賢者様の仲人事情

冴條玲

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第四章 王子と姫君

4-4b. レオンが好きなんだ

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 夢中で駆けた。
 涙が後から後から溢れて止まらなかった。
 レオンが追って来ていたけれど、振り切って、表に出た。人気ひとけのない庭に出て、柱の影に一度うずくまると、もう、立ち上がれなかった。

「……っ……」

 ざくりと、胸をえぐった。
 真実。
 取り返しのつかないこと……!
 ファサリと、薄いショールをかけられた。
 カタリーナだった。

「――ティリス様、お風邪を召されます。わたくしの部屋なら誰も来ませんわ」

 カタリーナは、やっぱり、余計なことは何も言わなかった。
 ただ、必要なものを提供してくれる。
 行けば、温かい紅茶を出して、彼女の気が済むまで、泣かせてくれると思う。

 ――でも、カタリーナは知らないから。

「ごめん、カタリーナ……」

 口を開くと、また、堰を切って涙が溢れた。
 カタリーナの優しさが、痛い。
 本当に大切にしてくれる、本物の誠意で支えてくれる、その彼女を裏切った。
 裏切ってなお、今日まで告げられなかった。
 顔を覆うと、すぐ、止められない涙が指の隙間から溢れ、両手から、腕まで濡らして落ちた。
 ティリスはわずか、笑みの形に顔を歪めた。

「カタリーナ、軽蔑しろよ、オレ……」
「ティリス様――?」

 顔を覆っていた手をどけて、自虐的に、ティリスはカタリーナに笑いかけた。

「オレ……、処女じゃ、ないんだ……」

 カタリーナの顔が夜目にも強張る。
 耳を疑うように、ティリスを見ていた。思いもよらない告白だったのだろう。

「……軽蔑……したろ? レオンが抱こうとした時、オレ、やめろって――」

 がくがくと身を震わせるティリスの肩を、カタリーナが強く抱き締めた。

「何を……何をおっしゃるのです! 貴方を軽蔑などするものですか! 国力でも、腕力でもあの馬鹿皇子が上なんです、それを……!」

 抱かれているからより鮮烈に、カタリーナの怒りの深さを感じた。
 けれど、違うんだと、ティリスは首を横にふった。痛みに満ちた目で、告げる。

「――言えなかった」

 その抱擁がふっと解け、何を言ったのかと、カタリーナがティリスを見た。

「レオンが、好きなんだ」

 やり切れない瞳で顔を歪めて、ティリスは額を押さえた。

「そ……んな……」

 ごめんなと、カタリーナを見るだに胸が痛んだ。
 痛い。自分の愚かさが。犯した過ちが。

「ごめん、それでも、拒まなきゃいけなかったのに――!!」

 何もかも、失格だった。
 これまで、どんなに大事にされてきたか、知っている。
 それなのに、カタリーナにも両親にも、もはや顔向けできない醜態だ。
 アシュレイナ姫の言葉が正しい。
 寵姫。
 それが真実なのだ。信じた、レオンの真実。
 痛かった。
 胸を抉るほど、全ての事実が痛かった。

「まだ……? それでもまだ、あの皇子が好きなんですの……?」

 怒りに声を震わせて、カタリーナが問うた。ティリスは自嘲しながら、頷いた。

「ああ……。馬鹿だろ」
「なら、責任を取らせなさい! 今すぐ女性と明かして、正妃に迎えさせて、こんな縁談、破談にさせなさい!」
「な、冗談よせよっ……!」

 驚いてカタリーナを見たが、カタリーナは真剣そのものだった。

「冗談なものですか! ティリス様、由緒正しきシグルド王家の血筋を何と心得るのですか! カムラなどに、易々と膝を突くものではありません!」
「そ……」

 本気、なのか。
 本気で、カムラと渡り合えと言うのか。
 ティリスはきゅっとこぶしを握り、カタリーナを見た。
 次には、キっと睨んだ。
 本気なら、なおさらだ。

「……オレは、一度もレオンに勝ててない。カムラじゃない、レオンに勝てないんだ! なのに……それなのに、正妃になんて言えるかよ! オレは、レオンの奴隷になりたいんじゃないっ!!」

 カタリーナがはっと息を呑み、ティリスを見る。
 傍にいるだけなら簡単だ。
 寵姫として、レオンはいつでも彼女を迎えるだろう。
 けれど、それは決して対等ではない関係なのだ。

「――わかりましたわ、ティリス様。言われる通りです。わたくしが、間違っておりました……」

 ひどく神妙に、カタリーナが言った。
 何か不審に思って彼女を見ると、嫣然と微笑んでいて。

「そうです、その通りですわ、ティリス様。必ずやあの馬鹿皇子、ティリス様の御前に跪かせてやりましょう!」

 声高に、闇に高笑ってくれた。
 目が危険。

 いや、つーか、待て?
 何も、別にレオンを奴隷にしたいわけじゃ、――ないんだぞ?
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