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第二章

(21)囚われた心【ヨハネス】

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 ひと月、何度も目を覚ましては抜けない毒にぐらぐらとする頭を抱えてまた意識を失う。
 生と死の狭間を行ったり来たり、やっと目を覚ましてまともに起き上がれるようになると、全てが変わっていた。

 結局私に毒を盛ったのが誰だったのかは分からなかった。おそらく短絡的な思考で卑屈な性格をしていた第二王子ではないかと思われたが、それを確かめることはできなかった。
 なぜなら毒に苦しんでいた間に、兄王子達は殺し合い、第一王子だけが生き残っていた。
 そして王の不在のうちに、独断でミルドレッドを妃にしまった。

 兄達の中では一番武に優れていたが、快活で明るい性格だった第一王子ラジルが全員を殺したなんて信じられなかった。

 回復してすぐミルドレッドが顔を見にきてくれた。
 私の顔を見た後泣き崩れて、ただずっと謝り続け、まともな会話すらできなかった。
 ミルドレッドはあの時、自分を巡って兄達が殺し合った事で、もう壊れていたのだと思う。

 兄にミルドレッドを奪われて、毒の後遺症でまともに歩く事もできず、片目も見えなくなった。
 もう自分など生きる価値はないと半分死んだように呼吸をしていた。

 そしてあの日、最後の悲劇が起こる。

 部屋で休んでいた私を王の側近が呼びに来たが、彼自身も深傷を負っていて、事情を説明した後、力尽きて死んでしまった。

 ミルドレッドの存在を脅威に考えていた者達が暗殺を企てたと聞かされた。
 ミルドレッドが一人でいるところに暗殺部隊が襲いかかり、予め情報を得ていた王子と側近達が助けに入った。
 第一王子ラジルがミルドレッドを庇い負傷した。負傷しながらもラジルは暗殺者を全員殺した後、力尽きて絶命。
 側近達も全滅し、残った男がやっとの状態で私に助けを求めに来た。
 惨劇の場所となった王座の間に、唯一無事だったミルドレッドが残されていると聞いた。

 嫌な予感がした。
 三日前その姿を見た時は、笑っていたが人形のようだった。
 あんな状態で、ラジルを失ったとしたら……。

 足を引きずりながら玉座の間に向かった。ドアが内側から閉ざされていたので、魔法を使ってこじ開けた。

「ミルドレッド………」

 玉座の間は赤い絨毯より濃い血で全面覆われていた。
 玉座の前で剣を手にしたまま横たわる第一王子、その上に寄り添うようにミルドレッドも倒れていた。

「ミルドレッドーーー!!」

 床に広がった血に滑りながら、ミルドレッドに近寄った。
 手には短剣を持っていて、どうやら喉を切ったようだった。


 ミルドレッドが死ぬ。
 それは絶え難い事実だった。

 そして私の目の前をもっと赤くさせたのは、ミルドレッドがラジルの後を追って自死したことだった。

 こんなに……
 こんなに愛しているのに……

 ミルドレッドは私を置いて、
 ラジルと共に死ぬことを選んだ。

 どうして…?
 許せない

 なぜ
 許せない

 他の男を追って
 死んでいくなんて


 許せない


「イシスよ! 王子達の死に心を痛めているのなら、私の願いを聞いてください! 私の命をミルドレッドに……私の力を全てミルドレッドに―――」

 願ってしまった。
 置いて逝かれてしまったから。
 そんなこと耐えきれなかった。

 空から一本の光の糸が伸びてきて、私とミルドレッドの上に落ちた。
 やがて伸びてきた沢山の糸に包まれて、私の体から命が吸い取られてミルドレッドの体に入っていった。

「……どう……して、……な……ぜ」

 死の世界から引き戻されたミルドレッドが、声を震わせながら起き上がった。

「ミルドレッド……」

「ゼキ…エル…? なぜ……?」

 もうほとんど体は動かなかったけれど手を伸ばした。
 俺の伸ばした手を、這いずってきたミルドレッドが掴んでくれた。

「もしかして…私のために命を……。ゼキエル……いやだ……。そんなの……いや……いや」

「……どうか……こ…の国を……。あ…い……して……」

 言いたいことの半分も言えなかった。
 最後に見えたのはミルドレッドの泣き顔。それで良かった。貴方の心に自分のことを刻みつけて、この世を去れるなら一人残されるよりずっといい。

 力が抜けて本当の暗闇が訪れた。
 ミルドレッドの声もやがて遠くへ消えていった。

 そこまでが前世の記憶だった。


 この国を捨てて、好きなところへ行き、幸せになってくれ、愛している。

 これがあの時言いたかった言葉。

 しかし、ミルドレッドのその後の人生を知った時、自分はなんて愚かだったのか思い知った。


 ミルドレッドは私の言葉を、国を託されたものだと受け取った。
 そして、私の命に宿っていた黒魔法の力をそのまま受け継いでしまったことで、常に魔力の支配に苦しめられるようになった。
 そんな状態で立ち上がり、小国だった国を自らの体を使って兵力を高め、大陸一の大国にした。
 そして、誰とも結婚する事もなく、異世界へ渡る道を選んだ。
 ミルドレッドが死を選ぶことはできない。
 なぜなら、その命は私のものだったから。自ら死ぬということは、私を殺すことと同じ。
 だからこそミルドレッドは、異世界へ渡ったのだと悟った。

 アリサの魔力を吸い取って、全てを思い出し、その後の事実を知った私は、前世のことではあるが、自分のしたことの後悔の念に襲われた。

 せっかくミルドレッドは異世界に渡り、新たな人生を手に入れたのに、生まれ変わってまた戻されることになるなんて、ひどい話だとしか言いようがなかった。

 たとえアリサが聖女であって、全国民から反感を買うことになっても、自分がアリサを元の世界に返してあげなければいけない。

 真夜中の庭園で、意識を失ってぐったりとしたアリサを抱えながら、その時私は誓った。





「ヨハネス様、こんなところにいたんですか?」

 背中にかけられた声を驚いて振り向くと、あの幼かった少女ではないが、ミルドレッドと瓜二つの容姿の女性が立っていた。
 一瞬あまりにも似たような状況に、これが夢なのか現実なのか分からずに言葉が出てこなかった。

「読みたい本があるからと、聖務をサボって隠れんぼしているって聞きましたよ。ランドが汗だくで探していて、おかげで抑制具の製作途中なのに私も引っ張り出されて捜索隊に加わることになってしまったじゃないですか」

 もーと言いながらも、嬉しそうに笑っている女性を見て、やはりこれは夢なのではと思ってしまった。
 彼女はアリサ、ミルドレッド女王の生まれ変わりで異世界からの転移者。私の前世に深く関わった相手だ。前世と同じ力を持ち、今は私の保護下で近くの町にある屋敷で暮らしている。
 私は彼女を元の世界に帰すために最善の状況を整えた。

「……アリサ」

「はい、なんですか?」

 アリサは突然名前を呼ばれたからか、キョトンとした顔で首を傾げた。

「アリサは…どうして、私がここにいるって分かったのですか?」

 前世の記憶の中と同じ質問が出てきてしまった。あの時ミルドレッドは、孤独を感じていた私の心に寄り添うような返しをしてくれた。それで気持ちが高まったのだ。

 しかし、アリサはいたずらっ子のようにニヤッと歯を見せて笑った。

「私、隠れんぼの鬼が大得意なんです。弟達がどこにいても、すぐ見つけちゃうんですよ。たぶん鼻ですね、鼻が犬並みにいいってよく言われてました。すぐ分かっちゃうんですよ、ここにいるなって」

 同じ答えを期待していたのに、拍子抜けするくらいの驚きの解答におかしくなって笑いが込み上げてきた。
 我慢しようと思ったが、それはすぐに壊れて、噴き出して大笑いしてしまった。

「し…失礼しました。もっと、おしとやかな答えを期待していたので……」

「ちょっと、ヨハネス様。四人の弟達の姉を舐めないでください。おしとやかなんてしていたら、部屋中ぐちゃぐちゃで喧嘩三昧ですよ。私だって殴り合いに参加していたんですから!」

 拳を握って強そうなポーズを取るアリサを見て、もっとおかしくなって笑ってしまった。
 アリサは儚げだったミルドレッドと違ってたくましい。悩みながらも自分で解決しようともがいている。
 アリサにはいつも笑わされてしまう。
 こんなにおかしくて楽しい気持ちになるのはアリサの前だけだ。
 その度に違う人間なのだと思う。

 しかしそれがなんなのだ。
 生まれ変わりなのだから、同じ人間でないのは当然だ。

 だからといってアリサを元の世界に帰さないなんて事はできない。
 彼女の体質は前世の私の責任。
 元の世界に帰ることがアリサにとって一番の幸せだ。



 私の考えに一番反発したのはベルトランだった。
 ミルドレッドに愛されず、次こそミルドレッドのために死にたいと何度も生まれ変わって探し続けていた男。
 宮廷魔導士だった頃、見かけたことはあったが、記憶が戻ったらすぐに分かった。姿形に力まで同じであったから。
 ベルトランは、ミルドレッドに助けられてから魔導士になり、ずっとまとわり付いていた男だ。
 今世ではぬかりなく守護者として契約を結んでいた。
 魂の形が見えるらしく、私がゼキエルの記憶を持っていることに、気が付いていたらしい
 掴みどころのない男だったが、アリサが帰ることには絶対に反対だと私の提案を認めることがなかった。

 それがエルジョーカーの件があってから、毒が抜けたように素直になった。
 そして、私の元を訪れて驚きの言葉をかけてきた。

「俺が渡した種を活用したようだな。世界を越える力が上手く加わったように見える」

「……さすが、貴方には隠しきれませんね。明日、屋敷に赴いて、アリサに伝えるつもりです。貴方がいくら反対したと……」

「いいぜ、アリサの判断を仰ごう」

 まさか、真っ先に反対されると思っていたのに、アッサリと了承したベルトランが信じられなかった。

「……もしかして、アリサが断るという自信があるのですか?」

「それもあると言えばあるが。俺はもうアリサと共に死ぬと決めた。たとえ遠く離れても、魂は常に隣にいる。お前と違ってな」

 体が衝撃をくらったようによろめいて、壁に手をついた。
 今まで自分の考えが唯一だと思ってきた。
 ベルトランは過去の運命に囚われた可哀想な男だと。
 しかしそれが今、音を立てて崩れていく。

 ベルトランが、羨ましい。

 頭に浮かんできたのはそれだけだった。


「一番過去に囚われているのはお前じゃないのか、ヨハネス。お前はなぜ生まれ変わったのだろうな」

 違う。
 間違っていない。

 自分は選ばれなかったから。
 置いていかれてしまったから。

 アリサを元の世界に……。
 それでいいんだ。

 重い一言を残して、ベルトランは行ってしまった。
 真っ直ぐに伸びた背中が眩しくて、私は目を瞑って膝をついた後、頭を抱えた。

 前世に囚われるな、そう言った父の言葉が何度も頭の中で繰り返し流れていた。






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