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最終章
24、淡い過去より
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「こっちです! 早くこちらへ!」
物陰から通りを覗いて、人がいないことを確認したリカルドは、振り返って声をかけた。
頭巾をかぶった小柄な人が、建物の陰から出てきて、リカルドの後ろに立った。
「巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「大丈夫です。とにかく、俺に付いてきてください」
そう言うと、頭巾の隙間から顔を覗かせたその人は、にっこりと微笑んだ。
目が眩みそうな美貌に、なぜこんなことになってしまったのか、リカルドは頭の中で繰り返していた。
事の起こりは一時間ほど前。
皇都の町でアルジェンと飲んでいたリカルドは、用を足すために席を立った。
盛り上がっている店内を背中に、外の厠を使って、手を綺麗にしてから店に戻ろうとしていた。
そこに物陰から人が飛び出してきて、リカルドの肩とぶつかり、その人は道に転がってしまった。
慌てたリカルドは、大丈夫ですかと声をかけたが、その人が被っていた頭巾がハラリと外れて、漆黒の髪が見えた時、息を呑んでしまった。
続いて人形のように白い肌と大きな黒い瞳、整った目鼻立ちの美人が見えたら、もうこの人しか思いつかなかった。
「え……ひ……ひで」
口から名前が溢れそうになった時、その女性はリカルドの口に手を当てた。
追われているの、助けて。
その言葉に目を見開くと、遠くからバタバタと複数の足音が聞こえてきた。
こっちだ、こっちに行ったぞという声に、女性を見ると、ひどく怯えた顔でお願いと繰り返して、リカルドのことを見てきた。
リカルドは考えた。
店に戻ってもいいが、この辺りで明かりがついている唯一の店なので、複数の人間が追って来ているなら、すでに調べられているかもしれない。
そこで鉢合わせたら、逃げることは不可能だ。
「こっちへ、とにかくここから離れましょう!」
頭巾を被り直して、こくりと頷いた女性は、間違いなく、あの謁見室で見た美女、皇太子妃殿下のリリーローズだった。
人気のない裏通りを進んで、建物の陰に身を潜めたリカルドは、横で同じように息を殺して辺りの気配を窺っているリリーローズを見て、小さく息を吐いた。
「だいぶ離れたので、ここまで来れば大丈夫でしょう」
「ありがとう、助かりましたわ。何とお礼を言っていいか……」
「いえ、何があったのか分かりませんが、当然のことをしただけです。少し待ってから、安全なところまでお送りします」
ありがとうと言って俯いたリリーローズの手は震えていた。
皇太子妃であるリリーローズが、こんな夜更けに、護衛も付けずに街を彷徨っているなんて信じられなかった。
とはいえ、事情を聞いていいものか、言葉を詰まらせていたら、リリーローズは顔を上げてリカルドのことを見てきた。
「あなた……見覚えがあるわ。同じ黒髪だから目に付いたの、ベイリーから来た人ね。リアンの部下かしら?」
「え……ええ、そうです。フランティア出身で、訳あってベイリーに……、セイブリアン様に拾っていただいて、専属護衛と、身の回りのお世話係をしています」
「まぁ、そうなのね。リアンの部下なら安心だわ。でも私と会った事は誰にも言わないでね。ここまで侍女と一緒に来たのだけど、途中ではぐれてしまったの」
「それは、大変でしたね。追ってきた者達は、物取りや、人攫いですか? 女性のひとり歩きは危険ですよ」
まさかこんな時間に、お散歩やお買い物をしていた訳じゃないだろうと思ったが、リリーローズは悔しそうな顔になって膝を抱えてしまった。
「私だって……私だって、夫の力になりたいの。それなのに……何もできないって子供扱いをして……」
「え?」
「みんな慌ただしく動き回っていて、絶対何かあるって思ったのに、誰も教えてくれないのよ。ユリに聞いても大人しくしていてくれって……。使用人で怪しい動きをしている者がいたから、こっそり抜け出して、追いかけてここまで来たの。悪そうな男達に何か渡していて……皇宮内の情報を売ったに違いないわ! あなたもそうも思うでしょう!?」
「え……ええ。それは……怪しいですね」
ルーセントから子供のように純粋で、朗らかな人だと聞いていたが、まさにその通りで、それに加えて、無鉄砲で無茶をするタイプだと分かった。
それでも、誰かの力になりたいという、強い気持ちを感じたリカルドは、その気持ちを尊重しようと思った。
「危険なことだったと思いますが、重要な情報を掴めたかもしれません。やりましたね、妃殿下」
「ちょっ、外でその呼び方はやめて。リリーでいいから。あなたの名前は?」
「リカルドです」
「私、皇宮では甘やかされているから、役立たずとか何もできないって陰で言われていて悔しかったの。そんな風に言ってくれて嬉しい。リカルド、ありがとう」
「そんな、恐れ多いです。でも、あの……次はちゃんと護衛をつけた方がいいですよ。みんなきっと心配しています」
そう言うと、リリーローズは、そうね分かったわと言って笑った。
年上の女性だが、ふわりと笑う顔は、まるで少女のように愛らしくて、美しかった。
こんな人の側にいたら、誰でも恋に落ちてしまうかもしれない。
そう思うと、チクリと胸が痛んだ。
「ベイリーでのリアンはどうかしら。みんなに恐がられていない? 眉間に皺を寄せて、いつも恐い顔でしょう?」
「私も、初めは恐いと思いましたが、人柄を知ったら、すぐに考えは変わりました。強くて頼りになって、みんなに慕われていて、本当に……素晴らしい方です。それに、最近は笑顔を見せてくれるようになりました」
「まぁ、ずいぶんと慕っているのね。私を助けてくれたから、リカルドには教えちゃおうかしら。私も昔、リアンを慕っていたのよ。恋愛の意味で」
リカルドの心臓はドクっと飛び跳ねた。
深く息を吸うと、頭巾の隙間から、リリーローズがイタズラっぽく微笑む顔が見えた。
「学友として引き合わされてから、一緒に遊ぶようになって、無口だけど優しいリアンに気づいて、好きになったの。仲がいいからって、一度はリアンと私で婚約する話が持ち上がったのよ。でも、お義父様、陛下は私を気に入ってくれたけど、リアンには冷たかったから、反対派が出てきて、私の父もユリとの婚約を推した。それで初恋は終わってしまったわ」
「無理やり……引き離された、のですか?」
「ちょっと違うわ。……私は好きだったけど、気持ちは伝えられなかったの。リアンの方は、私に恋愛の気持ちはなかったから……」
トクンっと心臓が鳴った。
リリーローズは知らない。
セイブリアンが寝言でシアと呼んだことを……
幼名であるプリシアの愛称といえば、シアが一般的だ。
これだけ条件が揃えば、セイブリアンも好きだったと考えられる。
お互い相手が自分を想っていたことを知らなかった。
そして、セイブリアンの心には、今も忘れられない相手として刻まれている。
聞かなかったことにするんだと、頭の中で自分の声が響いて、リカルドはギリギリと手を強く握った。
リリーローズの真っ黒な目は、月明かりが映って、キラキラと輝いて見えた。
こんな綺麗で美しい人に、何の取り柄もない自分が勝てるわけがない。
だけど、セイブリアンの側にいれば、記憶の中の想い人と戦わなくてはいけない。
忘れられない相手がいて、その人以上に好きになれなかったと言われたら……
その時、自分は耐えられるだろうかと考えて、心臓が痛くなった。
「だって、リアンは……」
リリーローズが何か言いかけた時、ガサっと砂を踏む音が聞こえて、人の気配がした。
一気に体に緊張が走って、リカルドは腰に差していた短剣を手に取った。
長剣と違って扱いに慣れていないが、いざとなれば、これで複数を相手に戦わなくてはいけない。
怯えたリリーローズを背中に隠して、カサカサと近づいてくる足音に耳を澄ませた。
短剣を構えて、物陰に人が入ってきたら、いつでも攻撃できる姿勢をとった。
足音はどんどん近づいて来て、人影が見えたらリカルドは地面を蹴って走り出した。
呼吸を止めて俊敏に動き、的確に相手の喉を目掛けて短剣を振ろうとした時、待てと声が聞こえてリカルドは足を止めた。
「俺、俺だよ!」
「アルジェン!!」
月明かりが両手を上げているアルジェンの姿を照らしたので、リカルドは慌てて剣を納めた。
「どこまで用足しに行ったんだよ! 迷子になったのかと思って探したじゃないか! こんなところで、一体何をしていたんだ?」
「ええ……ええと……」
アルジェンが人探しの名人だったことを思い出した。おそらく、少ない手掛かりから、この辺りにいるだろうと予想して探し回ってくれたに違いない。
リリーローズのことを伝えようとしたが、途中で言葉が詰まった。
ここで会ったことを言わないでと頼まれたからだ。
ぐっと唾を飲み込んで、リカルドは口を開いた。
「……酔っ払っいに襲われて、逃げている女性を見つけて助けたんだ。安全なところへ連れて行ってあげようとしていたところだ」
リカルドの後ろから、長頭巾を被った女性が出て来たので、アルジェンは驚いた顔をしたが、それなら俺も手伝うよと言って、最短で大通へ出る道を案内してくれた。
大通りには馬車があり、その前に侍女らしき女性が立って、困った顔でキョロキョロと辺りを見回していた。
そこにリリーローズが現れたので、女性はよかったと言って泣き出した。
「それじゃあ、気をつけて」
リカルドが手を振ると、リリーローズはありがとうと言って頭を下げてから、馬車に乗り込んだ。
「どっかの貴族の令嬢かな。夜中に会いたくなって、お忍びで恋人のところにでも行って迷っていたんだろう。気をつけてくれないと困るよなぁ」
リリーローズは髪や顔をすっかり隠していたので、アルジェンはどうやら気がつかなかったようだ。
リカルドは、そうだなと言って、馬車が小さくなっていくのを見送った。
濃すぎる一日を終えたリカルドは、小宮殿に戻っても、なかなか眠れずに、疲れを残したまま翌日を迎えることになった。
朝連絡会でこっそりあくびしていたら、ルーセントに見られてしまい、たるんでいると怒られた。
まさか、夜中に皇太子妃殿下と悪者から逃げていましたとは言えず、飲みすぎましたと言うと、ポカリと頭を小突かれてしまった。
「我々は内部ではなく、皇宮の外壁周辺、神殿の森の外、山道の警備を任された。今日から交代制で巡回警備に入る。怪しい者、不審な物を見つけたら、すぐに報告を入れるように」
ハイっと一斉に声が響いて、一同は解散となった。
室内の点検と清掃に向かおうとしていたら、リカルドはルーセントに呼び止められた。
「午後の鐘がなると会議が終わる。早めに食事を終えたら、セイブリアン様の部屋に行ってくれ。話があるそうだ」
「はい……分かりました」
忙しいから、ほとんど会えないと言われていたのに、急に呼び出されるなんてどうしたのだろうと思った。
昨日、リリーローズに会ったことが何か影響したのかと思うと、チクッと胸が痛んだ。
やはりなかったことにしてほしい、そんな風にセイブリアンから言われるところを想像して、リカルドは重い気持ちになったまま、午前の仕事を終えた。
午後になり、昼食を終えたリカルドは、セイブリアンの部屋に向かった。
ドアをノックすると、すぐに入れという声が聞こえてきて、リカルドは息を吸い込んでからドアを開いた。
リカルドが部屋に入ると、セイブリアンは窓辺に立っていた。
目が合うと、いつもの優しい目をして微笑んでくれた。
なんだか、ずいぶん久しぶりに会ったような気持ちになった。
「急に呼び出して悪かった。食事はとったか?」
「ええ、いただきました」
「よかった。それで、お前に頼みたいことがあるんだ」
「はい、なんでも仰ってください」
「即位式までの間、開かれるパーティーに俺と一緒に出席してほしいんだ」
「パーティーに、ですか?」
従者としての仕事の話のかと、リカルドは頭の中で息を吐いた。
それなら呼び出された理由も分かるが、頼みごとというほどのものではない。
「パーティーで怪しい動きをするフランティア人がいないか目を光らせて、見つけたら知らせてほしい」
「え? フランティア人ですか?」
「詳しくはまた話すが、諜報部隊からの情報では、皇太子反対派に反乱の動きがあり、第二騎士団団長ミケーレと一部の部下が関わっているようだ。ミケーレや近い部下の顔は分かるだろう?」
「はい、え? ミケーレ団長が!? あの、だいたいの部下の顔は分かりますけど……それは、本当なのですか?」
「ああ、密かに帝国に入っていると見ている。餌を撒いたから、パーティーに現れるかもしれない。フランティアからの招待客はいない。見つけたら間違いないと思ってくれ。一緒に探してもらいたいんだ」
久々に聞いたミケーレの名前に動揺してしまったが、複雑と言われていた後継者争いに絡んだ事情があるらしい。
セイブリアンのために頑張ろうと思ったリカルドは、分かりましたと言って頷いた。
同時に、告白に関しての話でなかったことに少しホッとしていた。
「それで……だ、パーティー用の服だが……」
「あ、この服ではダメなんですね。皇宮用の制服の方がいいですか?」
リカルドはベイリーで支給された、従者用の制服を着ていた。
シンプルで動きやすいが、指定があればそちらに変えなければいけない。
腕を組んで何やら考えている様子のセイブリアンは、リカルドを見つめて、うんと言って頷いた。
「俺に任せてくれ。相応しいものを用意する」
「はい。お願いします」
黒の上下など、裏方として目立たないものになるのだろうと、リカルドは考えていた。
午後の仕事を終えると、リカルドの部屋にパーティー用の服が届いた。
大きくて立派な箱に驚いたが、蓋を開けたリカルドは、何かの間違いではないかと目を瞬かせながら、しばらく固まってしまった。
物陰から通りを覗いて、人がいないことを確認したリカルドは、振り返って声をかけた。
頭巾をかぶった小柄な人が、建物の陰から出てきて、リカルドの後ろに立った。
「巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「大丈夫です。とにかく、俺に付いてきてください」
そう言うと、頭巾の隙間から顔を覗かせたその人は、にっこりと微笑んだ。
目が眩みそうな美貌に、なぜこんなことになってしまったのか、リカルドは頭の中で繰り返していた。
事の起こりは一時間ほど前。
皇都の町でアルジェンと飲んでいたリカルドは、用を足すために席を立った。
盛り上がっている店内を背中に、外の厠を使って、手を綺麗にしてから店に戻ろうとしていた。
そこに物陰から人が飛び出してきて、リカルドの肩とぶつかり、その人は道に転がってしまった。
慌てたリカルドは、大丈夫ですかと声をかけたが、その人が被っていた頭巾がハラリと外れて、漆黒の髪が見えた時、息を呑んでしまった。
続いて人形のように白い肌と大きな黒い瞳、整った目鼻立ちの美人が見えたら、もうこの人しか思いつかなかった。
「え……ひ……ひで」
口から名前が溢れそうになった時、その女性はリカルドの口に手を当てた。
追われているの、助けて。
その言葉に目を見開くと、遠くからバタバタと複数の足音が聞こえてきた。
こっちだ、こっちに行ったぞという声に、女性を見ると、ひどく怯えた顔でお願いと繰り返して、リカルドのことを見てきた。
リカルドは考えた。
店に戻ってもいいが、この辺りで明かりがついている唯一の店なので、複数の人間が追って来ているなら、すでに調べられているかもしれない。
そこで鉢合わせたら、逃げることは不可能だ。
「こっちへ、とにかくここから離れましょう!」
頭巾を被り直して、こくりと頷いた女性は、間違いなく、あの謁見室で見た美女、皇太子妃殿下のリリーローズだった。
人気のない裏通りを進んで、建物の陰に身を潜めたリカルドは、横で同じように息を殺して辺りの気配を窺っているリリーローズを見て、小さく息を吐いた。
「だいぶ離れたので、ここまで来れば大丈夫でしょう」
「ありがとう、助かりましたわ。何とお礼を言っていいか……」
「いえ、何があったのか分かりませんが、当然のことをしただけです。少し待ってから、安全なところまでお送りします」
ありがとうと言って俯いたリリーローズの手は震えていた。
皇太子妃であるリリーローズが、こんな夜更けに、護衛も付けずに街を彷徨っているなんて信じられなかった。
とはいえ、事情を聞いていいものか、言葉を詰まらせていたら、リリーローズは顔を上げてリカルドのことを見てきた。
「あなた……見覚えがあるわ。同じ黒髪だから目に付いたの、ベイリーから来た人ね。リアンの部下かしら?」
「え……ええ、そうです。フランティア出身で、訳あってベイリーに……、セイブリアン様に拾っていただいて、専属護衛と、身の回りのお世話係をしています」
「まぁ、そうなのね。リアンの部下なら安心だわ。でも私と会った事は誰にも言わないでね。ここまで侍女と一緒に来たのだけど、途中ではぐれてしまったの」
「それは、大変でしたね。追ってきた者達は、物取りや、人攫いですか? 女性のひとり歩きは危険ですよ」
まさかこんな時間に、お散歩やお買い物をしていた訳じゃないだろうと思ったが、リリーローズは悔しそうな顔になって膝を抱えてしまった。
「私だって……私だって、夫の力になりたいの。それなのに……何もできないって子供扱いをして……」
「え?」
「みんな慌ただしく動き回っていて、絶対何かあるって思ったのに、誰も教えてくれないのよ。ユリに聞いても大人しくしていてくれって……。使用人で怪しい動きをしている者がいたから、こっそり抜け出して、追いかけてここまで来たの。悪そうな男達に何か渡していて……皇宮内の情報を売ったに違いないわ! あなたもそうも思うでしょう!?」
「え……ええ。それは……怪しいですね」
ルーセントから子供のように純粋で、朗らかな人だと聞いていたが、まさにその通りで、それに加えて、無鉄砲で無茶をするタイプだと分かった。
それでも、誰かの力になりたいという、強い気持ちを感じたリカルドは、その気持ちを尊重しようと思った。
「危険なことだったと思いますが、重要な情報を掴めたかもしれません。やりましたね、妃殿下」
「ちょっ、外でその呼び方はやめて。リリーでいいから。あなたの名前は?」
「リカルドです」
「私、皇宮では甘やかされているから、役立たずとか何もできないって陰で言われていて悔しかったの。そんな風に言ってくれて嬉しい。リカルド、ありがとう」
「そんな、恐れ多いです。でも、あの……次はちゃんと護衛をつけた方がいいですよ。みんなきっと心配しています」
そう言うと、リリーローズは、そうね分かったわと言って笑った。
年上の女性だが、ふわりと笑う顔は、まるで少女のように愛らしくて、美しかった。
こんな人の側にいたら、誰でも恋に落ちてしまうかもしれない。
そう思うと、チクリと胸が痛んだ。
「ベイリーでのリアンはどうかしら。みんなに恐がられていない? 眉間に皺を寄せて、いつも恐い顔でしょう?」
「私も、初めは恐いと思いましたが、人柄を知ったら、すぐに考えは変わりました。強くて頼りになって、みんなに慕われていて、本当に……素晴らしい方です。それに、最近は笑顔を見せてくれるようになりました」
「まぁ、ずいぶんと慕っているのね。私を助けてくれたから、リカルドには教えちゃおうかしら。私も昔、リアンを慕っていたのよ。恋愛の意味で」
リカルドの心臓はドクっと飛び跳ねた。
深く息を吸うと、頭巾の隙間から、リリーローズがイタズラっぽく微笑む顔が見えた。
「学友として引き合わされてから、一緒に遊ぶようになって、無口だけど優しいリアンに気づいて、好きになったの。仲がいいからって、一度はリアンと私で婚約する話が持ち上がったのよ。でも、お義父様、陛下は私を気に入ってくれたけど、リアンには冷たかったから、反対派が出てきて、私の父もユリとの婚約を推した。それで初恋は終わってしまったわ」
「無理やり……引き離された、のですか?」
「ちょっと違うわ。……私は好きだったけど、気持ちは伝えられなかったの。リアンの方は、私に恋愛の気持ちはなかったから……」
トクンっと心臓が鳴った。
リリーローズは知らない。
セイブリアンが寝言でシアと呼んだことを……
幼名であるプリシアの愛称といえば、シアが一般的だ。
これだけ条件が揃えば、セイブリアンも好きだったと考えられる。
お互い相手が自分を想っていたことを知らなかった。
そして、セイブリアンの心には、今も忘れられない相手として刻まれている。
聞かなかったことにするんだと、頭の中で自分の声が響いて、リカルドはギリギリと手を強く握った。
リリーローズの真っ黒な目は、月明かりが映って、キラキラと輝いて見えた。
こんな綺麗で美しい人に、何の取り柄もない自分が勝てるわけがない。
だけど、セイブリアンの側にいれば、記憶の中の想い人と戦わなくてはいけない。
忘れられない相手がいて、その人以上に好きになれなかったと言われたら……
その時、自分は耐えられるだろうかと考えて、心臓が痛くなった。
「だって、リアンは……」
リリーローズが何か言いかけた時、ガサっと砂を踏む音が聞こえて、人の気配がした。
一気に体に緊張が走って、リカルドは腰に差していた短剣を手に取った。
長剣と違って扱いに慣れていないが、いざとなれば、これで複数を相手に戦わなくてはいけない。
怯えたリリーローズを背中に隠して、カサカサと近づいてくる足音に耳を澄ませた。
短剣を構えて、物陰に人が入ってきたら、いつでも攻撃できる姿勢をとった。
足音はどんどん近づいて来て、人影が見えたらリカルドは地面を蹴って走り出した。
呼吸を止めて俊敏に動き、的確に相手の喉を目掛けて短剣を振ろうとした時、待てと声が聞こえてリカルドは足を止めた。
「俺、俺だよ!」
「アルジェン!!」
月明かりが両手を上げているアルジェンの姿を照らしたので、リカルドは慌てて剣を納めた。
「どこまで用足しに行ったんだよ! 迷子になったのかと思って探したじゃないか! こんなところで、一体何をしていたんだ?」
「ええ……ええと……」
アルジェンが人探しの名人だったことを思い出した。おそらく、少ない手掛かりから、この辺りにいるだろうと予想して探し回ってくれたに違いない。
リリーローズのことを伝えようとしたが、途中で言葉が詰まった。
ここで会ったことを言わないでと頼まれたからだ。
ぐっと唾を飲み込んで、リカルドは口を開いた。
「……酔っ払っいに襲われて、逃げている女性を見つけて助けたんだ。安全なところへ連れて行ってあげようとしていたところだ」
リカルドの後ろから、長頭巾を被った女性が出て来たので、アルジェンは驚いた顔をしたが、それなら俺も手伝うよと言って、最短で大通へ出る道を案内してくれた。
大通りには馬車があり、その前に侍女らしき女性が立って、困った顔でキョロキョロと辺りを見回していた。
そこにリリーローズが現れたので、女性はよかったと言って泣き出した。
「それじゃあ、気をつけて」
リカルドが手を振ると、リリーローズはありがとうと言って頭を下げてから、馬車に乗り込んだ。
「どっかの貴族の令嬢かな。夜中に会いたくなって、お忍びで恋人のところにでも行って迷っていたんだろう。気をつけてくれないと困るよなぁ」
リリーローズは髪や顔をすっかり隠していたので、アルジェンはどうやら気がつかなかったようだ。
リカルドは、そうだなと言って、馬車が小さくなっていくのを見送った。
濃すぎる一日を終えたリカルドは、小宮殿に戻っても、なかなか眠れずに、疲れを残したまま翌日を迎えることになった。
朝連絡会でこっそりあくびしていたら、ルーセントに見られてしまい、たるんでいると怒られた。
まさか、夜中に皇太子妃殿下と悪者から逃げていましたとは言えず、飲みすぎましたと言うと、ポカリと頭を小突かれてしまった。
「我々は内部ではなく、皇宮の外壁周辺、神殿の森の外、山道の警備を任された。今日から交代制で巡回警備に入る。怪しい者、不審な物を見つけたら、すぐに報告を入れるように」
ハイっと一斉に声が響いて、一同は解散となった。
室内の点検と清掃に向かおうとしていたら、リカルドはルーセントに呼び止められた。
「午後の鐘がなると会議が終わる。早めに食事を終えたら、セイブリアン様の部屋に行ってくれ。話があるそうだ」
「はい……分かりました」
忙しいから、ほとんど会えないと言われていたのに、急に呼び出されるなんてどうしたのだろうと思った。
昨日、リリーローズに会ったことが何か影響したのかと思うと、チクッと胸が痛んだ。
やはりなかったことにしてほしい、そんな風にセイブリアンから言われるところを想像して、リカルドは重い気持ちになったまま、午前の仕事を終えた。
午後になり、昼食を終えたリカルドは、セイブリアンの部屋に向かった。
ドアをノックすると、すぐに入れという声が聞こえてきて、リカルドは息を吸い込んでからドアを開いた。
リカルドが部屋に入ると、セイブリアンは窓辺に立っていた。
目が合うと、いつもの優しい目をして微笑んでくれた。
なんだか、ずいぶん久しぶりに会ったような気持ちになった。
「急に呼び出して悪かった。食事はとったか?」
「ええ、いただきました」
「よかった。それで、お前に頼みたいことがあるんだ」
「はい、なんでも仰ってください」
「即位式までの間、開かれるパーティーに俺と一緒に出席してほしいんだ」
「パーティーに、ですか?」
従者としての仕事の話のかと、リカルドは頭の中で息を吐いた。
それなら呼び出された理由も分かるが、頼みごとというほどのものではない。
「パーティーで怪しい動きをするフランティア人がいないか目を光らせて、見つけたら知らせてほしい」
「え? フランティア人ですか?」
「詳しくはまた話すが、諜報部隊からの情報では、皇太子反対派に反乱の動きがあり、第二騎士団団長ミケーレと一部の部下が関わっているようだ。ミケーレや近い部下の顔は分かるだろう?」
「はい、え? ミケーレ団長が!? あの、だいたいの部下の顔は分かりますけど……それは、本当なのですか?」
「ああ、密かに帝国に入っていると見ている。餌を撒いたから、パーティーに現れるかもしれない。フランティアからの招待客はいない。見つけたら間違いないと思ってくれ。一緒に探してもらいたいんだ」
久々に聞いたミケーレの名前に動揺してしまったが、複雑と言われていた後継者争いに絡んだ事情があるらしい。
セイブリアンのために頑張ろうと思ったリカルドは、分かりましたと言って頷いた。
同時に、告白に関しての話でなかったことに少しホッとしていた。
「それで……だ、パーティー用の服だが……」
「あ、この服ではダメなんですね。皇宮用の制服の方がいいですか?」
リカルドはベイリーで支給された、従者用の制服を着ていた。
シンプルで動きやすいが、指定があればそちらに変えなければいけない。
腕を組んで何やら考えている様子のセイブリアンは、リカルドを見つめて、うんと言って頷いた。
「俺に任せてくれ。相応しいものを用意する」
「はい。お願いします」
黒の上下など、裏方として目立たないものになるのだろうと、リカルドは考えていた。
午後の仕事を終えると、リカルドの部屋にパーティー用の服が届いた。
大きくて立派な箱に驚いたが、蓋を開けたリカルドは、何かの間違いではないかと目を瞬かせながら、しばらく固まってしまった。
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