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第二章 成長編(十五歳)
2、集いし婚約者(仮)
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グランドオール帝国、第二皇子オズワルド・ネイト・グランドオール。
現在は十七歳で、文武両道で何をやっても非常に優秀、どちらかと言えば、武には恵まれなかった兄の皇太子に代わって、軍事の方面では活躍の場を広げている。
兄よりも容姿に優れていて、若い貴族の間では絶大な人気を誇っているそうだ。
今回の婚約者候補選別では多くの手が上がり、選ばれた者は幸運を手にしたと言われていた。
皇宮の建物には宝石の名前が付けられていて、婚約者(仮)に選ばれた十人の男女は、晴天の空の下、皇宮のサファイア宮の前に集められた。
候補者の歓迎とともに、選抜を始めるという儀式が開催された。
今日よりサファイア宮は候補者の教育用の施設となる。基本的には通いだが、時に泊まりで指導があるとも聞いていた。
伝統的な行事であるからか、野外に椅子が並べられて、高位の貴族が招待されていた。
壇上には白い衣装に長いベールを被った候補者が並べられた。
皇宮の神官が儀式を執り行い、ゾウ神へ祈りを捧げた後、それぞれの頭に聖水を振りかけた。
ゾウの神様の世界だと聞いていたが、神官はゾウの顔の形をした帽子をかぶっていて、あまりに可愛い姿に俺は笑ってしまった。
もちろん笑ったのは俺だけで、冷たい視線を浴びることになった。
ここでの主役である皇子様は、一段高い屋根付きの特別席でこの様子をご鑑賞されていた。
距離がありすぎて、金髪の男が座っているくらいしか見えなかった。
候補者は、男が八人の女が二人、全員帝国に古くからある名家の子供達で、歳は皇子と近い者で構成されていた。
ある者は自信たっぷりに、ある者は緊張で青くなりながら、しかし全員が自分が選ばれることを願ってここに立っている。
ただ一人を除いて……。
「オズワルド殿下、カッコ良かったな」
「私、目が合ったの。絶対気に入ってくれたわ。すぐにお声がかかるかもしれない」
儀式が終わると、着替えをするために部屋に入った候補者達は、興奮した様子で話し始めた。
皇子がいかにカッコ良かったか、自分を見ていた、そんな話が聞こえきた。
だが騒いでいるグループは一部だけで、他数名は着替えをしながら余裕たっぷりに、はしゃいでいる者達を眺めていた。
お祭り騒ぎのグループと、本気で取りにいくグループという構図が見えた。
そして俺はというと、端の方で目立たないように着替えていた。
正直言ってここにいるだけで気まずい気持ちになってくる。
ゲームのシナリオでは、ここにいる十名は誰一人選ばれない。
そんなことがあっていいのかと思うが、オズワルド殿下という人はもともと型破りで、伝統をあまり重んじないタイプらしい。
いわゆる古い人間からは反発も多いが、新しい価値観を望む層からは絶大な人気を得る系の人だ。
帝国の貴族を巻き込んでの伝統的な行事であるゆえ、現時点のオズワルドでは婚約者選びを拒否することは不可能だった。
この三年で皇宮内で力を付けて、味方を集めていく。
そして本当の愛に目覚めたオズワルドは、愛する人ができたと宣言して婚約者選びをやっと終わらせたという設定だった。
ゲーム内でシリウスは最後まで抗議していたが、結局皇宮内をまとめられてしまい、婚約者候補は全員お払い箱になった。
それでもある者にとっては、元候補ということで一定の利益を得ることができるだろう。
俺はここにいることに何の意味も見出せないが、これがゲームのシナリオ通りなので、参加しないわけにいかなかった。
それに俺はふとした時に思い出してしまうことに頭を悩ませていた。
それはあの柔らかい唇の感触。
前の世界も含めて、俺にとってのファーストキス。
それをなぜか敵対する予定の主人公であるアスランと……。
アスランの唇は少し震えていて、深い気持ちが入っているような気がした。
もしかしてアスランは俺のことを好きなんじゃないか。
そんな気持ちが一瞬頭をよぎったけれど、それは違うだろうと考えを打ち消した。
アスランがちゃんと好きになるのは皇子だ。
今まで一番近いところにいたのが俺だったから、離れるのが寂しくなった。
そういうことじゃないかと結論づけた。
初めてしたキスが衝撃的で、頭から離れないのだが、こんなことではダメだと頭を振った。
三年後、来るべき未来のために、ルールを守って、道を間違えないようにしないといけない。
幸いというか、アスランは先週邸を出て、養成所での寮生活に入った。
週末は帰れるなんて言っていたが、訓練メニューはかなりハードなので、訓練生のほとんどは週末は体を休めることに専念するのと、遠征演習が続くので、しばらくは家には帰れないと聞いた。
物理的に会えなくなるので、アスランは広がった世界の方に関心が向かうと思う。
あのキスは別れの挨拶みたいなものだ。
なぜか胸がチクリといたんだが、俺は前を向いて道を歩き始めたのだった。
サファイア宮で開かれるレッスンは、一日、二日三日と順調に過ぎていき、今日で二週間が経とうとしていた。
今のところ、歴史学、外交学、社交術などの座学の授業が中心なので、ぼけっと聞いていたら時間はすぐに過ぎていった。
分かっていたことなのだが、レッスンクラス内での空気は重いものになりつつあった。
みんなのお目当ての皇子様は、あの顔合わせの儀式でチラっと見ただけで、その後一切姿を見ることがなかった。
すぐに声がかかるとか、食事に誘われるかもなんて浮かれていた連中は意気消沈していた。
レッスンが終わり、教師が部屋から出ていったのを見計らって、一人の候補者がついに耐えかねたのか声を上げた。
「はぁ……、こんな事して、何か意味があるの? どうして殿下は一度もこちらの様子を見に来てさえくれないの? 誰か知っている人はいない?」
その男は浮かれていたグループの一人だった。
候補者は選ばれたらもちろん名誉であるのだが、自分から辞退することが可能だ。
あまりに希望がないのに、レッスンを受け続けるのが苦痛であれば好きな時に辞めていいようになっている。
まだ始まって間もないが、立ち上がった男からはもう辞退したいという空気すら感じた。
「可哀想に……、理解できないみたいだから教えてあげるよ」
ガタンと椅子を鳴らして別の男が立ち上がった。
余裕顔グループの一人だった。
「オズワルド様の中で、すでに皇妃になられる方は決まっているからさ。それはもちろん、ここにいるカラム公爵家令息のイクシオ様。この中で一番完璧な家柄で、完璧な容姿。可哀想だけど君達に縁はないんだよ」
立ち上がったのはいかにもモブ男くんという顔の男だった。
有力者を支持してあわよくばおこぼれに与りたいという意思が透けて見えた。
名指しされたのは、事前にリカードからもおそらく彼に決まるだろうと言われていた男だった。
リカードの家の遠縁にあたり、帝国内でも権力を持つカラム公爵家の次男、イクシオ。
漆黒を思わせる長い黒髪に、リカードと同じ金色の瞳をしていた。
線が細く色白で、中性的で色気のある顔をしている。アスランの美しさには及ばないが、確かにこの中では一番綺麗な顔立ちで目立っていた。
「……だめだよ。そんなことを言ったら、みんな頑張っているんだからね」
イクシオはクスクス笑いながら、自慢そうな艶の良い黒髪をサラリと靡かせた。
すでに彼の支持者らしい数名がその様子を羨望の眼差しで見つめていた。
「僕は幼少期から、オズワルド様と何度も対面して、毎年皇宮の夏の遊びにも呼ばれているんだ。申し訳ないけど、皇妃は僕に決まっているから、君達は運が良ければ側妃になれる可能性があるかもね。あっ、もしかしたら、僕からどうかってオズワルド様に口添えしてあげることもできるけど……それは君達しだいかな」
その一言で一気にクラスの空気が変わってしまった。
姿を見せず真意の分からないオズワルド。
疑心暗鬼が渦巻き、みんなが不安を募らせた状態で余裕たっぷりにイクシオはアピールを始めた。
元より階級社会を強く意識する環境で育てられた子供達だ。
この一言を機に、一番高貴な家柄で美しいイクシオの言うことに、誰もが取り込まれてしまった。
切り替えの早いやつは、翌日からイクシオに近づいていった。
わざとらしくご機嫌をとって、家からプレゼントを持ってくる者もいた。
その様子を見ながら、巻き込まれたくないと、俺はひとり別行動でひたすら目立たないように大人しく授業を淡々と受けていた。
そんな日々が続き、この日はティータイムレッスンと呼ばれる外でのお茶の飲み方や作法を実践で教わった。
レッスンが終わったら自由解散だったが、イクシオの周りには人が集まり、内情は分からないが見た感じでは和気藹々と楽しそうにお茶を続けていた。
俺は自分の分だけ使用したカップを片付けた後、早く帰ろうと先にその場を離れた。
庭園を横切って、サファイア宮から外に出たところで何やらじっと見られているような視線を感じた。
「シリ……シリたん?」
その呼び方で誰がいるのかすぐに分かってしまった。
こんなところでやめてくれーと思いながら、ギギギっと油が切れたロボットみたいに振り返ると、やはり思った通りの男が生垣の向こうから笑顔で手を振っていた。
「やっぱりシリたんだぁーー! 嬉しいなぁ! こんなところで会えるなんて!」
この五年の間で一番変わったのはこの人かもしれない。
かつては理性的で、三人の令息の中で一番年上かつ落ち着いていた男だった。
人見知りするほうだからと聞いていた。
慣れたら少し変わるからとも聞いた。
それがこんなに変わるなんて、どこにも書いていなかった。
「いっ……ニールソン、こんなところで大声を出したら迷惑になるか……うくぐっあああっ!!」
「シリたーーーん!!」
生垣を乗り越えてきたニールソンは俺に突進してきて、抱きしめられて持ち上げられてぐるぐる回された。
出会ってからしばらくは普通の優しいお兄さんだったが、ある日抱っこしたいと言われてから人が変わったように変なやつになった。
どうやら好きなものを可愛がりたいという欲求があるらしく、弟のこともノルたんと呼んでいるが、俺のこともシリたんと呼び出して、それからずっと会えばこの調子だ。
頬の触り心地が極上だと言って、好きあらばぷにぷにしようとしてくるので勘弁してほしい。
散々回されたので、目が回って視界のぐるぐるが止まらない。
そうするとニールソンは嬉々とした顔で、俺の頬に触ってキャッキャと騒ぎ出す。
今日も漏れなく同じ調子だ。
こういう時のツッコミ役のカノアはいないし、怒って止めるアスランもいない。
やりたい放題で俺の頬はニールソンに引っ張られたりぷにぷにされていた。
「ああ……この手触り、最高だ。この世にこんなに柔らかくてぷにぷにしているものは他にない。どうしてくれるんだ! 最近はシリたんに会えなくて、シリたん不足だったんだ!」
「知るか! そんなこと言われても、忙しいのはお互い様だろう」
「シリたんがつめたいーー!」
「いっ……いいから、騒ぐなって。人が来る! ニールソンは特別生なんだろう、早く元のクラスに戻れよ」
そういえばこの男もどこかの宮で授業をしていたなと気がついたが、バカでかい皇宮で会えるとは思わなかった。
「あーん、この頬っぺたを持って帰りたい。ゾウ神よ、こんなに可愛いシリたんを連れて行かないでください」
「ああ? ほんとう、キャラおかしいから! もう、離してってば!」
冷静沈着なクール系キャラだと紹介されていたはずのニールソンが、こんなおかしなやつだなんてどこにも載っていなかった。
あの概要本は色々端折り過ぎていてどうも信用できなくなってきた。
「ニールソン? どうした?」
その時、遠くから声が聞こえて、ガサゴソと草をかき分けるような音がしてきた。俺とニールソンがいる場所に誰か近づいてくる気配がした。
「ここにいたのか……、急に匂いがすると言って走り出したから、何かと……」
木々の間から現れたのは、金色に輝く髪で、海のような青い瞳をした男だった。
背が高く、男らしい逞しさを感じる体格で、万人に好かれそうな甘いマスクには嫌というほど見覚えがあった。
「オズワルド殿下、お一人にして申し訳ございません。緊急事態だったもので」
やはりそうだ。
ニールソンの言葉を聞いて、ピリッと身が引き締まった。
金髪碧眼の皇子様、ゲームでのアスランの相手役であるオズワルドだった。
こんな状況でまともに顔を合わすなんて、緊張で体が痺れてしまった。
□□□
現在は十七歳で、文武両道で何をやっても非常に優秀、どちらかと言えば、武には恵まれなかった兄の皇太子に代わって、軍事の方面では活躍の場を広げている。
兄よりも容姿に優れていて、若い貴族の間では絶大な人気を誇っているそうだ。
今回の婚約者候補選別では多くの手が上がり、選ばれた者は幸運を手にしたと言われていた。
皇宮の建物には宝石の名前が付けられていて、婚約者(仮)に選ばれた十人の男女は、晴天の空の下、皇宮のサファイア宮の前に集められた。
候補者の歓迎とともに、選抜を始めるという儀式が開催された。
今日よりサファイア宮は候補者の教育用の施設となる。基本的には通いだが、時に泊まりで指導があるとも聞いていた。
伝統的な行事であるからか、野外に椅子が並べられて、高位の貴族が招待されていた。
壇上には白い衣装に長いベールを被った候補者が並べられた。
皇宮の神官が儀式を執り行い、ゾウ神へ祈りを捧げた後、それぞれの頭に聖水を振りかけた。
ゾウの神様の世界だと聞いていたが、神官はゾウの顔の形をした帽子をかぶっていて、あまりに可愛い姿に俺は笑ってしまった。
もちろん笑ったのは俺だけで、冷たい視線を浴びることになった。
ここでの主役である皇子様は、一段高い屋根付きの特別席でこの様子をご鑑賞されていた。
距離がありすぎて、金髪の男が座っているくらいしか見えなかった。
候補者は、男が八人の女が二人、全員帝国に古くからある名家の子供達で、歳は皇子と近い者で構成されていた。
ある者は自信たっぷりに、ある者は緊張で青くなりながら、しかし全員が自分が選ばれることを願ってここに立っている。
ただ一人を除いて……。
「オズワルド殿下、カッコ良かったな」
「私、目が合ったの。絶対気に入ってくれたわ。すぐにお声がかかるかもしれない」
儀式が終わると、着替えをするために部屋に入った候補者達は、興奮した様子で話し始めた。
皇子がいかにカッコ良かったか、自分を見ていた、そんな話が聞こえきた。
だが騒いでいるグループは一部だけで、他数名は着替えをしながら余裕たっぷりに、はしゃいでいる者達を眺めていた。
お祭り騒ぎのグループと、本気で取りにいくグループという構図が見えた。
そして俺はというと、端の方で目立たないように着替えていた。
正直言ってここにいるだけで気まずい気持ちになってくる。
ゲームのシナリオでは、ここにいる十名は誰一人選ばれない。
そんなことがあっていいのかと思うが、オズワルド殿下という人はもともと型破りで、伝統をあまり重んじないタイプらしい。
いわゆる古い人間からは反発も多いが、新しい価値観を望む層からは絶大な人気を得る系の人だ。
帝国の貴族を巻き込んでの伝統的な行事であるゆえ、現時点のオズワルドでは婚約者選びを拒否することは不可能だった。
この三年で皇宮内で力を付けて、味方を集めていく。
そして本当の愛に目覚めたオズワルドは、愛する人ができたと宣言して婚約者選びをやっと終わらせたという設定だった。
ゲーム内でシリウスは最後まで抗議していたが、結局皇宮内をまとめられてしまい、婚約者候補は全員お払い箱になった。
それでもある者にとっては、元候補ということで一定の利益を得ることができるだろう。
俺はここにいることに何の意味も見出せないが、これがゲームのシナリオ通りなので、参加しないわけにいかなかった。
それに俺はふとした時に思い出してしまうことに頭を悩ませていた。
それはあの柔らかい唇の感触。
前の世界も含めて、俺にとってのファーストキス。
それをなぜか敵対する予定の主人公であるアスランと……。
アスランの唇は少し震えていて、深い気持ちが入っているような気がした。
もしかしてアスランは俺のことを好きなんじゃないか。
そんな気持ちが一瞬頭をよぎったけれど、それは違うだろうと考えを打ち消した。
アスランがちゃんと好きになるのは皇子だ。
今まで一番近いところにいたのが俺だったから、離れるのが寂しくなった。
そういうことじゃないかと結論づけた。
初めてしたキスが衝撃的で、頭から離れないのだが、こんなことではダメだと頭を振った。
三年後、来るべき未来のために、ルールを守って、道を間違えないようにしないといけない。
幸いというか、アスランは先週邸を出て、養成所での寮生活に入った。
週末は帰れるなんて言っていたが、訓練メニューはかなりハードなので、訓練生のほとんどは週末は体を休めることに専念するのと、遠征演習が続くので、しばらくは家には帰れないと聞いた。
物理的に会えなくなるので、アスランは広がった世界の方に関心が向かうと思う。
あのキスは別れの挨拶みたいなものだ。
なぜか胸がチクリといたんだが、俺は前を向いて道を歩き始めたのだった。
サファイア宮で開かれるレッスンは、一日、二日三日と順調に過ぎていき、今日で二週間が経とうとしていた。
今のところ、歴史学、外交学、社交術などの座学の授業が中心なので、ぼけっと聞いていたら時間はすぐに過ぎていった。
分かっていたことなのだが、レッスンクラス内での空気は重いものになりつつあった。
みんなのお目当ての皇子様は、あの顔合わせの儀式でチラっと見ただけで、その後一切姿を見ることがなかった。
すぐに声がかかるとか、食事に誘われるかもなんて浮かれていた連中は意気消沈していた。
レッスンが終わり、教師が部屋から出ていったのを見計らって、一人の候補者がついに耐えかねたのか声を上げた。
「はぁ……、こんな事して、何か意味があるの? どうして殿下は一度もこちらの様子を見に来てさえくれないの? 誰か知っている人はいない?」
その男は浮かれていたグループの一人だった。
候補者は選ばれたらもちろん名誉であるのだが、自分から辞退することが可能だ。
あまりに希望がないのに、レッスンを受け続けるのが苦痛であれば好きな時に辞めていいようになっている。
まだ始まって間もないが、立ち上がった男からはもう辞退したいという空気すら感じた。
「可哀想に……、理解できないみたいだから教えてあげるよ」
ガタンと椅子を鳴らして別の男が立ち上がった。
余裕顔グループの一人だった。
「オズワルド様の中で、すでに皇妃になられる方は決まっているからさ。それはもちろん、ここにいるカラム公爵家令息のイクシオ様。この中で一番完璧な家柄で、完璧な容姿。可哀想だけど君達に縁はないんだよ」
立ち上がったのはいかにもモブ男くんという顔の男だった。
有力者を支持してあわよくばおこぼれに与りたいという意思が透けて見えた。
名指しされたのは、事前にリカードからもおそらく彼に決まるだろうと言われていた男だった。
リカードの家の遠縁にあたり、帝国内でも権力を持つカラム公爵家の次男、イクシオ。
漆黒を思わせる長い黒髪に、リカードと同じ金色の瞳をしていた。
線が細く色白で、中性的で色気のある顔をしている。アスランの美しさには及ばないが、確かにこの中では一番綺麗な顔立ちで目立っていた。
「……だめだよ。そんなことを言ったら、みんな頑張っているんだからね」
イクシオはクスクス笑いながら、自慢そうな艶の良い黒髪をサラリと靡かせた。
すでに彼の支持者らしい数名がその様子を羨望の眼差しで見つめていた。
「僕は幼少期から、オズワルド様と何度も対面して、毎年皇宮の夏の遊びにも呼ばれているんだ。申し訳ないけど、皇妃は僕に決まっているから、君達は運が良ければ側妃になれる可能性があるかもね。あっ、もしかしたら、僕からどうかってオズワルド様に口添えしてあげることもできるけど……それは君達しだいかな」
その一言で一気にクラスの空気が変わってしまった。
姿を見せず真意の分からないオズワルド。
疑心暗鬼が渦巻き、みんなが不安を募らせた状態で余裕たっぷりにイクシオはアピールを始めた。
元より階級社会を強く意識する環境で育てられた子供達だ。
この一言を機に、一番高貴な家柄で美しいイクシオの言うことに、誰もが取り込まれてしまった。
切り替えの早いやつは、翌日からイクシオに近づいていった。
わざとらしくご機嫌をとって、家からプレゼントを持ってくる者もいた。
その様子を見ながら、巻き込まれたくないと、俺はひとり別行動でひたすら目立たないように大人しく授業を淡々と受けていた。
そんな日々が続き、この日はティータイムレッスンと呼ばれる外でのお茶の飲み方や作法を実践で教わった。
レッスンが終わったら自由解散だったが、イクシオの周りには人が集まり、内情は分からないが見た感じでは和気藹々と楽しそうにお茶を続けていた。
俺は自分の分だけ使用したカップを片付けた後、早く帰ろうと先にその場を離れた。
庭園を横切って、サファイア宮から外に出たところで何やらじっと見られているような視線を感じた。
「シリ……シリたん?」
その呼び方で誰がいるのかすぐに分かってしまった。
こんなところでやめてくれーと思いながら、ギギギっと油が切れたロボットみたいに振り返ると、やはり思った通りの男が生垣の向こうから笑顔で手を振っていた。
「やっぱりシリたんだぁーー! 嬉しいなぁ! こんなところで会えるなんて!」
この五年の間で一番変わったのはこの人かもしれない。
かつては理性的で、三人の令息の中で一番年上かつ落ち着いていた男だった。
人見知りするほうだからと聞いていた。
慣れたら少し変わるからとも聞いた。
それがこんなに変わるなんて、どこにも書いていなかった。
「いっ……ニールソン、こんなところで大声を出したら迷惑になるか……うくぐっあああっ!!」
「シリたーーーん!!」
生垣を乗り越えてきたニールソンは俺に突進してきて、抱きしめられて持ち上げられてぐるぐる回された。
出会ってからしばらくは普通の優しいお兄さんだったが、ある日抱っこしたいと言われてから人が変わったように変なやつになった。
どうやら好きなものを可愛がりたいという欲求があるらしく、弟のこともノルたんと呼んでいるが、俺のこともシリたんと呼び出して、それからずっと会えばこの調子だ。
頬の触り心地が極上だと言って、好きあらばぷにぷにしようとしてくるので勘弁してほしい。
散々回されたので、目が回って視界のぐるぐるが止まらない。
そうするとニールソンは嬉々とした顔で、俺の頬に触ってキャッキャと騒ぎ出す。
今日も漏れなく同じ調子だ。
こういう時のツッコミ役のカノアはいないし、怒って止めるアスランもいない。
やりたい放題で俺の頬はニールソンに引っ張られたりぷにぷにされていた。
「ああ……この手触り、最高だ。この世にこんなに柔らかくてぷにぷにしているものは他にない。どうしてくれるんだ! 最近はシリたんに会えなくて、シリたん不足だったんだ!」
「知るか! そんなこと言われても、忙しいのはお互い様だろう」
「シリたんがつめたいーー!」
「いっ……いいから、騒ぐなって。人が来る! ニールソンは特別生なんだろう、早く元のクラスに戻れよ」
そういえばこの男もどこかの宮で授業をしていたなと気がついたが、バカでかい皇宮で会えるとは思わなかった。
「あーん、この頬っぺたを持って帰りたい。ゾウ神よ、こんなに可愛いシリたんを連れて行かないでください」
「ああ? ほんとう、キャラおかしいから! もう、離してってば!」
冷静沈着なクール系キャラだと紹介されていたはずのニールソンが、こんなおかしなやつだなんてどこにも載っていなかった。
あの概要本は色々端折り過ぎていてどうも信用できなくなってきた。
「ニールソン? どうした?」
その時、遠くから声が聞こえて、ガサゴソと草をかき分けるような音がしてきた。俺とニールソンがいる場所に誰か近づいてくる気配がした。
「ここにいたのか……、急に匂いがすると言って走り出したから、何かと……」
木々の間から現れたのは、金色に輝く髪で、海のような青い瞳をした男だった。
背が高く、男らしい逞しさを感じる体格で、万人に好かれそうな甘いマスクには嫌というほど見覚えがあった。
「オズワルド殿下、お一人にして申し訳ございません。緊急事態だったもので」
やはりそうだ。
ニールソンの言葉を聞いて、ピリッと身が引き締まった。
金髪碧眼の皇子様、ゲームでのアスランの相手役であるオズワルドだった。
こんな状況でまともに顔を合わすなんて、緊張で体が痺れてしまった。
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