賢者様の仲人事情

冴條玲

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序章

0-1. シグルドの美姫

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 美しき水と緑の都、シグルド。
 王には王子が一人。名をアディス。
 王女が一人。名をティリス。
 美姫との誉れ高いその姫を一目見ようと、毎日のように青年たちが訪れた。やんごとなき家柄の、若く未来ある青年たちだ。にも関わらず、その内の誰一人として、姫の心を奪えないのだった。

 何故なら!


  **――*――**


 サラ……

 薄いヴェールの隙間から、プラチナ・ブロンドの髪が幾筋かこぼれ、揺れていた。
 優しい象牙色の肌。
 深く澄んだ切れ長の、エメラルド・グリーンの瞳。
 形の良い唇が、小さく笑みの形を刻む。
 傾城の美姫、という呼称に最もふさわしい、シグルド王国一の美貌の持ち主が、その姫だった。姫は今、軽い花びらのような紗を重ねたドレスを纏い、女神もかくやの風情で噴水の縁に座している。

「姫……」

 姫をここまで誘った、貴族風の青年がにこりと姫に笑いかけ、姫の瞳と同じ、エメラルドのイヤリングを取り出した。
 精巧な細工の施された、見事な逸品だ。

「これを貴女に……」

 貴女になら、きっと似合いますと言って、青年が品良く姫の耳にそれを飾ろうとする。
 しかし。

「――頂けません、ラスター子爵」

 姫が丁寧に、けれどきっぱりとそれを拒絶して、青年の手を優しく押し戻した。香水か、優しい花のような香りが漂った。

「……何故ですか。姫、私は……軽薄とお思いかもしれない。ですが、あの夜会の日から、ずっと貴女だけを思ってきたのです。一目で貴女に心奪われて――どうか、この気持ちだけでもお受け取り下さい」

 姫は静かに首を横にふった。

「光栄ですわ。でも、私は殿方には興味がありませんの。私の心は、イシス様ただお一人のもの」

 青年が目を丸くする。
 イシス。
 大魔法使い、イシス。
 王国屈指の魔法使いで、青年など、およそ太刀打ちできない存在だ。だが、しかし。

「……まさか……イシス様と言ったら、あのアクール神殿の?」

 そんなわけありませんよね、と言いかけた青年に、姫が天使のような微笑みを見せ、頷いた。

「ええ、そうです。アクール神殿の姫巫女、大魔法使い、イシス様ですわ」
「……」

 だから。
 青年がその目と、その耳を疑う瞬間だ。

「姫、イシス様は女性です。お仕えしたいという意味でしたら、素敵な方に、憧れるお気持ちは理解しますが……そろそろ、恋も覚えられてはいかがです?」

 姫の、エメラルドの瞳に宿った光に、青年はいやあな予感を覚えた。
 いやあな予感。
 この世に二人といなそうな、最高の美貌の姫が、まさか――

「心配はご無用に。私は、ちゃんとイシス様をお慕いしております。誰よりも愛しく思っておりますわ。片思いですけれど、もう、ずっと思い続けておりますの」
「……」

 まじですか?
 何だか、青年は足元がおぼつかなくなった。

「――まじですか?」

 姫がこくりと頷いた、その時だ。

「アディーー!!」

 鬼のような形相をした、身分の高そうな女が絶叫した。何が何だかわからず、その剣幕に、青年はもう許して下さいとばかり、弾かれたように逃げ出した。だめだ、今日は厄日だ。どうかしている、こんな現実。
 シグルド王国、ただ一人の姫が。
 絶世の美女と言って差し支えのない姫が。
 百合だなんて――!
 青年は泣きながら駆け去った。
 東屋に、かの女性が息を切らして駆け込んで来たが、遅かった。

「あんた……!」

 その手を、わなわなと震わせて。
 もしかしたら、その女性もそこそこ美人かもしれない。けれど、今は鬼のように怒っているため、わからない。
 ブロンドの巻き毛。縦ロール。冴えた青の瞳が怒りにつり上がっている。

「何度言ったらわかるのよ! その格好でうろつくの、やめなさいって言ったでしょう!? あんたのおかげで、あんたのおかげで……!! 私の姫が、影で何て言われているか! シグルドの姫は百合だって、ティリス姫は変態だって言われているのよ!? ろくな人に嫁げなかったらどうしてくれるのよ!」

 アディ、と呼ばれた姫は――
 と言うか、王子なんですけど。
 にこりと微笑んだ。

「ですがカタリーナ。殿方の格好をしていては、繊細で傷つきやすい淑女の方々に、言い寄られてしまうでしょう? そうしたら、ふらなければいけません。そんなことをしては、深く深く傷つけてしまう。それに、アディはこの格好が性に合っているのですわ」
「その格好してたって、男に言い寄られてるじゃないの! あんた、女じゃなくて男に言い寄られるのが趣味なわけ!? あんたが変態なのに!」

 どうして私の姫が百合なのよと、さめざめとカタリーナが泣く。カタリーナは姫と仲の良い従姉妹で、姫をひどく可愛がり、最高の男性に嫁がせることを目標にしている。
 アディスはちょっと困ったなあという顔をして、けれど、無邪気に言った。

「だってカタリーナ、女性につれなくしては、可哀相でしょう? アディは女性の涙に弱いのですわ。野郎なんて、いっくら泣こうがわめこうが、まるで気が咎めたりいたしませんけれど! いくらでもふれますわ♪」

 ひでえ。
 男の純情を踏みにじる、おかまが一人。

「ここで私が泣いているのよ!!」

 するとアディスは、がびーん、という顔をした。

「こ、これはアディとしたことが……女性だったのですね、カタリーナ」

 優しい顔でいたわるような仕草をするが、言っていることは実に失礼だ。
 女性だっつーの。
 女性じゃなければ何よ。何なのよ。
 ああ、神様仏様。
 カタリーナ、何か悪いことをしましたか……と、カタリーナが涙を流して手を組み合わせ、祈るような仕草をすると、アディスが無邪気に言った。

「カタリーナ、昨日の武術大会、優勝おめでとう。頼もしいですわ、ティリスを頼みます」

 武術大会は男女混合――というか、女性部門など当然ない。女性は本来、騎士に守られるべき存在なのだ。なのに、今年は2名ほど出場し、あろうことか、その2名が優勝を争った。
 ちなみにアディスは3回戦でカタリーナと当たり、負けた。
 アディスもさすがにおかまと言えど、女性を叩きのめすにはためらうのだ。ところが、カタリーナの方は全く手加減しないのだから、手に負えない。
 いや。
 あの攻撃力は女じゃないと思った。
 痛かった。

「……アディ、何か文句が?」

 にこやかな愛想笑いを浮かべてはいるが、カタリーナの目は全然笑っていなかった。
 優勝してしまったことは、予定外だったのだ。
 おかげで今朝から、準優勝者ティリスの機嫌が悪い。
 ティリス命のカタリーナがそれをどれだけ気に病んでいるか知っていながらの祝福を、カタリーナはもちろん喜ばなかった。
 しかし。
 ティリスの百合説には、カタリーナも絶対に一役買っていると、アディスは思う。

「兄貴――!」

 そこへ、噂のティリスが駆け込んできた。
 目の覚めるような青色のマント。
 ティリスは小柄だが、スラリとした貴族の正装が、ひどく似合っていた。どこからどう見ても、立派な  だ。
 頭にはちょっとした、羽根飾り以外には飾り気のない、マントとそろいの帽子を乗せている。

「どう!? 似合うだろ!? 昨日の準優勝祝いに、叔父上にもらったんだ!」

 得意げにくるりと回ってみせる。

「ああ、ティリス様、最高に可愛らしいですわ!」

 と、これはカタリーナ。
 目を輝かせて喜んでいる。ティリスの機嫌が直ったことも嬉しいらしい。

「何だよ、かっこいいって言えよ。せっかく決めてんだからさあ!」

 むくれるティリスに、アディスが微笑みながら言う。

「王子様のようね、ティリス。とても良く似合っていますわ。お母様が生きていらしたら、さぞ、喜ばれたことでしょう」

 アディスの女装も、ティリスの男装も、元をただせば亡き母の趣味だ。
 そして、王妃亡き後も両者クセになってしまっているので、シグルドには、アディスが姫でティリスが王子なのだと、カン違いしている者も少なくない。



 そんな、いつも通りの平和な午後のことだった。
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