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第一章
(9)人生の契約
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元帝国の宮廷魔導士でもあり、過去に部隊を率いて他国で諜報活動をし、その名を知られた暗殺者でもある。
何か問題を起こして、宮廷魔導士を辞して皇家から追われる身になり、今は各地を転々としながら暮らしている。
以上が今まで聞いていて何となく繋がった知識だ。彼がどういう人物たるかはこの際どうでもいい。とにかく迫り来る恐怖に怯えた私は、自分の身を暴走から守ってくれるなら、極悪人でも守護天使でも縋り付くしかなかった。
「お前達は下がっていろ」
エドワードとランスロットが悔しそうな顔になって後ろに下がった。
護衛として守りぬく必要があるので、魔導士に託すことに抵抗があるのだろう。
なぜか私が申し訳ない気持ちになりながら、魔導士の元へ近づいた。
「……やはりミルドレッドとお前の魂のかたちはよく似ている…」
「魂のかたちですか……?」
なぜこの男がそんなことを知っているのか分からないし、そうであっても自分の目に見えるものではない。はいそうですかと頷くには荒唐無稽な話すぎて付いていけなかった。
魂とかはどうでもいい。私にとって今は、目の前のピンチをどう切り抜けるかだ。
魔導士の横に立つと、ちょうど胸元の位置に彼の頭があった。こんなところも末の弟と同じサイズでつい手を伸ばして頭を撫でたくなってしまった。
「魔力の使い方を知らない人間には、強制発動と言って、力のある者が力を体に直接送り込んで外へ出すことを誘導する。普通は専用の魔法具を使って行うが、今はそんなものはないのでやむを得ない事態だと思って我慢してくれ」
「何をするのかすごく心配なんですけど…、あまり痛いのとかは……」
「痛くはしない…、むしろ楽になるはずだ」
魔導士は何か呪文みたいなものをブツブツ唱えながら私の腕を掴み、私の顔を見上げてきた。
触れられた腕がじんわりと温かくなっていく。
「むっ……この体だと不便だ」
「何がですか?」
「おい、俺の名前を呼べ。さっき聞いていただろう」
魔導士の赤い目は先ほどまで恐ろしかったが、近くで見てみるとルビーのように綺麗だし、偉そうな口調でまだ幼い少年の姿は背伸びしている子供のようで可愛かった。
「えっ…と、ベルトラン…?」
「許す、と言え」
「…ゆ…許す」
魔導士、ベルトランの体が眩しい光に包まれた。真っ暗な場所で急にライトを当てられたみたいで、私の目はくらんで思わず目をつぶった。
「ああ……この体に戻るのも久しぶりだ。だが力が安定しない、馴染むのに時間がかかるな」
「……ん?」
さっきまで下の方から聞こえてきた声が、今度は頭の上から聞こえてきた。そして私を掴む力がずいぶんと強くなり、背中まで手が回って抱きしめられているような感覚がした。
ぼんやりとしたまま目を開くと、目の前には広い胸元があった。黒の洋装はベルトランの着ていたものだが、明らかに位置がおかしかった。
「……え? ええええ!?」
先程まで少年の姿であったのに、なんとベルトランの体は大きくなっていて、今は成人男性の姿に変わっていた。
丸みがあった顔はシュッとして、幼さが消えて、短かった黒髪は肩の下まで伸びて長髪になっていた。
赤い瞳は変わらずギラギラと光っている。少年の姿は可愛らしかったが、大人の姿はクラクラしそうなくらい妖しげな色気を放っている。
「あ…あ…あの、ベルトラン? 体が……」
「ああ、これが本来の俺の姿だ。契約者の前だけ元に戻ることができる」
「は…はあ、そうで…すか。…ん?契約?」
「では、始めるぞ」
今は話している暇などないと、ベルトランにはすでに抱き込まれていたが、私をもっと引き寄せて強く抱きしめた後、片手で顎を持ち上げてきた。
何をするのかと目を大きく開いた瞬間にはもう、ベルトランの顔が焦点が合わないくらい近くにあって、唇に柔らかい感触がした。
「んっ!! んんんんんっーーー!!」
初めて知る生温かさと柔らかな感触、いつかは知る日が来るのだろうかと思っていたが、こんな唐突にしかも会ったばかりの人と……。
腕を押し返しても背中を叩いてもびくとも動かない。むしろもっと深く唇が重なってしまった。
我慢しろと言われていたのはこの事だったのだ。
これがキスであるということは、疎い私でも分かるが、私が考えていた爽やかなものとは全く違った。
「んんんっ、ん! んっ! んぐぐっんんー」
息苦しくて開いた口にぬるっとしたものが入ってきて、私はまた声にならない声を上げた。
それがベルトランの舌であることは遅れて分かった。自分の舌を使って押し返そうとしたが、うねうねと絡みついてきて、ゾクゾクとした痺れが体を駆け巡った。
そしてベルトランと触れている唇がどんどん熱くなり、体の奥で渦巻いていた何かが飛び出すように私の体が発光して、その光は四方八方に飛んでいくようにして消えていった。
「はぁ…はぁはぁ……は…え…なに………」
「とりあえずは散らしたが、さすが黒魔力の結晶と呼ばれたミルドレッドの血族だ。すぐに新たな力が溜まってきている」
クラクラとする意識の中でぼんやりしていたが、カチャリという硬質な音が響き、目の前に銀色の光が見えて私はハッと我に返った。
大きくなったベルトランの首筋に剣先が当てられていて、背後から伸びてきた手が私の腕を捉えてぐっと引っ張ってきた。
「……もう終わったのならアリサを離すんだ」
離れていたエドワードとランスロットが、魔力の解放が終わったのを見計らって動いたのだろう。
刃を当てられても、ベルトランは顔色ひとつ変えなかった。
「命の恩人に刃を立てるとは、帝国の騎士道精神も地に落ちたな」
「俺達の仕事はアリサを守ることだからな。悪いが元帝国の魔導士の方には役目が終わったら静かに退場いただこう」
ベルトランの力が緩んだら、すぐに引き寄せられてエドワードの背中に隠された。
ベルトランの首に剣を当てているのはランスロットで、警告に従わなければ、躊躇わず力を入れるという空気が流れた。
「さすがの俺もソードマスタークラスを二人も相手にするのは分が悪い。だが、問題は解決したわけでもないし、より複雑なことになった」
「どういう事だ! ハッタリでもかましたらその首、地に転がることになるぞ!」
ランスロットが大きな声を出して、剣により力を込めたように見えた。ベルトランは気にする事なく、ふっと笑った後、エドワードの背中に隠れている私の顔を見てきた。
「アリサと守護者の契約を交わした。意味は分かるだろう」
ランスロットの動揺が剣に表れてカチャリと揺れた音がした。
また何かやっかいなことになった気がして、私は寒気に震えたのだった。
ガタガタと音を立てながら馬車がのどかな麦畑の中を進んでいる。
誰一人喋ることもなく、ひたすら無言の時間が流れていくのをただ静かに眺めていた。
ただ一人……いや、一匹を除いて……。
「しかしひどい乗り物だな。時々体が浮くのをどうにかできないのか?」
「文句を言うのなら降りてくれ。その姿なら、誰かに拾ってもらえるだろうからな」
これが一度目ではない。
あーだこーだと、とにかく文句の多い猫が、私の膝の上でがっと口を開けてあくびをした。
エドワードは顔に怒りマークでも入っていそうなくらい不機嫌な様子でため息をついた。これももう、何度目か分からない。
私の膝の上に乗っているのはベルトランだ。今は移動に適しているからということで、魔法で黒猫の姿になっている。
あの魔の森でベルトランに黒魔力を散らしてもらったがそこで、ではさようならというわけにはいかなくなってしまった。
もっと他に方法がなかったのか、納得できないやり方だったのだが、お陰様でというか、ずっと悩まされていた頭痛が消えて、久しぶりに頭がスッキリとした。
散らすだけの行為であんな事をもう二度とやりたくないと思っていたのだが、私の体はどうも異世界に来て今まで眠っていた力が本格的に発動してしまったらしい。
本来であれば、魔力というのは適当なところで落ち着き、使わなければ自然に放出され、使うたびに補充されるそうだが、私の場合は無尽蔵に増えてしまうそうだ。
つまり定期的に先ほどのようなキスをして、解放させないといけないと言われて卒倒しそうになった。
なぜキスかというと、粘膜の触れ合いによって快感を感じることで放出させるのが手っ取り早いからということらしい。
もっと分かりやすく完璧な方法があるぞと言われたが、嫌な予感しかしないので聞かないでおいた。
ベルトランに出口は開けてもらったので、まだ試していないが、今後は自分で魔法が使えるようになったらしい。
そしてまた溜まってしまった場合は例のやつをすることになる。今度は相手が強い黒魔力のある者であれば、あの方法で誰でも解放が促せるそうだ……誰でもと言われてもっと複雑な気持ちになる。
救いがあるとすれば、自分で内部の魔力を放出させるように訓練すれば、人に介することなく解消できるようになるかもしれないと言われたことだった。
すぐに気休めにしかならないかも、と言われたがそれは聞き流して空へ飛ばした。
そして、ベルトランが言っていた守護者の契約だが、これによってベルトランが私を攻撃することはない、という証明になったそうだ。
もう契約で離れられないから付いて行くとベルトランが言い出して、ランスロットは絶対にダメだと拒否した。
だが、人手が足りないことは確かで、ベルトランほどの魔導士がいることはかなりの戦力になるとエドワードの方は考えたようだ。
私の魔力を解放する問題もあるので、ランスロットも渋々了承して、ベルトランも一緒に神殿に向かうことになった。
という事で、不機嫌な騎士二名と、謎の時限爆弾娘の私と、猫一匹がのどかな道を気まずい空気のまま進んでいた。
今まで着ていた薄手の外套はベルトランに燃やされてしまったので、私はベルトランが着ていた黒いローブを被せてもらった。
前のものより厚手なので、暑苦しいかと思ったが魔力が込められた糸で作ってあるらしく、涼しくて快適だった。
流れていく景色を眺めながら、私は守護者の契約について説明されたことを思い出していた。
守護者の契約とは、魔術師がその身を一生捧げることを願い出て、対象者がそれを許すことで契約が成立するらしい。
こちらの意思と関係なく結ばれたので、正しい契約したとは思えないのだが、勝手に成立してしまったらしい。
改めて考えると仕事の契約というより、人生の契約のようだと思った。
「守護者の契約って…人生の契約というか、まるで結婚みたいね」
「結婚よりも重い契約だ。何しろ対象者が死んだら、俺も死ぬからな」
そんな大事なことをサラっと口にしながら、足を上げてお尻を舐めているベルトランが信じられない。
「ちょっと、本当に猫みたいな動きしないでよ」
「仕方がない。この姿の時は習性も効いてしまうから俺の意思ではない」
見た目は確かに…ちょっと可愛い猫だが、言うことはちっとも可愛げがない。
「そうだ、先ほどアリサの魔力を少しもらって、調べてみたが重要なことが分かった」
しかも重要なことを、今気がついたみたいに言い出すのもどうかと思う。
こういうのはたいてい早く言ってくれよという前フリだったりする。
「おめでとうと言うべきか。白魔法の蓄積も見られた。これは完全にミルドレッドの力を受け継いでいると考えていい」
「それは、まずいな」
今までムスッとした様子で話を聞いていた、エドワードとランスロットの声がピタリと揃って聞こえた。
「は!? え? なっ…なに? これ以上まずいってことあるの!?」
私は半泣きで二人と一匹を見回した。
頭の中で坂道をごろごろと転げ落ちているみたいだ。一度転がったらどこまでも。
いつになったら終わるのか。
頭がクラリとして、また倒れるかもしれない気がしてきた。
□□□
何か問題を起こして、宮廷魔導士を辞して皇家から追われる身になり、今は各地を転々としながら暮らしている。
以上が今まで聞いていて何となく繋がった知識だ。彼がどういう人物たるかはこの際どうでもいい。とにかく迫り来る恐怖に怯えた私は、自分の身を暴走から守ってくれるなら、極悪人でも守護天使でも縋り付くしかなかった。
「お前達は下がっていろ」
エドワードとランスロットが悔しそうな顔になって後ろに下がった。
護衛として守りぬく必要があるので、魔導士に託すことに抵抗があるのだろう。
なぜか私が申し訳ない気持ちになりながら、魔導士の元へ近づいた。
「……やはりミルドレッドとお前の魂のかたちはよく似ている…」
「魂のかたちですか……?」
なぜこの男がそんなことを知っているのか分からないし、そうであっても自分の目に見えるものではない。はいそうですかと頷くには荒唐無稽な話すぎて付いていけなかった。
魂とかはどうでもいい。私にとって今は、目の前のピンチをどう切り抜けるかだ。
魔導士の横に立つと、ちょうど胸元の位置に彼の頭があった。こんなところも末の弟と同じサイズでつい手を伸ばして頭を撫でたくなってしまった。
「魔力の使い方を知らない人間には、強制発動と言って、力のある者が力を体に直接送り込んで外へ出すことを誘導する。普通は専用の魔法具を使って行うが、今はそんなものはないのでやむを得ない事態だと思って我慢してくれ」
「何をするのかすごく心配なんですけど…、あまり痛いのとかは……」
「痛くはしない…、むしろ楽になるはずだ」
魔導士は何か呪文みたいなものをブツブツ唱えながら私の腕を掴み、私の顔を見上げてきた。
触れられた腕がじんわりと温かくなっていく。
「むっ……この体だと不便だ」
「何がですか?」
「おい、俺の名前を呼べ。さっき聞いていただろう」
魔導士の赤い目は先ほどまで恐ろしかったが、近くで見てみるとルビーのように綺麗だし、偉そうな口調でまだ幼い少年の姿は背伸びしている子供のようで可愛かった。
「えっ…と、ベルトラン…?」
「許す、と言え」
「…ゆ…許す」
魔導士、ベルトランの体が眩しい光に包まれた。真っ暗な場所で急にライトを当てられたみたいで、私の目はくらんで思わず目をつぶった。
「ああ……この体に戻るのも久しぶりだ。だが力が安定しない、馴染むのに時間がかかるな」
「……ん?」
さっきまで下の方から聞こえてきた声が、今度は頭の上から聞こえてきた。そして私を掴む力がずいぶんと強くなり、背中まで手が回って抱きしめられているような感覚がした。
ぼんやりとしたまま目を開くと、目の前には広い胸元があった。黒の洋装はベルトランの着ていたものだが、明らかに位置がおかしかった。
「……え? ええええ!?」
先程まで少年の姿であったのに、なんとベルトランの体は大きくなっていて、今は成人男性の姿に変わっていた。
丸みがあった顔はシュッとして、幼さが消えて、短かった黒髪は肩の下まで伸びて長髪になっていた。
赤い瞳は変わらずギラギラと光っている。少年の姿は可愛らしかったが、大人の姿はクラクラしそうなくらい妖しげな色気を放っている。
「あ…あ…あの、ベルトラン? 体が……」
「ああ、これが本来の俺の姿だ。契約者の前だけ元に戻ることができる」
「は…はあ、そうで…すか。…ん?契約?」
「では、始めるぞ」
今は話している暇などないと、ベルトランにはすでに抱き込まれていたが、私をもっと引き寄せて強く抱きしめた後、片手で顎を持ち上げてきた。
何をするのかと目を大きく開いた瞬間にはもう、ベルトランの顔が焦点が合わないくらい近くにあって、唇に柔らかい感触がした。
「んっ!! んんんんんっーーー!!」
初めて知る生温かさと柔らかな感触、いつかは知る日が来るのだろうかと思っていたが、こんな唐突にしかも会ったばかりの人と……。
腕を押し返しても背中を叩いてもびくとも動かない。むしろもっと深く唇が重なってしまった。
我慢しろと言われていたのはこの事だったのだ。
これがキスであるということは、疎い私でも分かるが、私が考えていた爽やかなものとは全く違った。
「んんんっ、ん! んっ! んぐぐっんんー」
息苦しくて開いた口にぬるっとしたものが入ってきて、私はまた声にならない声を上げた。
それがベルトランの舌であることは遅れて分かった。自分の舌を使って押し返そうとしたが、うねうねと絡みついてきて、ゾクゾクとした痺れが体を駆け巡った。
そしてベルトランと触れている唇がどんどん熱くなり、体の奥で渦巻いていた何かが飛び出すように私の体が発光して、その光は四方八方に飛んでいくようにして消えていった。
「はぁ…はぁはぁ……は…え…なに………」
「とりあえずは散らしたが、さすが黒魔力の結晶と呼ばれたミルドレッドの血族だ。すぐに新たな力が溜まってきている」
クラクラとする意識の中でぼんやりしていたが、カチャリという硬質な音が響き、目の前に銀色の光が見えて私はハッと我に返った。
大きくなったベルトランの首筋に剣先が当てられていて、背後から伸びてきた手が私の腕を捉えてぐっと引っ張ってきた。
「……もう終わったのならアリサを離すんだ」
離れていたエドワードとランスロットが、魔力の解放が終わったのを見計らって動いたのだろう。
刃を当てられても、ベルトランは顔色ひとつ変えなかった。
「命の恩人に刃を立てるとは、帝国の騎士道精神も地に落ちたな」
「俺達の仕事はアリサを守ることだからな。悪いが元帝国の魔導士の方には役目が終わったら静かに退場いただこう」
ベルトランの力が緩んだら、すぐに引き寄せられてエドワードの背中に隠された。
ベルトランの首に剣を当てているのはランスロットで、警告に従わなければ、躊躇わず力を入れるという空気が流れた。
「さすがの俺もソードマスタークラスを二人も相手にするのは分が悪い。だが、問題は解決したわけでもないし、より複雑なことになった」
「どういう事だ! ハッタリでもかましたらその首、地に転がることになるぞ!」
ランスロットが大きな声を出して、剣により力を込めたように見えた。ベルトランは気にする事なく、ふっと笑った後、エドワードの背中に隠れている私の顔を見てきた。
「アリサと守護者の契約を交わした。意味は分かるだろう」
ランスロットの動揺が剣に表れてカチャリと揺れた音がした。
また何かやっかいなことになった気がして、私は寒気に震えたのだった。
ガタガタと音を立てながら馬車がのどかな麦畑の中を進んでいる。
誰一人喋ることもなく、ひたすら無言の時間が流れていくのをただ静かに眺めていた。
ただ一人……いや、一匹を除いて……。
「しかしひどい乗り物だな。時々体が浮くのをどうにかできないのか?」
「文句を言うのなら降りてくれ。その姿なら、誰かに拾ってもらえるだろうからな」
これが一度目ではない。
あーだこーだと、とにかく文句の多い猫が、私の膝の上でがっと口を開けてあくびをした。
エドワードは顔に怒りマークでも入っていそうなくらい不機嫌な様子でため息をついた。これももう、何度目か分からない。
私の膝の上に乗っているのはベルトランだ。今は移動に適しているからということで、魔法で黒猫の姿になっている。
あの魔の森でベルトランに黒魔力を散らしてもらったがそこで、ではさようならというわけにはいかなくなってしまった。
もっと他に方法がなかったのか、納得できないやり方だったのだが、お陰様でというか、ずっと悩まされていた頭痛が消えて、久しぶりに頭がスッキリとした。
散らすだけの行為であんな事をもう二度とやりたくないと思っていたのだが、私の体はどうも異世界に来て今まで眠っていた力が本格的に発動してしまったらしい。
本来であれば、魔力というのは適当なところで落ち着き、使わなければ自然に放出され、使うたびに補充されるそうだが、私の場合は無尽蔵に増えてしまうそうだ。
つまり定期的に先ほどのようなキスをして、解放させないといけないと言われて卒倒しそうになった。
なぜキスかというと、粘膜の触れ合いによって快感を感じることで放出させるのが手っ取り早いからということらしい。
もっと分かりやすく完璧な方法があるぞと言われたが、嫌な予感しかしないので聞かないでおいた。
ベルトランに出口は開けてもらったので、まだ試していないが、今後は自分で魔法が使えるようになったらしい。
そしてまた溜まってしまった場合は例のやつをすることになる。今度は相手が強い黒魔力のある者であれば、あの方法で誰でも解放が促せるそうだ……誰でもと言われてもっと複雑な気持ちになる。
救いがあるとすれば、自分で内部の魔力を放出させるように訓練すれば、人に介することなく解消できるようになるかもしれないと言われたことだった。
すぐに気休めにしかならないかも、と言われたがそれは聞き流して空へ飛ばした。
そして、ベルトランが言っていた守護者の契約だが、これによってベルトランが私を攻撃することはない、という証明になったそうだ。
もう契約で離れられないから付いて行くとベルトランが言い出して、ランスロットは絶対にダメだと拒否した。
だが、人手が足りないことは確かで、ベルトランほどの魔導士がいることはかなりの戦力になるとエドワードの方は考えたようだ。
私の魔力を解放する問題もあるので、ランスロットも渋々了承して、ベルトランも一緒に神殿に向かうことになった。
という事で、不機嫌な騎士二名と、謎の時限爆弾娘の私と、猫一匹がのどかな道を気まずい空気のまま進んでいた。
今まで着ていた薄手の外套はベルトランに燃やされてしまったので、私はベルトランが着ていた黒いローブを被せてもらった。
前のものより厚手なので、暑苦しいかと思ったが魔力が込められた糸で作ってあるらしく、涼しくて快適だった。
流れていく景色を眺めながら、私は守護者の契約について説明されたことを思い出していた。
守護者の契約とは、魔術師がその身を一生捧げることを願い出て、対象者がそれを許すことで契約が成立するらしい。
こちらの意思と関係なく結ばれたので、正しい契約したとは思えないのだが、勝手に成立してしまったらしい。
改めて考えると仕事の契約というより、人生の契約のようだと思った。
「守護者の契約って…人生の契約というか、まるで結婚みたいね」
「結婚よりも重い契約だ。何しろ対象者が死んだら、俺も死ぬからな」
そんな大事なことをサラっと口にしながら、足を上げてお尻を舐めているベルトランが信じられない。
「ちょっと、本当に猫みたいな動きしないでよ」
「仕方がない。この姿の時は習性も効いてしまうから俺の意思ではない」
見た目は確かに…ちょっと可愛い猫だが、言うことはちっとも可愛げがない。
「そうだ、先ほどアリサの魔力を少しもらって、調べてみたが重要なことが分かった」
しかも重要なことを、今気がついたみたいに言い出すのもどうかと思う。
こういうのはたいてい早く言ってくれよという前フリだったりする。
「おめでとうと言うべきか。白魔法の蓄積も見られた。これは完全にミルドレッドの力を受け継いでいると考えていい」
「それは、まずいな」
今までムスッとした様子で話を聞いていた、エドワードとランスロットの声がピタリと揃って聞こえた。
「は!? え? なっ…なに? これ以上まずいってことあるの!?」
私は半泣きで二人と一匹を見回した。
頭の中で坂道をごろごろと転げ落ちているみたいだ。一度転がったらどこまでも。
いつになったら終わるのか。
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