上 下
23 / 39
第三章・ランスウォールの後継者

激怒するアナスタシア

しおりを挟む

「やだ、どうしたの皆さん? 私が来たら急に会話をやめてしまうなんて、感じが悪いわよ。そこのあなた、私にもお茶をくれる? 私が王都で買って来た高級な茶葉を使って頂戴ね」

 まるでこの屋敷の女主人にでもなったつもりなのか、つんと澄まして偉そうに居間に入って来たゲルダは、伯爵がくつろぐ時に座る、窓際に設置された若草色のソファに腰掛けた。そこは伯爵以外はアナスタシアしか座らない特別な席。亡くなったアナスタシアの母の指定席であり、嫁入り時にわざわざ母国から持ち込んだお気に入りのソファである。

「そこに座らないで!!」

 それを見たアナスタシアはスックと立ち上がり、凄い剣幕でゲルダに向って怒鳴りつけた。そしてスタスタとその前まで行くと、腕を掴んで無理やり立たせて自分とゲルダの位置を交代させた。ソファを守る形でその前に立ち、静かにゲルダを見下ろす。

「何するのよ! 痛いじゃないの!」
「この席には座らないで下さい。誰かに説明されませんでしたか? ここは亡くなった母の指定席なのです。あなたが座る場所ではありません。椅子なら他にもたくさんあるのですから、今後これに座る事も触れる事も、止めて下さい」

 アナスタシアがゲルダを睨むその目は、騎士の戦闘時のそれだった。殺気さえ伝わるその眼差しに見下ろされ、ゲルダは恐怖を感じ、小刻みに震えた。アナスタシアの放つ声は初めに怒鳴りつけた時とは対照的に、落ち着いていて丁寧なのに、どこか冷気を纏ったかのような冷たさで、その場に居た使用人達ですら初めて聞く彼女の怒気をはらませた声に反応し、ピンと背筋を伸ばした。 

「あ……殺される……」

 ゲルダはアナスタシアから離れようと、ガクガク震える覚束ない足取りで数歩下がり、腰が抜けてそこでしりもちをついた。彼女のドレスは床に着いたところから徐々に濡れていき、異臭を放った。

「あなたはもっと相応の覚悟を持ってこの屋敷に来たのだと思っていましたが、どうやら少し買いかぶり過ぎたようですね。わざと私を怒らせようと喧嘩を売るようなマネばかりして、一体何がしたいのですか? 私はただ、母の椅子に座らないでと言っただけなのに、そんな反応をされてしまうと、まるで私が意地悪でもしたみたいではありませんか」

 いつのまにかアナスタシアから殺気は消えていた。使用人達もホッと息を吐き、床掃除のためのバケツと雑巾を取りに数人がその場を離れた。

「知らなかったのよ、この椅子にそんないわくがあるなんて、聞いてないわ」

 弱弱しくゲルダは訴えるが、それに使用人達は反論した。

「言いました! 四年前にも言いましたし、ひと月前にまた現れた時にも、それから何度も説明しています。この方はわざとこのソファに座って私たちに注意させて、旦那様にはそれを捻じ曲げて説明し、使用人が意地悪すると告げ口するんです。もう旦那様も呆れています」
「ここの使用人は教育がなっていないわ。伯爵夫人になる私の事を見下して、意地悪ばかりするもの。今度は娘のあなたまで加わって……」

 この場に居る全員が呆れてものが言えなかった。箱入り娘だと侮っていたアナスタシアの迫力に気圧されて失禁したくせに、ちょっと時間が経てばそれを忘れて反論してくる。自分は常に被害者で、そうなる為に色々と仕掛けてくるのだ。使用人達は本音ではゲルダに屋敷を出て行って欲しかった。伯爵は彼女の被害妄想的な声に反応こそしないが、一々悪者にされるのは決して気分の良いものでは無い。

「ママ、ママ!」

 男の子が母親を探して居間にやって来た。やはり「ママ」以外の言葉は出ない。失禁した恥ずかしさで立ち上がれないゲルダを見つけて、走りだした。

「リック! 何しに来たの、早く部屋に戻って。今日は部屋から出ないでって言ったでしょう。子守は何をしているのよ、まったく。役に立たないわね。首にするわよ」

 男の子に対しては母親らしい優しい声音で話しかけるが、子守への文句を言う時はまるで別人の様だ。どちらが本物のゲルダであるかは、説明する必要もないだろう。
 男の子はトボトボと部屋を出て行こうとして、先にゲルダが頼んでいた、高級茶葉を使ったティーセットを運んで来たメイドとぶつかってしまった。男の子はぶつかった衝撃でコロンと転がり、お盆の上で倒れたティーポットの中身と、ズレて落ちてきたカップをまともに食らってしまった。倒れた男の子を避けようとしたが、メイドの健闘むなしく、お盆の上の物は全て落ち、ガシャーンという音を響かせて室内は騒然となった。

「大丈夫? 火傷してしまったんじゃない?」

 アナスタシアは熱いお茶を被った男の子を勢い良く抱き上げると、急いで一番近い水場に向った。
 その場に居た使用人達もアナスタシアに続き、居間にはお茶を持って来たメイドとゲルダだけが残された。

「どうしよう、お嬢様にお怪我をさせてしまったみたいだわ……」

 メイドは床に散らばる陶器の破片に血が付いている事に気が付き、オロオロしたかと思うと、持って来たお盆を床に置いて慌てて部屋を出て行った。
 一人残されたゲルダはのそりと立ち上がり、濡れたドレスの裾を摘んで、割れた陶器を見に行った。そこには血の付いた破片がいくつか落ちていた。その一つを手に取って、ほくそ笑む。

「あら、簡単にあの娘の血が手に入ったわ。うふふ、やっぱり天は私に味方するのね。これでリックは伯爵自身の手で彼の子供だと実証されるわ。あの方に再会できたお陰で、つまらない子守からは開放されたし、幸運続きね。私があなたの仇を討ってあげるわよ。ふふふ、あははははは!」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と

鳳ナナ
恋愛
伯爵令嬢アムネジアはいじめられていた。 令嬢から。子息から。婚約者の王子から。 それでも彼女はただ微笑を浮かべて、一切の抵抗をしなかった。 そんなある日、三回目の婚約破棄を宣言されたアムネジアは、閉じていた目を見開いて言った。 「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」 その言葉を皮切りに、ついにアムネジアは本性を現し、夜会は女達の修羅場と化した。 「ああ、気持ち悪い」 「お黙りなさい! この泥棒猫が!」 「言いましたよね? 助けてやる代わりに、友達料金を払えって」 飛び交う罵倒に乱れ飛ぶワイングラス。 謀略渦巻く宮廷の中で、咲き誇るは一輪の悪の華。 ――出てくる令嬢、全員悪人。 ※小説家になろう様でも掲載しております。

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

【完結】婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

逃した番は他国に嫁ぐ

基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」 婚約者との茶会。 和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。 獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。 だから、グリシアも頷いた。 「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」 グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。 こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。

処理中です...