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本編

じゅういち 愛のない結婚

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「いいか、お前と俺は教師と生徒だ! もう、あんな事はぜっったいにダメだ!」

 学園の廊下でマゼンダを見つけたビリジアンは、涼しい顔でおはようございますと言ってきたマゼンダの腕を掴んで、人気のない廊下の隅に連れて行った。
 マゼンダを壁に押し付けて、ビリジアンは鼻息荒く話した。

 先週、とんでもないことが起きて、それから休みが入り、テスト週間になって、あの事をまともに話すことができなかった。
 その間、ビリジアンは悶々として眠れない日々を送っていた。
 何度考えても、大変なことをしてしまったと、青くなったり赤くなったりしていた。

「先生、私達は何回もキスをしていますし、今さら何を言っているんですか? だいたい、ここは性愛を学ぶ学校ですよ。授業で使う道具で、自主学習していたのです。何か問題はありますか?」

「ど……道具は確かに学園のものだが……、こんなこと、ご両親に申し訳が立たないと……」

「うちの両親ですか? どのパーティーでも両手に花で、女性に連れられて家に帰らないこともあるのに、何を心配するのでしょうか」

「ええと……でもやっぱり、俺の立場でアンナこと……」

 ふふっと笑ったマゼンダは、ビリジアンの腕を引いて、今度は反対にビリジアンを壁に押し付けてきた。

「心配しないでください。誰にも言わないと言ったじゃないですか。二人だけの秘密です」

「そうは言っても……」

「あれからデートはどうですか? もう何度かエボニー男爵と外でお会いになっていますよね?」

 エボニーとの話は進めることになって、あれから仕事帰りに二回ほど飲みに行った。
 貴族向けの紳士酒場で軽く飲んだくらいだが、仕事の話や、エボニーの趣味の話などを聞いて、楽しい時間を過ごしていた。
 ただそれだけのことだが、親しい友人ができたような気分になって、ビリジアンは見合いだということを忘れそうになっていた。

「二回ほど夜に飲んで、お互い仕事があるから、早めに切り上げて帰った。エボニーは歳も近いし話し上手で、退屈しない……。毎年孤児院に多額の寄付をしているし、慈善家としても熱心で、いい人だとは思う」

「順調、ですね」

「……ああ」

 マゼンダの方が少し背が高いので、目線はどうしても上になってしまう。
 マゼンダが何を考えているのか、金色の瞳を覗いて読み取ろうとしたら、片手で頬を掴まれた。

 あっと思ったのは一瞬で、次の瞬間には、マゼンダの唇がビリジアンの口を塞いだ。

「んっ、んんーーっ」

 廊下の柱の陰で誰からも見られないような場所であるが、物音に気がついて、誰かが覗き込んでくるかもしれない。
 こんなところでダメだと肩を押したが、その倍の強さで壁に押し付けられて、深く唇が重なってきた。

「んっあぅ………ふっ………ん………」

 マゼンダは舌をぐりぐりと押し込んできて、歯列の間をなぞった。
 舌の付け根部分をこそぎ取るように舐められたら、ガクンと力が抜けてマゼンダの肩に掴まってしまった。
 それからはぐずぐずだった。
 マゼンダのキスは信じられないほど上手い。
 いいところを知られたら、そこばかり攻めて、そうかと思えば、焦らすように触れてくれない。

 こんなキスをされて、まともでなんていられない。
 いつしかビリジアンも応えるように舌を絡めて、快感を受け入れてしまった。
 はぁはぁと二人で吐く息の音と、くちゃくちゃという水音が廊下に響いた。

 気持ち良かった。
 何もかも忘れてしまうくらい、マゼンダの唇は甘くて意地悪で優しかった。

「はぁ……先生、授業、始まっちゃいますよ」

「ん……いけな……、お前だけ……さきに、いけ」

「名残惜しいな、こんなにトロトロの先生を置いていくなんて」

「い、いいから……早くいけ……んっ」

 最後にちゅっと音を立てて、ビリジアンから離れたマゼンダは、シャツの乱れを正してから、それじゃあと言って、くるりと背中を向けた。

「ぁ……」

 思わず声が漏れそうになって、ビリジアンは両手で口を塞いだ。
 幸いマゼンダは、ビリジアンの声には気が付かずにそのまま歩いて行ってしまった。

 自分は今、何を言おうとしたのだろう。
 口から出かかった言葉を慌てて飲み込んだので、喉から胸が火傷しそうに熱かった。

 十八も年下の男に、完全に遊ばれている。
 振り回されて、おかしなことまで口走りそうになった。
 マゼンダはあの歳で恋愛ゲームの達人なのかもしれないが、ビリジアンは恋愛には苦い思い出しかない。
 これ以上乱されたくないと思うのに、放り出されたら一人では心細く感じてしまう。

 壁にもたれて座り込んだビリジアンは、落ち着け落ち着けと頭の中で繰り返した。




 マゼンダ・グラス。
 グラス伯爵家の長男。
 マゼンダの生みの母は、マゼンダを産んですぐに亡くなり、それから父親は再婚して、若い母親と歳の離れた弟と妹がいる。
 マゼンダはすでに、紡績工場とワインの事業を手掛けていて、経営者としての才覚もあるが、やはり彼が奔放に遊び歩いているという噂の方で有名らしい。
 バーミリオン王子の遊び相手として王城に出入りして、幼馴染の一人となった。
 女性との恋愛に疎い王子の良き相談相手として、王子を支えている。

 サイト上に載っていたマゼンダの情報を思い出して、ビリジアンはお茶を一口飲んで息を吐いた。
 恋多き男を自分のものにする、マゼンダのルートは女の子のそんな願望を叶えるために用意されたものだろう。

 そんな彼が何を間違えて、こんなオッサンの指導係だと言い出して、手を出してくるのか本気で分からない。
 いくらさっさと卒業したいと言っても、あんなことまで協力するなんて信じられない。
 女好きキャラじゃなかったのかと、あのサイトをもう一度確認したいくらいだった。



「コンドルト先生、おかわりいかがですか?」

 職員室の端にビリジアンの席がある。
 準備室にいることが多いが、今日は会議が続いたので、職員室の席で資料の作成をしていた。

 声をかけられて顔を上げると、ピンクのブラウスに花柄のスカートが目に入った。
 お盆を持ってビリジアンの横に立っていたのは、同僚の女性教師、キャメル先生だった。

 金に近い薄茶色のふわふわな髪は、腰まであって、透き通る白い肌に大きな青い瞳に薔薇色のふっくらとした唇。
 年齢不詳で全体的に甘い雰囲気たっぷりな人だ。

 恋愛学と性学の担当をしていて、確か主人公が困った時などに、さりげなくアドバイスをしてくれるお助けお姉さんキャラだった。
 彼女はお色気担当なのか、はち切れそうな胸とお尻がいつも揺れていて、隣にいられると目のやり場に困ってしまう。

「ありがとうございます。いただきます」

 そう言うと、キャメルはどうぞと言って、ビリジアンの前に湯呑みに入れた新しいお茶を置いてくれた。

 西洋風の世界だが、職員室内で出されるお茶は、湯呑みに緑茶という仕様になっている。
 みんな当たり前のようにそれを飲んでいるが、やはり落ち着く味なのでありがたかった。

 一口飲んでホッとしていたら、キャメルは隣の席に座ってきて興味津々という目でビリジアンを見てきた。

「コンドルト先生、婚活されてるって本当ですか?」

「ブブッ、ゴホッ! なっ、なんでそれを……」

 お茶を喉に流し込んだところに質問されたので、変なところに入ってしまい盛大に咳き込んだ。

「きゃー、すみません。紳士酒場でコンドルト先生を見かけたので、学園長に聞いたら、教えてくれたんです」

 ビリジアンは机の上に飛んだお茶を慌てて拭きながら、気軽に話さないでくれーと、頭の中で学園長に向かって叫んだ。

「いや、その、まぁ……そんなところです」

「きゃあ、素敵。最近、ちょっと雰囲気が変わっていいなって思っていたんです。前のコンドルト先生って、臭う……あ、ちょっと寡黙で怖い感じ? あれ、すみません」

 キャメルはとっても素直な人らしい。
 部屋がゴミだらけだったことからも、どういう印象を持たれていたかは想像できた。
 ビリジアンは頭をかきながら、はははと笑ってごまかした。

「私はダーリンとこの学園で出会えましたけど、みんなが恋人になれるわけじゃないですし、もっと積極的に出会いを求めないとって思っていたんです。ぜひ成功して、後輩が続くように道を使ってください」

「は……はあ、頑張ります」

 学園在学中にカップルになる生徒は大勢いるという。国もそれを期待して、同じくらいの年頃の男女を集めるのだ。
 ゲームの主人公も、誰かとカップルになってハッピーエンドとなる。
 そして目の前にいるのは、その出会いの場を演出して、生徒達をハッピーエンドに導くキューピットみたいな人だ。
 ビリジアンもその輝きに、つい悩みを打ち明けてしまいたくなった。

「つかぬことをお伺いしますが、キャメル先生は、愛のない結婚をどう思いますか?」

「はい? 愛のない結婚ですか?」

 エボニーの言葉や、愛なんて遊びだと言うマゼンダを見ていると、この世界の愛に対する考え方が分からなくなってしまった。

「まぁ、貴族の世界では、政略結婚はありますし、愛ではなく家の繋がりで結婚される方もいますね。でも、そういう方でも、お互い愛人がいて愛を求めているように見えます。人は結局愛がなければ生きられないのですよ」

 いかにも恋愛学の教師が言いそうな言葉だと思った。

「愛は人間同士だけではありません。劇場のスターに憧れたり、コンドルト先生みたいに、魔法生物ちゃんラブって癒されることも愛だと思うのです」

「なるほど、では愛なんて必要ない。縛られたくない、なんて考え方の人をどう思いますか?」

「私は愛なんて必要ない、相手に期待しないとか言ってる人間の方が、すごく期待しているし、実は人一倍、愛を欲していると思います」

 大きな青い目をパチパチしながら、キャメルは熱く語ってくれた。
 さすが、ゲーム内の主人公のお助けキャラだ。
 手に入れられないから諦めているのかもしれないし、失うことが怖いのかもしれない。
 だから、必要ないと言って顔を背けている。

 ビリジアンは、冷たく言い放ったマゼンダの横顔を思い出した。
 拒絶するような空気を出していたが、寂しそうな目をしていた。

「私の話が参考になりましたでしょうか?」

「ありがとうございます。モヤモヤしていたものが晴れました」

「良かったです。私もコンドルト先生の恋を応援しています」

 キャメルに手を握られて、応援されてしまった。
 ちょうど目の前にメロンが二つ並んだような胸があって、そっちの方に目を奪われてしまい、慌てて目を逸らした。

「今日よかったら、食事会をするんですけど、コンドルト先生もいかがですか?」

「ああ、今日はちょっと……」

「あー、デートですね。わかりました。また誘います」

 頑張ってくださいと言われて肩を叩かれてしまった。
 今日もエボニーと飲みに行く約束をしていた。
 早く資料の作成を終わらせようと、ビリジアンは机に向かった。







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