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第四章 王子と姫君
4-8. 王子と姫君
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食堂に着くと、アシュレイナ姫がふいに立ち止まり、水の入ったグラスを手にした。
「ティリス王子」
細い、白魚の指が動いた。
強くグラスをふって、ぱしゃんと、ティリスに前触れもなく水をかけた。いつかレオンがやったように、頭から。
「一度ならず二度までも、あのような非礼を働いて、謝罪もなく、許されると思うのですか! 恥を知りなさい!」
ティリスはびっくりして、次にはさっと頬を紅潮させた。
「アシュレイナ!」
ティリス以上に、驚いたのか。レオンが直後、怒鳴りつけた。
「やめろ、レオン!」
ぱん!
割って入ったティリスの頬を、姫が平手打ちした。
「アシュレイナ!」
「よせ!」
正直、ショックだった。それでも、片腕で打たれた頬を隠すようにしながら、ティリスはレオンに怒鳴りつけた。
「おまえ、わかってるのか! 姫に、どれだけ失礼なことしてるのか……! オレが悪かったんだ、オレのことはいい! おまえが反省しろ!」
「ふざけるな、いいものか!」
ティリスは目を見開いて、レオンを見た。絶句した。
レオンの剣幕に、本気で怒ってくれることに、言葉をなくすくらい胸が詰まったのだ。
一方で、それは姫を重ね重ねないがしろにする言葉だったから。
「――レオン皇子、私に対して最低限の誠意があるなら、後で、ティリス王子に処罰をお与え下さい。鞭打ちなり何なり、相応のものを。――王子に寵を与えるのは貴方の自由です。ですが、ティリス王子の振る舞いは、礼をわきまえぬもの。貴方も、この上王子を罰しようとなさらないのは、私に対する非礼とお心得下さい。その時には、貴方に私を正妃として扱う気はないのだと、判断させて頂きますから――」
どこまでも冷たい怒りを宿した瞳で、アシュレイナ姫が言った。
――当然だよな。
正妃にと招いておきながら、寵童にうつつを抜かして礼を欠いているのだ。怒るなと言うのが無理だった。
「……打てよ。オレ、姫に謝れないし……それで姫の気が済むなら、いい」
ティリスはこの姫、むしろ正々堂々とした、きちんとした姫なのだと思った。
汚いこと、いくらでもできるはずなのに、あえてレオンの前でやっている。
ティリスへの仕打ちも、熱湯やシチューの類をかけることはせず、水にとどめた。
怒りは表明しても、感情に任せて相手を傷つけるまでは、しない姫なのだ。
「……だめだ、ティリスを痛めつけることは許さない。姫が何を言っているのか理解できないが、それが非礼だと言うなら、帰国されて構わない」
「……」
姫がじっとレオンを見る。
ティリスは正直、複雑だった。
嬉しくもあり、心苦しくもある。納得行かなくもある。
彼女を誰より痛めつけてくれるのは、他ならぬレオンだし。
「……わかりました、皇帝陛下にご挨拶した後、帰国させて頂きます」
え……?
ティリスは拍子抜けして姫を見た。
次には、それで構わないのかと、レオンを見た。
こんなにいい姫、滅多にいない。
彼女など、こんなに、全然、聞き分けよくないし。
才色兼備で、浮気まで許しちゃうんだぞと、帰らせていいのかよと。
「皇子、明日の夜会の件ですが……」
すっかり遅れた朝食の席、重臣の一人が切り出した。
「ああ」
姫が帰国するんじゃ、意味ないよな。
「予定通りでいいだろう。アシュレイナが帰国するなら、別に正妃も決めないと、ならないしな」
――?
姫がふっと微笑んだ。
「いいえ、レオン皇子。わたくし、皇帝陛下がお戻りになるまでは、貴方を待ってみようと思います。わたくしより、ティリス王子が先に帰国なさるかも、わかりませんし――その時には、考え直してみようと思いますの」
ええっ。
「……? どうして、ティリスが帰国するんだ?」
「レオン皇子、明日の夜会の趣旨を、ティリス王子はご存知ないとお見受けいたします」
知らない。
何だよ。どういう――
「確かに、知らせていないが」
それまで黙って控えていた姫の侍女が、主人の意を汲むように、それを受けてティリスに告げた。
「レオン皇子は明日、姫様の他に、ご側室を数名選ばれますわ。皇帝陛下が、数十名の姫を招かれたと聞きました」
アシュレイナ姫が、向かいの席でくすりと微笑んでいた。
さあ、どうします? と。
オレは――、飲みかけの美味しいクリームスープをすくったままで、固まった。
「ティリス王子」
細い、白魚の指が動いた。
強くグラスをふって、ぱしゃんと、ティリスに前触れもなく水をかけた。いつかレオンがやったように、頭から。
「一度ならず二度までも、あのような非礼を働いて、謝罪もなく、許されると思うのですか! 恥を知りなさい!」
ティリスはびっくりして、次にはさっと頬を紅潮させた。
「アシュレイナ!」
ティリス以上に、驚いたのか。レオンが直後、怒鳴りつけた。
「やめろ、レオン!」
ぱん!
割って入ったティリスの頬を、姫が平手打ちした。
「アシュレイナ!」
「よせ!」
正直、ショックだった。それでも、片腕で打たれた頬を隠すようにしながら、ティリスはレオンに怒鳴りつけた。
「おまえ、わかってるのか! 姫に、どれだけ失礼なことしてるのか……! オレが悪かったんだ、オレのことはいい! おまえが反省しろ!」
「ふざけるな、いいものか!」
ティリスは目を見開いて、レオンを見た。絶句した。
レオンの剣幕に、本気で怒ってくれることに、言葉をなくすくらい胸が詰まったのだ。
一方で、それは姫を重ね重ねないがしろにする言葉だったから。
「――レオン皇子、私に対して最低限の誠意があるなら、後で、ティリス王子に処罰をお与え下さい。鞭打ちなり何なり、相応のものを。――王子に寵を与えるのは貴方の自由です。ですが、ティリス王子の振る舞いは、礼をわきまえぬもの。貴方も、この上王子を罰しようとなさらないのは、私に対する非礼とお心得下さい。その時には、貴方に私を正妃として扱う気はないのだと、判断させて頂きますから――」
どこまでも冷たい怒りを宿した瞳で、アシュレイナ姫が言った。
――当然だよな。
正妃にと招いておきながら、寵童にうつつを抜かして礼を欠いているのだ。怒るなと言うのが無理だった。
「……打てよ。オレ、姫に謝れないし……それで姫の気が済むなら、いい」
ティリスはこの姫、むしろ正々堂々とした、きちんとした姫なのだと思った。
汚いこと、いくらでもできるはずなのに、あえてレオンの前でやっている。
ティリスへの仕打ちも、熱湯やシチューの類をかけることはせず、水にとどめた。
怒りは表明しても、感情に任せて相手を傷つけるまでは、しない姫なのだ。
「……だめだ、ティリスを痛めつけることは許さない。姫が何を言っているのか理解できないが、それが非礼だと言うなら、帰国されて構わない」
「……」
姫がじっとレオンを見る。
ティリスは正直、複雑だった。
嬉しくもあり、心苦しくもある。納得行かなくもある。
彼女を誰より痛めつけてくれるのは、他ならぬレオンだし。
「……わかりました、皇帝陛下にご挨拶した後、帰国させて頂きます」
え……?
ティリスは拍子抜けして姫を見た。
次には、それで構わないのかと、レオンを見た。
こんなにいい姫、滅多にいない。
彼女など、こんなに、全然、聞き分けよくないし。
才色兼備で、浮気まで許しちゃうんだぞと、帰らせていいのかよと。
「皇子、明日の夜会の件ですが……」
すっかり遅れた朝食の席、重臣の一人が切り出した。
「ああ」
姫が帰国するんじゃ、意味ないよな。
「予定通りでいいだろう。アシュレイナが帰国するなら、別に正妃も決めないと、ならないしな」
――?
姫がふっと微笑んだ。
「いいえ、レオン皇子。わたくし、皇帝陛下がお戻りになるまでは、貴方を待ってみようと思います。わたくしより、ティリス王子が先に帰国なさるかも、わかりませんし――その時には、考え直してみようと思いますの」
ええっ。
「……? どうして、ティリスが帰国するんだ?」
「レオン皇子、明日の夜会の趣旨を、ティリス王子はご存知ないとお見受けいたします」
知らない。
何だよ。どういう――
「確かに、知らせていないが」
それまで黙って控えていた姫の侍女が、主人の意を汲むように、それを受けてティリスに告げた。
「レオン皇子は明日、姫様の他に、ご側室を数名選ばれますわ。皇帝陛下が、数十名の姫を招かれたと聞きました」
アシュレイナ姫が、向かいの席でくすりと微笑んでいた。
さあ、どうします? と。
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