恋がしたいしたいと思ったら

朝顔

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もっと甘く抱きしめて

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 七五三の写真撮影で、従姉妹からもらった真っ赤なドレスを着せられた。何が気に入らなかったのか分からないが、三歳の私は嫌がって号泣したそうだ。
 泣き続ける私に、気合いを入れてきた両親も疲れきって諦めた。せっかく着たのだからと写真屋の主人が気を利かせて一枚だけ写真を撮ってくれた。
 困った顔の両親とふざけている兄達の真ん中で、泣きべそをかいてカメラをにらみつけているような不機嫌な顔の私が写っている。
 今でも実家の居間に飾ってある写真だ。

 思えば私はずっとこんな顔をして生きてきた。



 薬指に光る指輪を見たとき、私はおめでとうと叫んで走った。勢いよく走って飛びついた私を、友人はよろけながらなんとか支えてくれた。

玲美れみ!本当におめでとう!良い人に出会えて良かったね。自分が結婚するより嬉しい……」

 号泣する私の頭を、友人の玲美は微笑みながら撫でてくれた。

「ありがとう、佐和子さわこ。今までたくさん心配かけてごめんね」

 長い髪をバッサリと切って、ショートカットでボーイッシュな雰囲気になった玲美だが、短い髪でも美しさで輝いて見える。むしろ、こういうシンプルな髪型は玲美のような華やかな色気のあるタイプでないと似合わないのかもしれない。

 高校時代からの友人である玲美は、結婚寸前までいった恋人の裏切りにあって破局して、それ以来ずっと華やかさを失っていた。まるで白黒のモノクロームの世界で生きているみたいに、色を失い、そこにいるのにいないみたいな、そんな状態になってしまった。

 それが二ヶ月前、お見合いで出会ったという人と、トントン拍子で話が進んで、スピード結婚することになった。
 簡単に報告を聞いただけなので詳しいことは分からないが、一目見ただけで雰囲気が変わっている玲美に、この出会いは良いものだと私は確信した。

「ちょっとちょっと!詳しい話聞かせてよ。私も忙しかったから全然聞けなかったけどさ、今日は玲美のノロケ話を聞きながら一杯飲むって決めてるんだから!」

 私がぐいぐい突っ込んでいくと、玲美は顔を赤くしながら頷いた。
 本当に可愛いと思った。
 あの頃から、玲美の可愛さは変わらない。
 大人しいタイプだった玲美は目立ってモテる子ではなかった。母親譲りの外見は整い過ぎていて近寄り難いが、付き合ってみると優しくて気遣いのできる性格なのだ。
 昔から隠れて狙っている男子がたくさんいた。

 そんな玲美をどん底に突き落とした元カレ。
 私はそのことをずっと悔やんでいた。

 なぜならその元カレは私の取引先の会社で働いていた男性で、大人数で何度か飲みに行ったことがあった間柄だった。玲美と外を歩いているときに、偶然会ってしまい、せっかくだからとそのまま三人で飲みに行ったのが始まりだった。
 自分が演出してしまったような出会いで、二人は付き合うことになり、やがて破局して玲美は暗いトンネルに入ってしまう。
 あの時私が引き合わせなければと、何度後悔したか分からなかった。


「嘘!鷹城って…あの!?鷹城賢吾!?」

「そうなの。まさか、そんな人と出会うことになるなんて、私もびっくりしたんだけど……」

 二人の行きつけの居酒屋で、玲美の婚約者を聞いて私は驚きで大きな声を出してしまった。周囲はもっと騒いでいるので、誰も気にする人はいない。

「……いやびっくりよ、うちの会社、鷹城グループだから。マジか……次期社長か……、確かに仕事はできるって聞いているわよ。すごいよ!すごいじゃない!優しい人なの?」

「うん、ちょっと心配性だけどね。でも私みたいなぼんやりしたのは、彼くらいハッキリ愛情を示してくれる人が合っているんだと思う」

 そう言った玲美のスマホには賢吾からと思わしきメッセージが鬼のように入っていた。友達と飲みに行くって言ったら心配しちゃってと玲美は顔を赤らめて幸せそうに笑った。

「……確かに、まぁ…玲美がいいならいいけどさ。玲美の味覚を復活させてくれた人でもあるし、私にはこれ以上何も言えないわ。あっ、一言、お幸せに!」

 太陽みたいな明るさで玲美は笑った。しばらくの間、無理やり作ったような笑顔しか見られなかったから、その明るさが眩しく思えて私は目を細めた。


 終電にはまだ時間があって、今までなら二軒目に行く時間に、玲美はお迎えが来るからと手を振って行ってしまった。
 幸せそうな友人を温かい目で見ながら送り出した。
 なんとなく一人の部屋に帰りたくなくて、私は電車には乗らずに歩き出した。

 これまた玲美とよく来ていた二軒目のバーに入った。
 静かな雰囲気で気に入っている場所だったが、今日の店内は混雑していた。学生グループだろうか、若い男女がたくさんいた。帰ろうかと思ったところ、顔馴染みのマスターにこっちこっちと呼ばれてカウンター席に通された。

「なに?なんかイベント?」

「今日お誕生日のパーティー入っちゃってて。騒がしくてごめんなさいねぇ。こっちは静かに飲めると思うから、はい、サービス」

 見た目はスキンヘッドでいかつい顔だが、喋るとオネェ全開のマスターは、さすがの商売上手で私の前にシャンパンを置いてきた。
 ここまでされたら、飲んで帰らないわけにはいかない。

 グラスに口をつけて一口飲んでいたら、お誕生日おめでとうの言葉の後にクラッカーが鳴って、パチパチという拍手が聞こえた。

 今日の主役と思われる女の子が、いつの間にかもう二十歳になっちゃいました。信じられないー、やだぁーと言いながら、グラスのシャンパンを飲み干していた。

 私も小声でおめでとうと言いながらまた一口飲んだ。
 先週誕生日が来て、こちらは二十八歳になってしまった。しかもそれを三日後に気がつくというものだった。
 あそこでやだぁーと言っている彼女が八年後の現実を見たら絶句するだろうか。
 いや、誰もが三日後に気がつくわけではない。彼女は八年後もこうやって誰かに祝ってもらえるのかもしれない。

 だいたい誕生日なんて、子供の頃はおめでたいものだったけれど、この歳になるとちっともおめでたくない。
 ただ体が衰えてシワとシミが増えていくのを祝うだけ……。
 そこまで考えて、私はため息をついた。
 こんな卑屈な考えだからいつまでたっても一人なのだろう。

 私、久喜佐和子くき  さわこは、上に三人の兄がいる男だらけの環境で育った。
 小さい頃は自分は男の子だと思っていた。
 兄達の後を付いて歩き、同じ遊びで遊んで、常に兄達の真似をしていた。
 兄達と剣道場に通い、幼い頃から久喜兄弟は向かうところ敵なしと言われてきた。
 高校時代は全国大会にも出場し、恋愛とは無縁の剣道ばかりの青春だった。

 大学に入り、あんなに夢中だった剣道から離れた。華やかなサークルに入って、おしゃれな女の子に混じって自分を着飾った。
 毎日、派手なメイクと派手な格好をして町へ繰り出した。今まで男と言えば女ゴリラとかあだ名をつけてくるムカつく存在だったのに、着飾った自分を男達は女の子として扱ってくれた。
 それは快感だった。

 その頃、初めて男性とお付き合いをした。当時は若くて恋愛経験もなく、ひたすら従順だった。
 いいように扱われて、浮気されて別れることになった。

 それならばと、色々な男性と付き合ったが、恋愛というのは、ただ経験を積めばいいというものでもなかった。
 性格の不一致、多忙、学業、仕事でのすれ違い、様々な理由で別れを繰り返したが、何か得たものがあるとしたら、次に進むことに臆病になる気持ちくらいだろう。
 一年前まで付き合っていた人は、喧嘩になるとすぐ別れると言うタイプだった。
 人を不安にさせて操るのが上手い人だった。別れる別れないでさんざんモメて、やっと終止符が打てた時、心は疲れきっていた。

 そこからは誘われることはあっても、一歩踏み出せずにいる。もうすぐ三十になるし、兄達は結婚して子供もいる。親戚が集まれば賑やかでひたすら騒がしい。
 そんな中で自分一人が家族という枠の中で位置が定まらずに浮いているように思える。

 両親の子供で、兄達の妹で、甥や姪の叔母さん、自分はどこに属するのが正解なのか分からない。すっかり孫にメロメロな両親を見ると、年を重ねる度に自分の居場所がなくなっていくようで寂しくなった。

 二杯目に頼んだカクテルを見つめながら小さくため息をつくと、マスターのクスリと笑う声が聞こえた。

「なぁに、今日はレミレミがいないじゃない。喧嘩でもしたの?」

「まさか…。玲美、婚約したのよ。私と喧嘩なんかしている時間ないわ」

「良かったじゃない!あら、やっと最低男からの呪縛から解放されたのねぇ」

 よく、この店に寄ってマスターに愚痴っていた頃を思い出した。
 自分のことのように怒って泣いてくれたマスターは良い人だ。もっぱら話をするのは玲美だったので、私はいつも横でグラスを空にしていただけだったが。

「………私最低よ。玲美の幸せを願ってたし、もちろん嬉しいけど、なんだか胸がもやもやして……」

「ばかねぇ、そういうもんよ。友人の結婚ってのはさ、嬉しいけど寂しいもんよ。アンタも早く相手を見つけなさい」

 次なんてそう簡単に見つからないので、私は目の前のグラスを空にして、次のカクテルを頼んだ。うんとキツいやつと言うとマスターは了解と言ってニヤリと笑った。

 頭の中にショートカットの良く似合う笑顔の玲美が浮かんできた。
 ショートカットは私の担当だと思いこんでいた。昔からその髪型にしかしたことがなかった。しかし放置していたらこの一年で髪は肩まで伸びてしまって、伸びっぱなしのひどい状態だ。
 ふわふわのロングといえば玲美だったのに、あっさりとバッサリ切ってしまった。
 それに玲美のショートカットはよく似合っていた。
 私よりずっと似合っていた。



 □□


「お姉さん、なに飲んでるの?」

 一人で飲んでいてしばらく経ったころ、学生らしきお誕生日パーティーのグループは帰る者、残る者に分かれて人数はすっかり少なくなっていた。
 そのうちの一人と思わしき若い男の子が声をかけてきた。

「アンバードリーム」

「琥珀か、確かに綺麗な色だ」

 若い男は遠慮なく私の隣に座ってきた。その勢いと図々しさはさすが若さだなと、すっかり酔った頭でぼんやりと考えていた。

「お友達のパーティーでしょう?こんなところにいていいの?」

「あー、いいのいいの。後輩に呼び出されてさっき来たんだけど、まさかのお誕生日会で、祝うような間柄でもない子だし、帰ろうかなと思っていたところ」

 だったら帰ればいいのになんでここに座るかなと思ったが、他人にそんな話をするのは面倒で私は黙ってカクテルを飲んだ。

「ほら、綺麗なお姉さんが一人で飲んでるからさ。つい声かけちゃった。俺、お姉さんみたいな人タイプだな。ツンとした感じだけど………」

 私が黙っているからか、若い男は席に座った理由を話し始めた。琥珀の夢を飲み過ぎて、夢に入りそうだった私は最後の方がよく聞き取れなかった。褒められているようなので、適当にそれはどうもと言っておいた。
 その後も若い男はペラペラとよく喋っていた。私の頭は右から左で聞き流して、適当に相槌をうって返事をしながら飲み続けた。
 学生グループなら、二十歳くらいだろう。ふらりと飲んでいる年上の女に興味があったから声をかけた。あわよくば、一夜のお楽しみが出来たらいい。そんな香りを感じた。

「いいよ。行こうか」

 私がそう言ってグラスを空にして立ち上がったので、若い男は目を見開いて驚いているようだった。

「なに?期待してたわけじゃないの?なら、ごめんなさい。私、帰るから…」

 ふらふらと歩き出した私をその男は後ろから支えてきた。

「なによ……、ひとりで……歩けるから」

「せっかく誘ってくれたのに……一人で行かないでよ」

 背は高い方の私より、その男は頭ひとつ分くらい高かった。
 その口許に浮かんだ妖しげな微笑みに、私の体はビクリと揺れた。
 触れられたところが焼けつくように熱く感じた。本能的なものが、私に危険を知らせてくれていた。
 しかし酔いに任せて、私は男に体を預けた。今日はとても寂しかった。




 □□



 眩しい朝日を浴びて、カーテンを閉め忘れたかと思い、日差しから逃れるように寝返りをうってぼんやりと薄目を開けた。
 途端に頭痛がして白いシーツに頭を擦り付けた。昨夜は飲み過ぎたらしい。

 昨夜…、と思い出して、寝ながらゆっくり後ろを振り返ると、知らない男の顔があった。
 瞬間、昨夜のことを全て思い出した私は、ヤってしまったと頭に手を当てた。
 どれだけ酔っぱらっても記憶を全部なくしたことは一度もない。話の内容とか細かいことは忘れているが、だいたいのことは覚えている。昨日のことももちろん覚えていた。

 昨夜は友人の玲美と飲んで、次に行ったバーで、隣に寝ている若い男を誘ってお持ち帰りしたのだ。
 こんなこと、今までの人生で一度もなかった。セックスはひと月はちゃんとお付き合いしてからというのを家訓ではないけど、必死に守ってきたのだ。
 それが酔いに任せてワンナイトラブ。いい歳してなんてバカなことをと、頭痛が余計に酷くなってベッドを抜け出してふらふらと立ち上がった。

 朝日が降り注ぐ部屋には、昨日着ていたお互いの衣服が散乱している。
 それが何を物語っているかがありありと分かって、私は朝から真っ赤になった。

 ブラジャーとパンツが壁掛け時計と絵画に引っ掛かっていて、それをなんとも言えない気持ちで取った。
 とりあえず、自分の服は身につけて、男の下着と服はたたんで机に乗せておいた。

 ベッドに寝ている男は、んんっと小さい声を上げて寝返りをうった。さわさわと確かめるように隣に手を伸ばしてから、眠気に負けてまた深い眠りに入ったようだった。
 私は心臓がドキドキと波打つのを感じながら、ホッとして男の顔を初めてじっくりと見た。

 朝日を浴びた肌は色が白く、髪の毛は染めているのか薄い茶色で柔らかくてサラサラとしている。キリッとした眉と高い鼻梁は整っていて、日本人離れしてみえるくらいだ。目を開けたら、涼しげなラインの目に、薄茶の瞳が浮かんでいるはずだ。そして形のいい唇はきゅっと結ばれている。
 昨夜、あの唇に何度も追いつめられたことを思い出して私は頬に手を当てた。
 これ以上ないくらい私は乱れた。酔っていてもあんなに乱れることなど今までなかった。
 確かに男はまだ若いくせに女性の扱いになれていて、テクニックは完璧だった。
 しかし、それ以上に感じたのは、肌が合うということだった。
 焦らされるときも、求めるときも、与えられるときも、全てが快感で止まらなかった。こんな我を忘れるような本能的なセックスをしたのは生まれて初めてで、とても忘れられそうになかった。
 あの触れられたときの危険信号は間違いがなかったのだ。

 部屋にあるゴミ箱から溢れたものを見て、頭がくらりとした。
 確かコンビニで男が買ってきたものだったが、それが空になっている。いったい何回したのかと恐ろしくなった。

 もう見ていられなくて、バッグとコートを取って部屋を出た。確かラブホテルではなかったはずだ。どのくらいがいいかと考えて、玄関のところに諭吉を二枚置いてその上にカードキーを載せてきた。
 このホテルは部屋の中も広かったが、廊下に出るとまたかなり広かった。壁や絨毯は高級感がありよく磨かれていた。豪華なエントランスから出てまた驚いた。学生が泊まるとは思えない高級ホテルの名前を見て、置いてきた諭吉の数が少なすぎたと手が震えた。名前は知っているが私もちろん泊ったことなどない。あの男は何を考えてここに入ったのかと考えて、頭を振ってそれをやめた。もう会うことのない男だ。頭痛がしてきたのでタクシーに乗り込んだ。目を閉じて座席に体を預けるとやっと気が抜けて一息つけたのだった。



 □□□


「佐和子先輩なにかいいことありました?」

 お昼休み、社食できつねうどんをすすっていた私は、変なこところに汁が入ってゲホゲホとむせた。

「なっ…なにもないわよ。食事中に変なこと言わないで」

 えーだってと二年後輩の真奈美まなみはじろじろと遠慮のない視線を送ってきた。

「お肌がツヤツヤしている感じするしぃ、服も昨日と同じでいつも朝も早いのに今日は遅刻寸前、うんと若い男かな。お泊りして出がけに行かないでって甘えられちゃったとかですか?」

 仕事の方はさっぱりで全然契約が取れなくて部長に雷を落とされても、平気な顔で疲れたと言う度胸の持ち主ではあるが、こういうことの勘の鋭さは一級品である。ぜひ仕事で発揮してもらいたいものだ。

「…残念、ハズレよ。彼氏はずいぶんいないし、飲み過ぎて友人の家に泊まらせてもらったの」

「そうですかぁ?じゃそういうことにしておきます。でも前から思っていたんですけど、佐和子先輩ってサバサバ系と思わせて、結構可愛い人ですよね。モテるんじゃないですか?」

「どうした真奈美、何一つ当たってないわよ。私、サバサバしてないし、可愛くもないし、モテないから。ただの面倒くさい女よ」

 くるくるしたパーマの長い髪を指に絡ませて真奈美はニヤリと笑った。ダイエット中の彼女の食事は飲む蒟蒻ゼリーだけで、すでに飲み終わってしまっていた。

「佐和子先輩、年上の男性としか付き合ったことないでしょう」

「えっ!!」

 いきなり変化球を投げてくる真奈美に心臓がドキリとした。しかもそれは当たっていた。今までの彼氏は全員十歳以上年上で、父親に近い年齢の人とも付き合ったこともあった。

「面倒くさいって元カレさんに言われた言葉じゃありませんか?」

 またもや心臓が跳ね上がった。なんて恐ろしい子だと思った。元カレではなく、元カレ達ほぼ全員に言われてきた言葉だ。ここまでくると、ただの後輩との世間話ではない。ずっと気にしていたことに触れられて、私はついその先を聞きたくて箸を止めて身を乗り出してしまった。

「やっぱり~!たぶんその元カレさんは、佐和子先輩のサバサバしてそうなところに惹かれて付き合ったんですよ。でも先輩って長く一緒にいると分かりますけど、結構甘えん坊ですよね。いや普通かもしれないんですけど、たぶん見た目とギャップがあり過ぎるんですよね」

「私が!?甘えん坊?ギャップ!?」

 そんなことを言われたことがなくて、私は首をかしげた。

「言われたことありませんか?イメージと違うって。佐和子先輩って強くて自立した大人のオンナって感じで弱音とか吐かなそうだし、グイグイ私に付いてこいって引っ張って、甘えてくる男をヨシヨシしてそうなんですよね。だからそういうのを希望する男が群がってくるんだと思います」

 後輩のことが神のように見えてきて思わず目を擦った。ここまでピシャリと当てられて今日からどういう顔をして指導しようか不安になってきた。確かにそうだった、今まで付き合った男性達は年上だったが、みんなやけに甘えてくるタイプが多かった。もちろんそれに付き合ってはいたが、私だってたまには寄りかかりたい時があって、しかしそういう素振りを見せるとみんな口々に、イメージと違うや、面倒くさいと言われるのだ。

「だからちゃんと先輩のこと見抜いてくれる人と付き合ったほうがいいですよ。年下とかおススメですけど」

「バカね。年下が年上の女に求めることって甘えさせて欲しいってことでしょう。それじゃ今までよりもっと…」

「佐和子せんぱーい、甘えさせてくれる年下の男って最高ですよ」

 私の耳元に口を近づけてきた真奈美がそう囁いてきた。ぽかんとして固まる私を見て妖しげに微笑んだ後、真奈美は飲み終わったゼリーのゴミをひょいと投げてゴミ箱に入れた。じゃ外回り行ってきまーすと手をひらひらさせながら真奈美は軽い足取りで食堂から出ていってしまった。

「あの子何者?恋愛相談の先生でもしてるのかしら……」

 ぽつりとこぼした私だったが、時計を見て慌てて残りのうどんを流し込んだのだった。



 □□


「……というわけだ。期間は分からんが、こちらとしても現場のことをよく知ってもらうチャンスだと思っている。ご本人も、特別扱いはしないで欲しいと言っているそうだから、みんなビシバシ鍛えてやってくれ」

 部長の言葉が終わるとみんな口々に分かりましたと声を出した。
 今朝の朝礼はいつもと違う雰囲気だった。なぜか女子社員達がみんな色めき立っていて、いつもより化粧が濃く、香水のにおいかプンプンした。

「何よみんな急に色気付いちゃって、芸能人でも来るの?」

「やだ、佐和子、部長の話聞いてなかったの?」

 朝礼が終わってもみんなざわざわとして。すぐには持ち場には戻らなかった。
 何事かとキョロキョロと辺りを見回した私は、同期の由衣ゆいに話しかけた。

「ああ、社長の二番目のお坊ちゃんが短期研修に来るんでしょう。みんなどんな人が知っているの?」

 私が勤めるホーク精工は、化学工業用機器や医療用機器の製造と販売を手掛ける会社で、鷹城製薬の子会社になる。
 次期トップになると言われているのが鷹城家の長男である賢吾だ。友人から名前を聞いたばかりの人物だが、すでに、何個か会社を任されていて、その実力も問題ないと言われている。
 そして、その鷹城家の次男坊である、鷹城光輝こうきというのが今年大学を卒業したばかりで、経験を積むためにと子会社を回っていた。そして、次はうちの会社で預かることになったのだ。

「ほら、先々週かな、佐和子が大阪出張だったとき、簡単な見学に来たのよ。めちゃくちゃイケメンだったのよー。上手くいけば御曹司と結婚して玉の輿よ!少しでも近づきたいじゃない!」

「なんで、旦那のいるアンタまで濃いめのリップ塗ってるのよ」

「ふふっ、それはイケメンを堪能するための礼儀みたいなもんよー」

 そんな礼儀があるのかと私は呆れた。イケメン御曹司といえど、大学を出たばかりのヒヨコみたいなもので、そのヒヨコにちゃんと仕事を教えないといけないのだ。うちの課には営業の猛者がたくさんいるので、自分が担当することにはならないだろうから、顔を合わせることはあっても親しくはならないだろうなと思った。

 ましてや、総務のイケメンキラーと呼ばれる、社内のイケメンを食いつくしている入社二年目の摩耶まやちゃんが、ギラギラした目で爪を磨いて完全に戦闘態勢に入っているのを見て、巻き込まれたら大変だと関わりたくなかった。

 昼過ぎ、外回りから帰って来た私はデスクに資料と鞄を置いて休憩を取ることにした。
 いい返事がもらえそうだったのに、やっぱりやめたと言われて契約までいけなかった。
 こんなときは、濃いめのブラックコーヒーをガブガブ飲むにかぎる。体がカフェインを欲していた。

「久喜!部長室にすぐに行って」

「はっ…はい」

 自動販売機に百円を入れたところで課長が声をかけてきた。その顔が険しく見えたので、私の背筋は寒くなった。
 もしかしたら、さっき断られた会社からクレームがあったのかもしれない。営業はひとつのミスがみんなに影響する。
 なにか落ち度がなかったか、頭の中でひとつひとつ思い出してみたが見当たらなかった。
 しかし昨日の朝帰りが影響しているのは確かだ。仕事をしていても思い出してしまい、言葉が出なくなるときがあった。
 もしかしたら、それが失礼に当たったのかもしれない。
 戻ってきたらカフェインと呟きながら、私は部長室を目指して廊下を突き進んだ。


 ノックをしてドアを開けると、部長室には部長ともう一人の男の後ろ姿があった。
 スラリと背が高く、細いが鍛えられているような体躯をしていて、スーツをビシッと着こなしている。そしてその薄茶色の柔らかそうな髪を見て嫌な予感がして手が震えた。

「おお、久喜くん。急いで来てもらって悪いねぇ。こちらが鷹城光輝くんだよ」

 音もなく、ふわりと体をこちらに向けた男を見て、私は絶句した。
 忘れもしない。一昨日、朝日の差しこむホテルの部屋に置いてきた男だ。私服とスーツでは印象が違うが見間違いなく、つまり、ワンナイトラブの相手だった。
 向こうも驚くかと思いきや、平然として微笑んでいた。

「久喜さん、先日はどうもお世話になりました」

「おっ…!お世話にって……」

 平然としたまま、手を出してきて握手をされてしまい、私の頭は完全にこんがらがった。

「二人が知り合いだと聞いたからね。ちょうど良かった。久喜くんはうちの優秀な子だから、色々教えてもらって、ね、ね!」

 部長が逆らうなよというときの目をしていた。色々教えるというのはつまりそういうことだろう。

「……はい。よろしくお願いします」

 私が乾いた声でなんとか絞り出すと、光輝は目を細めて微笑んで、こちらこそよろしくお願いしますと言った。バーではこんな好青年みたいな雰囲気はなかったのに、えらい違いである。

 まず席まで案内するようにと言われて二人で部長室を出た。パタンとドアが閉まる音がして、私はめまいがしそうな頭を軽く押さえた。

「俺を置いて一人で帰っちゃうなんてひどいよね、佐和子」

 耳元で囁くように言われて私は、ばっと振り返った。
 そこには、先ほどの好青年の姿はなく、意地悪そうに口の端を上げてニヤリと笑っている光輝の姿があった。

「あっ…あ…、なっ…なんで…私の……」

 ぱくぱくと、餌を求める魚のように口を開けながら、たどたどしく声を出す私を見て、光輝はクスリと笑った。

「これ、社員証。ホテルの部屋にお忘れでしたよ。お客様」

 そう言って光輝は社員証が入ったカードケースをちらりと見せて、私のスーツのポケットに入れた。
 どこかで無くしたと探し回っていたのだったが、その可能性をすっかり忘れていた。

「本当は他にも候補の会社が上がっていたんだけど、それを見たらすぐここにしようって決めたんだ。佐和子に会いたくて……」

「は?うっ…嘘でしょう。なんで、あれは…一度きりの……」

「……もしかして、一度きりの遊びだとでも言うの?へぇ…佐和子はそういうのよくしてるの?」

「ばっ…!!するわけ…ないじゃない!初めてよ!いつもはちゃんとひと月はお付き合いしてから………って私、なんでそこまで……」

 真っ赤になって頭をかく私を見て、光輝はケラケラと笑った。
 先ほどのお坊っちゃまらしい控えめな笑いかたではない。遊びなれた男の目線とくだけた笑いに私の体はゾクゾクとして痺れた。なんだか、あの夜を思い出してしまいそうで、慌てて目線をそらした。
 そんな私の手を引いて、光輝は人目がつかない廊下の角を曲がったところに私を引っ張りこんだ。

「なっなに?」

「佐和子もあの夜のこと分かっているだろ。俺達最高の相性だって……、あんなに良かったのは初めてだよ。なんどヤっても足りなくて…もっと欲しくなって…」

「あっ…ちょ…っ……」

 光輝に壁に押し付けられて股に足を入れられた。光輝の薄茶色の瞳がすぐそばにあって、ゆっくりと指で唇をなぞられた。

「あのときのことは覚えている?俺がイキそうになると、だめやだ一緒がいいのって言って佐和子は足を絡ませてきて……」

「やっ…そ…んな……」

「どうして欲しいって聞いたら、胸をもんで乳首を舐めててって俺の手を導いてきて……」

「あ…だめ……」

 光輝の手がジャケットの中に入ってきて、シャツの上から胸の辺りをさわさわと撫でられた。
 それだけで私の子宮が疼くようにきゅっとしまって、ドロリと蜜が溢れるのが分かった。

 光輝の手はそのまま胸にあって、ゆっくりと移動しながら、カサリと乾いた音を立てた。
 突然聞きなれない音がして目を開けると、光輝は目の前から消えてもう廊下の方に戻っていた。

「久喜先輩、どうしたんですか?席、案内してくれないんですか?」

「はっ?…ええ?」

 一人壁にもたれて、赤い顔をしていた私はまさかの放置にもっと顔が赤くなって混乱した。
 そして胸元に手を当てると、シャツの胸ポケットの中から諭吉が二枚出てきた。

「ちょっ…これ!」

「お得意様ポイントがあったので、久喜先輩からはいただけません」

 そう言って光輝はさっさと廊下を歩いていってしまった。慌てて乱れた服を直した私は急いで光輝を追いかけた。

「あんな高級ホテルでポイントカードなんて聞いたことないわよ!」

「正直に言うとあの部屋を借りているんです。だから気にしないでください」

 まさかの想像もできないセレブっぷりに、その真偽はまったく掴めない。確かにセレブ一族の子供だ。言われたらハイそうですかと言うしかない。私の元へ戻ってきた諭吉は折れていて、ただいまという顔で笑って見えた。

「ちょっと、会社では…あのこと、秘密だからね」

「秘密か……、可愛いこと言うなぁ。もちろんそうするよ。でも、俺と付き合うこと、考えておいてね、佐和子」

 課の部屋に入ろうとドアを開けた私の耳元で光輝はそう囁いて、空気のようにふわりと軽いキスを耳元に落とした。
 声を出しそうになったが、開かれたドアにみんなが注目して、光輝の姿を見た女子社員がすごい勢いで集まってきたので、私はドアの付近から押し出された。

 早速女子社員達の質問大会になっていて、光輝はもみくちゃにされていた。
 それを横目で見ながら、まさかの事態に私の心臓は動きすぎて疲れきっていた。

 光輝が言っていることは本気なのか冗談なのか、それすらも分からず途方にくれた私は、小さくカフェイン飲みたいと呟いたのだった。



 □□



「ほら、新人君!この後二件訪問するから、さっさと行くわよ」

「はい、分かりました」

 鷹城のお坊っちゃまが働きだしてから二週間。初日こそ過剰な接触をしてきた光輝だったが、それからは一切触れることはなく、私の下について真面目に仕事を学んでいる。

 初めは色めき立っていた社内もだいぶ落ち着いた。それは初日に光輝が女性陣の質問責めに合って、今好きな人がいると答えたからだ。
 一気にテンションが落ちた女性陣に仕事をしろと部長の一喝が入って完全に元に戻った。
 私の下に光輝がつくのは、痛い視線を浴びるときがあるが、光輝はいたって真面目に接してくるので、文句を言う者もいない。
 私がいるから、ここを選んだなんて不純な理由を言っていたが、本人はしっかり仕事をしている。甘やかされて育てられたお坊っちゃまかと思いきや、泥くさい営業の仕事に文句も言わず取り組んでいるのでそこは好感が持てた。

「本当に体力勝負ですね」

 駐車場に車を入れて、分厚い資料を抱えながら坂を上っていると後ろから光輝が呟く声が聞こえてきた。

「そうよー、今の時代、足で稼ぐなんて古いって言われるけど、まだまだ直接会って話を聞かないと伝わらないことが多いのよ。特にうちの商品は継続的なサポートが必要だからね」

 なるほどと言って、やけに固くて真面目な顔をした光輝は、額から汗を流して歩いていた。

「初めはどうなることかと思ったけど、仕事の覚えも早いし、頑張ってるわね」

「かたちだけ派遣されたようなボンボンだから、手を抜くと思ってました?確かに育った環境は良かったけど、うちの期待はみんなアニキでしたから、俺は放っておかれたほうなんですよ。だから、いつも必死になって自分で掴み取ってきました。必要だと思ったら絶対手は抜かないです」

「そうかぁ…、なんか分かるな」

 ついこぼしてしまった私の言葉に反応するように、光輝は顔を上げて私を見つめてきた。

「いや、スケールは全然違うけどね。うちはみんな剣道やってたから、兄達は天才的でとにかく強くて、みんなからいつも褒められてた。だから私も強くなりたくて、必死に練習したの。兄達の何倍も何倍も、一瞬だって無駄にしたくなかった……」

 走り抜けてきた青春の日々を思い出した。あの頃は負けたくなくて深夜まで竹刀を振っていた。巨大な星を上に持つと、どんなに足掻いても手が届きそうで届かない。兄達には最後まで勝つことは出来なかった。

「上が優秀だとさ、その何倍も努力しないと認められないんだよね。それなのに、いいところ持ってっちゃうしさ。でも、鷹城君の場合、二人とも優秀そうだし、そこまでじゃないかな」

「……いえ、仰る通りです。典型的な兄は天才肌、俺は努力の人間です。そうか、久喜さんと気が合うと思ったのは同じだからなんですね」

「んー、正確に同じだったかな」

「え……?」

 掴みどころがなく、何を考えているのか分からないタイプだった光輝が、虚を衝かれたような顔になった。一緒に働いているときは、いつも鎧で武装しているみたいな張りつめた空気があったが、その顔は年相応の幼さかあって、思わず目を奪われた。

「私はさ、諦めちゃったから。でも鷹城くんは違うでしょう。君は今も戦ってる努力の人だよ。離れてから分かるのは、諦めないことが大事だったってことよ。継続していく力って天才に勝つ唯一の方法かもね」

「……久喜さん」

「ほら、気負いすぎないで、初心者マーク!道はこれから長いんだから、もっとリラックスして進みなさい!」

 つい熱くなって先輩風をふかせてしまった。真奈美辺りに言ったら、熱すぎでウザいですと言われそうなレベルだ。しかし、光輝は笑うことなく真剣な目をして私を見つめてきた。

「……またその台詞」

「へ?…あれ?私こんなウザいこと前も言ってた?」

 たまに雑談のときに適当に喋るくせがあるので考えられない話ではなかった。慌て出した私に、光輝はウザくないですと苦笑した。

「忘れちゃったの?あの夜のバーで、仕事で悩みがあるって言った俺に、その台詞を言ってくれたんだよ。酔って半分聞いてなさそうだったのに、急に俺の手を握って目を見てきて、気負うな!もっとリラックスしろって…」

「うっ……嘘……、それじゃ居酒屋の絡み酒のオヤジじゃない!恥ずかしすぎる……」

「その時俺は恋に落ちたんだよ。そして、またこんな道端で佐和子は俺の心を揺さぶるんだ」

「えっ……」

「俺を何度恋に落とせば気がすむの?好きだよ佐和子。早く俺のところへ落ちてきてよ。最初は体からだったけど、ちゃんと佐和子と付き合いたい……」

 光輝の真っ直ぐな目と言葉に、私の体は痺れて動けなかった。こんなに真剣な言葉で求められたのは初めてだった。仕事中だということは忘れて、光輝の方へ引き寄せられるように足が動いたその時、坂の上からドタドタと足音がした。

「ホークさん、すみません!駐車場遠くて歩かせちゃってー!遅いんで迎えに来ました!」

 汗だくで走ってきた営業先の担当者が見えて、私はパッと仕事モードに切り替えた。

「遅くなってすみません!今行きます」

 チラリと見た光輝もすっかり仕事モードの顔になっていた。あの全て溶かしてしまうような熱い瞳がすっかり冷えてしまったことが私は寂しいと思ってしまった。それを散らすように頭を振って歩き出したのだった。



 □□


「だからぁ!もう行きたくないんです!」

「困るよ!そう言っても先方は矢野を指名してきて、他の人だと話は聞かないって……」

 あの光輝の熱い告白の後、どんどん忙しくなってしまい結局その日は二人で話すことが出来なかった。
 しかもそのままズルズルと時間が経ってしまった。光輝も本社に呼び出されることが多く、いたりいなかったりでバタバタしていた。あれは夢だったのかもと思い始めたとき、朝、職場に着くと課長のデスクの前で、真奈美が大きな声を上げていた。

「なに揉めてんの?課長、朝からお説教ですか?」

 こういう時、すぐに割って入ってしまう私は今日も真奈美と課長の間に入った。

「せんぱーい。もう助けてください。結城工業の担当者がすごいセクハラ野郎なんですぅ。触ったりはされないですけど、キモイこと言ってきたり、しつこくご飯に誘わせたり、もう嫌なんですよ」

 真奈美の担当の会社で確か担当者は気難しくて、男性NGとして有名なところだった。真奈美が担当になって大人しくなったと思っていたら、そんなことになっていたのかと私は胸がムカムカとしてきた。

「よし、じゃ私が代わりに行くから」

「いや…だって、久喜。向こうは矢野がいいって………」

「課長!こっちはその手のサービスやってないんですよ!いくらお得意様だって、このご時世、セクハラは言語道断です!」

「ああ…そ…そうだな」

 面倒ごとが嫌な課長はとにかく穏便にしてくれよと言って渋々許可を出した。ありがとうございますと言ってきた真奈美に軽く手を振って私は部屋を出た。
 エレベーターホールまで来たところで、パタパタと追いかけてくる足音がした。

「久喜さん、待ってください。俺も行きます」

「鷹城くん。いいよ、今日は新しいカタログ届けて挨拶するだけだし、勉強になるようなことは……」

「それでもいいです。一緒に行かせてくださたい」

 先方がどう来るか分からなかったので、一人で行こうとしていたが、光輝は一歩も譲らないという強い目をしていて、私は仕方なく頷いたのだった。




「え…?困るんだよね。急に担当変えられると…ウチのことあまく見てんの?悪いけどさ、アンタじゃ話聞かないから、商談したかったから矢野ちゃんにして」

 担当者は真奈美から聞いていた通りの男だった。顔を合わせるなり上から下までジロジロと見られて、嫌そうな顔をされた。私だけ挨拶をしたが、隣にいる光輝を紹介する前になんだよと言い出した。

「今日は弊社の新しいカタログが出来ましたので、そちらだけお届けに参りました。矢野は本人の都合で部署を異動しまして、もうこちらに来ることはないです。急な異動でご挨拶できず申し訳ございません」

「はあ?出たよ…、辞めたんでしょ。使えねーなぁ、ブスが!次の人はもっとうんと若くて可愛い子にしてよ」

「ご希望に添えるか分かりませんが、うちのトップ営業マンを担当にさせていただきます」

「ああ?もしかして男?」

 はいと言った私を男は睨みつけてきた。

「あのさー、うちは男NGなの!聞いてないの!?アンタ仕事分かってる?ちゃんとやらないなら、契約しないからね!」

「そう言われましても、弊社の一番優秀な者を担当とさせていただきますので、ご満足頂けるかと」

 軽い脅しが効かないと見た男は、もっと顔を歪ませて睨みつけてきた。

「いるよねー、アンタみたいな、頭のガチガチな年増の気の強そうな女。アタシなんでも出来ますみたいな顔して、図々しくてウザいんだよなぁ。たいした色気もねーしさ、どうせモテなくて溜まってんだろう、勘弁して欲しいわ」

 ドンと机を叩く音がして音がして恐る恐る見ると、光輝がグーの手を机に乗せていた。
 その音に驚いて私も担当の男も思わず光輝を見てしまった。

「オッサン、ロリコンかよ。ガキにしか勃たねーの?」

「なっ…!!」

 突然光輝が敵意むき出しに噛みついたので、私は唖然として言葉が出なかった。向こうの担当者も口をぱかんと開けていた。

「お前みたいな男に、この人の色気なんて分かる必要もないね。自分より弱そうなやつしか相手できねーくせに偉そうなこと言ってんじゃねーよ!インポ野郎!」

 何が起こったのか、思いもしないことが起きると人は固まってしまうもので、部屋の中は一瞬真っ白な沈黙に包まれた。

「…きっ……貴様、……なんて失礼なやつだな!バカにしやがって!金輪際おたくとは……」

「申し遅れました。私、鷹城光輝と申します」

 真っ赤になって怒りで体を震わせていた男は、鷹城の名前に体をビクくかせて目を開いた。

「御社の結城社長には、父と何度かご自宅でのパーティーにお呼びいただき親しくさせていただいています。次のパーティーにも招待いただいておりますので、その際に今日のお話をさせていただいてもよろしいでしょうか」

「なっ…なにを……!?」

「担当の方にはとても親切にしていただいたと……、そしてうちの優秀な営業をつけることもお話ししますが……よろしいですかね?」

 怒りが吹き飛んで青い顔をしていた男は、無理やり笑顔を作って、これは嬉しいですよろしくお願いしますと頭を下げてきた。

 慌てて私もよろしくお願いしますと言ったが、チラリと光輝の方を見ると、光輝もこちらを見ていて、微笑を浮かべて小さくウィンクをしてきた。

 どうなることかと思ったが、その後は気まずい雰囲気もありながら、落ち着いて話を進めることができた。



 帰りの車内には沈黙が流れていた。
 いつも運転は私の担当だったのに、今日は自然と光輝が運転席に座ったので、助手席に座るしかなかった。

 窓の外を眺めていた私は、先ほどのことを思い出して、耐えきれなくなって噴き出してしまった。

「……なんですか、今頃?」

「ふふふっ…、ごめんごめん。あの担当者の顔思い出しちゃって……、インポ野郎は言い過ぎだけど、いやースカッとしたわ。鷹城の名前聞いたら震えてたからね」

「言葉遣いは社会人としては失格ですね。うちの名前を出したのも使えるものはなんでも使う、それが俺の処世術です」

 ハンドルを握る光輝は自重気味に笑った。私はその横顔をじっと食い入るように見つめてしまった。
 私の視線に気づいた光輝がなんですかと前を向きながら口にした。

「社会人としては褒められる言葉じゃないけど、私個人としては嬉しかったよ。ありがとう」

「……………」

 庇ってくれたことの、ちゃんとお礼を言っていなかったので改めて言ってみたが、光輝は無言だった。不安に思ってまた横顔を見たら、光輝の顔は赤く染まっていた。

「クソ……、真横でじっと見てきて……可愛すぎるよ。反則……、もう、誘惑するなら事故るからね」

「ええ!…ちょ…安全運転でお願いします」

 ちょうど信号で停まったところで光輝は、シートベルトを掴んで慌てる私の頭をふわりと撫でた。

「佐和子、可愛いね……」

 目を細めて微笑んだ光輝の顔を見て私の心臓は鷲掴みにされて、バクバクとうるさいくらいに騒いだ。
 今までこんな扱いを受けたことがなかった。
 どちらと言うと、いつもみんなのお姉さんで、年上の彼氏にさえ、姉御と呼ばれていた自分が
 、まるで子供のように頭を撫でられて可愛いと言われるなんて驚いて体が痺れたようになった。
 それは、味わったことのない快感で、心が溢れるくらいに満たされたのだ。

 その後は、顔が熱くて光輝の方を見ることが出来なかった。やっと会社の駐車場に着くと、みんな出払っていて閑散としていた。

「あー、事故らなくて良かった。佐和子は本当心臓に悪いことしてくるよね」

「別に…私は…お礼を言っただけで…」

 車のエンジンを止めた光輝は、責めるようなことを言いながら私の方を見てきた。そう言われても別に襲いかかったわけでもないのにと言いたかった。

「返事、まだ聞いてないけど、なかったことにしてる?」

 そう言われて私の体はビクッと揺れた。光輝に好きだと言われてから、忙しさを言い訳にちゃんと向き合うことを恐れていたのだ。

「………そういう訳じゃないけど……。だって……、私、良家のお嬢様でもないし、年上だし、美人でもないし……足も短いし……遅いし……」

「言いたいことはそれだけ?佐和子が自分のことどう考えていても、俺が良いと思ったんだから今上げたことは何も問題ないよ」

 つらつらと言い訳のようなことを言ったが、光輝に一蹴されてしまった。
 光輝は心に張っていた壁をどんどん崩していく人だ。怖くて隠れていたのに、どこにいても壁を壊されて見つかってしまう。
 もう逃げられなかった。光輝が真剣に向かって来ているのだから、私もちゃんと話そうと決めてゆっくり口を開いた。

「……私ね、男性と付き合うといつも長く続かないのよ……。もっと頼れる感じかと思ったとか、意外としっかりしてないとか、どうもイメージと違うみたいでフラれちゃうことが多くて……。自分でアピールしたわけじゃないのよ。だけどもし、私に強い女とか引っ張って欲しいとか、そういう気持ちがあるならそれは………」

「佐和子、俺をその辺の見る目のない男と一緒にしないでくれよ。最初に会った時に、佐和子は俺のタイプだって言っただろう。ツンとした感じだけど、甘えん坊そうな可愛い顔をしているからって」

「へ?わっ…私が!?」

 やっぱり酔っていて覚えてなかったなと、光輝は責めるような目で見てきた。思い出そうとしてもそこだけスコーンと抜けたみたいに、何も響いて来なかった。

「そうだよ。佐和子はよく張りつめたような不機嫌そうな顔をして周りから見ると怒っているように見られることがあるだろう。あの日もそんな顔をしていた。でも、時々下を向いて寂しそうな顔になるんだ。まるで置いていかれた子供みたいに……、それで俺が声をかけたらすごい嬉しそうな顔で笑って……」

「うっ…嘘!私…そんな……」

「ベッドの上では俺にすがりついて、何度もお願いばかりしてきたのに……、覚えてないの?」

 ずいぶんと乱れたような記憶があるが、何をお願いしたのかなんて、少しも記憶になかった。

「お願い…上に乗って…、お願い…いっぱい舐めて、お願い…もっと強く……」

「だぁーーーー!!嘘…冗談でしょ…私、そんな……」

 顔に手を当てて頭を振ってみたが、記憶の欠片も落ちてこなかった。

「さて、そんなお願いばかりする佐和子ちゃんに、どこをどう引っ張っていってもらうのでしょうか」

 光輝はちょっと悪い顔で、いたずらっ子のようにニヤリと笑った。そこには仕事の顔はなく、自然な光輝そのもののように思えた。

「……無理よ。私、自分が頑張ることで精一杯で人を引っ張る余裕なんてないし、本当はいつも頭の中で弱音ばっかり吐いてて、全然強くないし、むしろいつも、風が吹いたら吹き飛ばされるくらいの気持ちで…いっぱいいっぱいで……、本当は…本当は……手を引いて欲しい……大丈夫だよって言って……抱きしめてもらいたい」

 言いながら感情がこみ上げてきて熱いものが目の端に溜まっていった。
 いつだって、元気出しなよって言う役割。それに不満はなかったのに、気づいたら一人だけぼろぼろになっていた。
 誰も、誰も、満身創痍で立っている私に気づいてくれなかった。
 光輝以外は………。

「まだ短い付き合いだけどさ、その中でもずっと見てたから分かるよ。本当はノミみたいな小さい心臓のくせに、他の人間ばかり気づかってさ。この人、そうしなきゃいられないんだろうなって……。可愛くて愛しいなって思ってた。俺が温めて大切にしてあげたいって……」

 光輝の言葉が完全にむき出しになった心に直接入りこんできた。それは心だけでなく全身を震わせる喜びの色になって私に染みこんでいった。

 ポロリと落ちた涙を追って、光輝が私の頬にキスをした。

「……ごめん、返事聞く前に……我慢できなくて……」

「光輝、お願い……」

 その時、私は初めて光輝の名前を呼んだ。光輝がハッとした顔で私を見てきて、その顔が喜びの色に染まっていくのがスローモーションのように見て分かった。

「私に…キスして」

「それって、最高のお願いだ」

 狭い社用車の中で、光輝は待ちきれなかったように私の唇を奪ってきた。
 一度重なれば、あの夜の熱さを簡単に思い出した。すぐに舌でこじ開けられて口内は光輝に征服された。
 お互いの舌を絡ませて、唾液を吸う音が車内に響きわたり、その卑猥な水音が体の興奮を呼び覚ましていく。
 光輝の巧みな舌使いは私をこれでもかと高めて煽っていく、光輝もまた興奮しているようでモゾモゾと腰を動かしていた。

「んっ…んぅふぅ………、あぁ……んっ……」

 口の端から声が漏れて、下半身からドロリと蜜が溢れていく感覚がしたとき、駐車場に車が入ってくるのが見えた。
 奥の見えにくい位置に駐車しているが、さすがにまずいと思って、二人して座席の下に隠れた。

「すみません……俺、止まらなくて……」

「誘ったの…私だから…」

 パタンとドアを閉める音がしてパタパタと足音が遠ざかっていった。二人のいる場所から離れた位置に駐められていて、どうやら気づかれずに行ってくれたらしい。

「仕事中よね…、帰ろうか」

「はい、残念ですけど…」

 そう言って、狭い座席の下で二人で顔を見合わせて笑った。

 そして、やっぱりあと少しだけと言われて、外から見えないようにまたキスをしたのだった。



 □□□


「それじゃあ、皆、鷹城くんの今後の活躍を祈って乾杯!」

 部長の掛け声で、カンパーイという声が上がった。
 今日は光輝の送別会だ。と言っても、完全に離れるわけではなく、今度は営業というより、経営面からの視察も兼ねているのだろうが、月に何度かはこちら戻ってくる予定にはなっているそうだ。

「ありがとうございます。短い時間でしたが色々とお世話になりました。これからもちょくちょく顔を出しますので、その時はどうぞよろしくお願いします」

 光輝も立ち上がって挨拶して会は和やかに始まった。
 光輝のテーブルにはあっという間に女性陣が集まって、色とりどりで華やかな雰囲気になっている。

「佐和子先輩、この前は代わってもらってありがとうございました」

 端の席で大人しく飲んでいる私の前で、後輩の真奈美がぐびぐびとビールをあおっていた。

「いーのいーの、あぁいう社会のクズとまともに仕事する必要なし!課長がもっと早く手を打たないといけなかったのよ。自分の時に問題があるのすごい嫌う人だからさ困るよね」

 担当の件で揉めたあの会社には、うちのムキムキのエースが行っていて、向こうも大人しくなったそうだ。
 真奈美はズバズバと言いたいことを言うクセに肝心なところは我慢していたらしく、もっと頼ってくるようにと言うと、はぁいと可愛らしく笑った。

「先輩、グラスが空ですよー。明日は休みだし、先輩どんどん飲んでください!」

 真奈美が気を利かせてビールを注文しようとしたのを私は止めた。

「次はウーロン茶にするわ。今日電車だからだめなのよ。うちここからじゃ遠いから」

「大丈夫ですよ、先輩フラフラになったら、森本辺りに送らせますからぁ」

 なんで森本なのよと私は笑った。うちのエースの下でビシバシしごかれている新人だ。今日も最初からガンガン飲まされている姿が見える。

「あれぇ。知らないですか?森本って、あぁ見えてザルなんですよ。無害な後輩キャラで可愛がられてますけど、実はしたたかで策士タイプなんですよ」

「………最近思うけど、真奈美ってどういう観察眼してるのよ。意外と当たってるところが怖すぎるわ」

「そして入社したての頃、仕事をフォローしてもらった佐和子先輩のことを、密かに狙っている……」

「……あのねぇ。それはいくらなんでも……。勝手に推測するにしてはありえない……」

「久喜先輩、飲んでますか?」

 突然後方から聞こえてきた声に私はビクリとした。まさかと思って振り向くと、今話に出ている新人の森本が笑顔でグラスを持って立っていた。
 短く切り揃えられた短髪の黒髪の爽やかな印象のある男だ。まだ幼さが残るが、営業としてのセンスもあると思っていた。

「僕もいいですか隣?」

 六人テーブルで私と真奈美しか座っていないのに断ることもできずどうぞと言って頷くと、森本は失礼しますと言って私の隣に座った。
 対面で真奈美がニヤリと笑っていて、私はそれを軽くにらんだ。

「大丈夫?飲み過ぎてない?断ってもいいのよ、あいつら化け物だし、付き合うことないんだからね」

「はい、大丈夫です。やっぱり久喜先輩は優しいなぁ」

 真奈美はザルだと言ったが、森本の顔は赤くなっていて、目もとろんとしていた。明らかにハイペースで飲まされた症状なので、私は急いで水を頼んで森本に飲ませた。
 これでは、冗談でお持ち帰られるどころか病院行きになってしまう。

「森本、本当に酔ってんの?私、日本酒樽でいっても平気って聞いたけど」

 ここで真奈美が笑いながら鋭い質問を投げた。一瞬怯んだような顔をした森本だったが、そんなに飲めたら凄いですねぇと陽気な返しをした後、気持ちが悪いと言って私に寄りかかってきた。

「大丈夫?ちょっと吐けるんだったらトイレに行く?」

「大丈夫です。ちょっとだけこうやって休ませてくださぁい……」

 気持ち悪いと言っている人間を振り払うわけにもいかず、仕方がないので肩をかしておくかと思った瞬間、ドンと音を立てて私の前にビールジョッキが置かれた。

「久喜さん!俺も隣いいですか?」

 笑顔だが目が笑っていない光輝が、いいと返す前に当然のように私の隣にドカンと座ってしまった。
 両端を新人二人に挟まれるという謎の状況に困惑していると、真奈美が笑いを堪えすぎて涙目になっているのが見えた。

「森本調子悪いならあっちの座敷で寝てれば?」

「そこまでは大丈夫です。鷹城さんこそ、ここにいていいんですか?摩耶さん達、呼んでますけど」

「いいんだよ、もう何杯か付き合ったから、それより大丈夫ならくっつくなよ」

 少し肩をかりただけですと言って森本は不機嫌そうな視線を光輝に送った。二人の間に火花が散っているように見えて、私は後ろに下がって離れたかった。

「なになにー!鷹城くんこっちにいるじゃーん!私も参加しちゃお!」

 そこに空気を読まずに登場してくれた同期の由衣が神のように輝いて見えた。
 由衣は料理を持ってきて、テーブルに置いて真奈美の隣に座った。
 料理をすすめながら、ペラペラとよく喋る由衣のおかげでピリついていた雰囲気は一掃された。
 しばらくして、森本はエースに何やってんだと呼ばれて、渋々席を離れいったので、再び落ち着いて和やかな空間に戻った。
 真奈美は先に帰って、光輝がトイレに立って、由衣と二人になったところで、由衣がそういえばと口を開いた。

「佐和子、私、アンタから担当代わった会社あったじゃない。Asiaの担当の中川って人、覚えているでしょう?」

 その名前を久々に聞いて、一気に酔いがさめて嫌な気分になった。
 その名前の男こそ、親友の玲美に手酷い裏切りをして傷つけた男で、顔も見たくなかったので、簡単に事情を話して担当を代わってもらったのだ。

「子供が生まれて新居に越したとか聞いてたけど」

「それがさー、最近久々に顔見たらずいぶんやつれちゃってさ、どうしたのって聞いたら上手くいかなくて奥さんに捨てられたんだって」

「へー、因果応報ね」

「あの騒動で出世コースからは外されて、住めないのに家のローンだけ払い続けないといけないし地獄だって。あの…佐和子のお友達の元彼女?会いたいって泣いてたわよ、精神的にキテたわねー、びっくりしちゃった」

「ふーん。相変わらずバカね。無くしたものの大切さに今頃気づいても遅いのよ。一生忘れられずに生きていくといいんだわ…」

 そろそろお開きにするぞと声がかかって、みんなぞろぞろと外へ出た。会計が終わり、二次会に行く人達がわらわらと移動を始めた。
 森本が明らかにキョロキョロとして、誰かを探している素振りを見せていたので、私は嫌な予感がしたので、そっと帰ろうとしたところ、手を引っ張られて店の裏手に引き込まれた。

「あっ、こうぅ…んー!」

 私を暗がりに引き込んだのは光輝で、さっと手で口を押さえられた。

「しっ…、こうでもしないと、今日は二人になれないですから」

 耳元でそっと囁かれて、わずかにかかった息にドキドキとして心臓が揺れてしまった。
 向こうで鷹城くーんという女性陣の声がしばらく聞こえていたが、えー帰っちゃったのという残念そうな声に変わって消えていった。

「どうやら行ったみたいだな。幹事の人には帰りますって伝えてあるし、これで仕事は終了」

 そう言って光輝は小さくため息をついた。心臓の高鳴りが収まらなかったので、うずうずとした私は光輝の胸の中に入って甘えるように背中に手を伸ばした。

「……どうしたの?佐和子」

「だって……、ずっとこうしたかったから……こんなに近くに光輝がいるのに、我慢できない」

 クスリと笑った光輝は私を包み込むように、ぎゅっと抱きしめてくれた。
 あの駐車場でキスをした日から、光輝はたまにこうして抱きしめてくれた。でも今日はそれでは満足できそうになかった。

「あーやばい。酔った佐和子は普段の何倍も可愛いんだよな。森本なんかに目をつけられて……、俺がいないときは注意してくれよ」

「…うん、……寂しいな」

「……じゃあ、俺と付き合ってよ?」

「うん」

 素直に返事をした私に、すぐにそう返されると思っていなかったのか光輝は目を開いて驚いた。

「佐和子、酔ってるの?また覚えていないとかいやだよ」

「酔ってないよ。だってこの前…言ったじゃん……キスしてって…、あれ…つまり、イエスだったんだけど……」

 自分的に返事をしたつもりだったのだが、曖昧すぎて光輝に伝わっていなかったらしい。分かりづらいと怒られてしまった。

「……なんだよ。だったらもっと早く……」

「早く?」

 こうしたかったと言われて壁に押し付けられるようにして、光輝は唇を重ねてきた。
 たいして飲んでいないし、外の寒さでとっくに酔いはさめていたけれど、その唇の熱さに溶けていくように私の内側からの熱も急速に上がっていった。
 角度を変えながら舌を絡ませて、お互い荒い呼吸でむさぼるように深く口づけた。

「……はぁ……はぁ……こ…う…き」

「佐和子……」

「気持ちい…い、私……光輝に酔ってるみたい……もう、あの夜から……ずっと」

「佐和子、煽るなよ」

 熱い思いを抱えたまま手を繋いでタクシーに乗り込んだ。行き先はもちろん、初めて会った日に行ったホテルだった。
 部屋までが永遠に思えるほど遠くて、ドアが閉まるのも待ちきれず、二人で服を脱ぎながらキスの続き始めていた。

 またもや、点々と服を落としながら移動していく。ベッドのまでのあと数メートルすらももどかしい思いだった。

「佐和子、濡れすぎだよ。もうびしょびしょ。中もすご…とろとろで、指まで締め付けてきて……」

 下着の中に手を入れてきた光輝は、長い指を蜜壺の中に入れて、嬉しそうにかき回した。
 くちゅくちゅとした水音が響きわたり、気持ちよさと恥ずかしさで、全身が燃えるように熱くなった。

「だって、もうキスした時には……。光輝…お願い……早く……」

「なに?どうして欲しいの?ちゃんと言って」

「や…指で…イっちゃう…からぁ……だめ……、光輝、入れて、光輝と繋がってイきた……い」

 中をかき回しながら、クリをいじっていた光輝はそれを聞いて手を止めてくれた。

「可愛い…佐和子…。ねぇ…俺も限界だって知ってる?中に入ったらすぐ出るよ」

「いい!!一緒にイくのぉ!」

 光輝が手早くゴムを付けるのさえ待ちきれずに私は光輝を押し倒した。下着もブラも半分体に絡まったままだったが、そんな中途半端さもなぜか興奮してしまう。

「こら、欲しがりめ。腰浮かして、佐和子の欲しいものをあげるから……」

「んっ……こぉ……き……」

 またがって少し腰を浮かせたところに自分のものを当てた光輝は、ゆっくりとしたから貫いてきた。とろとろになっていたそこは、待ちに待った熱いものを締め付けながら飲み込んでいった。

「んああ…………光輝……おおき…きもちい…」

「あっ……く…、やばっ……佐和子、きゅうきゅう締めすぎ……全然もたな……」

 浅い呼吸をしながら、私の腰を掴んだ光輝は、ゆっくりと出し入れを始めた。
 その質量と熱がもたらす快感に私はのけ反って喘いだ。
 宣言通り、お互い待ちすぎて限界だったようで、私はすぐに大きな波が打ち寄せてくるのを感じた。
 繋がったところが甘く痺れて快感が身体中を支配していった。

「こ……き……、も…イク……」

「ああ…俺も……でそ………」

 絶頂を感じた光輝は下から打ち付けるように抽挿を早めて、私の腰を激しく揺らした。

「あぁ!ん……は…あぁぁイクぅぅ……んんん!!」

 私がビクビクと腰を揺らしながら達すると、子宮の奥で光輝のものも波打つように爆ぜたのが分かった。

「あぁ…光輝…、好きよ。大好き……」

「佐和子…俺も……」

 達した後の余韻に浸るように、抱き合いながら何度もキスをして愛を確かめ合った。
 こんなトロけるような甘い時間は夜を越えても続いた。

 いつの間にか飛んでいたブラが、壁掛け時計に引っ掛かっているのが目に入って、私は笑ってしまったのだった。




 □□


 私のはいた息で窓が白くくもった。
 窓に手をついたらそこもまた白くなったので、もう身体中、中も外も熱くてたまらない。

「あ…あ…ぁぁ…ん…っ……、だめ……また…イっちゃ……」

「あれ?またイクの?これは佐和子へのお仕置きなのに…、俺はまだ一度もイってないけど」

 ホテルの一室で赤いドレスを着た私は、立ったまま後ろから光輝に貫かれていた。
 目の前は一面が窓で、高層階から見る都会の景色が広がっている。

「このホテルは高いけど、ほら、あのビルからは見えるかもしれないね。真っ赤なドレスだからよけいに目立つよ。佐和子の感じてる顔……見られちゃうかな」

「や……いやぁ……。そんな……お願い…恥ずか……し……」

 パンパンとリズムよく腰を打ち付けながら光輝はクスリと笑った。

「大丈夫だよ。このホテルは外から見えないようになっているから……。佐和子そんな顔、見せるわけがないだろ。というか、このドレス……本当に気に入らない、赤は男を興奮させる色なんだよ」

「だっ……これは……、いただいたから……」

「他のやつからもらったドレスなんて……、しかもこんなセクシーなやつを…他のやつに見られるなんて!絶対だめだよ」

 なぜ光輝にお仕置きされているかと言えば、今日は光輝の兄と友人玲美の結婚式と披露宴なのだ。
 実はひどい話だが、私がすっかり忘れていて、友人とお兄さんが付き合っていることを言っていなかった。
 というか、もう話しているものだと思っていた。最近はお互いバタついていて週末の予定も確認できずに、会場について顔を合わせて初めて光輝の驚く顔を見て、あれ?言ってなかった?と気がついた。

 兄の新郎はもちろん知っていたので、その事でも、なぜ俺だけということでご立腹していたが、私の着ていたドレスがまた火に油を注いだらしい。

 このドレスは玲美の妹でモデルをしている瑠美がプロデュースしたもので、彼女が広告塔になって雑誌などで宣伝されているものだ。
 今回の結婚式でも宣伝用に撮影したいから着てきて欲しいと、新郎側の了承も得ていて事前に依頼されていた。着たものはそのままプレゼントするからと言われて、アパレルになんて無頓着な私は選ぶ手間が省けたと喜んで会場入りした。
 しかし、私は無頓着過ぎて、瑠美がどんな雑誌のモデルかというのを知らなかった。
 なかなか、派手系統のモデルらしく、私に渡されたのは、ずいぶんときわどい赤いセクシードレスだった。
 光輝と目が合った瞬間、ずんずんと近づいてきた光輝に有無も言わさず手を掴まれて、個人用の控え室に用意されていた部屋に連れ込まれて、質問責めにあって結果ここにいたる。

「他のやつって…、瑠美ちゃんだよ。あっ…ちょっと……そこ…ぉ……」

「瑠美ちゃんだろうが、瑠美男くんだろうがだめなものはだめ!だいたい、このドレス、もう佐和子の愛液でびしょびしょだからもう着れないし」

「嘘ぉ……着るものが……」

「それは大丈夫、俺が代わりにプレゼントするから」

 会場に到着して着替えてすぐに宣伝用の写真撮影を済ませていたので、そこは迷惑をかけることがなくすみそうだと私はホッとした。

「みんなして、俺に話すのを忘れていたなんて……、佐和子、時間はたっぷりあるから、他にもなにかないかよく聞いておこうかな」

「あっ…も……ない……、あぁ……あああ…光輝…も…だめぇ…あんん!!」

 またイッてしまった私に、まだまだと甘く囁きながら、光輝はベッドの波に私を沈めたのだった。



 □


「何て言うか……、斬新ね、さわちゃん。可愛いし、似合っているけど……修道女のコスプレ……あっ、ごめん」

「いいのよ、瑠美ちゃん。私もそう、思ったから」

 ゴールドでのキラキラのラメがはいったド派手なセクシードレスと着ている瑠美と対称的に、私は紺色のロングドレスを着ていた。胸元には宝石の刺繍が合って高級感はあるが、首まで詰まっていて長袖で露出はゼロに近い。
 ホテルあった一応は有名ブランドの新作らしいが、結婚式に向いているかは謎だ。

「さっき、彼氏さんに挨拶されたけどさ、すごいニコニコ笑顔のくせに目がさ、語っているのよ、俺の彼女によけいなことするなって……。姉さんから賢吾さんもすごいって聞いたけど、弟の方がヤバめだよ。大丈夫?」

「はははっ……、大丈夫だと思うけど、体力もつかな……」

 さんざん喘がされて声が枯れてしまったのを、咳をしながらなんとかごまかした。
 代わりのドレスが届いて急いで着替えて会場に入ったのだ。
 先に入っている光輝がこちらに気づいて向こうから歩いてくるのが見えた。
 軽く手を上げようかと思ったとき、その手を瑠美がぱっと掴んできた。

「大丈夫!私デザインのドレスは超似合ってたからさー、たくさん写真も撮ってるし!良かったねー!載せない予定だったけど、せっかくなら体の部分だけでも載せていい?だって、さわちゃん、意外と胸がすごくてこれはイケるって……」

「ちょ…瑠美ちゃ…、今…まずいって……」

「へぇ……楽しそうな話だね、俺も混ぜてよ。瑠美ちゃん、さわちゃん」

 瑠美の後ろから、キラキラとした笑顔の光輝が現れたが、その笑顔の後ろに吹き荒れている極寒の猛吹雪を感じて、私も瑠美も真っ青になって固まったのだった。



 □


 玲美の結婚式と披露宴は滞りなく行われた。最高に幸せそうな玲美の笑顔が見れて、私は嬉しくて泣いてしまったほどだった。
 泣きすぎて何も喉を通らず、メイクもボロボロでひどいことになった。結局光輝に用意されたホテルにそのまま泊まることになり、ルームサービスを頼んでベッドの上に広げて、二人だけの二次会をしていた。

「それならいいと思っていたけど、やっぱりそのドレスは禁欲的過ぎて逆にだめだな……。変な想像をかきたてられる。やっぱりこうなったら男装にするしか………」

「なんで男装なのよ……」

「いや、それもまたそれで……妄想が……」

 愛されて幸せなのだが、どうもこの一族は独占欲が強すぎるらしく、鈍い私でも気づくほどなのでただ呆れて、もうバカねと言った。

「ここのところ忙しすぎて会えなかったし、俺もう……限界……」

 ピザをパクついていた私の手を握ってきた光輝は、真剣過ぎる力の入った目をしながら私を見つめてきた。

「佐和子、結婚しよう」

「ふええ、んっ……うま!?」

 口の中がピザでうめつくされていて、なぜこのタイミングと私は口から全部出そうになった。

「本当は佐和子の誕生日まで待とうかと思ったけど、佐和子と離れているのが限界!今日みたいに大事なことも行き違いになってるし……」

 光輝が懐から出してきたものを見て、ピザは完全に変なところに入って私は盛大にゲホゲホとむせた。

「ずっと持ち歩いてて……、本当はヘリコプターで夜景を見ながらとか、色々考えすぎてワケわかんないことになって……で、今……ここで…」

 いつも飄々としていて、とても新人とは思えないドッシリした面構えで、強者揃いの世界で活躍しているくせに、それと同じ人が私の前にいる人だとはとても思えなくて、おかしくなった私は少し笑ってしまった。

「イエスに決まっているでしょう。どこまで私を幸せにしたら気がすむの?」

 いつだったか光輝が言ってくれた言葉にかけて、同じような台詞を選んで私は微笑んだ。

「どこまででも」

 もういいって言うくらい幸せにしたい、そう言って光輝は嬉しそうに私を抱きしめてきた。

 光輝は甘え上手で甘えさせ上手、可愛くてカッコいい最高の恋人だ。
 その真っ直ぐな愛情をたくさん浴びて、毎日幸せが咲くような日々を送れるのだ。

 私の薬指に光ったのは幸せの証、そして二人を繋ぐ永遠の愛の誓いである。

 光り輝くような二人の未来を想像して、私は眩しさと嬉しさでその広い胸に顔をうずめて目を閉じたのだった。




 □完□


























 ☆おまけ☆

「あーあー、お姉ちゃんに続いて、さわちゃんも結婚かぁ……恐るべし鷹城一族ね」

 私がソファーに転がりながら、天井を見てぶつぶつと言っていると、そこに母の顔がぬっと出てきた。

「あら瑠美、良かったらあなたも志願したら?鷹城さん家、三兄弟よ。三人目は三番目の奥様の子供で今はアメリカ在住で式には来られなかったけど」

「え……!やめてよ……変な期待しないで、本当にそうなりそうで怖いから!」

 本気で怖がってクッションを抱きしめた私を見て、母はケラケラと笑った。

「今、九歳だって。可愛いわねー、小学生よ」

「なんだそりゃ…、アホくさ。怖がって損したわ」

 常に彼氏が複数いる私にとって、鷹城一族の独占欲の塊みたいな連中はほぼ天敵に近い。向こうも理解できないだろうし、こっちも無理な話だ。
 まぁ、姉は幸せそのものだし、昔から一緒に遊んでもらって仲の良かった姉の友人さわちゃんも、いつの間にか次男とくっついていて、そちらも幸せそうではある。

 とくに次男の方は同じ年だが、若いだけあってか要注意だ。
 姉の結婚式で私がプロデュースしたドレスを何人かに着てもらった。
 モデル仲間の子の写真を載せるつもりだったが、記念にと思って参加してもらったさわちゃんの写真がカメラマンも絶賛するくらい良かったのだ。
 いつもパンツスーツがトレードマークで、色気というより硬派な女剣士の雰囲気のまま成長していたさわちゃんだったが、いざ脱がせてみて、セクシードレスを着せたら見違えるくらいのお色気っぷりを発揮してくれた。
 意外とお胸は豊かなのに腰はしっかり括れていて、しなやかな筋肉もついていた。
 全身がだめならせめて、バストショットと、バックショットだけでも使わせてもらおうとしたら、謎の圧力がかかって写真のデータごと取り上げられたのだ。
 編集長は口を割らなかったが、絶対TGの圧力しか考えられない。
 やっぱり、私には天敵としか思えない連中だ。

「私は結婚なんて向いてないし絶対ムリー。一人に絞れないし、縛られたくないしぃ」

「……アンタ、いつまでも若くないんだから、プロデュースもいいけど、そろそろステップ考えたら?」

 正直なところモデルの仕事にも限界がきていた。海外に挑戦するほどのスタイルもないし、自分で何か作るのも楽しいがそれを本業にはできない。
 だから、ずっと考えていた分野に挑戦するために、すでに新しい扉を叩いているところなのだ。

「うふふ。まぁ見ててよ。実がなったら、真っ先にご馳走するから」

「それは、楽しみね……頑張って」

 母は鋭い。いつだって私達姉妹が考えていることはお見通しだった。
 たぶん私の夢にも、やろうとしていることにも気づいているはずだ。

 今日は初日の稽古が行われる日なので、私は身支度を整えて家を出た。
 まずはチョイ役からのスタートたが、オーディションで勝ち取ったのだ。

 私の夢は母と同じ舞台女優だ。いつか自分が主役の舞台に、家族を招待するという夢もある。

 姉とさわちゃんの幸せを願って、自分の夢に向かって私は新しい一歩を踏み出したのだった。






 おわり
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