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XXVII A&R
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□A
母は父と結婚する前、将来を誓い合った相手がいた。しかし家の命令で無理矢理引き離され、アルガルトに嫁ぐことになった。
そしてアルガルトの家で義務のように子供を産まされ、後継ぎが出来たら役目は終わったと田舎の家に追いやられた。
父から一度も愛されることがなかった可哀想な人だと思ってきたが、母もまた父を一度も愛していなかったのかもしれない。
なぜなら記憶にある母はいつも窓辺に座って外を眺めながら、今日はジョアンと約束しているのと、来ることのない過去の恋人の名前を呼んでいたから。
「愛は素晴らしいものよ。貴方も人を好きになれば分かるわ」
「……そうですか。でも僕の目にはお母様は孤独に見えます」
「素晴らしいのよ。愛することはとても素晴らしいの」
「…………」
だんだんと気がおかしくなって、俺がそれなりに大きくなった頃にはもう、まともに会話は出来なかった。
それでも俺はいつも通り話しかけた。
期待した返事が来なくても、母と会話がしたかった。
「愛とはお父様のように周りの人を傷つける傲慢なものですか?お母様のように求め続けても叶わないものですか?そんな……そんなものなら僕は……僕には必要ありません」
「アルティ、愛さずにはいられないの。その時は決して手を離してはだめ…、大切に自分の一部のように…決して離さず…大切に…」
「お母様…?」
母は時々、電気の線が繋がったみたいに正気に戻ったように見える時があった。
その時も俺と目が合って、久しぶりに母の顔を見たような気がした。
でもそれは一瞬で、すぐに母は遠くを見つめて子守唄を歌い出してしまった。
そして、俺の問いかけに二度と答えることはなかった。
□R
ピチャン…ピチャン…。
いやな音がする。
壊れた蛇口から、水が落ちている音だ。
早く消してくれ!
もうあの場所はないのに、どうしてこんな夢ばかり……
ピチャン…ピチャン……
やめて…やめてくれ!
だから言っただろう。
人を信じるなって。
自分の手を見てみろ。
真っ赤に付いた血が消えることはない。
お前が火をつけたから死んだんだ。
お前は人殺しだよ、レイ。
人を信じる?
お前なんて、誰からも愛される資格もない。
罪を犯したお前が人を愛するなんて、許さない。
じゃあどうすればいい?
簡単だよ。
帰るんだ。火の中に。
そこがお前の居場所だから。
自分の身を焦がして、今度こそ確実に。
い……いや
……嫌だ……。
生きたい…
生きて帰りたい
大事なんだ……あの人が……
俺が……俺が帰る場所は……
あの人のところ
ほら……
名前を呼んでいる
迎えにきてくれたんだ。
早く目を覚まして
玲
「レイ!レイ!!しっかりしろ!レイ!!」
やけにハッキリとした幻聴が聞こえたと思ったら、急速に喉が開いて酸素が入ってきた。弱くなっていた呼吸が一気に強いものに変わって、胸を上下させながら息を吸い込んで吐き出した。
「慌てるな、ゆっくり息を吸うんだ。大丈夫、もう大丈夫だから」
「……あ……アルティ……?」
「よかった……、顔色が戻った」
ずっと強く目をつぶっていたらしい。力を抜いてもぴくぴくと目元が震えていてなかなか開けられなかった。ようやく目が開けるようになったら視界いっぱいにアルメンティスの顔が見えた。
「あ…あれ…な…なんで…」
「遅くなってごめん。レイが、俺を呼ぶ声が聞こえたから気がついたんだけど、なかなかこのクソドアが開かなくて破壊するのに時間がかかったんだ」
「え……?」
ようやく事態が飲み込めてきて、周りを見渡す余裕ができた。
ここはエレベーターの中、確か途中で止まって閉じ込められて、俺は叫んで助けを呼んでいたけど力尽きて倒れた……。
それで今は、アルメンティスに抱き起こされていて腕の中にいる。
アルメンティスが助けに来てくれたということが分かると、じわじわと身体中に喜びが広がっていき、目頭が熱くなってきた。
そこで俺はアルメンティスの肩越しに、ふと目に入った光景にギョッとして驚いた。
エレベーターの入り口にはこじ開けられたように半開きになっていて、非常用のものなのか手斧が間に挟まっていた。
「あ…あ…あれは…まさか、アルティが?斧を振り回したのか?」
まさか鍛えているとはいえ生粋のお坊ちゃんが斧を振り回す姿を想像したら、助けてもらってあれだが、おかしくなって笑いそうになってしまった。
「そうだよ。手でこじ開けようとしたら、爪が剥がれたから仕方ないでしょう」
「え!?爪が…!?」
和んでいた気持ちが一気に冷えた。慌ててアルメンティスの手を掴んだら、確かに三本の指先から出血していて痛々しいことになっていた。
「う…嘘だろ!な…こんなっ、早く…手当を…!」
「大丈夫だよ。死ぬわけじゃないし。それよりもうしばらく動かないで……本当に……レイが死んじゃうかと思って……」
アルメンティスは力強く俺を抱きしめて離さなかった。ガタガタと体が小刻みに揺れていた。俺は自分が震えているものだと思っていたが、それはアルメンティスの体から伝わってきたものだった。
胸に熱いものが込み上げてきて、俺はアルメンティスの背中に腕を回して、大丈夫だと力を入れて抱きしめ返した。
「レイ…帰ろう」
涙と鼻水が押し寄せてきて、言葉にすることができなかった。
なんとか頷いて声にならない声で答えたのを、アルメンティスは理解してくれて優しく頭を撫でてくれた。
□A
「お眠りになりましたか?」
静かにドアを閉めて廊下に出ると、ジェロームが待っていたように声をかけてきた。
少し掠れた声に、心配しているという気持ちがこもっているように感じた。
「かなり疲れたんだろうね。ベッドに入ったらすぐ……。ずっと俺の手を握って離さなかったよ。不安だろうから、今日はこのまま静かに寝てもらうよ……朝も起こさないであげて」
「分かりました。アルメンティス様も何でもいいですから、少しお腹に入れてください。固形物がだめなら、飲み物でもいいです。お茶をお入れしますか?」
「ああ、そうだね。グリーンティーを頼む」
かしこまりました言って、ジェロームは先に歩いてキッチンへ向かった。
その後ろ姿を見ながら、小さくため息をついた。
指先がずきずきと痛むがそんな傷はどうでもいい。
レイがいなくなって、エレベーター内にいると確信してからは、自分が何をしたのか記憶が曖昧だ。
地下のエレベーターホールに着くと微かに壁を叩くような音と自分の名前を呼ぶレイの声が聞こえて、一気に頭に血が上って破裂しそうなくらいになって判断力を失った。
気がつけば、両手でドアをこじ開けていた。電源が落ちて完全に鉄の塊になったドアは容易には開かなかった。
レイの名前を呼びながら、手を血だらけにしてこじ開けた隙間に青白い顔で倒れ込んでいるレイの姿が見えてからは、ほとんどドアを殴るようにしていたと思う。
ドアはこじ開けることはできても押さえていなければすぐに閉まってしまう状態だった。
後から来たジェロームが、慌てて事務所から非常用の斧を持ってきて、それを噛ませることでなんとか開いた状態を維持できた。
やっとレイを助け出すことができて、安堵と喜びでいっぱいになった。
生意気で可愛くて強がっているが繊細な存在。
もう否定することはできない。
俺はレイに夢中だ。
再び無事にこの腕の中に収めることができて、全身が満たされていくのを感じた。
しかし、それと同時に恐ろしくなった。
この気持ちは俺がずっと嫌悪して、決して染まる事はないと心に刻んできたものだった。
その気持ちに自分が支配されていく、自分が別物になっていくのは、足元が崩れいく感覚に似ていた。
愛は素晴らしいものだと言った母の言葉が頭から離れない。
このままだと、あの人のように自分を無くして狂ってしまうのかもしれない。
それにアルガルトの長として生きるなら、いつかは世継ぎを残さなければいけない。
そのためにレイを側に置いたまま、愛のない結婚をして、母子を傷つけることになる。それでは父と同じ道を歩むことになってしまう。
まさか自分が気まぐれに天使にした男に、ここまで囚われてしまうとは思わなかった。
いや、気まぐれなんかじゃない。
「愛さずにはいられない……か。本当にそうだね、お母様。貴女の言った通り……最初に会った時から俺は……」
振り返って自分の部屋を見た。
壁一枚隔てたところで、レイは深い眠りに入っている。
今すぐにでもその温もりに溺れたいという気持ちと、これ以上身動きが取れなくなってはいけないという気持ちが、ずっとせめぎ合っていた。
「お母様、俺には無理だよ。今日のことは警告だ。もうこれ以上、進んではいけない……。手離さなければいけないっていうことなんだ」
俺の生きてきた世界では、誰かに心を囚われることなど死を意味する。
アルガルトの名を狙う者にとって、特別な存在など脅しの道具であり、足枷にしかならない。
「ジェローム、しばらくの間、3階へは誰も通さないように。出入りも専用のを使うから」
「……誰も、というのはレイもですか?」
「ああ、もちろん」
ジェロームが用意したグリーンティーを飲みながら、今後の話をしたら案の定ジェロームはあまりいい顔をしなかった。顔に出さないタイプの男が、こんな顔をするくらいだから、よほど気に入らないのだろう。
「……今日の様子から見れば、レイは明らかに不安定です。突然アルメンティス様が離れてしまったら、レイはもっと不安になると思います。どうか、もう少しだけでも……」
「自分から拾っておいて最低だと思うが、深入りしすぎたよ。今日の制御できなくなった自分がいい証拠だ。もちろんレイには天使として継続してもらうよ。ただ、距離を置くだけだ」
何か言いたげにジェロームはこちらを見てきたが、堪えるように手を震わせてから顔を背けた。
「いい選択だとは思えません。アルメンティス様と旦那様は違います。決して同じようなことには………」
「さすが、ジェローム。よくわかっているね。でもさ、俺もどうしていいか分からないんだ。完全に引き返せないところまで行ったら、レイをもっと傷つけてしまう。お互い今なら傷も浅くてすむと思うんだ」
「……分かりました」
ジェロームはこちらを見ずに返事をしてきた。そんな事一度もなかったのに分かりやすいやつだと思いながら俺はカップの中身を飲み干した。
いつだったかレイが入れてくれたグリーンティーを思い出した。
同じものなのに全く違う味がした。
あの味が忘れられそうになかった。
□□□
母は父と結婚する前、将来を誓い合った相手がいた。しかし家の命令で無理矢理引き離され、アルガルトに嫁ぐことになった。
そしてアルガルトの家で義務のように子供を産まされ、後継ぎが出来たら役目は終わったと田舎の家に追いやられた。
父から一度も愛されることがなかった可哀想な人だと思ってきたが、母もまた父を一度も愛していなかったのかもしれない。
なぜなら記憶にある母はいつも窓辺に座って外を眺めながら、今日はジョアンと約束しているのと、来ることのない過去の恋人の名前を呼んでいたから。
「愛は素晴らしいものよ。貴方も人を好きになれば分かるわ」
「……そうですか。でも僕の目にはお母様は孤独に見えます」
「素晴らしいのよ。愛することはとても素晴らしいの」
「…………」
だんだんと気がおかしくなって、俺がそれなりに大きくなった頃にはもう、まともに会話は出来なかった。
それでも俺はいつも通り話しかけた。
期待した返事が来なくても、母と会話がしたかった。
「愛とはお父様のように周りの人を傷つける傲慢なものですか?お母様のように求め続けても叶わないものですか?そんな……そんなものなら僕は……僕には必要ありません」
「アルティ、愛さずにはいられないの。その時は決して手を離してはだめ…、大切に自分の一部のように…決して離さず…大切に…」
「お母様…?」
母は時々、電気の線が繋がったみたいに正気に戻ったように見える時があった。
その時も俺と目が合って、久しぶりに母の顔を見たような気がした。
でもそれは一瞬で、すぐに母は遠くを見つめて子守唄を歌い出してしまった。
そして、俺の問いかけに二度と答えることはなかった。
□R
ピチャン…ピチャン…。
いやな音がする。
壊れた蛇口から、水が落ちている音だ。
早く消してくれ!
もうあの場所はないのに、どうしてこんな夢ばかり……
ピチャン…ピチャン……
やめて…やめてくれ!
だから言っただろう。
人を信じるなって。
自分の手を見てみろ。
真っ赤に付いた血が消えることはない。
お前が火をつけたから死んだんだ。
お前は人殺しだよ、レイ。
人を信じる?
お前なんて、誰からも愛される資格もない。
罪を犯したお前が人を愛するなんて、許さない。
じゃあどうすればいい?
簡単だよ。
帰るんだ。火の中に。
そこがお前の居場所だから。
自分の身を焦がして、今度こそ確実に。
い……いや
……嫌だ……。
生きたい…
生きて帰りたい
大事なんだ……あの人が……
俺が……俺が帰る場所は……
あの人のところ
ほら……
名前を呼んでいる
迎えにきてくれたんだ。
早く目を覚まして
玲
「レイ!レイ!!しっかりしろ!レイ!!」
やけにハッキリとした幻聴が聞こえたと思ったら、急速に喉が開いて酸素が入ってきた。弱くなっていた呼吸が一気に強いものに変わって、胸を上下させながら息を吸い込んで吐き出した。
「慌てるな、ゆっくり息を吸うんだ。大丈夫、もう大丈夫だから」
「……あ……アルティ……?」
「よかった……、顔色が戻った」
ずっと強く目をつぶっていたらしい。力を抜いてもぴくぴくと目元が震えていてなかなか開けられなかった。ようやく目が開けるようになったら視界いっぱいにアルメンティスの顔が見えた。
「あ…あれ…な…なんで…」
「遅くなってごめん。レイが、俺を呼ぶ声が聞こえたから気がついたんだけど、なかなかこのクソドアが開かなくて破壊するのに時間がかかったんだ」
「え……?」
ようやく事態が飲み込めてきて、周りを見渡す余裕ができた。
ここはエレベーターの中、確か途中で止まって閉じ込められて、俺は叫んで助けを呼んでいたけど力尽きて倒れた……。
それで今は、アルメンティスに抱き起こされていて腕の中にいる。
アルメンティスが助けに来てくれたということが分かると、じわじわと身体中に喜びが広がっていき、目頭が熱くなってきた。
そこで俺はアルメンティスの肩越しに、ふと目に入った光景にギョッとして驚いた。
エレベーターの入り口にはこじ開けられたように半開きになっていて、非常用のものなのか手斧が間に挟まっていた。
「あ…あ…あれは…まさか、アルティが?斧を振り回したのか?」
まさか鍛えているとはいえ生粋のお坊ちゃんが斧を振り回す姿を想像したら、助けてもらってあれだが、おかしくなって笑いそうになってしまった。
「そうだよ。手でこじ開けようとしたら、爪が剥がれたから仕方ないでしょう」
「え!?爪が…!?」
和んでいた気持ちが一気に冷えた。慌ててアルメンティスの手を掴んだら、確かに三本の指先から出血していて痛々しいことになっていた。
「う…嘘だろ!な…こんなっ、早く…手当を…!」
「大丈夫だよ。死ぬわけじゃないし。それよりもうしばらく動かないで……本当に……レイが死んじゃうかと思って……」
アルメンティスは力強く俺を抱きしめて離さなかった。ガタガタと体が小刻みに揺れていた。俺は自分が震えているものだと思っていたが、それはアルメンティスの体から伝わってきたものだった。
胸に熱いものが込み上げてきて、俺はアルメンティスの背中に腕を回して、大丈夫だと力を入れて抱きしめ返した。
「レイ…帰ろう」
涙と鼻水が押し寄せてきて、言葉にすることができなかった。
なんとか頷いて声にならない声で答えたのを、アルメンティスは理解してくれて優しく頭を撫でてくれた。
□A
「お眠りになりましたか?」
静かにドアを閉めて廊下に出ると、ジェロームが待っていたように声をかけてきた。
少し掠れた声に、心配しているという気持ちがこもっているように感じた。
「かなり疲れたんだろうね。ベッドに入ったらすぐ……。ずっと俺の手を握って離さなかったよ。不安だろうから、今日はこのまま静かに寝てもらうよ……朝も起こさないであげて」
「分かりました。アルメンティス様も何でもいいですから、少しお腹に入れてください。固形物がだめなら、飲み物でもいいです。お茶をお入れしますか?」
「ああ、そうだね。グリーンティーを頼む」
かしこまりました言って、ジェロームは先に歩いてキッチンへ向かった。
その後ろ姿を見ながら、小さくため息をついた。
指先がずきずきと痛むがそんな傷はどうでもいい。
レイがいなくなって、エレベーター内にいると確信してからは、自分が何をしたのか記憶が曖昧だ。
地下のエレベーターホールに着くと微かに壁を叩くような音と自分の名前を呼ぶレイの声が聞こえて、一気に頭に血が上って破裂しそうなくらいになって判断力を失った。
気がつけば、両手でドアをこじ開けていた。電源が落ちて完全に鉄の塊になったドアは容易には開かなかった。
レイの名前を呼びながら、手を血だらけにしてこじ開けた隙間に青白い顔で倒れ込んでいるレイの姿が見えてからは、ほとんどドアを殴るようにしていたと思う。
ドアはこじ開けることはできても押さえていなければすぐに閉まってしまう状態だった。
後から来たジェロームが、慌てて事務所から非常用の斧を持ってきて、それを噛ませることでなんとか開いた状態を維持できた。
やっとレイを助け出すことができて、安堵と喜びでいっぱいになった。
生意気で可愛くて強がっているが繊細な存在。
もう否定することはできない。
俺はレイに夢中だ。
再び無事にこの腕の中に収めることができて、全身が満たされていくのを感じた。
しかし、それと同時に恐ろしくなった。
この気持ちは俺がずっと嫌悪して、決して染まる事はないと心に刻んできたものだった。
その気持ちに自分が支配されていく、自分が別物になっていくのは、足元が崩れいく感覚に似ていた。
愛は素晴らしいものだと言った母の言葉が頭から離れない。
このままだと、あの人のように自分を無くして狂ってしまうのかもしれない。
それにアルガルトの長として生きるなら、いつかは世継ぎを残さなければいけない。
そのためにレイを側に置いたまま、愛のない結婚をして、母子を傷つけることになる。それでは父と同じ道を歩むことになってしまう。
まさか自分が気まぐれに天使にした男に、ここまで囚われてしまうとは思わなかった。
いや、気まぐれなんかじゃない。
「愛さずにはいられない……か。本当にそうだね、お母様。貴女の言った通り……最初に会った時から俺は……」
振り返って自分の部屋を見た。
壁一枚隔てたところで、レイは深い眠りに入っている。
今すぐにでもその温もりに溺れたいという気持ちと、これ以上身動きが取れなくなってはいけないという気持ちが、ずっとせめぎ合っていた。
「お母様、俺には無理だよ。今日のことは警告だ。もうこれ以上、進んではいけない……。手離さなければいけないっていうことなんだ」
俺の生きてきた世界では、誰かに心を囚われることなど死を意味する。
アルガルトの名を狙う者にとって、特別な存在など脅しの道具であり、足枷にしかならない。
「ジェローム、しばらくの間、3階へは誰も通さないように。出入りも専用のを使うから」
「……誰も、というのはレイもですか?」
「ああ、もちろん」
ジェロームが用意したグリーンティーを飲みながら、今後の話をしたら案の定ジェロームはあまりいい顔をしなかった。顔に出さないタイプの男が、こんな顔をするくらいだから、よほど気に入らないのだろう。
「……今日の様子から見れば、レイは明らかに不安定です。突然アルメンティス様が離れてしまったら、レイはもっと不安になると思います。どうか、もう少しだけでも……」
「自分から拾っておいて最低だと思うが、深入りしすぎたよ。今日の制御できなくなった自分がいい証拠だ。もちろんレイには天使として継続してもらうよ。ただ、距離を置くだけだ」
何か言いたげにジェロームはこちらを見てきたが、堪えるように手を震わせてから顔を背けた。
「いい選択だとは思えません。アルメンティス様と旦那様は違います。決して同じようなことには………」
「さすが、ジェローム。よくわかっているね。でもさ、俺もどうしていいか分からないんだ。完全に引き返せないところまで行ったら、レイをもっと傷つけてしまう。お互い今なら傷も浅くてすむと思うんだ」
「……分かりました」
ジェロームはこちらを見ずに返事をしてきた。そんな事一度もなかったのに分かりやすいやつだと思いながら俺はカップの中身を飲み干した。
いつだったかレイが入れてくれたグリーンティーを思い出した。
同じものなのに全く違う味がした。
あの味が忘れられそうになかった。
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