩したオレに構うことなくたこさんは暴れている。触手で壁を殴るだけだったキレ方もエスカレートし、今度はドスンドスンと飛び跳ねていた。可愛いぬいぐるみみたいなたこさんだが実際は相当な重量があるようだ。
このままでは宇宙船の床が抜けるのではないだろうか。そうしたらオレは宇宙空間に放り出されてしまう。
宇宙人のたこさんは平気なのかもしれない。人間が宇宙服なしに宇宙空間に出ると爆発はしないで代わりに窒息死するんだと前本で見たことがある。嫌な死に方だ。それ以前に死にたくないし。
「たこさん! 落ち着けよ!」
オレは叫んだ。けど発狂し続けているたこさんには聞こえていない。
歩いてたこさんを捕まえられたら一番いいのだろうが、船内がこうも不安定だと近くにも寄れない。
「文房具! 欲しかっタ!」
ドスンドスンと音を立て続けるたこさんを見ていると「お前が浅はかなだけだろう」というツッコミは消え失せ恐怖が沸き上がってきた。
持っていない文房具を渡さないとオレは死ぬ。しかもきっと地球の人に気付かれずに。
そんなのは嫌だ。
オレはこの状況を打破する方法を考えた。期末テストの問題よりも考えた。そして閃いた。
「たこさん!」
オレは叫び、膝立ちながらもたこさんの近くににじりよる。
オレの目も気にせず暴れていたたこさんだったが、近くに人が映り込んだことで少し正気を取り戻したらしい。
「ア゛ッ!?」
今話しかけんなと言わんばかりにドスの効いた声を発し、たこさんはこちらを睨みつけた。
オレはその機を逃さず、ズボンのポケットから鉄製の割り箸のようなものを取り出し、たこさんに見せつける。
もし異世界に行っても大丈夫なように、常に持ち歩いている物の存在を思い出したのだ。
「ほら! 文房具? 持ってたの忘れてたんだ! やるよ!」
「…………えッ」
オレが文房具を見せるとたこさんは電池が切れたかのようにパタリと動かなくなった。途端に船内が静かになる。
「……これ、ナァニ?」
それまでのドスの効いた声はどうしたのやら、きょとんという効果音がつきそうなほどピュアな声を出して訊ねてくる。
その変わり身の早さになんだか頬が引きつりそうになるのを堪えながら、ちょいちょい悪意たっぷりに幼稚園児に説明するお兄さんの口調で返した。
「これはね、コンパスって言う道具だよ」
「コンパス?」
クエスチョンマークを頭に浮かべているたこさんの近くにオレは腰を下ろした。
コンパスを広げ、先端のカバーを外し針を床にそっと刺しそこを軸に円を書いていく。鉛筆では床に円は書けないので動きだけになったが、それでもたこさんを沸き立たせるには充分だったようだ。
「ォオオォ!」
男臭い歓喜の声を上げてたこさんは目を輝かせた。さっきまでのマスコットキャラはどこ行った?
「これハ素晴らしい! クリックで簡単に円が書ける宇宙とは大違いネ!」
喜びに震えているたこさんが手を伸ばし、オレが持っていたコンパスに触手を絡ませる。
ぐいっと半ば強引に奪い取られたがそんなのは些細なことに思えた。
たこさんが文房具を手に入れたのだからやっと地球に帰れる。なんだか太陽よりもエネルギッシュなお子さまの相手をさせられた気分だ。疲れた。
「で、たこさん。約束通りオレを地球に帰してくれよ」
床や壁、はてや自分の触手すら紙にしてコンパスをぐるぐるしていたたこさんの手が思い出したように止まった。
「ア、そーだったネ! 君もう用済みだった!」
からっとしたたこさんの物騒な物言いに一瞬怯んでしまったが、それは杞憂だった。たこさんはコンパスを大切そうに握り締めながらベッドへ向かう。
「ジャーここに横になッテ」
「おう」
頷き言われた通りオレはベッドに横になった。行きもこれだったから帰りもこれなんだろう。
「目をつむ……らなくてもイイヤ」
なんだよそれ。
そう言ってやりたかったがまた癇癪を起こされても嫌なので何も言わなかった。
代わりに別れの挨拶を口にした。いくらアレなたこ相手でもこれくらいは言うもんだろう。
「じゃあな、たこさん。コンパスを大切にするんだぞ……っ」
口を動かした直後頭痛がした。誘拐された時と同じ痛さに地球に帰れるんだなと実感する。
結局目を閉じて頭痛に耐えていると、遠くでたこさんの声がした。
「アー私たこさんじゃなくてオクトパスさんだカラ」
どっちでもいいわ。
***
最近のたこは別れの挨拶もロクに言えないのかよ!
目を閉じながら毒づいている内に痛みが引いていった。
恐る恐る目を開いてみると、そこは先程と同じ路地裏だった。足下には鞄と中身がぶちまけられていたが、一体どういうテクノロジーなのかオレは自転車に跨がっている。
もしかしてたこさんとの出来事は夢だったんじゃないか? あんな宇宙人がいたらNASAが泣きそうだし。
その可能性は高いな、とオレはズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「え」
思わず声が漏れた。ポケットの中からコンパスが消えていたからだ。
反射的にオレは空を仰いだ。図上にはただただ星空が広がっていた。
オレは本当に文房具マニアの宇宙人に誘拐されたのかもしれない。
そう思うとなんだか人生は悪くないように思えた。この宇宙は広いんだから受験一つで愚痴愚痴していた自分が情けなく思えた。
オレはその場でフッと笑み、顔を上げて自転車を漕ぎ始めた。いつもと同じ帰り道が少しだけ眩しく見えた。
気持ちも新たに帰宅したオレを迎えたのは、母さんの怒鳴り声だった。
なんでオレ怒られてるの!?
理由はすぐに分かった。時計が零時を過ぎていたからだ。どうやらたこさん改めオクトパスさんに誘拐されている間に門限を破ってしまっていたらしい。
正座をさせられながら思った。
やっぱり人生クソだ。
何も置かれていないベッドをオレが見ている後ろで、おねだりが成功した子供のような声がした。こんなにはしゃいでる宇宙人に「実は……」と切り出す勇気はオレにはない。
「ねー! 早く!」
動かないオレを急かすたこさんの声にびくりと肩が震えた。
少ししてオレはオイルが切れたブリキ人形のようにぎこちなく首を回して後ろを向いた。
「たこさん……あ、あのさ……」
発音悪くごにょごにょと話しかける。どう切り出していいものか悩んだ。
「なになに? ……まさか文房具を持ってないとか言うの?」
歯切れの悪いオレを見てかたこさんのトーンも低くなる。
「そのまさか、みたいでして……」
オレは歯切れ悪く、やっぱりごにょごにょと続ける。なんとなく敬語になっていた。
たこさんはオレの態度を見て全てを理解したらしい。オレを映したまま固まっていた。
見つめ合う形のまま永久とも思える時間が流れた。
息遣いも聞こえないような膠着状態を最初に崩したのはたこさんだった。
「くれるって言ったじゃないかッ!」
ぬいぐるみサイズのたこさんが発したとは思えない大きな声だった。耳がツンとした。
「ごめん! 鞄が地球にあるみたいなんだ!」
両手を合わせて謝りながら思った。
なんでオレが謝らないといけないんだ? 鞄ごと誘拐しなかったたこさんが悪いんだろうが。
だけどそんなこと、中世ヨーロッパの我が儘王子が癇癪を起こしたみたいに宇宙船の壁に当たりだしたたこさんには知ったこっちゃないらしい。
ガコンガコン宇宙船が揺れ始めたものだから、オレはベッドにしがみついた。そんなにキレるなと言いたいが、仕方がないのかもしれない。
なんせ、たこさんは小さい。ということは脳みそも小さいはずだ。そんな小さな脳みその持ち主に大人のホモサピエンスと同じ対応なんて期待できるわけがない。
「文房具! ほしーヨほしーヨ!」
たこさんは先程よりも大きな声を上げて、触手をいっぺんに壁に叩きつけている。
大したことのなさそうな弱々しい触手でも、いっぺんとなると宇宙船をガコンガコン揺らすものだから立っていられない。
「うわっ!」
ついには立っていられなくなり、オレは膝から崩れ落ちた。
「文房具ゥゥゥー!」
体勢を崩したオレに構うことなくたこさんは暴れている。触手で壁を殴るだけだったキレ方もエスカレートし、今度はドスンドスンと飛び跳ねていた。可愛いぬいぐるみみたいなたこさんだが実際は相当な重量があるようだ。
このままでは宇宙船の床が抜けるのではないだろうか。そうしたらオレは宇宙空間に放り出されてしまう。
宇宙人のたこさんは平気なのかもしれない。人間が宇宙服なしに宇宙空間に出ると爆発はしないで代わりに窒息死するんだと前本で見たことがある。嫌な死に方だ。それ以前に死にたくないし。
「たこさん! 落ち着けよ!」
オレは叫んだ。けど発狂し続けているたこさんには聞こえていない。
歩いてたこさんを捕まえられたら一番いいのだろうが、船内がこうも不安定だと近くにも寄れない。
「文房具! 欲しかっタ!」
ドスンドスンと音を立て続けるたこさんを見ていると「お前が浅はかなだけだろう」というツッコミは消え失せ恐怖が沸き上がってきた。
持っていない文房具を渡さないとオレは死ぬ。しかもきっと地球の人に気付かれずに。
そんなのは嫌だ。
オレはこの状況を打破する方法を考えた。期末テストの問題よりも考えた。そして閃いた。
「たこさん!」
オレは叫び、膝立ちながらもたこさんの近くににじりよる。
オレの目も気にせず暴れていたたこさんだったが、近くに人が映り込んだことで少し正気を取り戻したらしい。
「ア゛ッ!?」
今話しかけんなと言わんばかりにドスの効いた声を発し、たこさんはこちらを睨みつけた。
オレはその機を逃さず、ズボンのポケットから鉄製の割り箸のようなものを取り出し、たこさんに見せつける。
もし異世界に行っても大丈夫なように、常に持ち歩いている物の存在を思い出したのだ。
「ほら! 文房具? 持ってたの忘れてたんだ! やるよ!」
「…………えッ」
オレが文房具を見せるとたこさんは電池が切れたかのようにパタリと動かなくなった。途端に船内が静かになる。
「……これ、ナァニ?」
それまでのドスの効いた声はどうしたのやら、きょとんという効果音がつきそうなほどピュアな声を出して訊ねてくる。
その変わり身の早さになんだか頬が引きつりそうになるのを堪えながら、ちょいちょい悪意たっぷりに幼稚園児に説明するお兄さんの口調で返した。
「これはね、コンパスって言う道具だよ」
「コンパス?」
クエスチョンマークを頭に浮かべているたこさんの近くにオレは腰を下ろした。
コンパスを広げ、先端のカバーを外し針を床にそっと刺しそこを軸に円を書いていく。鉛筆では床に円は書けないので動きだけになったが、それでもたこさんを沸き立たせるには充分だったようだ。
「ォオオォ!」
男臭い歓喜の声を上げてたこさんは目を輝かせた。さっきまでのマスコットキャラはどこ行った?
「これハ素晴らしい! クリックで簡単に円が書ける宇宙とは大違いネ!」
喜びに震えているたこさんが手を伸ばし、オレが持っていたコンパスに触手を絡ませる。
ぐいっと半ば強引に奪い取られたがそんなのは些細なことに思えた。
たこさんが文房具を手に入れたのだからやっと地球に帰れる。なんだか太陽よりもエネルギッシュなお子さまの相手をさせられた気分だ。疲れた。
「で、たこさん。約束通りオレを地球に帰してくれよ」
床や壁、はてや自分の触手すら紙にしてコンパスをぐるぐるしていたたこさんの手が思い出したように止まった。
「ア、そーだったネ! 君もう用済みだった!」
からっとしたたこさんの物騒な物言いに一瞬怯んでしまったが、それは杞憂だった。たこさんはコンパスを大切そうに握り締めながらベッドへ向かう。
「ジャーここに横になッテ」
「おう」
頷き言われた通りオレはベッドに横になった。行きもこれだったから帰りもこれなんだろう。
「目をつむ……らなくてもイイヤ」
なんだよそれ。
そう言ってやりたかったがまた癇癪を起こされても嫌なので何も言わなかった。
代わりに別れの挨拶を口にした。いくらアレなたこ相手でもこれくらいは言うもんだろう。
「じゃあな、たこさん。コンパスを大切にするんだぞ……っ」
口を動かした直後頭痛がした。誘拐された時と同じ痛さに地球に帰れるんだなと実感する。
結局目を閉じて頭痛に耐えていると、遠くでたこさんの声がした。
「アー私たこさんじゃなくてオクトパスさんだカラ」
どっちでもいいわ。
***
最近のたこは別れの挨拶もロクに言えないのかよ!
目を閉じながら毒づいている内に痛みが引いていった。
恐る恐る目を開いてみると、そこは先程と同じ路地裏だった。足下には鞄と中身がぶちまけられていたが、一体どういうテクノロジーなのかオレは自転車に跨がっている。
もしかしてたこさんとの出来事は夢だったんじゃないか? あんな宇宙人がいたらNASAが泣きそうだし。
その可能性は高いな、とオレはズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「え」
思わず声が漏れた。ポケットの中からコンパスが消えていたからだ。
反射的にオレは空を仰いだ。図上にはただただ星空が広がっていた。
オレは本当に文房具マニアの宇宙人に誘拐されたのかもしれない。
そう思うとなんだか人生は悪くないように思えた。この宇宙は広いんだから受験一つで愚痴愚痴していた自分が情けなく思えた。
オレはその場でフッと笑み、顔を上げて自転車を漕ぎ始めた。いつもと同じ帰り道が少しだけ眩しく見えた。
気持ちも新たに帰宅したオレを迎えたのは、母さんの怒鳴り声だった。
なんでオレ怒られてるの!?
理由はすぐに分かった。時計が零時を過ぎていたからだ。どうやらたこさん改めオクトパスさんに誘拐されている間に門限を破ってしまっていたらしい。
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