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⑦ 優しくしたい気持ちは。

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「何度も言いましたけど、お付き合いする方ができたので、もう気持ちが向かないんです。生配信だと、リクエストで名前を呼ぶこともあるし……疑似でも辛いんです。……ええ、録音したものは自由に使って頂いて結構です。……ええ、はい。……分かりました。何かあったらまた……はいそれじゃ、失礼します」

 納見は電話を切ってから、自室の机に座ったまま、ふぅと息を吐いた。
 大学時代の先輩にどうしてもと頼まれて、プレイの真似事を配信し始めたのが一年前。
 欲求不満解消のための、Dom配信と呼ばれていて、納見が始めた頃にはすでに人気になっていた。

 先輩は配信者を管理する仕事に就いていて、人気が出たのをいいことに、さまざまなタイプの配信者を集めていた。そこにちょうど癒し系というジャンルで納見の名前を思い出して連絡してきたのだ。
 思えば、ダイナミクスを揶揄われた時、助けてくれたのが同じDomの先輩だった。

 お世話になったこともあり、断りきれずに始めてしまったら、これが人気が出て月一度だったものが、毎週生配信をすることになってしまった。

 顔も声も加工されるし、画面の前でただ喋るだけ、最初はそんなノリだったが、そのうちにエスカレートして、生配信になり、投げ銭を用いて名前を呼ぶことにまで発展してしまった。
 学校にバレると色々とまずいので、そろそろ潮時だとは思っていたが、先輩との恩もあり、なかなか言い出すことができなかった。
 しかし、香坂と付き合いだしたことで、他の人の名前を呼んで疑似プレイをすることに、気持ちもそうだが体にも拒否反応が出てしまった。

 画面に向かって、うまく喋ることができなくなり、Commandも出てこなくなってしまった。
 Domには、パートナーを複数持つという人もいる。だが納見は、そんなことは無理だと思ったし、考えるだけで体が震えてしまった。

 結局体調不良という理由で、しばらく録音した過去のものを流していたが、何度も話し合ってやっと辞めますと伝えることができた。

(……これでやっと、一歩前進できた)

 憧れと純粋な好意から、それが好きに変わるまではあっという間だった。
 お互い歩み寄ろうと話し合ってから、毎日のように一緒に過ごしている。
 香坂は自分のことを尊重してくれて、それでいてゆっくり背中を押してくれる。
 昨日の帰りはいつもお弁当を作ってくれるから、夜は奢らせてくれと、美味しい肉料理のお店に連れて行ってくれた。
 その帰り二人で並んで歩きながら色んなことを話した。
 ひとりで部屋に座りながら、その時のことを納見は思い出していた。




「もったいないと思うんだ」

「え?」

 同僚の先生方の話になった時、突然香坂がそう言い出した。
 軽く酔いが回った帰り道、高台から見える夜景をバックにした香坂は、夜景よりも輝く笑顔を見せてくれた。

「俺もそうだったから強くは言えないけど、陽太のこと誤解している人が多いから。全員に分かって欲しいわけじゃないけど、陽太はこんなに良いやつなんだってこと、知って欲しいな。それでも文句を言うやつは気にする必要もないってことでさ」

 見た目も態度も暗いので、誤解されやすいのは分かっている。今まで衝突するのが嫌で我慢してきたが、教頭のように何でもかんでも自分のせいにされるのは悔しいし居心地が悪かった。

「で……でも、そんな俺なんて……」

「それそれ。俺なんてってやつ。陽太さ、真っ直ぐで優しいじゃん。何かあった時、困った人に手を差し伸べることができるのは誰でもできるものじゃない。もっと誇りに思った方がいい。一緒にいるとさ、毎日陽太の良いところ見つけるからさ、すごく楽しいんだ。ああ、好きだなって」

「すっ、好き……!?」

「うん、でもこれは陽太自身が前に進みたいって思うことが大事で……、そう、もし陽太が進みたいと思うなら、俺はいつでも背中を押すから。一緒に前に出てもいい……って、ごめん、偉そうなことを言ってひとりで熱くなって」

 会話の中で好きだと聞こえた気がして、息を呑んで香坂を見つめたが、香坂は話すことに意識が集中しているらしく、熱量に流されてしまった。
 会話の流れで出た好きに喜んでいいのか、突っ込んで聞くべきなのか納見には分からなかった。

「ううん、いいよ。俺のことをそんなに思ってくれるなんて嬉しい。ありがとう」

 結局、深く追及せずに、素直に嬉しいという気持ちを伝えることにした。
 香坂は自分の思いが伝わったというような、嬉しそうな顔になって笑った。

(見かけによらず、慌てん坊さんなんだ。そんなところも可愛い)

「何か辛いことがあったり、悩んでいたら俺に話してくれよな」

(力を入れて話す時、ちょっと膨らむ小鼻も可愛い)

「……陽太? 聞いてる?」

(覗き込んでくる顔も可愛い)

 香坂の可愛さにキュンキュンしていたら、全く話を聞いていないと思ったのか、香坂はムッとした顔になった。

「ごめんごめん。仁が色々気遣ってくれるのが嬉しくて」

「当たり前だろう。それは……始まりはあんな感じだったけど、陽太とはちゃんと付き合いたいと思っているから。そ……そのさ、陽太は俺の理想、なんだ」

 ムッとしていた顔からくるりと表情が変わって、香坂は恥ずかしそうにして真っ赤な顔になり、耳まで赤くなった。

「り……理想? 俺が?」

「そうだよ。俺、優しくされたり可愛がられるの好きだし……、陽太はすごい理想で………。うわぁっ、何言ったんだろう、恥ずかし……、忘れて」

 言いながら口元を手で押さえた香坂は、恥ずかしさに我慢できなかったのか小走りでスタスタと歩いて行ってしまった。
 納見もまた、香坂の可愛さに悶絶して走り回りたい気分になってしまった。
 なんとか気持ちを落ち着かせて、悶えている香坂の背中を追って走りだした。

「仁、今の聞こえなかった。もう一回言って」

「はあ!? Domっぽいこと言うなっ」

「えーだって、Domだし」

 納見の悪戯心に、真っ赤になってぷりぷり怒っている様子の香坂だったが、横に並んだ納見の手をさりげなく掴んできた。
 その後はしばらく二人で無言のまま、月を見ながら歩いたのだった。



 一人きりの部屋で、香坂の手の柔らかさを思い出して、納見は机をドンドン叩きながら、悶える声を上げた。

「俺、心臓持つかな……」

 納見は最近働きすぎの心臓を撫でながら、込み上げてくる想いを熱いため息にして漏らした。











 いつもなら画面に齧り付いていた水曜の夜。
 香坂は自宅で持ち帰りの仕事を片付けて、ぐっと背伸びをした。
 月末にある全国テストに向けた練習用の問題を作成していたのだ。
 学校として順位を下げないように今日の会議でも厳しい話があった。
 勤務する学園は、塾に通って学力を上げる子もいるが、内部進学も多いので部活動に熱心な子の方が多い。
 それでもテストはテストでハッキリ結果が出るので、結果によっては厳しく言われてしまう。

 コーヒーを淹れようと立ち上がってキッチンに向かうと、ダイニングテーブルに置いていたスマホが光ったのが見えた。

「ん? ああ、アオイさんだ」

 画面にはメッセージが表示されたが、それはバーでのSub友達であるアオイからだった。
 普段あまり連絡し合う関係ではないので、珍しいなと思いながら内容に目を通した。

「え? agehaが引退!?」

 アオイはネットニュースのページを送ってくれたらしい。
 その見出しに驚いた香坂は、すぐにそのページを表示した。

「Domのプレイ配信で有名な配信者agehaが、引退することを事務所が公式に発表した。人気絶頂の中、体調不良で休業となっていたが、そのまま引退となった。納得できないとファンが事務所に押しかけるなど騒動になっていて………」

 人気があるとは知っていたが、ここまでだったのかと香坂は驚いた。
 香坂も夢で会いたいとまで思って夢中になっていた人だ。少し前だったら、自分も事務所に押しかけていたかもしないと思った。

 顎に手を当てて考えていたら、そこにアオイから続きのメッセージが入った。

『体調不良って言ってるけど、これは恋人だね。まあ、プレイ配信者にありがちな理由だよ。でもよく事務所が納得したよね、かなりのドル箱だったみたいだよ。ネットの情報だけど、本人は微々たる収入なのに、この事務所の方が、かなり手数料で儲けているみたいだし』

 香坂はagehaが幸せになったのなら、ファンとしても応援するよとメッセージを返した。
 これも、今の状況になったのだから穏やかな気持ちでいられるが、納見がいなければまた違っただろう。
 世界が終わったような気持ちで床に転がっていたかもしれない。

 コーヒーを入れたマグカップを持った香坂はソファーに座った。

(このソファーで、俺と陽太が……)

 思い出して真っ赤になった香坂は、急いでコーヒーを口に含んでごまかした。

 今住んでいるマンションは、デザイナーズマンションで、駅から離れていることで安い値段で借りることができた。
 コンクリート打ちっぱなしのおしゃれ感漂う内装が気に入ったが、今まで人を呼ぶ機会がなかった。
 ひとりでは少し広すぎるなと感じていたので、納見が遊びに来てくれると、まるで一緒に住んでいるみたいで嬉しい気持ちになる。

 コーヒーの中に浮かぶミルクがぐるぐると回っている様子を見ながら、香坂は納見のことを思い出していた。




「俺、両親とは血が繋がっていないんだ」

「え……」

「長く子供ができなくて、養子になったんだ。本当の両親はどこにいるかも分からない。Domとしての本能とかよく分からなかったけど、両親には大切に育ててもらったから、迷惑をかけたくなくて無意識に押し込めてきたのかもしれない」

 一緒に帰っている時、Dom性の話になって、納見は自分のことを話してくれた。
 今までご両親の話はたまに出ていて、二人で地方で小さな会社をやっていて、今も仲がいいと聞いていた。
 きっと優しい両親だったのだなと思うのと同時に、自分を抑えていたということから、根っこにある不安や孤独というものが透けて見えた気がした。

 血が繋がっていたって、そうとは思えないくらい険悪な関係の家族もいる。
 だけど、そんなこと何でもないと思えるほど、世の中は上手くできていない。
 きっと心無い言葉に傷ついたこともあっただろう。
 小さな納見が抱えてきたものに触れて、たまらなくなった香坂は、納見の手を掴んで人気のないところまで連れてきた。
 そこはビルとビルの間のちょっとした空間で、通りからは見えない場所だった。

「え? どうしたの?」

「陽太っっ」

「わっ、じ……仁!?」

 物陰で、香坂は納見の頭をすっぽり包み込むように抱きしめた。

「しっ、黙って。少しだけ、こうしていたい」

 暗がりに入ったから何となくそういう雰囲気は感じたのだろうけど、突然抱きしめられたから納見は驚いた様子でどくどくと揺れる心臓の音が香坂にも伝わって来た。
 香坂は納見の頭を抱きしめたまま、優しく撫でた。

「俺、撫でられるの好きだけどさ、たまには撫でたい気分の時もあるんだ」

 ちょっと強引すぎたかなと思いながら、いちおう説明しておくと、察してくれたのか納見はクスクスと笑った。

「……ありがとう、仁」

「んっ」

「俺も今、抱きしめてもらいたかった」

「……大丈夫、そばにいるから」

 香坂の言葉がどれくらい納見に届いたのか分からない。
 納見はお礼を言うように、優しく抱きしめ返してくれた。





 香坂はすっかりぬるくなったコーヒーを一口飲んだ。
 今まさに頭を占めていることに気がついて、カップをテーブルに置いてから口に手を当てた。

「いや、もうこれ……、好きだろ」

 体の付き合いからスタートしてしまったから、根本的な恋愛感情を置き去りにして気持ちばかり膨らんでいた。
 これはもうそういうことだとしか思えなかった。

「うわぁ……これが……」

 付き合いだしてから、一緒にいる時間。
 驚かされることばかりだった。

 納見は人が落とした物をサッと拾って渡したり、近くで転んだ子供の手をとって立たせてあげたり、電車で座れば誰よりも早くお年寄りに席を譲って、断られたのに笑顔で何かあったらすぐ代わりますと声をかけていた。
 そういうことがごく自然に身についていて、空気を吸うようにできる人だ。
 香坂はその姿を見ながら、自分にはできないことだと感動して、ますます気持ちが熱くなっていくのを感じていた。
 暗いし、何を考えているか分からなくて気持ち悪いなどと、誰かに言われることが悔しかった。

 かといって、自分がいいと思うからと押し付けるようにしても、本人が嫌だと思うならそれは傲慢な優しさでしかない。
 困った時に背中を押してあげられるくらいの位置にいようと香坂は考えていた。

 そんなことを考えながら、ころんとソファーに転がった香坂は、テーブルの上に置いた包みに目が止まってごくりと息を飲み込んだ。

 納見とのプレイは今のところ、最後まではいっていない。
 お互い慣れていないのもあるし、色々と準備が必要だというのも分かっていた。
 キスは好きだけどキスばかりじゃなく、恋人として、そろそろ次のステップに踏み出してもいいかなと思い始めていた。

 香坂は必要になりそうな物を揃えておいた。
 今週末は宅飲みをしようという話になっていて、この家に納見が来ることになっている。
 あの包みを開ける時が来るのだろうか。
 この気持ちをどうやって伝えたらいいのだろうか。
 そんなことばかり考えていた。

 今から胸の高鳴りが止まらなくて、まだ水曜日だというのに大丈夫だろうかと香坂はクッションを抱えて丸くなった。








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