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参 悔恨
第24話 ままならぬ想い
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「走れた……」
由良は信じられない思いで後ろをふり返り、もどかしげに馬から下りると、満面の笑顔で蒼月に駆け寄った。
「蒼月様、走れました!」
大喜びで抱きついてきた由良を、蒼月は笑って受け止めた。
あれから数時間、そろそろ日も暮れようかという頃だ。館の外を一周駆けられただけだけれど、とにかく馬を自力で操れた。
嬉しくて仕方ない。
「ありがとうございます、ありがとうございます、蒼月様! 明日、御影様にもお礼を言わなくちゃ」
「嬉しそうね」
「嬉しいです!」
御影は公用だとかで、蒼月を連れてきてすぐ、奥に引っ込んでしまった。
今まで由良を散々けなして、彼女では絶対馬になんて乗れっこないと断言していた御影だ。立派に乗れてしまった由良を見て、どんな顔をするだろう。
考えただけもでわくわくする。
「良かった」
蒼月が優しく笑って由良の頭を撫でてくれた。
嬉しくて、由良はますます幸せに笑った。
でも……。
今日一日だけの指南役だと言っていた。もう、会えないのだろうか。
由良はにわかに寂しくなって、しんみりと蒼月を見た。
「あの……」
もう日が暮れる。
もう、二度と会えないのだろうか。
「少し、聞きたいことがあるの。いい?」
ふいに声をかけられ、由良はあわてて頷いた。何でも聞いてほしい。
少しでも長く、そばにいたいから。彼女を見ていてほしいから。
蒼月は馬場の柵に寄りかかると、じっと由良を見た。
由良が近付くと、
「由良は……紫苑様のことを、憎んでいるのでしょうね?」
そう聞いた。
思わぬことを聞かれ、由良はすぐには答えられなかった。
「……由良?」
由良が苦しげに瞳を潤ませ、小刻みに身を震わせるのを見て取ると、蒼月はよほど由良は紫苑様が怖いのねと、いたわるように由良の髪を撫でてくれた。
もう、答えなくていいからと、由良に優しく笑いかけてくれた。
どうしようもなく感極まって、由良はぎゅっと蒼月にしがみついた。
「蒼月様――!」
由良は泣いた。肩を小刻みに震わせて、声を殺して泣いた。
「……由良……」
「誰にも……紫苑様にも、御影様にも、内緒にして頂けますか……?」
どうしてだろう。
蒼月が優しかったから?
御影に意地悪されても泣かないのに、紫苑に冷たくされてももう泣かないのに、蒼月に優しくされたら、涙が堰を切ったように溢れ出た。
止まらない。
蒼月はぽんぽんと、宥めるように由良の頭を軽く叩きながら、誰にも言わないと約束してくれた。
「紫苑様が……好きです……」
蒼月は驚いたようだった。
「初めて会った時から、ずっと……っ……」
喉を詰まらせる由良に、蒼月が問いかける。
「あの人は、由良に冷たいでしょう?」
由良はうんうんと頷いた。冷たい。由良のことなど見もしない。
「紫苑様は由良が嫌いです。でも、でも、嫌おうとしても、考えまいとしても……!」
だめなのだ。苦しいばかりで、まるで奪われた心を取り戻せない。
「そばに……いたい……」
潤んだ目をいっぱいに見開いて、由良はそれ以上何も言えずに蒼月を見た。
つらいのだと、苦しいのだと、紫苑への思いごと、泣き濡れた瞳で彼女に訴えた。
ふいに蒼月の腕が由良を捕らえた。
「そ……」
強く抱き締められて、由良はもちろん驚いた。けれど、すぐに許してくれるのだと、受け止めてくれるのだと、わかった。
ずっと許してほしかった。許されないあの人への思いを。
ずっと、受け止めてほしかった。行き場のないあの人への思いを。
蒼月は固く由良を抱き締めながら、一人、唇を噛み締めていた。
失敗した。
こんなふうになるはずでは、なかったのに――
**――*――**
新月が近付いていた。
あと五日。
もう日がない。
今日、由良はどうにか乗れるようになった馬で、簡単な遠乗りに出かけることになっていた。十日前に眠れないと言って、御影にもらった眠り薬がある。これで供の者を眠らせて、逃げる。それしかない。
夜は確かに見張られていない。
けれど、それは夜の逃亡など、由良には無理だからなのだ。具体的に考え始めて、由良は初めてそれに気付いた。
昼間やっと乗りこなせる馬だ。夜闇の中など、とても進めない。女一人の足で逃げるには、夜は危険過ぎる。
この機会に逃げられなければ、もう――
そんな由良の決意などお構いなしの、穏やかな朝だった。
いや、外気は穏やかだったが、館の方は何やらばたばたしていた。
何があったものか確かめようとしたけれど、早々に御影に見つかり、追い返されてしまった。
御影がひどく青い顔をしていたのが、気にかかった。
由良は信じられない思いで後ろをふり返り、もどかしげに馬から下りると、満面の笑顔で蒼月に駆け寄った。
「蒼月様、走れました!」
大喜びで抱きついてきた由良を、蒼月は笑って受け止めた。
あれから数時間、そろそろ日も暮れようかという頃だ。館の外を一周駆けられただけだけれど、とにかく馬を自力で操れた。
嬉しくて仕方ない。
「ありがとうございます、ありがとうございます、蒼月様! 明日、御影様にもお礼を言わなくちゃ」
「嬉しそうね」
「嬉しいです!」
御影は公用だとかで、蒼月を連れてきてすぐ、奥に引っ込んでしまった。
今まで由良を散々けなして、彼女では絶対馬になんて乗れっこないと断言していた御影だ。立派に乗れてしまった由良を見て、どんな顔をするだろう。
考えただけもでわくわくする。
「良かった」
蒼月が優しく笑って由良の頭を撫でてくれた。
嬉しくて、由良はますます幸せに笑った。
でも……。
今日一日だけの指南役だと言っていた。もう、会えないのだろうか。
由良はにわかに寂しくなって、しんみりと蒼月を見た。
「あの……」
もう日が暮れる。
もう、二度と会えないのだろうか。
「少し、聞きたいことがあるの。いい?」
ふいに声をかけられ、由良はあわてて頷いた。何でも聞いてほしい。
少しでも長く、そばにいたいから。彼女を見ていてほしいから。
蒼月は馬場の柵に寄りかかると、じっと由良を見た。
由良が近付くと、
「由良は……紫苑様のことを、憎んでいるのでしょうね?」
そう聞いた。
思わぬことを聞かれ、由良はすぐには答えられなかった。
「……由良?」
由良が苦しげに瞳を潤ませ、小刻みに身を震わせるのを見て取ると、蒼月はよほど由良は紫苑様が怖いのねと、いたわるように由良の髪を撫でてくれた。
もう、答えなくていいからと、由良に優しく笑いかけてくれた。
どうしようもなく感極まって、由良はぎゅっと蒼月にしがみついた。
「蒼月様――!」
由良は泣いた。肩を小刻みに震わせて、声を殺して泣いた。
「……由良……」
「誰にも……紫苑様にも、御影様にも、内緒にして頂けますか……?」
どうしてだろう。
蒼月が優しかったから?
御影に意地悪されても泣かないのに、紫苑に冷たくされてももう泣かないのに、蒼月に優しくされたら、涙が堰を切ったように溢れ出た。
止まらない。
蒼月はぽんぽんと、宥めるように由良の頭を軽く叩きながら、誰にも言わないと約束してくれた。
「紫苑様が……好きです……」
蒼月は驚いたようだった。
「初めて会った時から、ずっと……っ……」
喉を詰まらせる由良に、蒼月が問いかける。
「あの人は、由良に冷たいでしょう?」
由良はうんうんと頷いた。冷たい。由良のことなど見もしない。
「紫苑様は由良が嫌いです。でも、でも、嫌おうとしても、考えまいとしても……!」
だめなのだ。苦しいばかりで、まるで奪われた心を取り戻せない。
「そばに……いたい……」
潤んだ目をいっぱいに見開いて、由良はそれ以上何も言えずに蒼月を見た。
つらいのだと、苦しいのだと、紫苑への思いごと、泣き濡れた瞳で彼女に訴えた。
ふいに蒼月の腕が由良を捕らえた。
「そ……」
強く抱き締められて、由良はもちろん驚いた。けれど、すぐに許してくれるのだと、受け止めてくれるのだと、わかった。
ずっと許してほしかった。許されないあの人への思いを。
ずっと、受け止めてほしかった。行き場のないあの人への思いを。
蒼月は固く由良を抱き締めながら、一人、唇を噛み締めていた。
失敗した。
こんなふうになるはずでは、なかったのに――
**――*――**
新月が近付いていた。
あと五日。
もう日がない。
今日、由良はどうにか乗れるようになった馬で、簡単な遠乗りに出かけることになっていた。十日前に眠れないと言って、御影にもらった眠り薬がある。これで供の者を眠らせて、逃げる。それしかない。
夜は確かに見張られていない。
けれど、それは夜の逃亡など、由良には無理だからなのだ。具体的に考え始めて、由良は初めてそれに気付いた。
昼間やっと乗りこなせる馬だ。夜闇の中など、とても進めない。女一人の足で逃げるには、夜は危険過ぎる。
この機会に逃げられなければ、もう――
そんな由良の決意などお構いなしの、穏やかな朝だった。
いや、外気は穏やかだったが、館の方は何やらばたばたしていた。
何があったものか確かめようとしたけれど、早々に御影に見つかり、追い返されてしまった。
御影がひどく青い顔をしていたのが、気にかかった。
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