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10 Twist Of The World/電気グルーヴ

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 昼はサンドウィッチとデカフェのラテ、夕方以降はハンバーグプレートと自家製ジンジャーエールが人気メニュー、バイパス沿いのダイナーがかずこの、現在の職場。

 近所に住む年金暮らしの凡二郎に隙があるように見せ掛けて尻を撫でさせれば千円、長距離ドライバー兼YouTuber、ケン坊の食レポ動画撮影を手伝えば千円、そうしてチップが積もれば貯金もしながら不自由なく暮らせる、ならばビッグライトを照射したバスケットボールみたいな体型の二代目店主によるジェンダー的な視座に基づく嫌味も右から左。

 パーソナルカラリスト検定受験は飽く迄も趣味の内、いわゆるキャリアアップに対する興味、関心は希薄と考えられるが、潜在的にも同様かどうかは判断不能。

 遡っても繰り返しの日々を愚痴るポストは見当たらず、相対的、または客観的な自らの現状に大きな不満を感じてはいない様子、であるがその一方、SNSではセレブリティの投稿を溢さずチェックし、欠かさずLIKEする、それは日課として。

 或いはTinder利用も自らの相対的価値を理解するべくの指標としている節がある。

 期間中、実際のデートは50代男性、お笑い芸人ポチョム金二郎似、と一度のみ。

 昼過ぎにカフェのテラス席で合流、二時間程度の世間話の後にミニシアターに移動、かずこのチョイスはアキ・カウリスマキの「枯れ葉」。観賞後に食事を予定していたがこれを固辞、シアター内にてやんわりと拒絶したにも拘らずポチョム金二郎側からのボディタッチが繰り返された事に因る。

 即ち安く見積もられ雑な扱いを受けた結果、これに相当の精神的ダメージを受けたようだが、同晩、自身の投稿がフォローしているセレブリティにLIKEされた事に直ちに気を取り直した様子だった。

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 身の丈を知れば自然、願望や期待を持ち過ぎる事もなく些細な出来事を至上の喜びに感じられる場合もある。

 なんでもないような事を幸せと思う。

 報告書から伝わるかずこの今の生活が詰まりそうした飼い慣らされた犬のそれ、たまには骨をしゃぶらされたならもっと寄越せと吠える頭はない。

 それは紛れもない不幸。

「どんなベストセラーより心を震わす内容だ。無論、バイブルよりも」

 どんぶりに顔を埋める勢いでビーフボウルを掻っ込みながら報告書を読み終え、みちのりは満足げに笑みを湛えた。

「切り離した筈ですがね。飛べないアヒルは丸焼きに、なんて私見は」

 ミルクの渦が広がり切る様子を見遣ってからコーヒーを口に運び、ザンダーが応えた。

「名前に負けないかずのこ天井、それも宝の持ち腐れとは神の嘆きが聞こえてきそうだ」

「自分も畳の上で死ねるとは思っていませんがね、あなたには負ける。鮮やかなK.Oで」

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 同席していた同僚のキャシーが口を開いたのは依頼人の姿が歩行者の列に紛れ見えなくなってから、やっと。

「一度下水に流したくらいじゃ足りないくらい不快な男だったわ。あなたの本音はどうなの、ザンダー」

「地上でのラストミールがビーフボウルだなんて、あの男の不幸もまたタンカー級だと俺は思うね。男としては同情を禁じ得ないよ」

「わたしには話していない事情がありそうね。どうなの、ザンダー」

「ツナ漁船に乗らない限りは膨らんだ借金の完済は不可能、それが実情だそうだ」

「それほどの借金を背負える甲斐性があんな男にあるなんて、神のみぞ知る、ね」

 牛丼屋の店内から硝子越しに通りを見遣る。いずれが内側、外側か、いわゆる水槽の様相。個々の事情もお構いなしの強行パレードなら一様の無表情も然もありなん。

「どいつもこいつもリビングデッドだ」

 天を仰ぐザンダー、反対に、かずこの身辺レポートに視線を落としていたキャシーがふと気付いたような調子で呟く。

「という事は、今回の調査費も」

「勿論、借金。借金返済の為の懲役の、その前に心のしこりを取り除こうとしてまた借金、と」

「そこまでして元恋人の現状を知りたいものかしら」

「飽く迄も、不幸な、現状さ、知りたいのはね」

 目玉だけを横に動かしてザンダーの表情を盗み見る。頬の歪みが世間を皮肉と嗤っていた。

「良い探偵とはカスタマーにとってカウンセラーでもある、て、こういう事」

 精一杯に呆れて見せたのだがしかし、そのキャシーの気持ちはザンダーには。

「そういう事」

 伝わらなかった。


('24.6.19)
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