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第三章・ランスウォールの後継者

女の意地悪は陰湿です

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 ランスウォールの紋章の入った馬車は寮の前に横付けされると、中からゲルダが出て来た。馬車の中にランスウォール伯爵の姿は無い。アナスタシアは不思議に思い、ゲルダに尋ねた。

「ゲルダ様、お父様はどちらにいるのかしら?」

 ゲルダは不敵に笑い、アナスタシアに答える。

「彼は今、役所で色々な手続きをしているわ。娘を待たせてはいけないからと言って、私を遣したの。あら、荷物はそれだけ? あなたの馬車を連れて来なかったから、街で雇った荷馬車に積み込んでくれる?」

 領地にはアナスタシア専用の馬車がある。長期休暇の時はアナスタシア付きの侍女メアリがその馬車に同乗して送り迎えをしてくれていたのだ。
 見れば彼女が荷馬車と呼んだそれは旅芸人が使うような薄汚れた幌馬車だった。

「私の馬車はどうして置いてきたのですか? それに、迎えには侍女のメアリが同行するはずなのですけど?」

 ゲルダはクスクスと笑いながらアナスタシアに答えた。昨日とは随分態度が変わって別人のように意地が悪い。アナスタシアは顔に出さないよう気を付けて、注意深くこの女を見ていた。

「いやだ、ごめんなさいね。そのメアリは息子の世話係りにしちゃったの。馬車も息子が出かけたくなった時に使うから、クスッ、ねぇ、そんな顔をしないでくれる? お姉さんなら弟の為に馬車くらい譲ってくれるでしょ? 紋章入りの馬車は他にあれしか無かったんですもの」

 まだ本当に弟であるかさえ定かでない存在に、アナスタシアの侍女も馬車も取られてしまったらしい。この感じだと、屋敷で一番日当たりの良いアナスタシアの部屋も、その弟の物になっていそうだ。メアリはアナスタシアが一年の騎士研修を終えランスウォールに帰った時、侍女長になるはずだったのに、子供の世話係りに降格されてしまったというのか。メアリを勝手に配置換えしたと言われて、ピクリと眉が動いてしまった。
 メアリは貴族ではなく、アナスタシアが領内で見つけた孤児で、10年前、両親を亡くし住む所も無くふらついていた所を保護した女の子だ。年齢はアナスタシアの三つ上で現在20歳。礼儀作法も仕事も、拾ってくれた主に報いるために努力してその全てを二ヶ月で習得し、平民でありながらアナスタシアの侍女として恥ずかしくない仕事をこなして来た。本来貴族令嬢の就職先である侍女という役に平民のメアリを就けたのはアナスタシアの我がままだが、ランスウォール伯爵もその仕事ぶりを評価していた。

 お父様は一体何をしているの? この人に自由にさせすぎでは無いかしら? 馬車の事は、まあ良いわ。でもメアリの件は許せない。領地に帰ったら断固抗議するわ。

「あ、それからね、こっちの馬車にはあなたが乗るスペースは無いわよ。息子の為にお土産を買ったら荷台だけでは足りなくて、座席の上もいっぱいなの。だから荷馬車に乗って来て下さいね。それとも、馬に跨って勇ましく帰る? 騎士様ですもの、乗馬は得意でしょう? クスクス」

 昨日も感じが悪いと思ったが、おそらくこれこそが本性なのだろう。ランスウォール伯爵が役所で手続きをしてしまえば、もうこっちの物だと言わんばかりに態度を急変させた。ゲルダはこれからアナスタシアをランスウォールからいびり出すつもりなのだろう。
 この様子を見ていたテッドとハワードは黙っていられなくなり、駆け寄って同時にアナスタシアの手を取った。アナスタシアの声は聞こえなかったが、ゲルダの声は馬車の行きかう騒々しいこの場所でも聞こえるほど大きく通る声だった。彼女の意地の悪い発言はテッドとハワードの耳にまで届いていた。

「アナ、大丈夫か?」
「俺の迎えが来たら、一緒に帰ろう。君とこのトランク2つくらい、余裕で乗れるよ」

 ゲルダは突然現れた麗しいハワードと逞しいテッドを見て、また態度を変えた。素敵な若い男性二人を前にして、上から下まで舐めるように観察し、上目遣いに値踏みを始める。どうやら美形のハワードよりも、逞しく男らしいテッドの方がお好みのようだ。急にしおらしい態度を取り、テッドに笑顔を向けた。

「アナスタシアさん、素敵なお友達ね。お二人を私に紹介してくれる?」

 この女は何を言っているのだとテッドとハワードは怒鳴りつけたい気持ちだったが、アナスタシアがそれを目で制止した。ここで挑発に乗っては負けだ。彼女はこちらが強く出れば、多分それを大げさに盛って、ランスウォール伯爵に告げ口する気だろう。これはトラヴィスの一件で見たあの女と同じ人種だと直感した。力を持つ男に媚を売り、縋り付いて離さない。取り立てて美女というわけでもなく、どこにでも居る普通の女という見た目故に男は警戒しないのかもしれない。

「こちらは父の知り合いで、ゲルダ様よ。マクダネル男爵家の方で、今はミューラー子爵未亡人」

 テッドとハワードは貴族の仮面を被り、にこやかにゲルダの手をとり口づけをする振りをした。とてもじゃないが、この女の手に口づけなど出来なかった。

「お初にお目にかかります。私はアナスタシアと同じ魔法騎士で、ハワード・クレーマンと申します」
「私も同じく、魔法騎士のテオドール・バルシュミーデと申します」

 ゲルダはうっとりと二人を見て、溜息を吐いた。そしてテッドの名前に反応する。

「バルシュミーデですって? まさか、バルシュミーデ伯爵の息子さん?」
「はい、父をご存知なのですか?」
「ううん、違うわ。私、バルシュミーデで少しの間暮らしていたのよ。とても良いところよね」

 テッドとの共通点を見つけて気を良くしたゲルダは、ベラベラとその頃の話をしてテッドの気を引こうとした。しかし少しも乗ってこないテッドに見切りをつけて、今度はハワードに目を向けるが、ハワードはそもそも目を合わせようともしなかった。

「申し訳ないが、ここに馬車を停め続けると他の方の迷惑になりますから、あなたはランスウォール伯爵の元へ戻って下さい。旅程はおそらくうちと一緒でしょうから、アナはうちの馬車で送ります。伯爵にはその様にお伝え下さい」

 テッドはアナスタシアを自分の馬車でランスウォールまで送る事に決めたようだ。どう考えても常識はずれなこの女にアナスタシアを任せるという選択肢は無かった。
 ハワードも同感らしい。家の方向が違うせいでハワードが送り届けるという事が出来ないのは悔しいが、ここはライバルのテッドに任せる事にした。

「まぁぁ、未婚の女の子が、何日も男性と旅行すると言うの? 駄目よ。そんなはしたない事彼が許さないわ。私が叱られてしまうじゃない。止めてちょうだい」

 何を今更常識的な事を言い出すのか。それは勿論その通りだが、そうさせる原因が自分にあると思わないのかとテッドとハワードは内心ツッコミを入れた。

「では、伯爵家の馬車に積まれた荷物を幌馬車に移し変えて、アナスタシアをこれに乗せてくれますか? 初めからそうするのが普通ですよ。そこに思い至らなかったのですか?」

 ハワードがイラついて、言葉は丁寧だがキツイ口調でゲルダに物申した。ゲルダはキッとハワードを見て反論した。

「酷いわ! まるで私が悪いみたいに言うのね。クレーマンなんて知らない家名の子に、そんな風に責められたって彼に話すわよ!」

 ハワードの家は名門クレーマン侯爵家だ。貴族ならば誰でも知っている名前なのに、はっきり知らない家名だと言い切るとは、侯爵家の名前をクレーフェルドという地名で覚えているのだろう。領主の家名と地名が一致しない場合もあるのだが、それを知らないというのは平民でしかありえない事だ。それか教育を受けさせてもらえなかった貴族の愛人の子、という事もある。その場合社交界にも出ることは無いので、貴族の名前など知らなくても仕方が無い。

「ゲルダ様、ハワードは……」

 アナスタシアは教えてやろうとするが、ハワードに止められてしまった。ハワードは面白そうに笑って無礼なゲルダを見下ろした。そのままランスウォール伯爵に言えば良い。とハワードは考えたのだ。自称男爵家の娘は本当は何者なのか、改めて調べてくれるだろう。

「とにかく、もう行ってくれないか。あんたのせいで馬車が詰まって邪魔になっている。俺の言った通りに荷物を積みかえる気があるなら手伝ってやるが、そうでないなら、ここに居る意味はないだろう。さっさと行け」

 ゲルダはハワードが素を出して対応した事で、顔を赤くして怒り出した。そして馬車に乗り込み、ドアを乱暴に閉めた。
 御者と従者はアナスタシアを心配そうに見ていた。ぽっと出の訳のわからない女に、自分達の姫様が蔑ろにされているのだ。しかし悔しくても伯爵の子供を産んだ女性であるおかげで何も言えず、申し訳無さそうに会釈して、馬車を走らせた。
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