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第三章・ランスウォールの後継者
お父様、本当の気持ちを聞かせて下さい
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談話室での話し合いは消灯時間が来てお開きとなった。結論は出なかったが、アナスタシアの中ではほぼ考えは決まっていた。テッドの言葉を思い返す。タイムリミットは叙任式の前。式を行う為に城へ移動する前がベストだろう。
「トラヴィス様が当てにならなくて、生まれてすぐ死んでしまった弟の代わりに姉である私が領主になることを目指して頑張って来たけれど、思い通りに行かないものね。なにもこのタイミングで来なくても良いのに……最後にお父様の真意をお聞きしたかったわ。私に決定権を委ねたのだと思うけれど、それはとても残酷で、ズルイ考えよ」
~10時間前~
この日の午後、ランスウォール伯爵はアナスタシアに会いに魔法科の教室へ来ていた。家族が面会に来ていると知らせを受けて行って見ると、指定された教室の前の廊下には見知らぬ女性が立っていた。窓の外を眺めてつまらなそうにしている。それを誰かの母親だろうと見送って教室に入ると、休暇以来の父との再会に思わず笑みがこぼれた。
「お父様、お待たせしました」
アナスタシアは父にぎゅっと抱きしめられ、自分も抱き返した。
「アナスタシア、卒業おめでとう。本当にやり切ってしまったのだな。初めは無理だと思っていたが、毎年成長していくお前を見て関心したよ。お前は私の自慢の娘だ、何があってもそれだけは絶対に変わらないよ」
「ありがとうございます、お父様。これでランスウォールも安泰よ。ふふふっ」
「そうだな……ああ、その通りだ。お前が次期ランスウォール伯爵だよ」
この時既に父の様子はおかしかった。何かを諦めた様な、絶望した様な、私を哀れむようなおかしな目をしたの。
「トラヴィス様の事は、私から陛下に抗議した。お前を辱めただけでなく、リサ様の事も侮辱したと聞いた。隣国の皇女様への不敬は当然許されるものでは無い。それがたとえ本人が許すと言ったところで、どこでその話しが隣国へ洩れるかわからない」
「お父様、リサが誰なのか知っていたの?」
ランスウォール伯爵はフッと笑い、娘の反応をおもしろがった。
「気付くに決まっているだろう。ザイトブルクの王族の持つ特徴通り、黒髪に黒い瞳、顔立ちもこの国とは違ってどこか神秘的だ。亡くなった妻の様に、ブリカニアや周辺国にもこの特徴を持つ者はいるがあそこまで違いは無い。初めから知っていたよ」
アナスタシアは脱力した。卒業後、リサが帰国してから父にだけ種明かしするつもりだったのだ。
「それよりも、トラヴィス様への処分が甘すぎる。第一王子ジュリアス殿下が激怒して王籍を外させ、平民に落とそうとなさったが、平民に落とす直前に親戚で子供の居ない貴族に養子に出してしまわれた。降下された陛下の妹君の嫁ぎ先、ジールマン侯爵家は以前からトラヴィス様を養子にと申し出ていたのだそうだ」
不満そうに語る伯爵とは対照的に、当事者であるアナスタシアは特に気にしていなかった。すでにリサが個人的な報復は済ませているのだから。
他国の皇女を指差して侮辱した件については、リサの懐の深さで母国への報告はされなかった。だから大事にならずに済んだのだが、自分の容姿を言われた事には少しカチンと来たらしく、後日リサ本人の手で、中庭での公開丸坊主の刑を執行した。トラヴィス以下取り巻き達は皆しばらく丸坊主で過ごす破目になったのだ。それには流石のアナスタシアも胸のすく思いだった。
仕返しなどこの程度で十分というリサとアナスタシアの考えは同じで、婚約していた証拠はもうこの世に存在しないのだし、トラヴィスが幼少期からアナスタシアを婚約者だと思いこんでいてそれを嫌い、あのような行動に出たという事になったのだ。
謂れの無い誹謗中傷で迷惑を被った分の代償として、彼らも大人しく従ってくれた。
「知っています。魔法科の友人達がおもしろがって情報を流してくれるから、知りたくない事まで筒抜けなのよ。今はトラヴィス・ジールマン侯爵令息。処分が決まった後普通に学園に顔を出していたわ」
「よく平然と顔を出せるものだ。自分が仕出かした事の重大さを理解していないのだな。あのような方を我が領地に迎える事にならず、その点だけは良かったと思うよ」
父の言葉にクスクスと笑いが洩れる。確かに、彼が領主になったとして、まともに務まるのか疑問だ。
「あー、それでな、話は変わるが、実は紹介したい人がいるのだ。入っておいで!」
振り返ると、先ほど廊下で窓の外を眺めていた女性が教室に入って来た。誰かの母親かと思ったその人は、よく見ればまだ全然若く、20代半ばかと見受けられた。小柄で濃い茶色の髪、目は黒に見えるが良く見れば緑色だった。特に特徴的なところも無い、この国ではよくいるタイプの普通の女性だ。しいて言えば、胸が大きいのが特徴だろうか。最近関わったあの娘を思い出すが、顔はまったく似ていない。化粧をしているせいか、こちらの方が断然整った容姿である。
その女性はランスウォール伯爵の隣に立ち、甘えるような視線を向けた。伯爵は困った顔をして、その女性から娘へと視線を移す。アナスタシアは彼女が父から香った香水の主だと気付き、恋人を紹介されるのだと思って身構えた。
「アナスタシア、あのな、この人は、ゲルダ・ミューラー子爵未亡人だ。前ミューラー子爵が亡くなって、その葬儀の時知り合ったのだが……彼女は子爵の息子家族に屋敷を追い出されてしまってな、その……」
歯切れ悪く女性を紹介する伯爵の前に一歩出て、彼女は自分から説明を始めた。
「はじめまして、わたし、ゲルダ・ミューラーと言います。4年前に最愛の夫を突然亡くし、泣いていた私に手を差し伸べてくれた伯爵様のご好意に甘えて、あの冷たい義理の息子家族に屋敷を追い出された後、行き場の無かった私は伯爵様の所へ行き、しばらく泊めてもらいました。夫を亡くした寂しさから、彼に縋ってしまって……私達の間にこ……」
「ちょっと待った! それは私から話たい。君は下がっていてくれないか」
ゲルダは口を尖らせてプイッとそっぽを向いた。なんと幼稚な人だろうとアナスタシアは思った。身近で見てきた貴族令嬢たちは下級生だろうとそんな態度は取らない。小さな子供じゃあるまいし、目上の者に対してする態度ではない。それに子爵未亡人という割りに言葉遣いもなっていない。
「あのな、落ち着いて聞いてくれ」
ランスウォール伯爵は大きな溜息を吐き、意を決して口を開いた。その目は不安に揺れていた。
「私と彼女との間に、子供がいる。今、3才の男の子だ。すまない、アナスタシア。私も知ったのはひと月前で、手紙を出そうか迷っているうちに今日になってしまった。後継者はお前と決めている……だから何も心配しないで良い。今日の叙任式が済めば、お前は晴れて私の後継者となる。それで良い」
アナスタシアは首を傾げ、眉間にシワを寄せた。
「お父様、私、どういう事か……? その子は本当に、その」
「ああ、わかるよ。本当に私の子供なのかと聞きたいのだろう? 私も彼女に聞いたが、私の子供だと言って譲らないのだ。髪の色は私と同じ金色で、目の色は彼女と同じ緑色だ。それに、私の子供の頃にどことなく似ていて、亡くなったあの子が生きていたら、こんな感じだっただろうかと思わずに居られないほど可愛い子だ」
それを言われてしまったら、もう何も言えないアナスタシアは、最後にもう一度確認した。
「お父様、お父様は死んでしまったニコに爵位を継がせたかったと言っていましたよね、今でもそう思っていますか?」
アナスタシアは父親の反応をジッと観察した。アナスタシアからふいっと視線を逸らし、気まずそうに床を見た伯爵は、小さな声で答えた。
「ニコがまだお腹に居る時には、私の夢は広がっていた。あの子とどうやって領地を治めていこうかと、そんな事を妻とよく話していた。しかしあの子はもう居ない。私の夢は消えて無くなったのだ」
消えていませんよ、お父様。私がニコに代わって跡を継ぐと言っているではありませんか。やはりお父様は、私を認めているようでそうでは無いのですね。代々長男が継いできたランスウォールに、突然女伯爵が誕生することに戸惑いを感じているらしいと師匠から聞いた事があるけれど、あの時は私以外の選択肢が無かったから誰からも反対の声は上がらなかったわ。でも今はどうかしら? 真偽は定かでないにしろ、次男が現れたら?
「では、一度でもその女性との間に出来た子に爵位を継いで欲しいと思いましたか?」
ランスウォール伯爵は口を閉ざした。
「お父様、本当にこのまま私が後継者に指定されてしまって後悔しませんか?」
「……後継者は、アナスタシアだ。お前は領民からの信頼も厚く、騎士団とも積極的に交流を持っている。皆、お前が帰って来るのを心待ちにしているよ」
お父様の気持ちを知りたいのに、領民や騎士団を持ち出して誤魔化しましたね。本当の気持ちは言えないという事なのですか。困っているのはお互い様なのですよ。
「良く分かりました。早く帰って弟に会いたいわ。一体どんな子なのかしら。明日は叙任式の後、寮の前まで迎えに来て下さいね。では、私は明日の準備がございますので、失礼します」
「トラヴィス様が当てにならなくて、生まれてすぐ死んでしまった弟の代わりに姉である私が領主になることを目指して頑張って来たけれど、思い通りに行かないものね。なにもこのタイミングで来なくても良いのに……最後にお父様の真意をお聞きしたかったわ。私に決定権を委ねたのだと思うけれど、それはとても残酷で、ズルイ考えよ」
~10時間前~
この日の午後、ランスウォール伯爵はアナスタシアに会いに魔法科の教室へ来ていた。家族が面会に来ていると知らせを受けて行って見ると、指定された教室の前の廊下には見知らぬ女性が立っていた。窓の外を眺めてつまらなそうにしている。それを誰かの母親だろうと見送って教室に入ると、休暇以来の父との再会に思わず笑みがこぼれた。
「お父様、お待たせしました」
アナスタシアは父にぎゅっと抱きしめられ、自分も抱き返した。
「アナスタシア、卒業おめでとう。本当にやり切ってしまったのだな。初めは無理だと思っていたが、毎年成長していくお前を見て関心したよ。お前は私の自慢の娘だ、何があってもそれだけは絶対に変わらないよ」
「ありがとうございます、お父様。これでランスウォールも安泰よ。ふふふっ」
「そうだな……ああ、その通りだ。お前が次期ランスウォール伯爵だよ」
この時既に父の様子はおかしかった。何かを諦めた様な、絶望した様な、私を哀れむようなおかしな目をしたの。
「トラヴィス様の事は、私から陛下に抗議した。お前を辱めただけでなく、リサ様の事も侮辱したと聞いた。隣国の皇女様への不敬は当然許されるものでは無い。それがたとえ本人が許すと言ったところで、どこでその話しが隣国へ洩れるかわからない」
「お父様、リサが誰なのか知っていたの?」
ランスウォール伯爵はフッと笑い、娘の反応をおもしろがった。
「気付くに決まっているだろう。ザイトブルクの王族の持つ特徴通り、黒髪に黒い瞳、顔立ちもこの国とは違ってどこか神秘的だ。亡くなった妻の様に、ブリカニアや周辺国にもこの特徴を持つ者はいるがあそこまで違いは無い。初めから知っていたよ」
アナスタシアは脱力した。卒業後、リサが帰国してから父にだけ種明かしするつもりだったのだ。
「それよりも、トラヴィス様への処分が甘すぎる。第一王子ジュリアス殿下が激怒して王籍を外させ、平民に落とそうとなさったが、平民に落とす直前に親戚で子供の居ない貴族に養子に出してしまわれた。降下された陛下の妹君の嫁ぎ先、ジールマン侯爵家は以前からトラヴィス様を養子にと申し出ていたのだそうだ」
不満そうに語る伯爵とは対照的に、当事者であるアナスタシアは特に気にしていなかった。すでにリサが個人的な報復は済ませているのだから。
他国の皇女を指差して侮辱した件については、リサの懐の深さで母国への報告はされなかった。だから大事にならずに済んだのだが、自分の容姿を言われた事には少しカチンと来たらしく、後日リサ本人の手で、中庭での公開丸坊主の刑を執行した。トラヴィス以下取り巻き達は皆しばらく丸坊主で過ごす破目になったのだ。それには流石のアナスタシアも胸のすく思いだった。
仕返しなどこの程度で十分というリサとアナスタシアの考えは同じで、婚約していた証拠はもうこの世に存在しないのだし、トラヴィスが幼少期からアナスタシアを婚約者だと思いこんでいてそれを嫌い、あのような行動に出たという事になったのだ。
謂れの無い誹謗中傷で迷惑を被った分の代償として、彼らも大人しく従ってくれた。
「知っています。魔法科の友人達がおもしろがって情報を流してくれるから、知りたくない事まで筒抜けなのよ。今はトラヴィス・ジールマン侯爵令息。処分が決まった後普通に学園に顔を出していたわ」
「よく平然と顔を出せるものだ。自分が仕出かした事の重大さを理解していないのだな。あのような方を我が領地に迎える事にならず、その点だけは良かったと思うよ」
父の言葉にクスクスと笑いが洩れる。確かに、彼が領主になったとして、まともに務まるのか疑問だ。
「あー、それでな、話は変わるが、実は紹介したい人がいるのだ。入っておいで!」
振り返ると、先ほど廊下で窓の外を眺めていた女性が教室に入って来た。誰かの母親かと思ったその人は、よく見ればまだ全然若く、20代半ばかと見受けられた。小柄で濃い茶色の髪、目は黒に見えるが良く見れば緑色だった。特に特徴的なところも無い、この国ではよくいるタイプの普通の女性だ。しいて言えば、胸が大きいのが特徴だろうか。最近関わったあの娘を思い出すが、顔はまったく似ていない。化粧をしているせいか、こちらの方が断然整った容姿である。
その女性はランスウォール伯爵の隣に立ち、甘えるような視線を向けた。伯爵は困った顔をして、その女性から娘へと視線を移す。アナスタシアは彼女が父から香った香水の主だと気付き、恋人を紹介されるのだと思って身構えた。
「アナスタシア、あのな、この人は、ゲルダ・ミューラー子爵未亡人だ。前ミューラー子爵が亡くなって、その葬儀の時知り合ったのだが……彼女は子爵の息子家族に屋敷を追い出されてしまってな、その……」
歯切れ悪く女性を紹介する伯爵の前に一歩出て、彼女は自分から説明を始めた。
「はじめまして、わたし、ゲルダ・ミューラーと言います。4年前に最愛の夫を突然亡くし、泣いていた私に手を差し伸べてくれた伯爵様のご好意に甘えて、あの冷たい義理の息子家族に屋敷を追い出された後、行き場の無かった私は伯爵様の所へ行き、しばらく泊めてもらいました。夫を亡くした寂しさから、彼に縋ってしまって……私達の間にこ……」
「ちょっと待った! それは私から話たい。君は下がっていてくれないか」
ゲルダは口を尖らせてプイッとそっぽを向いた。なんと幼稚な人だろうとアナスタシアは思った。身近で見てきた貴族令嬢たちは下級生だろうとそんな態度は取らない。小さな子供じゃあるまいし、目上の者に対してする態度ではない。それに子爵未亡人という割りに言葉遣いもなっていない。
「あのな、落ち着いて聞いてくれ」
ランスウォール伯爵は大きな溜息を吐き、意を決して口を開いた。その目は不安に揺れていた。
「私と彼女との間に、子供がいる。今、3才の男の子だ。すまない、アナスタシア。私も知ったのはひと月前で、手紙を出そうか迷っているうちに今日になってしまった。後継者はお前と決めている……だから何も心配しないで良い。今日の叙任式が済めば、お前は晴れて私の後継者となる。それで良い」
アナスタシアは首を傾げ、眉間にシワを寄せた。
「お父様、私、どういう事か……? その子は本当に、その」
「ああ、わかるよ。本当に私の子供なのかと聞きたいのだろう? 私も彼女に聞いたが、私の子供だと言って譲らないのだ。髪の色は私と同じ金色で、目の色は彼女と同じ緑色だ。それに、私の子供の頃にどことなく似ていて、亡くなったあの子が生きていたら、こんな感じだっただろうかと思わずに居られないほど可愛い子だ」
それを言われてしまったら、もう何も言えないアナスタシアは、最後にもう一度確認した。
「お父様、お父様は死んでしまったニコに爵位を継がせたかったと言っていましたよね、今でもそう思っていますか?」
アナスタシアは父親の反応をジッと観察した。アナスタシアからふいっと視線を逸らし、気まずそうに床を見た伯爵は、小さな声で答えた。
「ニコがまだお腹に居る時には、私の夢は広がっていた。あの子とどうやって領地を治めていこうかと、そんな事を妻とよく話していた。しかしあの子はもう居ない。私の夢は消えて無くなったのだ」
消えていませんよ、お父様。私がニコに代わって跡を継ぐと言っているではありませんか。やはりお父様は、私を認めているようでそうでは無いのですね。代々長男が継いできたランスウォールに、突然女伯爵が誕生することに戸惑いを感じているらしいと師匠から聞いた事があるけれど、あの時は私以外の選択肢が無かったから誰からも反対の声は上がらなかったわ。でも今はどうかしら? 真偽は定かでないにしろ、次男が現れたら?
「では、一度でもその女性との間に出来た子に爵位を継いで欲しいと思いましたか?」
ランスウォール伯爵は口を閉ざした。
「お父様、本当にこのまま私が後継者に指定されてしまって後悔しませんか?」
「……後継者は、アナスタシアだ。お前は領民からの信頼も厚く、騎士団とも積極的に交流を持っている。皆、お前が帰って来るのを心待ちにしているよ」
お父様の気持ちを知りたいのに、領民や騎士団を持ち出して誤魔化しましたね。本当の気持ちは言えないという事なのですか。困っているのはお互い様なのですよ。
「良く分かりました。早く帰って弟に会いたいわ。一体どんな子なのかしら。明日は叙任式の後、寮の前まで迎えに来て下さいね。では、私は明日の準備がございますので、失礼します」
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