運命の愛を紡いで

朝顔

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続編

偽りの車窓①

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 たくさんの糸を紡いで、豪華な布を織ったとしても、ほどけてしまえばただの糸だ。
 王様のマントも貧乏人の衣も同じだ。いつかはほどけてなくなるもの。

 それでも人が一本の糸であるなら、俺はいつか自分以外の誰かと重なって、人生という名の布を作り出すことができるのだろうか。
 それとも自分は一本の糸のまま、いつかプッツリと切れて消えてなくなるのだろうか。

 時々偽りの糸ばかり出しすぎて、どれが本当の自分の糸が分からなくなる。
 だから、いつかこの人だという人が現れて、一緒に人生を紡ぎたい。
 偽りでなく、本当の自分と。

 そう、いつか、きっと……。


「隣、いいですか?」

 ずっと俯いて考え事をしていたので、その声に反応するのが遅くなってしまった。
 少し置いてから忘れていたようにやっと反応したのだが、その人は穏やかな顔で待っていてくれた。俺と目が合うと、少し目を細めて微笑んで、隣がもし空いているならと聞いてきた。
 今ごろ気がついたが、ミルズ行きの列車の車内は乗った時よりもかなり混み始めていた。
 自分の隣の席に荷物を置いたままだったことに気がついて、俺はこれは失礼と言って慌てて鞄を手に取って自分の膝の上に乗せた。

 その人は音もなく、スっと隣の席に座った。瞬間、ふわりと甘い花のような香りがした。香水の匂いかもしれないと思ったが、そこまで強いものに感じなかった。
 不思議に思いながら自分の横に座った人を見てみると、俺はその美しさに思わず目を奪われてしまった。
 艶のある柔らかそうな黒髪は少し長めに切り揃えられている。陶器のように白い肌に小ぶりだが形の良い鼻、切れ長だが大きくて印象的な瞳はアイスブルーで洗練された美しさを感じた。
 そして愛らしい唇は少し厚く、赤く色づいている。
 格好は仕立ての良い三つ揃いのスーツを着ているから、おそらくどこかの貴族のご令息だろう。男でありながら女性のように美しいし、それでいて男性の雰囲気もある、とにかく不思議な男だった。

「あ……あの。俺の顔に何かついてます?」

 思わず見惚れてしまったので、遠慮ない視線に気がついたのが、その人は少し顔を赤らめながら俺のことを見てきた。
 ドキリと心臓は揺れて騒ぎだした。俺は慌ててすみませんと謝った。

「不躾な真似をしてすみません!しっ……知り合いに似ている気がして……失礼しました!」

「……そうですが。良かった」

「……え?」

「実は向こう出る前に、お菓子を食べ過ぎてしまって……。列車に乗り遅れそうになって急いで出てきたものですから。恥ずかしながら顔についているかと………。あぁ、すみません、どうでもいい話でした。忘れてください」

 忘れてくれと言いながら、口元を押さえて赤くなっているその人は、綺麗でありながらとても可愛らしかった。
 俺は心臓の音が鳴り止まない状態だったが、どうしてもその人と話してみたくなって口を開いたのだった。


「ノーラン・ディッシュパレスさん……、お医者様、なんですね!」

 いつも持ち歩いている新聞を見せると、その人は目を開いて興味深そうに記事を眺めていた。

「医者といっても、リンドンの医学校を出たばかりで、まだ青いのもいいところで。家族がみんな医者をしていることもあって……、目立つらしくて、知り合いの記者にどうしても紹介したいと頼まれたんですよ」

「医学校を首席で卒業、若き天才医師、ミルズで輝かしい人生の一歩を……と書かれてますね。凄いなぁ……」

「いやぁ、おおげさな記者でして……」

 自分を紹介するときにはだいたいこの新聞記事を見せている。
 自分のことについてあれこれ説明するより、これを読んでくれたほうが理解が早いからだ。嫌みなやつだと言われたこともあるが、みんなそれ以上余計な詮索はしてこない。他人の人生に興味はあっても、相手が自分より優れていると分かると途端に口を閉ざす。うるさそうな相手を黙らすなら、この方法が一番効率がいい。
 その人に見せたのは黙らせたいからではなく、自分に興味を持って欲しかったのだ。

「あの、あなたは、お名前は?学生ですか?」

「俺は、ユーリ・グルイシーです。今は家族が経営する会社で働いていて、ジーオイルという会社なんですけど……」

「有名な会社じゃないですか!確かミルズに本社があって、ガソリンで走る車を製造しているとか……、一度でいいから乗ってみたいですね」

「まだまだ、一般的ではないですが、将来的には誰もが手の届くようなものを販売したいと考えてます。ミルズにいらっしゃるなら、ぜひノーランさんも試しに乗車しに来てください」

 少し幼い横顔に学生のような雰囲気があったが、ユーリはすでに働いてた。しかも今どこへ行っても話題の会社に勤めていた。試乗を進める笑顔は慣れたものだった。俺が考えるより、かなり年上なのかもしれない。

「……ユーリさんはおいくつなんですか?」

「今年、二十歳になります」

「え!?同じ年ですか……、いやぁ、落ち着いていますね」

 驚いたことに同じ年だった。幼い横顔と落ち着いた雰囲気、やはりアンバランスな魅力のある人だった。

「ご結婚はされているですか?」

「いいえ」

 ユーリは少し困ったような顔をして笑った。俺は彼が独身だと聞いて、少し安心してしまった。

「ええ?驚きだなぁ。あなたほど容姿が優れた方なら、女性が放っておかないでしょう。縁談の話もないのですか?」

「そ……そんな、私など大した者ではないです。その……今は仕事で忙しくしておりますので……、それに、将来的にも結婚は望んでいませんから……」

 本人もそこまで言うつもりはなかったのかもしれない。つい口を滑らせてしまったという感じて、口にしてから気まずそうな顔になった。
 俺はなぜか、彼の本心が気になってしまい仕方がなかった。

「どうしてでしょう?結婚に嫌な思いでもあるんですか?……あ、いや……私も似たような気持ちがあって、つい気になって……」

 親しくない関係でつい深いところまで話を聞こうとしてしまい、ユーリの瞳に少し困惑の色が浮かんだので、俺は慌てて自分が近い考えであると言い訳のように付け足した。

「俺の方は結婚に嫌な気持ちはないのですが……ちょっと複雑な事情がありまして……。ノーランさんはどうなんですか?」

 何やらはぐらかされた気がするが、ユーリは俺に興味を持ってくれたのかもしれない。気持ちが浮き立ってくるのを俺は隠すように問いに答えた。

「まぁ……すごい嫌なわけではないですが、昔から女性にはモテましてね。どこへ言っても向こうから声がかかるし、正直困ったことはないくらいで……」

「確かに、見た目も男らしくて素敵ですし、才能にも溢れていて、ノーランさんこそ女性が放っておかないと思いますよ」

 ユーリから俺を誉めてくれる言葉が出てきたら、ゾクゾクと喜びが溢れてきた。ニヤついてしまう顔を隠しながら、モテるのも大変なのですと言ってみた。

「贅沢な悩みかもしれないですが、誰を選んだらいいか分からないくらいで……。最近はなんだか疲れてしまって……。まぁ仕事も色々と気苦労が多くて忙しいし、結婚はしばらくいいかなと思っているわけです」

「そうですか……。贅沢ではないですよ。大事なことです。それに、この人という相手にまだ出会っていないのでしょう。そういう相手に出会えたら、きっとすぐにでも一緒になりたいと思うかもしれないですよ」

 ユーリは穏やかな笑顔を浮かべている。やはりその辺の同じ年の連中とは違う。落ち着いていて包み込んでくれるような温かさがあった。

「……ユ……ユーリさんは、そういう相手がいらっしゃる……のでしょうか?」

 どうしても聞きたくなって口からついて出てしまった。大人びた笑顔を壊してみたいという気持ちもあった。

「えっ……俺ですか……。俺は……います。俺にはもったいないくらいで……、一緒にいていいのだろうかといつも思うくらいですけど」

 そう言ったユーリは、頬を染めて嬉しそうな顔をしていた。
 その顔を見たら俺の心臓はトクンと小さい音を鳴らした。
 そんなに好きな相手がいて、思い合っているのに結婚まで至らないというのは、もしや人妻なのではなどとあらぬ妄想まで浮かんできてしまった。

「羨ましいなぁ……」

 つい口から出てしまった言葉が自分でも信じられなくて、変な汗が流れてきそうになった。

「大丈夫ですよ。立派なご職業をされていらっしゃいますし、出会いもあってまだ若いのですから……、そんなに悲観されなくても……」

「あ、いえ。俺が羨ましいと言ったのは、あなたの相手のこ…………」

「え…………?」

 吸い込まれそうなアイスブルーの瞳が大きく開かれて、俺をしっとりと見つめていた。思わず体が動いてしまいそうになって、何をしようとしたのかと慌てて頭を抱えた。

「いや、なっなんでも!なんでもないです!やはり、そうですね。まだ若いから希望はありますよね。あははっ……」

 苦し紛れにごまかすように笑って見せたが、ユーリは不思議そうに顔を傾けていた。そんな姿も愛らしくて美しかった。

「そういえば、列車にはよく乗られるんですか?」

「え?ええ。ルピアの方に月に何度かは……。お世話になった教会があって、そこに細々ですが食べ物や洋服などを寄付をしに行っているんです」

 話を変えようと、違う話題を振ってみると、なかなか興味深そうな話だった。貴族に多い慈善活動に熱心なタイプらしい。

「ルピアですか……。すみません、まだ降りたことがなくて、あの辺りは何かありましたっけ?」

「そうですね、観光になるようなものはなにも……。十年ほど、そこで暮らしましたが、静かな田舎の村ですね」

「え……?教会で暮らしていたのですか?」

 俺が驚きの声を上げると、ユーリは穏やかにその頃を思い出すように目を伏せて、はいと静かに答えた。
 身なりや立ち振舞いはどうみても貴族の雰囲気があって、洗練されていた。しかし、田舎の教会で暮らすとなると、よほどの境遇でないとそんな事にはならない。ユーリについて、ますます興味が湧いてしまった。

「ノーランさんは、お仕事ですか?」

「そうです。医学会は地方で開かれることが多くてよく列車には乗りますね」

「それなら、また一緒になるかもしれないですね。その時はまた声をかけてもいいですか?あまり、同世代の方とお話しする機会がなくて……、それにお医者様とお知り合いになれたら心強いと思いまして……、ご迷惑ならすみません」

 たまたま乗り合わせて隣の席だった人間。少し話したから社交辞令かもしれない。それでも、とびきり魅力的な誘いに聞こえて俺は食い付くように、ぜひよろしくお願いしますと言ってしまった。

「ミルズにお住まいですよね?もし、体で気になることがあるなら、うちの診療所に来ていただければいつでも診ますよ」

「本当ですか!すみません、こんなところで、図々しいお願いをして……、うちに働きすぎの家族の者がいて本人は大丈夫だと言うんですが、心配なので相談に乗って欲しくて……、今度できたら連れていきますのでよろしくお願いします」

「家族思いなんですね。もちろん、どんな小さいことでも気になることがありましたら、ぜひ来てください」

 複雑そうな境遇、好きだが結婚できない事情、家族思いの優しさ、出会ってから少ししか経っていないのにこれほどまでに惹き付けられる人はいなかった。

 まもなくミルズに着きますと車掌の声がして、たくさんの建物が見えてきた。ミルズはこのところますます景気がいい。
 人が集まってきて、あまりの混雑ぶりに人がゴミのように見えてくるくらいだ。
 列車が進むにつれて、人で溢れている駅のホームが見えてきた。

「まったく……すごい人ですよね……。うちは迎えの馬車が来ているので、よかったらご自宅まで送りましょうか?」

「あ……ありがとうございます。でも、うちも、迎えが来ていると思うので大丈夫です。うちは過保護なので、多分あのホームまで来ていると思います」

 ユーリは人で海のようになっているホームの上を見ながら誰かを探すように視線を動かしていた。

「過保護?ご両親ですか……?」

 俺の言葉にユーリは反応しなかった。彼は、ホームを見て目的の人物を見つけたのか、花が咲いたような鮮やかな笑顔になって、目をキラキラと輝かせた。
 その顔を見た俺は心臓を鷲掴みにされて、一切の言葉を忘れてしまうほど、ユーリの笑顔に目が釘付けになってしまった。

「ノーランさん、お話しできて楽しかったです。ではまた……」

 ユーリがこちらを見てなにか言っていたが、理解するまでが時間がかかった。代わりに反射的に、はいと返事をしてしまって、それを聞いたユーリはふわりと微笑んで座席から立ってしまった。

「………あ」

 気がついた時には真横にいた、美しい青年は消えていた。
 どうやら列車はもう止まっていて、たくさんの乗客の乗り降りが始まっていた。
 バカみたいに口を開けたまま固まっていて、すっかり取り残されていた。
 早く降りようと鞄に手をかけたとき、ホームの様子が目に入った。
 窓から見ると、先ほどまで自分の横にいたユーリがドアから出てきたところだった。

 ホームに降り立ったユーリに駆け寄ってきたのは金髪の男だった。遠目でも分かるくらいの美形で、すらりと背が高くこれまた高そうなスーツを着て周りの誰よりも目立っていた。
 さっとユーリの鞄を取って腰に手を回した。その仕草が妙に慣れていて二人の親密さが分かった。
 ユーリは何か楽しそうに話しながら、男の服の袖口を引っ張った。男の方は愛しそうに目を細めて微笑んだ後、ユーリを引き寄せておでこの上にキスを落とした。
 周りを気にしたユーリは赤くなって慌てていたが、男は周りなど全く気にもとめない様子でユーリを抱き寄せた後、顔を近づけて唇を奪った。
 手をバタバタしていたユーリも、最後は長く続く口づけに諦めたように体を預けていた。

「なっ……なんだあれは!……あれじゃまるで……」

 恋人と言いかけて俺は自分の口を手で覆った。
 好きだけど結婚できない相手、つまりそれは…………。

 窓に張り付くようにして二人を眺めていたからか、男の方が俺の視線に気がついてこちらに顔を向けてきた。
 そして、唖然としている俺と目が合うと、男はニヤリと口の端を上げて笑った。
 いや、笑っているようにも見えるが、その目は凍るような冷たさで一瞬にして俺の熱を奪っていった。
 まるで俺の願望を瞬時に見透かされたようで、ガタガタと寒気がしながら俺は窓から離れて自分の鞄を掴んで列車を降りたのだった。



 バタンと音を立ててドアを閉めた。無言で身を小さくしながら馬車に乗りこむと、間もなく馬車は走り出した。
 俺の頭の中はぐちゃぐちゃで、ひどく喉が乾いていて胸がじっとりと嫌な湿り気を帯びて騒いでいた。

「なんだ、わざわざ迎えに来たのに、何の挨拶も言わないのか」

 向かいに座っているのは兄のヴィッセルで、本を読みながら、いつものように冷静な声を出した。

「…………ああ。悪い。ちょっと疲れてしまって……」

「向こうでの仕事で何か手違いがあったのか?」

「いや、そっちは順調で……、予定より早く終わって……問題なかった」

 俺の様子がおかしいことに気づいたヴィッセルは、本をパタリと閉じた。じゃあなんだという無言の空気を感じた。

「……いや、列車の中で……、隣に座った男性と話が盛り上がってしまって……」

「お前が?珍しいな。人と話すのは俺以上に嫌うくせに。うるさいご老人に人生談義でも聞かされたか?」

「老人ではなくて……同じ年の人だよ……。男だけど……なんというか……綺麗な人で。目に浮かんで離れないくらい黒髪と印象的なアイスブルーの瞳で……」

 話しながらまたユーリの横顔を思い出して、心臓が揺れているのが分かった。じっとりと汗までかいてきて、熱くなってきた。

「お前……、もしかして!黒髪の麗人に会ったのか!?」

「……?なんだよ……それは……?」

「列車を使うやつの間で話題になっている人のことだ。男なのに恐ろしい美貌で、見ているだけで興奮するらしい。たいてい執事らしき男が横に張り付いていて、誰も声をかけることができないが、みんな気になって噂になっているんだ。まさか……、お前仲良くお喋りしたのか?」

「その人かは分からない。一人だったし……。でも、確かに恐ろしいくらい美しい人だった。名前はユーリ・グルイシーと言っていたよ」

 それを聞いたヴィッセルは方眉をつり上げた。どうやら、名前に心当たりがあるらしい。

「グルイシーといえば、この辺りではグルイシー伯爵が有名だな。美貌の双子で確か弟はジーオイルの社長だ」

「それだ!」

 俺が急に大きな声を出したので、ヴィッセルは何事かと不快そうに眉間にシワを寄せた。

「ユーリはジーオイルで働いていると言っていた。と言うことは、グルイシーの一族の者だったのか……」

「もしかしたら、少し前に養子を取ったと聞いたが、それのことかもしれないな。なるほど、黒髪の麗人は、双子の情人か」

「……どういうことだよ」

「そのままの意味だ。あくまで噂だがね。兄弟ともに引く手あまたなのに独身で、なぜか子供でもない養子を取る。しかも、公の場所には一切の連れ出さずまるで家に閉じ込めているかのよう。仕事はさせているらしいが幹部しか会うことができないらしい。もうこれは情人なのだろう、しかも噂だと二人を相手にしているらしい、本当ならとんでもない魔物だよ」

 ユーリを蔑むような言い方をしたヴィッセルに、俺は腹が立って胃の辺りがカッと熱くなった。
 ユーリがお菓子を食べ過ぎたと言って頬を染めていた顔を思い出した。とても兄の言うような魔物だとは思えなかった。

「かっ……彼は……そんな人じゃ!」

「なんだ。そんなに熱くなって……。たまたま隣の席で少し話しただけで、そいつの何が分かるんだ。お前もしかして惚れたのか?やつらのイロに」

「………………」

 ヴィッセルの探るような視線に今度はドキリと心臓が鳴った。今日はとにかく疲れる日だと思った。

「分かりやすいなぁ……。相手はグルイシー家だぞ。悪いことは言わない、遊ぶなら付いてくる女はいくらでもいるだろう」

「兄さんは欲しいものを何もせずに諦めるのか。スペンサーの名前には相応しくないな」

 ヴィッセルの発する温度がぐっと下がった。俺達にとって名前は大きな意味があるのだ。だから、あえて攻撃するようにその名前を言ってやった。

「…………言うようになったな、ルイ。黒髪の麗人にはどの名前を使ったんだ」

「ノーラン」

「お得意の医者か……。まぁ、相手次第では効果的だからな。麗人はどうだった?」

「疑っている様子はなかった。素直て純粋な人だよ……」

 俺の答えにヴィッセルは小バカにしたように笑った。

「ふん、せいぜい夢を見てろ。俺は止めたからな」

 ヴィッセルの言葉を聞き流して、俺は窓の外に目をやった。流れていく街並みの中に、ユーリと金髪の男が楽しげに歩いている幻を見て、胸が焼けるように熱くなった。

 羨ましかった。
 あの微笑みを向けられるのが、なぜ自分ではないのか。
 心の底から羨ましいと思ってしまった。

 ならば手に入れればいい。
 心の中でもう一人の自分が笑った。

 それはノーランなのか、別の誰かなのか。
 俺には分からない。

 俺は、俺達は、そうやって欲しいものを手に入れてきた。
 自分達の痕跡なと欠片も残さずに。まるで夢を見ているみたいな心地よい眠りに誘い、その隙に奪ってきたのだ。

「ユーリ・グルイシー……」

 鈴の鳴るような美しい声を思い出しながら、その名を口にすると、とろけそうな甘い花の香りまでよみがえってきた。
 一瞬の出会いだったが、とても忘れられない出会いだった。
 あの場にいたのはノーランでもなければ、ルイでもなかった。遠い昔に置いてきたはずのあの頃の自分が尾を振るようにユーリの瞳に映っていた。

 人生の糸は流れるように真っ直ぐとはかぎらない。時にもつれて絡み合う。そうなれば元の形に戻るのは困難だ。
 彼らは運命を信じて自分達の糸を紡いでいるかもしれない。
 ならばぐちゃぐちゃに絡まって、戻れなくなってしまったら。
 そこをかすめ取ってしまえばいい。
 ユーリは俺がずっと欲しいと思っていた輝きだ。知ってしまえばもう、それしか見えない。

「スペンサーが狙って盗めないものはない」

 俺の言葉にヴィッセルが漆黒の瞳を光らせて、ニヤリと微笑んだ。

 名前は大事なのだ。
 名前を知ってしまえば、もう手に入ったようなもの。

 俺は糸を手繰りよせるように手に力を込めた。
 どんなに離れても、決して逃がすことなどない。
 ゆっくりと、確実に糸を自分の方へ。
 ここからどう手繰りよせるか、楽しくなってきた俺は口許に浮かんだ笑いを抑えることができなかった。




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