愛を知らずに生きられない

朝顔

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(2)異世界で停滞中

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 唇にふわりと柔らかい感触がして、砂糖菓子みたいな甘い味がする。
 これを幸せと呼ばずになんと呼ぶのだろう。

「ノエル、こんなところ昼寝なんかして…、そろそろ起きないと授業が始まっちゃうわよ」

 鈴の鳴るような甘い声に誘われて目を開けると、お人形みたいな丸いブルーの瞳と、ブラウンのくるくるの髪の毛に、薔薇が咲いたような可愛い唇の女の子がこちらを覗きこんでいるのが見えた。

「夢を見ていたんだ。昔のね。あぁそれでまた思い出して悲しくなってきたよ……」

 ぼんやりとまだ夢の続きを見ているような目をしてノエルがこぼすと、ブルーの瞳の美少女、レイチェルは微笑んでノエルの濃い金色の髪を優しく撫でた。

「まぁ、どんな夢なの?」

「占い師のババァに死刑宣告される夢だよ」

「まぁ、それは楽しそう」

 レイチェルは口元を手で軽く押さえて、クスクスと笑った。そんな仕草もとても可愛らしい。

「あぁ、レイチェルのこと、好きになれたら良かったのに…なんて人生なんだ…」

 ノエルが手を伸ばして、レイチェルのくるくるの髪をとかしながらそう言うと、レイチェルはムッとした顔をした。

「それ、いつも言ってるわよね。好きになるつもりなんてないくせに」

「だって、だめなんだ。悲しいけどさ……俺の人生の終わりは近い……」

「また始まったわね、ノエル詩人」

 付き合いきれないからもう行くわよと言ってレイチェルはさっと立ち上がったが、その反動でスカートが綺麗に翻った。
 白くて長い足が見えたが、それはノエルには悲しい光景だった。

 ノエル・キャンベールが前世について気がついたのは今から10年前。3日間続いた高熱から目覚めた後、タケルという青年であった前世の記憶を思い出したのだ。

 逆に記憶が戻る以前の自分については忘れてしまったため、こちらの生活に慣れるのはずいぶん苦労した。
 何せ記憶の中で生きてきたニホンとここは、完全な別世界で、見る人や物、場所など、西洋風のよく分からない世界だったのだ。

 だいたいあの婆さんが持っていた小説の世界というのが謎で、どんな話で主人公が誰で、何をするのかも全くよく分からない。

 いや、多分そんなことはノエルにはどうでもいいのだろう。ノエルに課せられた使命は男と恋愛して結ばれること。
 女の子が大好きで、女の子と付き合うのが生き甲斐みたいな人生だったのに、なんとも酷い仕打ちだ。
 絶望に気づいてからは、毎夜悪夢にうなされて泣き続けた。
 こちらの、両親も心配してくれて、色々と手を尽くしてくれたが、ノエルの心が晴れることはなかった。
 そしてそのまま、薄暗い性格になって成長したノエルは、17の誕生日を迎えた。
 人生最後の一年はもう始まってしまったのだ。

 皮肉なことに、ノエルはまた女性から好まれるような容姿になった。
 ガチガチの男らしいタイプではなくて、線の細いどちらかというと女性とも思えるような儚さのあるタイプだ。
 色白で細くて長い手足に高すぎず低すぎない身長、濃い金色の髪はふわふわしている。少しつり上がった大きなアイスブルーの瞳に、つんとして小ぶりな鼻と口。またもや黙っていても女の子が寄ってきて、可愛い可愛いとベタベタ触られる人生だった。

 だけれど、ババァの好意なのか呪いなのか、悲しいことに全く興奮しないのだ。
 どんな可愛い女の子でも、色気ムンムンの爆乳お姉さんでも、ノエルの息子は静かな湖畔のように凪いでいて大人しく、いや、むしろ縮んでしまう。

 悩みに悩んで、可愛い系の男の子を押し倒したこともある。だけど結果は同じだった。気持ちのないような相手では意味がないということなのだろうか。
 女の子に囲まれて恵まれた容姿を持ちながら、ノエルは童貞のまま今に至る。


 ノエルはベイクルートという国の貴族の家に生まれた。父はキャンベール伯爵で、上に兄が一人と下に妹がいる。
 兄はノエルと違い男らしい顔つきで、体も大きく文武に秀でている。すでに婚約者もいて、順調な人生を歩んでいる。
 妹は、母に似て性格はわがままだが、可愛らしい。ノエル大好きでいつも家では追い回されている。
 ノエルは16になって、貴族の男子女子が通う王立学園に入れられた。
 兄もここの卒業生で、ノエルも否応なしにブチ込まれた。
 なぜ残り少ない人生で、わざわざ大人しく学生をやらなきゃいけないのか意味が分からない。
 かといって、他に何をしていいのかも分からない。立つものが立たないなら享楽に耽ることもできないのだ。

 もしかしたら、18で人生が終わるというのは間違いかもしれないと何度も思った。
 だが、ノエルは気づいてしまった。自分の手首の内側にうっすらと出てきたものに。

 それはタケルだった頃に、女の子と遊びで入れたタトゥーだ。平和だとか愛の象徴だったと思う。その印がいつの頃からかうっすらと現れたのだ。
 まるでお前の運命を忘れるなと言われているように、その印は日を追うごとに濃くなって、今ではハッキリと形が分かるようになってしまった。
 これでは愛の象徴じゃなくて死の象徴だ。ノエルは手首を押さえながら、少しでもこの印が薄くならないか、指で擦るのがクセになってしまった。


 学園には校舎が見渡せる小高い丘があり、そこがノエルの息抜きの場所になっている。午後の憂鬱なひとときを、いつも丘で寝そべって過ごす。
 クラスメイトで昔からの友人であるレイチェルがたまにノエルのことを起こしに来て、気まぐれにキスをしてくる。ノエルは好きにさせているが、幸せを感じつつも後から虚しい気持ちになる。

 彼女が自分にある程度の好意を持っていることは分かる。でもそれ以上深入りしてこない。それは、それ以上を求めると、ノエルが距離を置いてしまうのを知っているからだろう。

 レイチェルを好きになれたらいいのに。
 何度も婚約の話が持ち上がったがその度にノエルが断っている。それなのに、友人として側にいてくれるレイチェルには、自分の運命を話してもいいかなとずっと悩んでいた。

 残された時間は少ない。
 真っ青で雲ひとつない空を睨みながら、ノエルは教室へ戻るために気だるそうに立ち上がった。

 □□

 とっくに午後の授業が始まっている教室にノエルは無言で入っていった。
 教師は何も言わずに授業を続けている。
 貴族のお坊っちゃまのすることに、いちいち文句をつける教師などいない。
 学園も勉強はやるやつがやるというスタイルだ。
 ノエルが自分の席に座ると、周りの女の子達のクスクスと笑う声した。
 そこに適当に目線を送って微笑めば、きゃあと嬉しそうな声を上がる。

 つまらない日常だ。

 ノエルは黒板も見ずに机に突っ伏した。最初からやる気などない、教科書もノートも開いていないのだ。

 ノエルの人生は世界こそ変われど、タケルの人生とあまり変わりはない。ただ、女の子と繋がれないだけ。
 タケルの頃もそうだったが、いつも周りには女の子がいて、男とからむことなどほとんどなかった。

 ノエルはクラスの男子を眺めてみた。クラスの半分は男のはずだが、この中で会話をしたことがあるやつを思い出せない。
 当然男友達など無縁の人生だった。
 それで、不便なことなどなかったが、考えてみたら、そんな状態で男と恋愛などできるはずがない。

 ふと、男同士というのは何を話すのだろう疑問が出てきた。
 そんなこと考えたこともなかったのに、ついに終わりが来たのだなと苦笑する。

 ノエルは近くで話しているやつらの話に耳を傾けてみた。

「……つ……調子に乗っているよな」

「……からって……来なければいいんだよ。目障りだよ」

 意識してみると、チラチラと視線を感じた。これは明らかに自分の話をしていそうだ。いきなり悪口かと気持ちが落ちだが、それもまぁ当然だろうとノエルは思った。

 向こうは目障りだと思っているようだが、ノエルもまた空気のように全く気にもかけていなかった。
 好かれようとも嫌われようともどうでも良かった。
 これでは友人などできるはずがない。自分からブロックしていたのだから。

 結局、タケルの時と同じで、まともな人間関係すら築けずに自分は終わるのかと、今更ながらに悲しくなってきた。
 同じ教室にいても、ノエルと他の生徒の間には透明な壁が出来ているみたいだ。
 まるでまだ、自分だけ別の世界に取り残されているみたいで、それがひどく悲しく思えてきた。


 ノエルはどうせ死ぬのなら思いきってレイチェルに打ち明けることにした。

 このまま、同じような毎日を腐りながら生きて、終わりを待つのなら、自分を見捨てずにいてくれたレイチェルには、ちゃんと話すべきなのだろうと思ったのだ。


 □□


 放課後。いつもなら、さっさと帰るノエルだが、今日はレイチェルに話があると言って教室に残ってもらった。

「珍しいわね。いつも一番先に教室を飛び出すのに。話ってなにかしら?」

 レイチェルはノエルの前の席で、椅子に逆に座ってノエルと向き合っている。
 教室にはまだ生徒がぱらぱらと残っているが、誰もこちらを気にしている者はいない。

「……これから話すことは信じてもらえないかもしれない。ずっと話そうか悩んでいたんだけど、もし俺が何も言わずに終わったら、レイチェル、多分怒るだろうって……。優柔不断な俺に呆れず側にいてくれたのはレイチェルだけだからさ……」

 ノエルがそう言うと、レイチェルはいつもひたすら優しいブルーの瞳を細めた。
 続きを促すみたいに、ノエルの目を見つめてきたので、軽く深呼吸をしてノエルは前世の記憶から、この世界の使命まで話し始めたのだった。



「何よそれ!!!」

 レイチェルは手をグーにして机を叩いた。かなりの力が加わったらしく、机の上にあった鞄が振動でドサリと床に落ちてしまった。

「……え?怒ってる?信じてくれるの?」

 残っている生徒はまばらだが、聞きなれない音にわずかな視線が集まった。

「嘘みたいな話だけど、考えればノエルはずっとそんなような事をほのめかしてたわよね!どうして早く言ってくれなかったのよ!ってゆーか、残り1年ないとかどういうこと!?なに考えてんのよ!ばか?バカでしょ!ヌケてると思ってたけど、10年よ!いったい何してきたの!アホみたいに口開けてれば恋人ができると思っていたわけ?信じられない!」

「ちょっ……声が……、レイチェル、抑えて…」

 ふんわりしたおっとり系だったはずのレイチェルが、突然何かが憑依したみたいに目をつり上げてお怒りモードになってしまい、ノエルは後ろに椅子をズラしながら驚きで目をしばたたかせた。

「俺だって、何もしていなかったわけじゃないけど…。ほら、レイチェル、俺のこと好きでいてくれたみたいだから、言い出しづらくて……」

「………確かに、ノエルが好きだったことはあるし、今でも特別な存在よ。放っておけないのよね。だけど、あれだけ私が迫っても落ちない男にいつまでも恋しているほど暇じゃないの。もう本命はいるわ」

 ノエルはガーンと鈍器で殴られたような衝撃を受けた。気持ちに応えなかった自分が悪いので当たり前なのだが、レイチェルに勝手に幻想を抱いていたことが恥ずかしくて申し訳なくなった。

「私のことより、ノエルのことじゃない!占い師のお婆さんにわざわざ機会をもらったわけでしょう。なのに、前世と同じで女子と戯れているのよ!時間はないのよ!さっさと男を探しなさいよ!」

「いやー……、それはなかなかハードルが高いというか……。今まで好きにもならなかったし、やっぱり俺には向いていないんじゃないかと…」

「今さら呑気に怖じ気づいてんなよ!バカ!死んじゃうんだよ。私、ノエルに死んで欲しくないよ!」

 言葉の選び方がレイチェルじゃなくて、ショックでくらくらするが、最後の一言でノエルは我に返った。

 自分のことばかり考えてきたが、誰かが自分を思ってくれている気持ちをすっかり忘れていた。
 レイチェルだけではなく、家族もきっと悲しむかもしれないと思うと、さすがに嫌だ嫌だとは言っていられないと気がついた。

「つまり今までみたいな生活をしていたら、死へ一直線よ!ここまで誰とも恋愛できないのなら新しい場所へ行かないと意味がないわね。私が連れていくから死にたくないなら付いてきなさい!」

「はっ…はい」

 こうしてレイチェルという、頼もしい協力者を得て、ノエルは愛と死亡回避への道をようやく歩き出すことになるのであった。



 □□□
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